雨と留で"リュウ"、"したたり"という字になります。
雨が降った後の水たまりかと思ったらそうではなく、降った雨水がどこかに留まって、それからしたたり落ちる状態を示す文字でした。
軒下に置いてあった石に雨だれが何度も当たり続けると穴があく、そのたとえを三文字にすると
となります。
「あまだれ いしを うがつ」
むかしのいろはかるたの一枚です。
雨に員は"イン"、"おちる"、丸くなってポタポタ落ちるという文字です。
隕石のインも、小粒のものはこの字を使ったほうがよさそうな気がします。
大きい意味をもっているこざと偏では、小粒には合いません。
ところで、小粒のいん石は、火山岩ではないかとすぐ疑われますが、クレーンがなければ持ち上がらないほど大きい隕石なら本ものと思うでしょう。
小さなウソは嘘っぽく、大ボラはホントに聞こえる、よく似ています。
雨の下に、月偏に永を添えると"ミャク"、これは雨の下に脈を書いた"ミャク"の異体字です。
月偏に永は、独立の文字としてはありません。
雨を被るとミャクになる、これが脈の代わりに使われるのは、形の似ているところからでしょうか。
文字の意味は、糸のような細いこさめです。
降り始めればドカンと落ちるように降ることの多い近頃の雨からは、この文字の感じをつかむことはむずかしいようです。
一つ不思議を発見、MS明朝では、永の部分が永でなく、示にもう一画加わったような見たこともない奇妙な形になっています。
この字は、手元の藤堂漢和には見当たりませんでした。
雨の下に口を三つ並べると "リョウ"、"レイ"、"しずく" と読むおかしな字になります。
同じ音の靈の字よりも、こちらのほうが不気味に見えます。
三つの口は、数珠つなぎになって続く水玉をあらわすとされていますが、水玉のほうが数珠よりも先で、符合の順序が逆ではないかと思います。
雨に、暇から偏を外した"カ"という文字を組み合わせると 霞、"カ"、"かすみ" と読む字になります。
日本人の好みそうなこの霞が、常用漢字から外れているのは不思議なことです。
霞の下半分は、人偏をつければ仮面の仮のもとの字であって、これはかぶせて隠す意味です。
横棒の数の多さも、もやもやかすんださまをよくあらわしています。
どうでもよいことをつかまえて、はっきりさせろと騒ぎたてながら、人を集めておいてつつきまわし、出てきた話の都合のよいところだけをニュースにすることが、近ごろ流行しています。
これでは、話はいつまでもはっきりせず、本質のところには霞がかかったままで、もやもやが晴れることはありません。
もやもや騒ぎは、はっきりさせることとは裏腹の、霞のかかった状態をながもちさせたい人たちが動かしています。
それは、伝えることに専念しているという仮面を剥ぎ取られないようにという、いじましい心根からなのでしょうか、いやはやどうも。
雨に英、"ヨウ"、"エイ"、"オウ"と鬨の声を連想させる音読み、これは雨と雪がまざって花びらのように見える、みぞれという字です。
二つ重ねると"ヨウヨウ"、意味は違いますが、マイクを握った人への掛け声にはアルトが合うようです。
400日前に見た この花
垣根の形も
たぶん変わっているのではないか
暑い中 確かめに行こうか
いや やめておこう
熱中症予防という うまい言い訳は使わない
そのときは そうであったので
過去のことを 比較の対象にしても
意味のないことだから
雨に林で"リン"、ながあめです。
長雨は嫌なものですが、それよりも、山に放置された植林をなぎ倒し、ふもとまで押し流し、大暴れさせるようなドカ雨は困ります。
しかし、嫌だ困ると言っているだけ、壊されたら手間をかけて元に戻すことだけでは、次の嫌だ困るを防ぐことはできません。