・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

愚報山脈:15

2018年02月28日 | つぶやきの壺焼

昨日の毎日新聞電子版のトップ記事は、
<五輪壮行会「公開に」
__
私大協、政府に要望>

という見出しでした。

記事の内容はこうです。
史上最多のメダルラッシュに沸いた平昌(ピョンチャン)冬季五輪で日本オリンピック委員会(JOC)が選手の所属大学や団体に対して壮行会などを非公開とするように指示したことを受け、全国407校が加盟する日本私立大学協会(大沼淳会長)が27日、改善を求める要望書を政府に提出する。国際オリンピック委員会(IOC)は毎日新聞の取材に「非商業的、教育的な利用は問題ない」との見解を示している。2020年東京五輪・パラリンピックに向け、機運に水を差さない明確な基準作りが求められる。

オリンピックの政治利用はよくないといわれますが、選手を送り出す大学が、壮行会を公開にせよと政府に要望するというのも、政治利用ではないでしょうか。

オリンピックが、人類の調和のとれた発展をめざす政治の一環として活用されるのであれば、大いに結構というよりも、それがオリンピズムの根本原則そのものではないかと思います。

政治利用がよくないということには二つの意味があるようです。
ひとつは、政治に悪用すること、もうひとつは、いまの政治のあり方が悪業であってそれに利用するのはよくないという見方です。

平昌の場合に、壮行会などを非公開とするように日本オリンピック委員会が指示したのは、あえて説明するまでもない国際関係の危うい状況を慮ったからでしょう。
それを"2020年東京五輪・パラリンピックに向け、機運に水を差す"ことにつながるおそれに結びつけ、基準づくりを求めるのには、何かまた別の匂いがしてくるような気がします。

その団体がそう考えたなら、させておけばよいので、そのことを新聞トップ記事に持ち出すというのは、愚報山脈の目ぼしい峰になりそうに思うのですが、いかがでしょうか。


愚報山脈:14

2018年02月27日 | つぶやきの壺焼

部屋の空気も、ときどき入れ替えると心地よくなります。


電子版の新聞は、印刷工程がないので素早く入れ替えができます。

昨日の朝、A紙のトップニュースも、通常の始業時近くに、約1時間前の記事と入れ替えが行われていました。

平昌閉幕、池上彰さんが挙げた「東京五輪の大きな課題」(07:34)
____________
北朝鮮への圧力継続、非核化なら「明るい道」 米報道官(08:28)

月曜日のトップ記事が、愚報に属さないよう配慮されたのでしょうか。
・・・なら「・・・・」という思わせぶりな書き方はともかく、関心の向け方を、だいじな方向に切り替えた処置はよかったと思います。

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愚報山脈:12

2018年02月25日 | つぶやきの壺焼

日本のTV放送では、問題発言がときにそのまま放送されます。
"ときに"というのは、放送禁止用語に該当しなくても、発言内容に問題を抱えながら放送されてしまう場合がときどきあるということです。

まれに、問題発言があってそれが放送されるのではなく、誰かの普通の発言を問題だとして放送してしまう、そういう卑劣な問題放送も行われます。
普通の発言が問題だとされるのは、局の意向に沿わない、その番組を企画している人にとって都合の悪い場合です。
それが実況放送であっても、放送の技術が向上し技能に長じてきたおかげで、カメラ・ワークや音声の扱い次第で、その場の実際の空気感まで変えることができます。
ごく少数の行動が、その場に居合わせた大多数の人の声や動きであるかのように、見せたり聞かせたりすることもできます。
こうしてお茶の間の受像機には、愚報・虚報の山なみが届けられるということになります。

ちなみに、アメリカの生放送では、7秒ディレイという技術によって、禁止用語は"ピー"という音に入れ替えてしまうそうですが、報道の自由が異常なほどに尊重されている日本では、特別な例外を除いてその技術は取り入れられてないようです。

