上中下に司を添えてみると、これは3段階とは言いにくいように見えます。
もともと仕事の類別であった上司下司は、職名をそう呼ばれなくなってから、人事管理上の役柄の呼び名や性向の類別にいったん変質し、それがまた変わっていこうとしています。
上司という仕事上の役割を、対語の下司と引き比べはじめると、意味がややこしくなります。
たまたま上司と呼ばれる仕事に就いた者が、自分が全てのことで優れているから上位にあると思い違いをし、それが家族にまで伝染していくと、日常生活にまで悲劇をつくり出すこともあります。
中司はいま、苗字にしか使われていませんが、なかつかさ:中務という職名は、昔の宮内庁のような仕事としてあったようです。
下司のほうは、下司の極み乙女という奇名のウタGまで現れました。
上から目線の逆で攻めようかという作戦を立てたのかと思うような命名です。
極みと乙女をつなげたところが、「なんだ」と気を引く作用の計算を、巧みにちらつかせるような、頭の働きを感じさせます。
「極み」という言葉には、どこか品格が残っていると思わせたいところがあってのことかもしれません。
これが「どん尻」だったらどうでしょう。
名前のおかげで本当の下司と思われるカノーセーが大です。
N町では、下司のどん尻と呼ぶにふさわしいグループが、下司であることこそが生きがいであるかのように、ワイワイやっています。
国のことも、そこに生きる人びとのこともそっちのけで、何かの邪魔をしてみる、有能な士は仕事の場から引きずりおろす、それこそが下司の役割だと、どん尻をこすり合わせて奇声を発し合う、あの田舎芝居の演戯費用も税金で賄われているのです。
こぼれそうなのは下司の涙です。