・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

クリニックは病院ではありません

2013年05月31日 | つぶやきの壺焼

駅に出ている看板から「医院」という字がほとんど消えました。
圧倒的に多いのは「クリニック」です。

友人が入院したという知らせを受けて、ひとが行っても迷惑にならない時期を見計らって見舞いに行きました。

○○クリニックに入院したという知らせを貰っていたので、そこをたずねて行くと、「こちらは○○クリニックです、○○病院は別のところです」という返事。
道を教えても貰って○○病院に着いたのが面会時限の10分前、危うく無駄足になるところでした。

間違いは、どうやら医療機関の呼び方の常識にお互い欠けていたところにあるようです。

クリニックと呼ばれる「診療所」には、入院病床が0~19しかありません。
救急車で運び込まれ、大手術を受けるような患者が、クリニックには入院しているはずがないのです。
○○クリニック、○○病院と似た名前があったら、○○病院だろうと思わなければならなかったのでした。

知らせてくれた人の呼び違いを責めてはいけません。
病院とクリニックでは、何となくしゃれた名前のほうを呼びたくなるのが人情というものですから。

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イメージのプラス-マイナス

2013年05月30日 | つぶやきの壺焼

ことばを交わすのはプラスのイメージを持つ。
はなしを交わすのはマイナスのイメージになる。

このプラス・マイナスは、結果のイメージである。
体(たい)を交わすのは、はなしを交わすのに似ているが結果はプラス。

ことばを交わしているように見せてはなしを交わすのが巧みな人もいる。
ことばを交わしているように見せて、何も交わすことがなかった「仕分け」という作業も、ずいぶん昔のことのようになってしまった。
あの結果にはマイナスのイメージが強かったと思うが、いったんあそこでマイナスにされてもまたプラスに転じたこともある。

ここしばらくは、何があってもマイナスを予測しないほうがよさそうである。
必ず訪れるマイナス局面のたびに、それみたことかと手を叩いて見せるのは、マイナス教信者が教祖の真似事をしているようで、まことに見苦しい。

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ひったくりに“しるし”がつく

2013年05月29日 | つぶやきの壺焼

うしろからスゥーッと近づいてきてバッグをさらっていくバイクのひったくりが横行しているようです。
逃走を成功させないためのしかけがあります。

バッグの底に細いばねと球がついています。
逃げるバイクが遠のくと、球が追いかけていって、最後に破裂、ひったくり犯の肩や背中がインクで染められます。
場所と逃げた方向が通報され、インクで染まったひったくり犯はたちまち御用。

写真はわかりやすいようにばねと球を誇張してありますが、もっと小さな目立たないものを使います。

バイクのひったくりはもうやめにしたほうがよいでしょう。

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転ばぬ足の踏むところ

2013年05月28日 | つぶやきの壺焼

老人の怪我でいちばん多いのは転ぶことです。
力士の怪我もいちばん多いのは転ぶことです。

しかし、老人が転ぶのは足が上がらずにつまづく場合が多く、力士は足が上がると転びます。
老人が転ぶには平らでない床がわざわいし、力士が転ぶ土俵は平らです。
力士は土俵の縁のたいらでないところに助けられて踏ん張ります。

