・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

勘違いのもとは体験不足

2014年12月25日 | つぶやきの壺焼

サービスを正常な形で受けたことのない人は、サービスの仕事をする人は何でも言うことを聞くものと思ってしまいます。
ここで、正常な形のサービスとはどういうことかと疑問を持ちたがる人は、多分未体験者でしょう。
わざわざ説明を加えれば、特別な条件をつけなければ、その国の社会で、時と場所と場合に応じて普通に受けられるサービスです。

テーブルにじかに放り出されたパンを食べ、そういう食べ方だけで育った人には、正常な食事のサービスを受ける体験がないので、普段とは違う場で出された食器を、自分にくれたものと勘違いするかもしれません。
まさかと思う人は、正常が身についている幸せな人です。

正常なサービスを経験させておかないと、無法なサービスを要求してそれをきいてくれれば、自分が偉いと思ってしまうでしょう。
外国からやってきて、知らないことを勝手気ままにする人たちには、黙っていうことをきいてはいけません。
天ぷら屋にやってきてラーメンを注文されたら、断らなければなりません。
そこでカップラーメンを出して間に合わせておくのは、機転が利いた所業とは言えません。

勘違いを気付かせずに、最初にしてもらったことが当たり前だと思いこめば、そういう異常識はどんどん広がります。
この国の正常なサービスはこういうものと、優しく教えるような気持で、しないことはきっぱり断るという態度でのぞまなければなりません。

その場だけ相手の気分がよければそれでよいというのは、外国人の訪問客がごく少ない時代の扱い方だったのです。
集団でがやがややってくる観光客は、猿の群れに似た行動をとることもあるでしょう。
黙っていうことをきくだけでは、正常なサービスを知ってもらうことはできません。
人間の社会では、猿の言いなりになっていてはならないのです。

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