"XXのYY方"という本は、よく売れるかどうかはわかりませんが、すぐ目につきます。
扱い方、言い方、打ち方、選び方、訪れ方など、方法を主題にした本です。
近ごろ目についたのは、本ではありませんが、「働き方改革」という総理の施政方針にある言葉です。
改革を唱えれば、それで何かが良くなっていくと思うのも妄信のようですが、それより少し気になったのは、「働き方」という「改革」の対象を指す呼び方です。
働き方を改革したいと言われると、社会のそれぞれの持ち場で仕事をする人の働き方がよくないと言われているように受け取れます。
皆が意欲を持って働くことができる、誰もがその能力を発揮できる、柔軟な労働制度への抜本的改革ならば、改革の対象は「働く人」よりも「働かせる人」であり、「働き方」よりも「働かせ方」でしょう。
もちろん働く人にも改めなければならないことはあります。
上役の言うとおり、よくわからないけれどもしきたりに沿って、働いたりサボったりするのでは、柔軟ではなく窮屈な働き方です。
「働く人」よりも「働かせる人」の心と頭が変わっていかなければ、その窮屈さはほぐれていきません。
「働かせる人」は、相対する人によって「働く人」にもなります。
そのときの「働かせる人」は、また「働く人」にもなり、階層を上り詰めていったとき、「働かせる人」の最上階にある人の心と頭次第で「働く人」みんなの働き方は変わります。
この改革の実現に向かって法律を変えることは、入り口から足を踏み入れた状態でしかありません。
法律を制定し施行すればあとは民間の問題だなどと、もしN町とK関の人が考えるとしたら、改革は絵に描く前に筆を持っただけで餅の影も見えずに終わってしまうでしょう。
にほんブログ村