・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

少子化対策の名案

2014年10月31日 | つぶやきの壺焼

 「女性は30代から社会に、その前に子育てを」という説を聞きました。
これは名案です。

寿命のぐっと伸びた現代では、30歳になってからでも、女性が一生をかける仕事を始めることができます。
会社でお茶入れもせず、X活と名づける酒呑みを続けていても、炊事作法を覚えることはできません。
自分でやってみることのできる家で、子どもに見せながら、実は見られながらの学習、いい加減で終わるか日ごとに磨きをかけるかは、子育てを終えてから、仕事の社会に出たときに成果として現れます。
子どもを何人、どう育てたか、それが入社試験面談の題材になります。

そうして、一族が社会の構成単位になっていきます。
そこでは、旦那の地位で奥さまの席順が決まるような昼食会もありません。

寿退社という言葉は消え失せ、子育てが成った成育入社が一般常識になるよう、社長さん方、よろしくお願いします。

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三分ではなく三日待て

2014年10月30日 | つぶやきの壺焼

かくれろうかという現象があるそうです。
歩いて行った廊下が急に見えなくなるのか、階段が見えていて近づいたらその先は廊下、そんな怪奇楼の話かと思っていたらそうではなく、かくれ老化なのでした。

骨も年齢を重ねると弱くなりますが、肝心なのは骨のつなぎ目のところです。
つなぎ目といっても関節とは限りません。背骨腰骨はつなぎ目の多い骨です。

腰をいためる人が多ければ、代が変わるごとにだんだん腰の骨が強くなっていく、それが進化だと思うのですが、計算が達者になることが進化だと勘違いしてしまった人類は、腰のいたまない骨格を作っていくことはできないようです。

骨のつなぎ目の強さを保つには、コラーゲンを補充するとよいそうですが、今日はちょっと重いものを持つからゼラチンをスープに入れて飲んでおこうなどというのは、たぶん効かないでしょう。

飲んだコラーゲンの効き目の出てくるまでには三日かかるという、お医者さんの話をラジオで聞きました。
三日前のコラーゲン、そうそう三日前の古新聞・・・という唄があったのを思い出しました。

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お店のかたちいろいろ

2014年10月29日 | つぶやきの壺焼

商店の運営様式には、パート型とコミューン型のふたとおりがあるようです。

パート型の店では、客が店に来て品物を選び代金を所定の場所で支払って帰るという単純な交換が、手早く行われます。
そこで交換されるのは、カネとモノだけです。
コミューン型の店では、客が店に来ると店の人との会話が始まります。
品物を選ぶにも、こんなものが欲しいと客が言えばそれならこれはどうかしらと店の人が言います。
使い方や料理の仕方まで教えてくれます。
買い物以外の、無駄ばなしでもただの噂ばなしでもない情報交換もそこで行われます。

この違いは、店の型ではなく人と人とのつながり方なので、量販店のような形式であっても、コミューン型の運営はできます。
独りの店番でも、その人次第でパート型で通すこともできます。

決まった用がなければ人が来ない店と、用がなくても人が立ち寄ろうとする店と、どちらにしたいのかはそれぞれが選べることで、シャッターの下りている時間の長短は、町の環境のせいだけでもなさそうです。

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ご名答いろいろ

2014年10月28日 | つぶやきの壺焼

FAQには、サイトの意義に無頓着な、思いつけば何でもという設問がときどき現れます。

あるFAQに、こんな問答が出ていました。

「今年の漢字を次の中から選びなさい」と、のっけからずいぶん偉そうな質問文です。
次の中からと示された漢字は、ニュースで話題になった人たちの名前30字余りと、事件にかかわる文字が20字足らずを、無造作に並べたようなものでした。
文字の選び方がなんともお粗末で、その中に「々」という文字も入っています。

回答を見ると、こんなふうに書かれていました。
「々」  選定理由 = 無意味な出題に最も適した返答は、無意味な回答である。

おしゃべりのタネにもならないようなすべり題に乗ってしまったQどんの顔を、冷たいシャワーでサッと洗ったような、見事な一行回答でした。


ひとのやりとりに聞き耳をたてる趣味のない吾人は、自分が知りたいこと以外にひとさまのQAを気にすることはないのですが、どういうわけかこれがふと目にとまり、Qどんにはお気の毒ですが、こんなところで記事になってしまったというわけです。