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愚報山脈:11

2018年02月24日 | つぶやきの壺焼

インタビュー形式の放送番組があります。
招かれて出演した人の言葉から感銘を受けたときは、その放送を視聴したことに大きな価値を実感できます。

感銘度をむりやり数値化しても、作為丸出しのものにしかなりませんが、大小の傾向はもちろんあります。
感銘度の傾向は、招かれた人の発言が、局側の人の発言よりも優っていたかどうかにかかります。

局側の人の自説自慢が、中心にならないまでも、それがちらついたとき、感銘度に負の効果があらわれます。

ひどいのは、局側の人が、局の意向を代弁して、招かれた人をひきずり回すような話のやり取りになったときで、正の感銘効果は全く打ち消されてしまいます。
愚報の産声はそういうときにあがり、雀が踊らなければいっそう笛の音が高くなります。

招かれた人が、自らの意思を曲げず、局側の話の波に乗らなかったときでも、その部分の切り取りに、昔のようなテープを切ったり繋いだりの手間暇はいりません。
切り取られた部分は、電波に乗らずに簡単に消えてなくなります。
その招かれた人が、次にまた招かれる機会はたぶんなくなるでしょう。

どう贔屓目に見ても、公共の電波にこんな番組がなぜいつまでも続くのかというのもあります。
その答えは簡単、愚報のほうが作りやすく、受けやすいからでしょう。

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愚報山脈:10

2018年02月23日 | つぶやきの壺焼

エバンジェリストという専門職があるそうです。
原意は福音書の著者、福音伝道者ですが、むずかしいことをわかりやすく説明し伝えていく役割を担う仕事のようです。

この"わかりやすく"がなかなかの曲者です。
山なみを長く見えるある一方から眺めた姿と、その反対側から見た風景がまったく違うように、政策の話になると「働き方改革」などとさもわかりやすそうに呼んでいる法案が、目指すところは全く理解できません。

議会では、それを解明させていくことよりも、いい加減な役人の作りあげたデータの不備をつついて、総理が謝ったと得意げに書きたてます。
間違っていたとか間違いを謝らせたとか、そんなことはこの法律改正がもたらす結果には無関係なのです。

何がどうなっていくのか、それをわかりやすく解きほぐしていく、その過程を伝えないニュースは、愚報山脈の名に恥じない立派な巨峰と言えるでしょう。

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愚報山脈:9

2018年02月22日 | つぶやきの壺焼

まともな記者は地方に飛ばされるという不吻律があります。

不文律は了解されている掟ですが、吻、この"ブン"は隠れて見えないものの言い方という意味をもっているそうで、了解されることのない"フブンリツ"は、こんな字になるのではないかと思います。

いま、地上波のTV放送や著名の新聞には、我先にと競争で外国の政治宣伝の手先をつとめているかのような番組や紙面が目立ちます。

詐欺師を使ってうそを言わせ、そのうそ話をたねに、人々の目や耳が寄ってくるような疑惑を作り上げて、政権たたきを仕掛けるという、何とも見苦しい愚報が次から次へと発せられます。

世界の耳や目は、ものごとを素直に聞き取りまっすぐ見るという、ありのままの働きが、互いの認め合いの基本になっていると思わなければなりません。

正しと思えば正しい、間違っていると思えば間違いと、まず伝えることが最初の一歩です。
自国が"悪い"と言えば、相手は、悪いならば謝れ、償えと必ず言います。
反省してみせるというような、卑屈な態度を見せれば、相手は必ず上から見下ろします。

自国の政治家の卑屈と自虐を嫌う、そいう記者がだいじにされないような局や社は、衰退して行くことに間違いなさそうです。

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愚報山脈:8

2018年02月21日 | つぶやきの壺焼

バカ話ばかり続けていると、マトモな話が恥ずかしくてできなくなります。

放送や新聞も、ウソ話ばかり続けていると、ホントの話、ダイジな話ができなくなります。

自動運転で方向修正をしそこなって、ウソ話の車列から抜け出せなくなった放送局や新聞社の実在は、愚報誤報であってほしいのですが、残念ながらこれは悲報のようです。

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愚報山脈:7

2018年02月20日 | つぶやきの壺焼

国民的視聴率という珍名が生まれたようです。
視聴率に国民的という冠をつけて、国民こぞって視聴率に関心を持ちなさいという、ずいぶん押し付けがましい命名ではありませんか。

