相手の気持ちを汲んで、目の前のことにあえて無関心を装う場合があります。
天然の天真爛漫の人にはそれができません。
はじめに装った無関心には、相手が図に乗ることもあります。
一方は無関心を装い、相手が図に乗ると、おかしなことに、両者の間に離れにくい感情のつながりができます。
そんな空気感が多くの人々に沁みわたっていくと、それぞれのお国柄にまでなってしまいます。
図に乗るお国柄と、無関心を装うお国柄をもった国が隣り合っていると、まつりごとの仕方が甚だややこしくなります。
始末が悪いのは、図に乗ることと恨むことが絶え間なく続けられ、それがまつりごとの基本理念のようになってしまうと、対外的発信もその路線から外せなくなるということです。
相手国のほうは、無関心を装っているうちに手のつけられない状況に追い込まれます。
慌てるそぶりは見せられず、あえて無関心を装っているふりをしなければならなくなります。
無関心偽装、この奇妙な様態は、それがよいと思い込まされてきたある呪縛状態から抜け出さない限りずっと続きます。
状況は鏡像になってだれでも見ることができるのですが、無関心を装うお国柄の人々は、自らの実像を、自分の内側からしっかり見つめようとはなかなかいたしません。
こまったものです。