さてあの答えで、質問は威張ってするものではないと、わかってくれたかどうか。
当のQどんも、あれで多少はいまいましいとでも思ってくれれば、ご名答の効果もあったと思うのですが、いかがでしょうか。

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神田のニュース三つ見つけた:3

2014年10月27日 | つぶやきの壺焼

最近の神田のニュース

3.神田経済新聞を見つけたこと
なんとも手前勝手なことですが、これは私にとっての最近のニュースです。
XX経済新聞という出版物が各地にあります。
神田にもそれがあったのです。
 ⇒ http://kanda.keizai.biz/

東京 | 広域神田圏のビジネス&カルチャーニュースと銘打ってます。

こういうものが各地から発信され、企業の宣伝や催事の報らせだけに終わることなく、それぞれに豊かな内容になってほしいものです。

ボランティア団体が市の広報に広告を出すのにも、掲載料をよこせと言っているようではまだまだです。
大旦那さんも、
日に一度はのれんをくぐって、外から自分のお店を見つめないと、しわにも汚れにも気付かないでしょう。

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神田のニュース三つ見つけた:2

2014年10月26日 | つぶやきの壺焼

最近の神田のニュース

2.やぶそばが復活

火事で焼けてしまったやぶそばが5億円かけて復活、外塀も取り払って見通しがよくなったそうです。

火事の原因は、わかりやすい「漏電」と報じているところもあれば、「電気配線のショート」と書かれている記事もあります。
どちらも、現代の普通の電気配線であれば起きない原因です。
漏電でもショートでも、漏電遮断器と回線遮断器が二重になっていて、異常があれば停電になります。

普通の電気回路保護装置で防げなかった火災ですから、何かが普通でなかったのでしょう。
古い店なので、普通の状態でなかったのかもしれません。
原因は、やぶの中、もうわかりませんが、こうしておこうと結果が出ているものをほじくり返す興味もありません。

何はともあれ、神田の町にとっても、そば好きにとっても、復活はおめでたいことです。

もう同じ火災は起きないでしょう。

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神田のニュース三つ見つけた:1

2014年10月25日 | つぶやきの壺焼

東京の街で、わが徒歩数最大のところは、やはり神田です。

最近の神田のニュースに、おぉと思うものが三つありました。

1.猿楽町、三崎町に神田の名が復活

神田には、あたまに「神田」とついた町名がいくつもあります。
代表は神田鍛冶町でしょうか。
いや神保町でなけりゃ、いやいやとあちこちから声が上がりそうですが。

神田鍛冶町の名を知ったのは早口言葉、これがどうにでも編集可能で、神田のつく町の数とどちらが多いでしょうか。
そのなかでいちばん長そうなのを一つ挙げておきます。

神田鍛冶町の角の乾物屋の勘兵衛さんの所でかち栗買ったら固くてかめない返しに行ったら勘兵衛さんの嬶が出て来て癇癪起こしてかりかり噛んだらかりかり噛めた  (早口言葉 720発 から)
 ⇒ http://jump.cx/hayakuti


いつの日からか、神田の名が取り去られた猿楽町と三崎町が、神田猿楽町、神田三崎町にまたなりました。
読み上げてみると、やはり「神田」をつけたほうがリズム感が出てきます。
折角こうなったのですから、「カンサル」「カンサキ」などとは呼んでもらいたくありません。

今日は早く出かけなければなりません。
2.は、明日に残しておきましょう。

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食べ方に合わせる食器と食器に合わせる食べ方

2014年10月24日 | つぶやきの壺焼

櫃飯のような食器にご飯を入れて出すレストランがあります。
食べにくいのに閉口、というほどのことはなくても、やはり食べにくく、お櫃の縮小形がご飯のいれものになったようなこの食器では、お櫃からじかに食べている感じがして、ご飯の味も変わってしまいます。
中身が少なくなったときの箸の持って行きようが、ご飯茶わんのようにはいかないからです。
糸底がないので支え勝手も違い、かと言って周りを鷲掴みにするのも不細工で、これも困ります。

これには桶飯器という名前まで付いています。
入っているのはオケメシ、空になったらカラオケ、ぶん投げなければひっくりかえらないこの形は、やはり宴会用なのでしょう。


ものの食べ方と食器の形は、両方から歩み寄って、だんだんちょうどよい関係が出来上がったのだと思います。
食器を作ること、たくさんの膳に一度に出すこと、洗って片づけること、このことに効率優先の知恵が働き過ぎると、食べる人を当惑させることになります。
食事のとき、食器をもち上げずにテーブルに置いたまま食べる習慣の国でなら、この形はちょうどよいかもしれません。