なんでも比べてみることは、評価の手段としては、ときに愚かしいことがあっても、まあわかりやすい方法ではあります。
しかし、結果の出る前の状態で、競技の中継を見ている人の多いほうが優れた結果を出すかどうかは、神にさえ手の届かないことです。
競技は判定されて結果が出る、その良否と中継放送の視聴率とは、相関はあっても負の場合もあり得ます。

高視聴率に鼻をうごめかしているようなニュース記事には、フィギュア・スケートのような競技のだいじな要素である品位を損ねる愚かしさを感じます。

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愚報山脈:6

2018年02月19日 | つぶやきの壺焼

K市に二つの甘味店がありました。
甘味店といっても、一つは和菓子を作って売る店、もう一つは甘いものを食べさせる店です。

作って売るほうの店は、売店をあちこちにつくって繁盛しています。
食べさせるほうは、数年前に閉店したという記事が Web に載っています。

その報が載っているのは食べものの案内サイトで、書かれている記事は、閉店している現状を伝えているのか、その店がこうであったと名残を伝えているのか、区別をつけない書きっぱなしがそのまま載せられています。

XXXX年X月に閉店した。
1階は和菓子販売、2階が甘味喫茶になってる。
ラストオーダーは19時半 20時閉店 終日禁煙

閉店した店の模様や営業時間という、知ったところで誰の役にも立たないことが記事になり、校閲もされずにそのまま載る、Web 投稿記事の難点があらわに出ています。

情報は取り次ぎで伝えるもの、取り次ぐ役割の者は自分で確かめることを決してしないという、奇妙な慣習ができ、それが愚報山脈づくりに役立っているような気がします。

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愚報山脈:5

2018年02月18日 | つぶやきの壺焼

オリンピックの放送でも、視聴率をニュースに仕立てている、おめでたいラジオがあります。

有名選手の誰かが、滑っていたときか、飛んでいたときの、視聴率がいちばん高かったのはいつだったかと、社内論議の材料を、視聴者に向けて、それもこぼれ話でなくニュースの材料にしています。
聞いたところで「それが何か」というようなことでしかありません。

無謀な会場設定のおかげで運だめし大会になってしまったオリンピックなので、競技の成績を話題にしにくかったとはいっても、どの放送がいちばん人気があったかでは、オリンピックのニュースでなくなってしまうことに、気付かないのか、面の皮が厚いのか、これも次の世紀の笑い話になることでしょう。

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愚報山脈:3

2018年02月16日 | つぶやきの壺焼

愚報作りに貢献度の高い人は、TVでずらっと並んだ席に座ることが多いようです。
コメンテイターと呼ばれていますが、カナの呼び名がかっこよく思われるだけで、愚報メーカーたちは漢字で書けば「電波幇間」ぐらいがあてはまりそうです。
電波幇間も、TVから聞き取った名前ですが、地上波を占領しているいまフツーと思われている局の放送には、こんな言葉はもちろん載りません。

幇間と電波幇間の違いは、いつも独りかそうではないかでしょう。
幇間と呼ばれることも、それをいさぎよしとするか、あるいは蛙の面をかぶって過ごすか、さまざまです。

"幇間"を読めない人がいるのではないかと、常用漢字にこだわる人は考えるかもしれません。
今は漢字をコピペして検索してみればすぐに解説が見られます。

読み方はわかっても、これをうっかり"法官"と誤変換したら大変です。

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愚報山脈:1

2018年02月14日 | つぶやきの壺焼

大地の山なみは心を落ち着かせます。
愚報の山なみは心を乱します。

最近目につく愚報の山なみ、非道の峰から、ご紹介を始めてみます。

古い記事を持ち出して、それを今日の記事に仕立てると、それが新事実として報道できるという、相当ずうずうしい手法を堂々と使い始めた新聞社があります。

実例はこちら、虎ノ門ニュースの2.6のページにあります。
長いので飛ばしてごらんの方は開始後51分のところからどうぞ。

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