・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

専門家の意見はどう役に立つのか

2013年10月31日 | つぶやきの壺焼

機械の故障が起きたとき、処置方法について専門家の意見をよく聴きなさいと言われたことがあります。
工業標準の文案検討の過程でも、専門家の意見をよく聴きなさいと言われました。

技術的な問題解決には、専門家の識見にすがることが、有力な手段になりえます。


問題が政治的なことである場合には、専門家の意見が良い結論を招くとは限りません。
政治的なことには、必ず利害を伴いますから。

国会の委員会では、審査又は調査のため必要があるときは、参考人の出頭を求め、その意見を聴くことができるという規則が定められています。

この場合、参考人の選び方と「意見を聴く」ところには、政治的な力が必ず働きます。
その政治的な力を発揮する政治家が、活動の第一の価値を、もし議員という職の継続性に置いていたらどうなるでしょう。

参考人の選ばれ方も、聴き出した意見も、議員の第一の価値に沿うものであることは間違いないでしょう。
その逆のことが選ばれる気遣いは全くありえません。


さて、問題は規則にあるのか、議員の価値のもちかたにあるのか、いかがでしょうか。

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2013年10月30日 | つぶやきの壺焼

シャツを脱ごうとして、袖を引っ張っても脱げません。

頚椎症という首の辺りを源流とする病気があります。
事情があって首が回りにくくなるのも、この仲間に入るのでしょうか。

手や腕の動きがおかしい、感覚が鈍いという場合、その原因が頚椎にあることが少なくないそうです。


脱げないシャツは、その上にチョッキを着ていました。
チョッキという呼び名は、いまではベストに席を譲ったようですが、ベストはいかにも「着ています」感が強く、ちょっと着るにはチョッキのほうが合っている気がします。


前がボタン掛けのチョッキなので、脱ぐときには、もちろんボタンをはずしました。
続いて、シャツを早く脱ごうと思って袖を引っ張ったのですが、これが脱げなかったのです。
今日は特別腕の曲がりが固いなあ、では首の運動でもするかと、首をぐるぐる回し始めます。
首がちょうど下を向く位置に来たとき気付きました。
シャツのボタンが、まだはずれていないのでした。

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老化は感覚から始まる

2013年10月29日 | つぶやきの壺焼

左目に新月のような線が見えます。

飛蚊症という目の病気があるそうです。
あれは夏にかかりやすいのでしょうか。

蚊よりも月のほうがまだよさそうです。
今の季節には、月が合います。
月が見えてしまうのは観月症とでも言うのでしょうか。

月が出ているとき、目の前に指を持っていくと月が動きます。
「あの月が欲しい、突き落としてたも」ヌケ姫の話を思い出します。

鏡に目を凝らしながら、目の前の月を動かして見ました。
新月の正体判明、一本だけスッと伸びた白い眉毛が垂れ下がっていたのです。

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法において濫を許さず

2013年10月28日 | つぶやきの壺焼

「治に居て乱を忘れず(易経)」を言い換えてみましょう。
「治にあって濫を許さず」うまく治まっているときでも、濫費、濫行はいけません。
「法において濫を許さず」法律は濫用されてはなりません。

立法の必須条件は、濫用の余地の最小化にあると言った人がいます。
法律の存在理由は、ことがらの是非の判断に適用されることにありますが、世に「適用」ほど便利であり、厄介であり、また怪しいことはありません。

自律は人間だけのことではなく、法律にも自ら濫用をくい止める規定が盛り込まれていなければならないでしょう。

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気持をわからせる方法

2013年10月27日 | つぶやきの壺焼

日本人は面と向かってはっきりものを言わない、それがつつましさのあらわれということが定説とされてきました。

ものの言い方はつつましそうでも、ほかのことには結構ずうずうしい人をよく見かけます。
もの言いのつつましさと言っても、それは、ことをわけて話すのが面倒なのなのかもしれません。

電車の中で3~4歩ごとに「バカヤロー」を連発しているおばあさんがいました。
どこまで続くのかと思っていたら、空席が見つかって座ったとたんにおさまりました。
何かわかって欲しい気持を抱えていて、それを誰かに話すのも面倒、そうなると捨て独白しかありません。
「バカヤロー」の連発は、捨て独白どころか撒き散らし独白です。

話は面倒で嫌でも、おしゃべりには別の空間ができますから、そちらは際限なく続きます。
この別空間は、時代劇によく見られる人払いのように、聞こえないかのようにしておいて立ち聞きさせるという、巧妙な手段にも利用されます。
聞かれないためには、人が近づきにくいように障子を開け放っておいたほうがよいのに、わざわざ閉めて、すぐ近くまで忍び寄れるようにしています。

