横浜駅の東端に、何本もの線路をまたいだ東西連絡橋がありました。
東端としたのは、その方向の隣に東神奈川駅があり、反対側に西横浜駅があって、そう呼びやすいからです。
その東西と、座標軸で言えば直角方向の橋に、東西連絡橋という名もおかしいのですが、これは横浜駅に地下道がなかったとき、東口から西口に渡れる橋だったので、わかりやすそうな勝手な呼び名をつけてみたものです。
こういう説明を始めると、話はだんだんわかりにくくなります。
わかりにくい話をわざわざ持ち出したのは、そのことでいまさらながらの発見をしたからです。
横浜駅の出入り口は、東口/西口と呼ばれていますが、海側を南口、山側を北口となぜ呼ばないのか、地図をあらためてしげしげ眺め、それで気付いたのです。
両方の口を結ぶ線が、南北方向よりも5度だけ東西の勝ちということでした。
言葉というものは、それだけでものごとをわからせようとしても、なかなか通じません。
くだくだ説明するよりも絵図を示せばすぐわかることがたくさんあります。
そかし、人間は、絵や態度だけではなく、言葉で何とかしたいと思う生きものです。
話に乗せた東西連絡橋は、人道橋と呼ばれていました。
この人道橋は、もちろんどちらからでも自由に行き来できました。
人間と、連れ歩く犬には、通行制限はなかったでしょう。
「人道」こう呼ばれることには、どこでもいつでも通行制限がないものと思いがちですが、実はそうでもなさそうです。
人道支援は、提供者側の言葉であって、受けるほうは人道とは考えないからです。
受けて当たり前、あるいは何かあるのか下心、そんなところでしょう。
人道を授ければ人道が帰ってくるというのは、能天気な思いでしかありません。
支援と組み合わされる人道は、いまのところ一方通行なのです。
いまのところとは言ってみても、一方通行でなくなる日は万年先かもしれません。
何千年かけてもだめなことは、歴史が証明しています。
「相身互い」というのは、「武士は」が前について成り立つ言葉です。
同じ民族、同じ倫理感のもとでなければ通じません。
それでも「恩をあだで返す」という言葉があるくらいです。
人道という言葉を自分たちと同じように解釈する人々が、地球の裏側にもいるだろうと思い、そう願うのは崇高なことではあっても、それを崇高と思うかどうかにも、民族の違いが現れ、厳然としているそれを動かすことはできません。
人道は、ほかの道がないときに役立っても、便利な別の道ができてしまえば、パフォーマンスの場にしかなりません。
人道橋に立って、大声でそこから呼び掛けたとき、下のホームにいてそれに気づいたわずかのの人は何と思うでしょうか。