してはならないことを平然とやってのけると、実行力だけが目につき、人びとがわくわく感を刺激されて、非行も非難されなくなります。
反則ギリギリまで、言い放題、し放題の人は、頭の上の王冠を落とさないことに夢中で、土台の緩さが気にならなくなってしまいます。
してはならないことを平然とやってのけると、実行力だけが目につき、人びとがわくわく感を刺激されて、非行も非難されなくなります。
反則ギリギリまで、言い放題、し放題の人は、頭の上の王冠を落とさないことに夢中で、土台の緩さが気にならなくなってしまいます。
自然のしわざは、ときには神の怒りに、またときにはあたりを荒らしまわるいたずら者のすることのように、見えることがあります。
こういうことの表現に、確率論を引き入れてみても、それは不安を掻き立てたり、工費割り当ての計算材料になったりはしますが、世紀中に何度という数値計算が、命を護る手だてとしての役割を果たすことはなさそうです。
確率論は、管理できる対象に有効なもので、自然現象は、現代人類の知恵では管理できないからです。
「こんなに持ってきちゃった」
ホテルの朝、バイキングのテーブルです。
「食べきれないでしょう」
「いいの、残さないから、うちでパン君がまってるでしょ」
「パンって名前、あのワンちゃんにお似合いね」
奥様は、帰り道、スーパーに寄ります。
いつもは買わない8枚切りのパンがかごに入っていました。
バカバカしいこと、奇怪なことが、TVの画面には毎日現れます。
知らせてもどうにもならないことは、後からあとから続きますが、知っておかなければならないことは、まったく知らされないか、あるいはそっと気づかないように放送されます。
TVは見たがる人に合わせて放送するものという、うそ原則がしっかり根付いているかのように装った番組が作られます。
こんな放送もあるのには、なるべく人々が気付かないよう、扱われます。
「日本が東南アジアを侵略したと教えられたかたたちへ」
https://www.youtube.com/watch?v=NdQYFEhUAy8
呑みくらべの新型コンクール、委員会で検討中の実施要領の一部です。
1.男女一緒にするか、別にするか。
2.一升の飲み方を比べてはどうか。
①呑みきるまでの時間
②呑んだ後の運動機能
③呑んだ後の心理状態
(注) 事務局は、ルールへの介入防止のため、その所在マル秘
パロリタ、それはリタラチュアのパロディです。
標題は、パロリタの題材としてありますが、題材だけ挙げておいてあとから大作品をものにしてやろうなどと、大それたことは考えていません。
実のところは、題材になりそうな文学を探し出して、題名をパロってやろうかというだけの、他愛ないものです。
発音は3音めにアクセントを、少し伸ばし気味にすると、地中海気分が味わえます。
ここで思いついたパロるという動詞、パクるよりも何かが少し上のような気がしています。
2音めがラ行なので、語感が多少よいだけかもしれません。
トップパロッターは「藁灰はエコである」です。
火鉢というものが家庭の部屋から消え、もう藁灰も見なくなりました。
藁灰を作るついでにさつまいもを焼く、あれこそエコのお手本だったのですが。
エコエコと言いながら、わざわざ新しい何かを作ったり売ったりしているのは、字がひとつ違うでしょう。
エコと呼ぶよりエゴ、お怒り召さるな、これは藁灰のような軽い話ですから。
なさそうなもの探しの最終回は、こういうことをしたいので、それに合った道具を貸してほしいというと、大物から小物まで、どんなものでも貸してくれる巨大システムです。
二度三度とは使わない道具の場合、買ったり作ったりしていては大変です。
地球上のどこかには、同じ顔をした人がいるそうですが、同じことをしたいと思っている人も必ずいるでしょう。
もし同時期の場合にはしばらくお待ち願うことになります。
ほしい道具は、地球の裏側からでも飛んできます。
載せてくるのは、ジェット機のように、ご機嫌次第で墜落するような危なげなものではありません。