老人は自分の体の外にあるものに邪魔されて転びますが、力士は自分の体に負けて支え切れずに転ぶのが目立ちます。

老人が転ばないためには足を上げる習慣がいり、力士が転ばないためには足を上げない稽古がいります。

ロボットが転ばないのは足をしっかりつけたまま歩くからでしょう。

力士の足がしっかり地について上がらないとき、頭の上に軍配が上がります。

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二番目の価値

2013年05月27日 | つぶやきの壺焼

千秋楽に名勝負を求めて行った人はさぞがっかりしたことだろう。

頑張りが届かなければ急に力が出なくなる。
まだまだ未完の力士群から抜け出せない。

二番ではダメなんですかという、あの冥せりふもだいぶ古くなったが、二番には順番の価値ではなく、その座にいることの価値があると思えばよい。

トップに立てば、さらにその上を目指す目標はつかみにくくなる。
二番の座にいれば、トップになりたいという意欲を、常に保つことができる。

メジャーでは常に二番の座にいながら、類を見ない美しいスイングを完成させたゴルファーもいる。

戦いに臨んで出せない力は、実力になりきれていない力なので、それが邪魔する気配の消えるまでは、急いで綱を背負わせることはない。

最年長新横綱という記録も残せるのだから。

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道は六百八十里

2013年05月26日 | つぶやきの壺焼

東日本大地震の復興資金で、長距離林道の整備が行われていると聞きました。
家を建てる材木切り出しのため、それはよくわかります。

その材木の行先に、なぜか九州も入っているそうです。
東北に建てる家の材木を、わざわざ九州まで運んで加工するのでしょうか。

運ぶことが復興、建築資材も、焼き捨てるゴミも、日本中行ったり来たり。
ここは蟻の国でしたか。

音痴の汚名を蒙っていた爺さんが、ただ一つ歌っていた「道は六百八十里」の歌を思い出しました。

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優越感詐欺という心理偽法

2013年05月25日 | つぶやきの壺焼

新しい押し売り法が紹介されています。

甥を名乗った電話がかかってきます。
甥の名前はみなきちんと覚えているかどうか、もう怪しくなっています。
息子や娘には頭の上がらない親も、伯母さんと呼ばれると少し偉さを取り戻した気になります。

甥くんの電話は、コンビニにカバンを忘れたがいま忙しくて取りにいけない、いまなら手が空いているから親切に届けてくれると言っているので、伯母さんのところを教えた、荷物が届いたら受け取っておいて、とさも忙しそうな早口です。
相変わらずそそっかしいんだね、子供のうちからそうなんだからと、伯母さんの鼻の穴は少し広がります。
荷物が届いて、お礼のお菓子も渡し、サインもしてやりました。

しばらくして、お届けしたものの代金をお支払いくださいと電話がかかってきます。

そんなばかな、と思うことに引っかかるのが詐欺の被害です。

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「寝落ちる」という新動詞

2013年05月24日 | つぶやきの壺焼

「寝落ちる」という新動詞がある。

ネットで対話中に寝てしまう「寝落ち」を動詞に使い、「また寝落ちった」と叫ぶようなツイートを見かけた。
ネット語にもこんな粋なのがあったか。

昨日は株価急落1143円安、こちらは値落ち。

ネ落ちたからといって、ばたばたすることはない。
寝落ちは起きればそれで終わり、値落ちはみなが買いの準備中なのだと思えばよい。


ついでに <しんどうし⇒振動子> という変換候補も、面白い道草材料だった。

今日は、何か変わった、よいことがありそうな予感がする。
それが何なのか、すぐにはわからないところが値打ち。

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年6回の星勘定

2013年05月23日 | つぶやきの壺焼

大相撲が終盤に入った。
今場所は、大関の全員総崩れがないのでまあよかった。

大関の弱い理由はどこにあるのかと思っていたが、大勢過ぎにあったのではないかと気づいた。
何人でもその座を勝ち取れば同じ呼び方をされ、一人一人の力士の称号ではなく、グループ名のようになっている。
番付表の「張出」というやや不名誉な区別も、いまはもうない。

グループであれば、やる気のありなしが出るのはあたりまえのようになる。
星勘定をしながら何とかぶら下がっている大関がいれば、同じような星勘関取も目立つようにいる。自分でもスターとは思っていないだろうが。

怪我をしないよう、楽に負けておこうという醜い相撲もときどきあって、土俵の中にいて取り組みの終わらないうちに力を抜いてしまうひどいのもある。
あれでは、終わりまで歌わずに途中でやめてしまう歌手と同じで、入場料詐取の片棒担ぎだ。

勝ち方ならば白星が欲しいからという理由もつけられるが、負け方の不細工なのには惨めさしか残らない。
ここで珍疑問が生まれた。
相撲の星取表は、白黒の星がなぜ同数でなければならないのだろう。