食器の形に食べ方を合わせるのは、逆のような気がしますが、いかがでしょうか。

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両用にもいろいろありまして

2014年10月23日 | つぶやきの壺焼

2wayXXXXというものがあります。

何と何の両用なのか、呼び名に決まりはないらしく、さまざまな2wayがあります。
中学生から社会人まで、2wayシューズって何だと聞いてみましたが、こたえはそれぞれに「なにそれ」でした。

靴のメーカーにもたずねてみましたが、そこはスニーカーのメーカーで、もらった回答は、普通の履き方と、かかとをつぶしたスリッパのような履き方の、どちらもできるのが2wayということでした。
端然履きと狼藉履き、端狼両用なのです。
では、くるぶしまで入る深い形の2wayはなんでしょうの問いに、こたえは「さあ」でした。
そこで、カタログにあるではないかと言ってみても、製造品目を特化した靴メーカーにとって、別の形の靴をつくるところは既に異業種のようで、「さあ」がご名答だったようです。

鞄にも2wayがあります。
フォーマル/カジュアル、ビジネス/ショッピング、どうもピタッときません。
2色のレザーで2way、まさか。
これは晴雨両用らしく、深い靴も同じではないかと想像できます。

人間の場合、2wayは二足のわらじといいますが、それを履かない端正な方は何とお呼びすればよいのでしょう。

シナトラの歌が聞こえてきます。

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ほんとは ほんとうに ほんものなのか

2014年10月22日 | つぶやきの壺焼

羽二重を織るときに、二本使うたて糸の色を違えたらどうなるだろか、とふと考えました。
好みの色でそれができたら、柄を選んで染めるより、さらに贅沢な織物ができるでしょう。

これはこうして作らせたなどと、鼻の穴を広げて説明すれば、立派なものもとたんに値打ちが下がります。
ほんとうの贅沢に、種明かしはいりません。

これ、ほんものですよ。
ほんとうの話という前置き。
ほんねで話し合おうよ。

それぞれにウソの匂いがします。

「ほん」という言葉の部品は、ことによると、もともと二重構造用にできあがっているのかもしれません。
漢字「本」の構造を見ても、ななめに跳ね出した二画の先端の向きは、90度位相が異なっているではありませんか。

ホンネほんねと言いながら ほんと言われて腹を立て

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これあげるからは低水準行政

2014年10月21日 | つぶやきの壺焼

町 人 仕事 この看板文句、つなげて読むと町人仕事、どこかに侮蔑の含みがありそうな、変な文字列です。
掲げられた看板は、「まち・ひと・しごと創生本部」と、中点付きのかな書きでした。
これなら間違って読まれることはないでしょう。
さすがに、書くものにはいろいろ知恵が働きます。

「都道府県に地方活性化の長期計画の策定を促す」と報じられていますが、あなたの町の人にしてもらう新しい仕事を生み出して創めなさいと、看板どおりのことを考えているのか、交付金あるいは補助金のようなニンジンのぶら下げ方を思案しているのかわかりませんが、することはまだまだ「あげるから行政」のような気がします。

「おやりなさい」を言うなら、何でもできる条件を整えなければ、水準は上がりません。
権限、規則、金縛りの3Kのもとでは、創生などと呼べることは何一つできないでしょう。
まず、許可をいただくためのK関所通いをしなくてもよいように改めるのがいちばん効き目があると思うのですが、いかがでしょうか。

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注文すれば品物が届くネット通販

2014年10月20日 | つぶやきの壺焼

通販は、注文しておけば、翌日には品物がいながらにして手に入る便利なシステムです。

通販のキャッチコピーで、「注文すれば品物が届く」というのをどこかで見かけたような気がします。
それを奇妙なコピーだと感じたのはごく当たり前のことが、なぜ宣伝文句になるのだろうと不思議に思ったからです。

注文すれば品物が届く、その逆は、注文しても品物が届かないということです。
おかしなキャッチコピーは、ことによると、なかなか来ない通販がいくつもあって、というよりもすぐには届かないのが普通の通販、そんなところから生まれたのかもしれません。

まさかと思うようなことでも、常態として厳存する、ありえない話ではなさそうです。
ある国には、ガソリンスタンドで満タンにしたばかりのボルボが、100メートルも走らないうちにエンストを起こすような、怪燃料を売っているところもあったそうですから。

