上下は、重力があるので実感で定義できます。
左右は、これが右という実感定義ができません。
左の反対方向が右とか、普通の人が箸を持つほうが右では話になりません。
太陽の沈むほうに向いて立っていて、そのまま北極星が現れるまで待てばその方向が右というのも、いつでもその場でというわけにいきません。
北極星を待たなくても、磁針で北は指せますが、西の向け方に困ります。
聖徳太子が決めたのだと頑張られても、それは定義の話にはなりません。
絶対音感があるように、絶対方向感覚というものがあるようですが、それも「あっち、こっち」しか示せないので左右の定義にはなりません。
いきものの社会的な位置関係や思想でも、「上から目線」という近ごろはやりの嫌らしい言葉があるように、上下はわかりやすくても、左右は何となくという程度の感じしかつかめません。
左右は傾きを言い表すのがせいぜいで、すっきりした説明を聞いたことがないのです。
むかしから、旦那さまは右にも左にもいたのでした。
定義できないということは、定義の必要がないということなのかもしれません。