かわり映えがしないという言葉の対語に、かわり映えするをあてはめるのは、ちょっと無理なようです。
みっともあると言ってしまうのと、程度の差はあっても同類なのでしょう。
木の葉の色にも、みっともない変わりかたがあります。
こういうのはかわり映えがどうこうと、たぶん言えないと思います。
静かにわずかずつ変わっていく、なじみやすい変わり方です。
確かな歴史をもった社会では、忙しげな変わり方は好まれません。
変革とか改革とか、そんな言葉の効能は、刺激剤になるだけのものなのでしょう。
液晶パネルは、目の位置をちょっと変えるだけで、画像のコントラストを簡単に変えて見る使い方ができるのでした。
見方によって見えにくくなると嫌がらずに、見たいように見られるのだと思うことにします。
学問に無駄なものはありません。
無駄に見える理由はいくつかあります。
1.嫌われやすい科目が多いこと
2.無駄と思っておけば、学ぶ苦労が要らないこと
3.学問と関係の薄い受験勉強が、学問に見えてしまうこと
食慾が盛んになる秋、いろいろな食べものに出会います。
しかし、いくらなんでも、粒がむやみに大きくて、見た目はすっきりしていますが、口に入れてみると、一粒ひとつぶに噛みごたえのある、そんなイクラはどんなものでしょうか。
旅客機は寝ころんで過ごせるファーストクラス、紙なら特殊配合パルプのファーストヴィンテージ、野球なら球がいちばん飛んでくるファースト、女性なら国家首脳に随伴するファーストレディ。
食べ物や店の名前にも、なんでも一番にひとの心は集まります。
一番でなけりゃだめなんですか、悪評を集めてしまったあの言葉は、ファーストレディと呼ばれる心配がない自覚の現れだったのでしょうか。
小さい子たちが集まる場所で、精一杯大きな声で返事をさせるのはなぜでしょう。
大きくなると、返事をしたがらない人が増えていくからでしょうか。
返事をしたがらなくなるのは、なぜでしょう。
しても意味のない、ただ欲しいだけの返事を求められるのに、気付くからでしょうか。
路地の奥に、怖いレストランがあります。
食べるのがつらいものも出されます。
それでも食べなければ店から出られません。
偏食気ままを、アレルギーのせいにして通してきた、お嬢さまお坊ちゃまも、そこに通いだすと鍛えられ、普通のからだに戻ります。
打たれた後には、痕が残ります。
痕の消し方で、その人の強さが決まります。
早い人は翌日にはけろりとし、遅い人は翌年までかかってまだ消えず、一生引きずるかもしれません。
70年も引きずっている実例があるでしょう。
うそでたらめの発表をしておいて、非難の出かた次第でご都合修正。
GDPという公式データまで、そんなふうに弄んで泰然自若。
これはもう、国の恥どころではありません。
人類の恥辱です。
宇宙人が笑っています。
武道の心得は、まず無道に踏み込まないことです。