話があると言わずに話をしたいとき、壁の耳で仕切られた別空間を活用すると、バラバラの話からでも、気持を伝えることができそうです。

まあ、あまり心地よいことではありませんが。

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点と線はどちらが強いか

2013年10月26日 | つぶやきの壺焼

猫がカラスにちょっかいを出せば、カラスは仲間を呼んで攻撃します。

cat と crow はどちらが強いか
⇒ at と row はどちらが強いか
⇒ 点と線はどちらが強いか

ということになりますが、やはり点は線にはかなわないようです。

大雨を降らす力も、台風の目・・点にはなく、前線がもっています。
台風は海のほうにそれましたが、まだ雨はやみません。
この困った線を移動させる力は、まだ科学にはないようです。

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無期を望むか望まないか

2013年10月25日 | つぶやきの壺焼

無期、懲役の話ではありません。

労働契約法という、平成19年にできた比較的新しい法律が、平成24年8月に改正、その8ヵ月後の施行から半年経ちました。

改正の主要点は、雇用期限の決め方にあったようです。

期限を区切られた有期労働契約を繰り返していると、もうあなたの契約は更新いたしませんといつ言われるか、ずっと不安が付きまといます。
この「雇止め」に対する不安を解消するための改正だという説明には、どこかほっとするものがありました。

改正法では、連続5年を越えて働いた有期雇用労働者が申請すれば、会社はその人を無期雇用つまり正社員扱いにしなければならないと定められました。
しかしこれは、5年以内で雇い止めにしてしまえば無期雇用にしなくてもよいということの裏返しだったことに、みな気付いていたでしょうか。
I Tのおかげで、雇用の個別管理はごく簡単に機械的にできてしまいます。
Aさんの5年めはX年Y月、その前に打ち切り、いつまでに通告と、すぐ表に現れますから、一切頭を使う必要はありません。
法に則った規定どおりのことを機械が通告するのだと思ってしまえば、情も何もいりません。

無期雇用になるためには労働者自らがその意思表示をしなければならないということも定められています。
意思表示をしたとたんに、店長さんの目が冷たくなってくるかもしれません。
検討しておくと返事は貰っても、それが聞き入れられるかどうかはわかりません。

 http://p.tl/OmN2

連続で3年間働いても、その後に6ヵ月以上の空白期間があると、またゼロから出発ということになります。
これを繰り返せば、いつまでも有期雇用労働者でいられるかわりに、無期雇用になれる日は無限の彼方にしかありません。

四季の無くなりかけている極短なこの秋に、「無」という文字の、無限のむなしさを感じています。

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教育の場を実験場にしてよいのか

2013年10月24日 | つぶやきの壺焼

市長の強力な政治主導で、11名の公募校長が民間から任用されました。
928人の応募者のうちから厳選された先生方です。
ところが、間もなく半数を超える6名に、校長としての適性問題を指摘される結果が出てしまったそうです。

決めるときには、任用した人とこの先生方に、何かしら共感があったのでしょう。
その共感には、任用決定者自身の「個性的な人間的資質」を反映しているのではないかという説もあります。
_______(「内田樹の研究室」 http://blog.tatsuru.com/ より)

公募校長の応募者数が、今年度は去年の15%にまで急減したそうです。
校長でもやってみるかと、気軽に実験台になるような人が近づかなくなったということでしょうか。

教育の成果を確かめるには、少なくとも10年以上の歳月を経なければなりません。
何年か後にどこの大学を卒業できたぐらいのことでは、まだまだ成果とはいえません。

そもそも教育という場に、第三者の思いつきのような実験的手段を持ち込んでよいのでしょうか。
直接でなければ結果が得られない、自分では試すことができない、そこが教育の問題のなきどころでもあります。

整形の場合なら、自分の顔への施術で確かめる立派な院長もいらっしゃるようですが。

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こんな言葉のどこがありがたいのか

2013年10月23日 | つぶやきの壺焼

コンプライアンスというカナ語があります。
直訳すれば「法令遵守」と、都合のよい名訳を公開しているサイトもあります。
「遵守」はわかりますが、「法令」の意味はどこにもないでしょう。

応諾、追従、迎合性という訳語があって、書かれている順にだんだんよくない意味になっていきます。
融通無碍、全く柔順であることぐらいならまあまあですか、要求次第でどうにでもなることとなっては、おだやかではありません。

