感動を受ける絵や彫刻からは、理屈を感じることがありません。
無理やり作ったものは、どこかに理屈が籠もっています。
美術の解説は、絵や彫刻への後付けの理屈で、そういう理屈を考えながら作ったのでは、マネモノしかできません。
マネモノは真似て作ったもの、モノマネは真似て演じる所作、前後入れ替わると具象抽象が入れ替わります。
理屈の親戚に、論理というやや高級臭のする言葉があります。
これには、一般論理と職業論理という見分け方があるようで、一般論理は、ものの道理や生活常識に近い、ごくあたり前の理屈に相当します。
職業論理は、ちょっと酷いではないかと思いながらも、仕事ならしょうがないと、首を横に振りにくい理屈です。
弁護士や探偵が、真実真相よりも依頼人の利益優先という、あの理屈です。
一方だけ認めると、偏狭、偏向ということに、一般論理上なりそうなので、合う理屈も合わない理屈も、その領域を否定されることはありません。
困るのは見る側ではなく、見られる真実さんのほうです。
どちらを落ち着き場所にしようかとうろうろ、とうとうホームレス状態で年の瀬を越すことになるお気の毒な真実さんは、中国やロシアで爆死させられた人の数より、はるかに多いでしょう。
どうぞみなさん、よいお年をお迎えください。