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メセンという業界用語

2014年10月19日 | つぶやきの壺焼

上から目線という変な言葉は、どなたかの造語でしょう。
さほど古くない言葉です。

目線は、もともとテレビ関係の業界用語で画面に出る人の目がどこを向いているかを言い表す言葉でした。
それが、ものの見方、とらえ方を、XX目線、YYの目線と、たとえに使われるようになりました。
演技上のことがたとえに使われているのですから、実際のものの見方、とらえ方とは違って、「そんなふうな」という装いの、悪く言えば半ばうそ話の感覚が混ざり込んでいるようにも思います。

この言葉が「上から」と組み合わされると、上から目線という、いやらしい言葉になります。
いつも見くだされているという、卑屈な、被害妄想気味の感情から生まれた言葉かと思います。
下から目線という言葉は聞きません。

目線が「転じて、一般に視線のことをいう」と勇ましい転じ方を載せてしまった辞書もあるようですが、これは少し転がりが早すぎる気がします。
視線は視線、目線は目線、実相を視るか、見ているふりをするかの違いは、はっきりしておいたほうがよいのです。
N町であれどこであれ、議場の論議で、目線などという、演技上の視線や仮の視線でものを論じてもらっては困るのです。


目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目


「視線と目線の違い」は Ryu-chan6708さんのブログ が参考になります。
 ⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/ryu32/diary/200610050000/

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時代は見下ろすと目に入ってくる

2014年10月18日 | つぶやきの壺焼

散歩の道すがらふと目にとまる、それらに時代を感じさせるものがときどきあります。
目にとまる寸前に、見つけようと思っていたのかどうかは、自分のことでもわかりません。

そういうものは、たいがい歩く足元の周辺に現れます。
上空にはないにしても、足元だからたくさんあるというわけでもなさそうなのに、足元近くに現れやすい理由は、わかりきったこと、歩くときに視線の及ぶ範囲は下のほうが多いからです。
つまづきそうな邪魔物、踏み外しそうな段差がないかという注意が、どうしても視線の中心を前下方に向けます。
視線です。目線ではありません。

いま、わざわざこんな材料を使って、コンクリートブロックを作ることはしないでしょう。
こういうもので間に合わせたという、作った時代が見えてくるような気がします。

せかせかとあとを追っているどこかの国では、ことによると、建造物のコンクリートにも、いま、これに似た材料が使われているかもしれません。
鉄筋でなく、長い竹の棒をコンクリートで固めてビルの柱を建てていたのを、実際にこの目で見た国でした。
そこでは、時代は足元にではなく、バスの窓からは、見上げても上端が見えないほど空に向かって伸びていたのでした。

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切り替えスイッチの点検

2014年10月17日 | つぶやきの壺焼

人間は、ときどきヘマをしでかします。
ヘマのほとんどは、切り替えスイッチの不調から起きるようです。

同じ環境がずっと続いているときには、ヘマはしません。
環境が変わったときには、頭の中の切り替えスイッチによって、新しい環境に適応するよう言動も変わります。

環境が急に変わったときには、危機が訪れることが多いので、スイッチも素早く働きます。
しかし、前もって環境の変わることがわかっている場合には、スイッチの操作時期に戸惑うこともあります。
また、環境が徐々に変わった場合には、スイッチの切り替えが必要なことにも気付かずに過ごすことさえあります。

たとえば政治家集団の場合、昔ながらの人付き合いが、要職に就いてからもだらだらと続いていれば、まだそんな前世紀のようなことをやっていたのかと、あきれるほど幼稚なヘマのタネを見逃すこともあります。

任せたほうは信頼しすぎ、任されたほうは、このぐらいはだれもがしているあたりまえのことと思っていれば、こぼれ落ちたヘマのタネはやがて芽を出します。

切り替えの必要なことに気づかなかったスイッチが、そのまま放置されれば、システムの動きは新しい環境にそぐわなくなるのは自然の成り行きです。

メイン回路のスイッチが切りかわっていても、付属回路に、切り替え忘れや、壊れて動かなくなったスイッチ、何年も使っていないからもういらないだろうと、バイパス回路が作られて用をなさなくなってしまったスイッチが、一つでもあっては大変です。
そこにヘマのタネが挟まって芽を出そうものなら、大事件にもなりかねません。
N町の保安協会のかたは、うかうかしていられません。
時間ができたら、ゴルフの相談より先にスイッチの点検をいたしましょう。

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