観客に不快感を与えるような負け方には黒星におまけをつけたらどうなのか。
もちろん勝ちっぷりがよければ白星にも加増がつく。
総体の帳尻を合わせることなど、慣習という意味しかないのだから。
もし黒星のほうが多い場所が出れば、それは相撲が黒星を残してしまったということになる。残った残った。

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分担の交錯には弱点が生まれる

2013年05月22日 | つぶやきの壺焼

サイバー攻撃への対処は、攻撃を受けないようにということだから自衛隊の所管、子供の連れ去り問題は外国との関係のことだから外務省の所管、そんな理由しか見つからない。
お役所の仕事の分担はよくわからない。
専門家集団がいる気配の感じられないところを仕切り役に仕立てるのも、対外戦略なのかもしれないが、それが最上の体制なのだろうか。

「自衛隊でそんなことわかるのかしら」これは一緒にTVニュースを見ていた孫の素直な疑問であった。
返事には「うふん」という笑い声しか出せなかった。

 仕事を効率よく進めるには「分担」がものをいう。
しかし分担という方法は、部分効率が上がる代わりに、縄張りを意識し、共同を忌避する総合効率阻害の要因も併せ持っている。
そこでは、お手並み拝見、足引っ張りなどというけち臭い根性が、目に見えない働きをする。

分担が適格であればそれでもよいが、新しい出来事に古い組織を逆に当てはめるやり方では、最適選択は得られないから、分担に交錯が起き、弱点が生まれるのは必定である。

一つの省庁に、天下りの機会が訪れるまでかじりついていさせるような、今の役所のかたちは、いずれ思い切った組み換えが必要になるときが来るであろう。

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待機児童がいなくなった

2013年05月21日 | つぶやきの壺焼

大都市から待機児童がいなくなったと報じられた。
朗報なのだが、「採算が合わない」という見出しをつけた地方新聞もある。
この見出しで、何を牽制しようとしているのかはわからない。
この種の事業で、目先の短期利得が上がらないのはあたりまえであるのに。

待機ゼロという数値目標は達成されても、ことは終わりではない。
待機していなかった児童はどうなのだろうか。
待機していなかった児童には、待機する必要のなかった幸せな児童と、待機さえもできなかった不幸せな児童がいる。
待機児童ゼロの次は、待機できなかった児童をどうするかがだいじな課題だと思う。
それに手を伸ばすかどうかで、この施策の真価が決まりそうな気がする。

さて、待機児童から昼間解放されたお母さんたちは、何をするだろうか。
ホテルの贅沢昼食ビュッフェの客層の若返りに貢献するだけでは、あまり上等な経済効果ではないと思うが、どうだろうか。

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不自由を便利に使う方法

2013年05月20日 | つぶやきの壺焼

人間は自由を謳歌したいなどと言いながら、内心では不自由を求めたがる。
政治家が、不自由の典型である“法”を作ることを最も重要な仕事と思うことにしているのを見てもわかる。
何かといえばこれも不自由の典型である“基準”を決めたがることも同様である。

法や基準には「定義」が必要になる。
定義はまた、法や基準の中で不自由さを上積みしていく。

定義には、「XXとはYYである」という一般形式がある。
定義によく似たものごとの言い表し方に「分類」という方法がある。
「PPはQQに属する」という形なのだが、これが定義と混同されやすい。
属することを説明しておくと、定義を宣言したかのように受け取ってもらえることがある。

Aという物象あるいは概念の集団と、Bという物象あるいは概念の集団があるとする。
Aの中にaという性質を持ったものがある場合に、「aという性質を持ったものはAである」と言っておく。
同様に、「bという性質を持ったものはBである」と言っておくと、それによってAとBそれぞれが定義されたかのように受け取られやすくなる。
そこで、aという性質はbという性質とは別次元のものだからAとBとの間でなんらかの関係を探り出すということは意味がないという、論議収束の理由が出来上がってしまう。

