浮遊物は寄り集まる。
集まって、絡み合って、一つの物に見えるようになる。
群集のありさまと、どこか似ている。
集合物というだけでそれ自体に力はない。
浜辺に浮遊物がうち揚げられている。
そそっかしいのか鷹揚なのかわからない鯨などは、がぶっと飲み込んでしまうこともあるだろう。
ナガスクジラのような大きな図体をしていると、口に入るものなら何でもと、大食を続ける。泳ぎまわる海域に、人間のだらしなさをそのまま浮かべて寄り集まった浮遊物があれば、いつしか腹の中はゴミの埋立地と同じようになってしまう。
苦しくなって東京湾岸にたどり着いても、クジラには救急車は来ない。
本当にクジラ愛護しようというなら、捕鯨の妨げよりも海洋浮遊物の除去にでも力を入れたほうがよい。
騒ぎまわることが仕事のグループは、生簀の網を切り裂いたり、ひとの船に向かって威嚇弾を発射したり、そんな行為が海の浮遊物を増やすことになるとは考えないだろう。
海を汚しながら海洋生物愛護とは矛盾滅裂、脳みそも廃棄寸前ではないか。
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