なぜこんな言葉をありがたがって使うのでしょうか。
いま、日本語界の弱点は翻訳力にあるようです。
言い換え書き換えだけでは優れた翻訳になりません。

巧い訳語が見つからないと、カナに書き換えて、都合よく解釈できる言葉にしてしまうのは悪訳です。

文言と熟語、両方の翻訳を研究する学科が、文学部にあってもよさそうに思いますが、いかがでしょうか。

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新しい法律ができるとき

2013年10月22日 | つぶやきの壺焼

国会議員の仕事に立法という面倒なことがあります。

法案は、特殊な言葉の混じった特殊な構文で綴られます。
通常の規約文書でさえ、読む気がしないものもありますが、それに輪をかけた難しさです。

法案提出者は自分でそれを作りませんから、盲点があっても気づきません。
これはこういう意味だと説明されれば、そうかと言うしかないようです。

それをよいことに、意図された盲点ができたらどういうことになるでしょうか。
次の選挙ではその人たちに投票しないなどという、のんきなことでは間に合いません。

たとえば、国のだいじな秘密を保護しようという場合、このことは秘密だと決めてしまったら、百年後の歴史の審判も仰げないよう、文書は永久保存も公開もされずに廃棄されてしまう、そんなことを、法律で決めてしまったらどうなるでしょう。
空恐ろしいとは思いませんか。

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結論は常に先に言えと言えますか

2013年10月21日 | つぶやきの壺焼

「結論を先に」
それが意思疎通を円滑にするコミュニケーションの要諦であると言われます。

「起承転結」
それがものごとを確実に伝える話し方、書き方の要領であるとも言われます。

先に言うか、最後にしっかり押さえるか、どこで結論を言うか、全く逆のこのことは様式に過ぎません。
ものごとの様式は、その場、そのことに、ぴったり合えばよいので、適用の対象がないうちは、両者に優劣はあらわれません。

優劣は、様式そのものにはなく、対象に応じた選択にあるのでした。

「結論を先に」を当てはめると、間違いを起こすこと、最悪の選択になることもあります。
たとえば裁判です。
裁判の前に、起訴されたことがらが全て間違いがないのであれば、裁判は要りません。
起訴されたことがらを、結論として先に決めてしまったのでは、裁判は起訴事実確認の儀式でしかなくなります。
人の一生、あるいは命にかかわる裁判が、儀式だけで済まされてよいはずはありません。

まさかそんなことは、とだれでも思いたいのですが、そう思いたいのは、逆のことを考えたくないからです。

考えたくないことが、ここ二三年、次々に起こっているではありませんか。
1時間に100ミリを超す大雨など、だれも考えたくなかったのです。

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開いているのに入れないドア

2013年10月20日 | つぶやきの壺焼

古い建物には、トマソンの一種である閉まりきりで出入りのできないドアをときどき見かけます。

それとは別に、開いていても出入りできないドアがあります。
記者会見場などによくあるそうですが、開いているドアが閉まっているのと同じなのだそうです。

発表される会見記事の読みあげを聞いているだけで、質問は特定の記者からのみ受け付けられます。
答えの用意されてない質問が、出入りを望まれてない記者から出ないようにするためなのでしょう。

開いた口がはじめからふさがっている、見えないトマソンです。

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回答できない質問はむだでした

2013年10月19日 | つぶやきの壺焼

郵便を配達できない国があって、それを書き出してあったという話を聞きました。
どのくらいあるのだろうかと、日本郵便にどこどこですかと問い合わせましたが、返信は来ません。

こういうことは、特定の国を指して、そこに送れますかと聞かなければ、回答はもらえないのでしょう。
質問が来ても、「はい」と「いいえ」しか回答してはならないことがあるようです。

それはそうでしょう、ただ聞いてみて反応を知りたいだけの、おしゃべり代わりの投稿が、FAQには多いので。

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折りたたみ方にも名前がある

2013年10月18日 | つぶやきの壺焼

仰向けに寝たとき、腰の具合が落ち着かないことがあります。
痛いほどではなくても、ギックリの余韻が抜け切れていない感じがするのです。

そういうとき、タオルを四つ折りにして、腰のへこみの下に当てると楽になります。

折り方は、どうでもよいと言えばそのとおりですが、端を中に折り込めば、当たりが柔らかい気がします。

さて、この折り方はなんと呼ぶのだろう、それより、名前があるのだろうかと、そちらのほうが気になりだします。
折込四つ折では気が利きません。
観音開きという扉の組み合わせ方があります。その逆なら観音閉じですが、折りたたむのと閉じるのは違います。

論理にこだわるとうまい名前がつけられません。なんとなくわかればよいのでした。

端を中に折り込んだ四つ折りの名は、「観音折り」でした。

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マナーを正すと旅行代金があがる

2013年10月17日 | つぶやきの壺焼

世界中に行儀の悪さを宣伝しないよう、旅行法を制定したところがあります。
とたんに旅行代金が高騰、とも報じられました。
旅行という一種の商品に、高級感の付加価値がついたようです。
自分のマナーを自分で買う、21世紀型の商品価値です。

その法律では「非文明行為」が禁止されました。
マナーの悪いのは罪であるから、罰を受けなければならないというわけです。

◇ハンガリーに行ったら、ガラスを割ってはいけません。
◇旅行先のトイレで、便器の上に乗ってはいけません。

いろいろと愚態的な、親切な法律のようです。

さて、やってはいけないことを決めた一方で、しないための教育はどうされているのでしょうか。

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