暴走の恐ろしさは、それが暴走であるという意識を超えたときに現れます。
意識の超越は、ほどよい快感にもの足らず、極限を求めたときに起きます。
ところが、全く意識していない暴走もあって、それが運命のいたずらなどと言っていられないことも起きるようです。
乗っていたくるまのキーを抜いて降りたら突然走りだし、壁に突っ込んだ場面の動画を見たという話を聞きました。
「神の領域」と自認する技術によってつくられた、スーパー・ミステリー・カーとして紹介したかったようです。
ヘー、と聞き過ごせば、動画作成者の意図を汲んだことになり話は終わりますが、そこから「なぜ」が徐行運転をはじめると興味の向う道は原っぱのように広がります。
運転席に人が乗っていなくても、くるまは走ります。
キーを抜いても、エンジンが止まらない状態に保つこともできます。
そうなると、動画の発表価値が、車と壁の修理代を超えたとき、ドキュメンタリー画像を創作することはできます。
その場合には、意識を超えていないので、動画に映った車の動きは暴走ではなかったのかもしれません。