昨日の毎日新聞電子版のトップ記事は、
<五輪壮行会「公開に」
__私大協、政府に要望>
という見出しでした。
記事の内容はこうです。
史上最多のメダルラッシュに沸いた平昌(ピョンチャン)冬季五輪で日本オリンピック委員会(JOC)が選手の所属大学や団体に対して壮行会などを非公開とするように指示したことを受け、全国407校が加盟する日本私立大学協会(大沼淳会長)が27日、改善を求める要望書を政府に提出する。国際オリンピック委員会(IOC)は毎日新聞の取材に「非商業的、教育的な利用は問題ない」との見解を示している。2020年東京五輪・パラリンピックに向け、機運に水を差さない明確な基準作りが求められる。
オリンピックの政治利用はよくないといわれますが、選手を送り出す大学が、壮行会を公開にせよと政府に要望するというのも、政治利用ではないでしょうか。
オリンピックが、人類の調和のとれた発展をめざす政治の一環として活用されるのであれば、大いに結構というよりも、それがオリンピズムの根本原則そのものではないかと思います。
政治利用がよくないということには二つの意味があるようです。
ひとつは、政治に悪用すること、もうひとつは、いまの政治のあり方が悪業であってそれに利用するのはよくないという見方です。
平昌の場合に、壮行会などを非公開とするように日本オリンピック委員会が指示したのは、あえて説明するまでもない国際関係の危うい状況を慮ったからでしょう。
それを"2020年東京五輪・パラリンピックに向け、機運に水を差す"ことにつながるおそれに結びつけ、基準づくりを求めるのには、何かまた別の匂いがしてくるような気がします。
その団体がそう考えたなら、させておけばよいので、そのことを新聞トップ記事に持ち出すというのは、愚報山脈の目ぼしい峰になりそうに思うのですが、いかがでしょうか。