表情は外交手段のひとつ
笑顔は特に効き目がありそう
外交に携わるならば
四種いや七種ぐらいの笑顔は
はっきり使い分けよう
外交で最低の笑顔は
卑屈なおもね顔
そんな顔を写真に撮られるようでは
もうそれでアウト
後で「会談で強い懸念伝えた」などと
カッコつけた言い訳をしてみても もう遅い
侵略行為に「心配してます」などと言って
どうなると思っているのか
表情は外交手段のひとつ
笑顔は特に効き目がありそう
外交に携わるならば
四種いや七種ぐらいの笑顔は
はっきり使い分けよう
外交で最低の笑顔は
卑屈なおもね顔
そんな顔を写真に撮られるようでは
もうそれでアウト
後で「会談で強い懸念伝えた」などと
カッコつけた言い訳をしてみても もう遅い
侵略行為に「心配してます」などと言って
どうなると思っているのか
政治家はものを語るのが仕事
だんまりで逃げるのは 仕事の放棄
それを「コメントはない」と語ったなどと
取り繕って書いたことにしておくのは
これまた 報道という仕事の放棄
言わずにわかるかどうかは相手次第
勝手なダンマリは自己満足
沈黙は泥
見せ方が巧くいけば 見え方が変わる
上半分では髪の毛に見え
下まで見れば 星だった
そうか 見せ方を見せたい
そういうこともあったのだ
見せたくないものを 隠して見せない
あるいは違えて見せる
これはよくある手だが タチがよくない
構想でもうひとつ。
文科省のGIGAスクール構想というのが目についた。
Global and Innovation Gateway for All という構想なのだが、あたまの Global には、十把一絡げの感が漂っている。
「多様な子どもたちを誰一人取り残すことのなく、公正に個別最適化された創造性を育む教育」であるといわれる。
「誰一人取り残すことのなく、公正に個別最適化」
フムフムと頷かせようという文言だが、最適化というのは何に最適なのだろう。
世の中の流れにうまく乗れれば、それが最適、途中で好きなところに行ってしまわないように、そんな感じがする。
「1人1台端末と、高速大容量の通信ネットワーク」
構想の狙いの芯はこちらにありそうで、まだ底がよく見渡せない。
構想という文字が添えられると、その提案や企画がなぜか立派に聞こえる。
大阪で、都構想という奇妙な呼び方を旗印にした大構想が、二度の住民投票でダメと言われ、失敗に終わった。
住めば都ということわざは、個人の思いのことであって、行政区として都がいくつも作られてよいはずがないことに、提案者は気づかなかったらしい。
もう一つ、古いカスの溜まったいれものをきれいにするのは大変だから、いれものを壊してしまって少し小さめのものに中身を小分けして入れ替えれば、カスがなくなるという、単純かつやや乱暴な構想だった。
いれものの持ち主にしてみれば、家を追い出されるような気分を掻き立てられてしまったのも、ダメの要因ではないかと思う。
構想は、文字面や口先の言い回しだけでは、真意を伝えきれない。
二度のダメ押しは、やはり腹が割れてなかった結果なのかもしれない。
数値の処理には、集計と計算が行われる。
計算しなくてもできる簡単な集計もあり、集計だけで計算をせずに忘れられてしまう数値もあって、集計と計算はさほど強固な関係にあるとは言えない。
計算は、通常、集計の方法あるいは集計結果の解析の方法として用いられる。
地球上には、さまざまな目的を持つ人が現れるから、集計の方法であったはずの計算が、集計の目的に用いられるようになると、集計と計算との関係がハチャメチャになることも起きる。
Aの集計とBの集計が比較されるとき、BはAより大であるという条件が目的として設定されてしまっている場合、集計末期にもしB<Aという状態が認められれば、不等号を逆転させるように集計マシンが動作する。
その集計では、B<Aという結果が許されていないのだ。
集計マシンの動作には、数値論理や道義の概念は組み込まれていないので、あらゆる方法を駆使してB>Aという集計目的が達成させられる。
200余年もかけてまだ成熟しきれない選挙制度のもとでは、集計マシンは、死者の投票数や有権者数より多い投票数が加算されたり、秒刻みの集計結果に突然何万票という数値が加わったり、瞬時であっても減少することのあり得ない集計数に負の数値が加算されたり、論理を超越し、道義をかなぐり捨てた動作をする。
これらが、証拠を残さないよう、また法に照らして該当する法文がないように計算しつくされた動作であれば、B>Aという目的は十分に達成される。
世界の強国では、まだこんなことが行われているのだ。
いったん決めた方針を変えない、それは立派なこととされる。
どんなことにも、どんな場合にも、それが当てはまると思い込んでいる人たちが、実際にいる。
カサカサの錆付き頭になってしまったその人たちは、「変えない」ということがだいじなのだと大きな思い違いをしている。
その人たちは、方針を誤って決めてしまったことに気づかないか、あるいは気づくことに不安を感じて横を向いておくか、何を決めたかに立ち戻って考える知恵も勇気もなくなっている。
顕著な実例があって、今それを知ることができる。
★軍艦島と呼ばれる端島のウソ報道はどう行われていたか。
政策にかかわる仕事をしている人、報道にかかわる仕事をしている人に、これを見て自分の頭を点検してもらいたい。
イギリスのストンヘンジの下にトンネルを通そうという計画があるという。
地下には、まだ解明途中の古代遺跡があるそうだ。
二つの疑問が涌いた。
1.こんな広いところで、う回ルートはとれないのか
2.こんな広いところで、なぜ渋滞が起きるのか
訳文は、大意に齟齬がなければ一語一語にはさほど気を使わなくてもよいとする、おおらかな文化習性がある。
それは、訳される文章がどういうものであるかによって、適否が判断されなければならないのだが、文章を読み取る人の性格に、すべてその判断が依存されてしまうと、甚だ危険な条件を抱え込んでしまうこともある。
例えば国際間の協議事項で、もともと「自由」と表現されていた部分が、翻訳を繰り返しているうちにいつのまにか「平和」という言葉に入れ替わっていたらどうだろうか。
「自由」と「平和」は親戚のようなものだからと、あまり気にせずに「平和」という表現のままで多くの人に認められ普及されてしまう。
その協議のグループに、自由とは無縁の共産主義独裁国が入っていたとする。
独裁者から見れば、平和とは自分の思い通りに事が運び、さからいも争いごとも起こさせない状態であるから、自由を平和に書き換えれば協議の結果は大成功ということになる。
自由の定義には制限が伴っても、平和の定義は無制限野放しであれば、協議事項を盾にとって独裁行動は縦横無尽ということになるではないか。
くわばらくわばら。
鳩の仲間には、放したその日のうちに1000キロの遠方から帰ってくる優れ鳩がいるという。
なかには帰り損なう鳩もいるそうである。
もと居た場所がわからなくなったそういう鳩は、その先どうするのだろうか。
外国に連れ去られた国民を、わかっているのに何十年も放置しておいた酷い国がある。
ものごとには、放置しておけばいずれ皆の記憶から消えていくこともある。
その逆に歴史に染み込んだ汚点がだんだん色濃くなっていくこともある。
中学1年の女の子が、小遣いを工面して父親の誕生日に贈った櫛、これは形を変えることなく永久に保存されるだろう。
結果が保存され、伝えられさえすれば、それでよいのか。
第三国の要人に、何とかしてほしいと声援を頼むだけでよいのか。