人間は遊び好きである。
そして究め好きである。
遊びと究めが結び付くと、すばらしい遊具が出来上がる。
遊具は、どれほど素晴らしくても、役立つのは遊びの世界の中でのみ。
素晴らしい遊具を作る頭が、やがて素晴らしい生活用具を作る働きを見せる。
だからこの遊びは優れているのだと、遊びの推奨者は言う。
遊びから生きること、生きるため備えることへの肝心な転換が、どう有効になされるか、誰にも予想はつかない。
究め好きと遊び好きの、どちらに傾注するか、人の心を引き寄せるには遊びのほうがたやすいから、どうしてもそちらの割合が強くなる。
遊びが、やがて呆けにつながったとき、その結び目はなかなかほどけない。
遊び呆け、平和愛好、日本の人々は、そういう人たちなのだ、心を奪われ、言葉も奪われ、そのうちに住む場所を奪われても、平和が続くと信じ切った人の集まりなのだと、国の外からは見えるだろう。
これこそ計画通りと、大悪人の笑みがこぼれても、慢性呆霞症の網膜に、それが投影されることはない。
くわばらくわばら。
来年は、ジムかパチンコかという疲労・消耗だけが結果でない、もう少しましな新しい遊生を見出すよう、みなさん、元気を出しましょう。