ミサイル操縦技術が3~4次元に応用され、地球の自転力がエネルギー源に使われています。
地球の内部から噴き出してくるものを独占したり、生きるために働く人をかき集めたり、そんなケチくさい考えは、すでに相続価値のないレガシーものになり果てています。
平和も人権も、もう自然現象になっていて、わざわざ口にするような人もいなくなっています。
これは医学で、占いではありません。
Hはヒューマン、勘違いされないように。
人それぞれのDNAに合った、たべもの、補助薬剤をデザインして、最適の処方をしてくれます。
一つのものをむやみに勧めたり、売るだけの宣伝をお手伝したり、そんなご都合診断は決していたしません。
ひとりではとにかく何もできない、でも働きかけるもいや、それなのに何かしてくれるのを待つのもいや、というむずかしい人をお迎えしてお相手する、送迎車付きのお構いバーです。
お相手はロボットがいたします。
ちょっとお高いのですが。
議会で議員にふさわしくない言動を発した人に対して、議長から示されるカードです。
それを掲げられると、議事録に記録され、3回重なれば以後議会への入場を拒否されます。
所属の党の区別なく、このことはTV、ラジオ、新聞で義務報道としてもれなく伝えられます。
そうなれば、街に出てわめき散らすしか、することがなくなります。
しかし、なぜそこに出てきたかは、皆知っていますから、さすがの暇で知恵なしの学生もニートも集まってはきません。
上空からやってくる、正常な航空機以外の物体は、みなこの気層で跳ね返されます。
気層のわずかの隙間を見つけて忍び込んでも、そっと下側で作られても、防御対象物は、かならず見つけられ、すべて気層の外側に追いやられます。
武器としては未完成の、爆発物、激可燃物、麻薬、毒物も、もちろん防御対象です。
体につけてあれば、体ごともって行かれますから、自爆テロもうまくいきません。
集議員と散議員の二院制の新議会方式です。
対立することだけを議員の仕事と思い込んでいる人たちは、みな散議員の所属にし、国全体のため結束して事にあたろうとする人たちが集議員に属します。
散議員の活動は、民意と呼ばれる外の騒ぎの反射効果によって、一見活発で、報道のネタにはなりやすいのですが、見かけの活力以外に何も生まれません。
集議員では、通常の審議が静かに行われます。
党略も護権執票の念も、議場入り口のクロークに預けられます。
底意も、切り札も、議場でポケットをまさぐって出てくることはありません。
厚労省、文科省共同認定の新薬です。
歴史認識とは、立場や都合に合わせたそのときの解釈のし方からではなく、事実をしっかり見つめることから始まる、だいじなことに気づくクスリです。
英語、中国語、韓国語の懇切丁寧な説明書がついています。
ドラマ仕立ての冊子になっているので、なかなか評判がよろしいようで。
人をだます人は、だまされるほうが悪いとうそぶきます。
悪いのではなく、考える習慣がちょっと足りないだけなのですが。
カルチャーセンターの科目にも、だましの手口を見破る学習が取り入れられるとよさそうです。
ただ一つ難点はあります。
だます人がお勉強に来て、1ランク上の手口の研究に使われるおそれです。
ネットでものを買うと、はるか彼方からすぐに届きます。
産地直送とは縁のない品物でも、はるばる海を渡ってやってきます。
ものを運ぶには、燃料、人のエネルギーが使われます。
運送経路10キロと100キロの違いは歴然です。
それが仕事のタネにはなっても、国全体とすればムダなことでしょう。
遊びごとのムダとは、性質が違います。
一方は楽しみ、もう一方は苦しみです。
ネット社会で、ネットを使ってわざわざ苦しいムダをこしらえるのでは、知恵がなさ過ぎます。
注文情報だけが行ったり来たりするのならば、苦しみのムダは減っていきます。
何でも競争というかたくなな主義が様変わりして、遠くに注文、近くから届く、そんなシステムができあがるのはいつのことでしょう。