痛くもない腹を探られるという諺がありますが、近頃探られる腹は痛んだ腹のほうが多そうです。
議会が公明正大を認めさせる自信を失ったとき、第三者委員会という名の、一見正義の味方風の組織が作られます。
しかし、第三者委員会が、専門家集団になってしまうと、そこではよく言われる広い視野にたった判断がくだされるかどうか、疑わしいものになります。
専門家と呼ばれる人たちは、専門のことがらに関しては、一般政治家の水準を超えた知識をもちろん持っています。
しかし、研究であれ製作であれ、その道で生活している以上、利害当事者であることも確かでしょう。
利害当事者に利害を超越した発言を求めることはできない相談です。
利害の認識にも、専門知識が必要なのはあたりまえなのですが、利害の認識と、それをはかりにかけた判断とはまた別次元のことです。
一時、国益などという勘定主義まるだしの言葉がはやりましたが、国の存立は、利害勘定だけに依存するものではありません。
利害当事者には利害の説明を、専門家には判断の参考になる知識を語ってもらい、決定は利害関係のごく薄い人がすべきではないかと思います。
専門家には、意見は求めなくてよいのです。
むしろ意見を言いたがる専門家は怪しいかもしれません。
専門家の話は情報です。
情報は材料であって、材料を道具に使ってはならないのです。
専門家は、ものごとの判定者に適正な判断を下させるための情報提供者に徹するものでなければ、第三者委員会への招聘は、むしろ有害になるかもしれないと考えていますが、いかがでしょうか。
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