厳密な定義は不自由さを招くが、擬似定義は論議回避という自由の手助けをしてくれる。

政治外交問題でも、こういういう手法で棚上げにされていることがだいぶあるように思うのだがどうだろうか。

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土俵はその場所に一つしかない

2013年05月19日 | つぶやきの壺焼

大相撲も今日は中日、はじめ元気でなかコロコロ、相変わらずの大関陣です。
巨体が小兵の技にパタンとひっくり返る、それには土俵の力が働いています。
勝負はその中、逃げ出せば負けという制約の力です。


別のブログで『科学的合理性は宗教と矛盾するか』という命題を投げたとき、こういうボールが返ってきました
「合理性を尊ぶものが科学とすれば神秘性を尊ぶものが宗教といえるのではないかと考えています。科学と宗教では土俵が違いますから矛盾するか否かの議論は成り立ちません。」

見事なカットボールです。
なんとかラリーが続かないかと、こんなことを考えてみました。

合理性とは、科学的に証明できることという一般説があります。
合理性が科学をたよりにし、科学を尊ぶということである一方、宗教も信ずる対象をたよりにし、それを尊ぶことでしょう。
科学的合理性と宗教とは、何かをたよりにし尊ぶという、共通の心の働きがあって、それぞれのことではあっても全く別の世界のこととは言い切れないのではないでしょうか。


どれだけ大勢の人が参加しても、相撲の本番土俵はそれぞれの場所に一つしか用意されません。
相撲にはセンターコートという名はないようです。

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車の盗難防止に錨は有効か

2013年05月18日 | つぶやきの壺焼

車は鍵をかけていても盗まれる。
地震の後、住んでいた家を盗まれる国もあるというから、鍵のかかった車を盗まれるのは、国籍混交の今の都会では不思議なことでもなさそうである。

半世紀前までは、車のキーはエンジンを始動するためのもので、扉を固定するものではないと思っていた。
家の出入り口に鍵をかけることなども、奇行の部類であった。


狙われる鍵のかかった車は、ワンボックス車やクレーン付きトラックが多いという。
そういう車種が欲しいというより、夜中に止めてある車に、持ち主が現れにくいもの、つまり仕事に使う車が狙われやすいのか。
その夜のうちにばらばらに解体してしまうらしいから、車種など何でもよいのかもしれない。
狙われるのは国道や高速道路に近いところで、積み込み逃走が簡単にできる場所の危険率が高いそうである。


鍵のかかったまま持って行かれるのなら、防止法は固定しかない。
簡単には切断できない「いかり」をおろして、引っ張られれば高音の警報が鳴って警察にも通報が行く仕掛けはどうだろう。

「いかり」で変換したら、錨、碇の二文字が出てきた。
MS-IMEにはないが、石偏に丁と書くいかりもある。
石偏のいかりは石を投げ入れる古式で、金偏のほうが新しそうである。

車の固定ならやはり石だろうかと考えていたら、動かして使うものを動きにくくするのは理に合わないことに気づいた。
止めてある車が動いたら警報と通報が出る仕掛けには、大げさな固定はいらなかった。
いかりなどより積み込み作業を遅らせるだけでよかったのだ。
泥棒には気の毒だが、電気仕掛けが効き目がありそう。
そうなると、絶縁手袋の販売には本人確認をというお触れが出るかもしれない。

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聞くものではないこと

2013年05月17日 | つぶやきの壺焼

マイクには魔力がある。
それを突きつけられると何か言わなければならないと思ってしまう力である。
会話型で何かを問うよりも、マイクを突きつけると、言わせようとするほうも気が楽なのだ。
だから愚問も簡単に出せる。
「XXをどう思いますか」と社会常識上聞くものでないことも、オキラク質問の種になる。
愚問には愚答しか生まれようがないから、突きつけられたマイクに義理立てをしていらぬことを口走る。
「そういうことは聞くものではない」これが最上の回答なのだが、「なぜ」「言え」と続く半狂乱の罵倒の想像が先にたって、それに耐える自信がないと、言わないはずのことが口から出てしまう。

言わなかった反響よりも、下手なことを言ってしまった影響のほうがはるかに大きいことに、そのときは気づかない。

マイクを向けられる機会の多い人向けに、マイクの見えないメガネをつくったらどうだろうか。

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