・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

おかしな日本人:22 奇法遵守

2019年11月15日 | つぶやきの壺焼

数に奇数と偶数があるように、法にも奇法と偶法がありそうです。
奇法は奇妙な法律、偶法はたまたまできてしまった法律です。

奇数と偶数以外に零があるように、動かすことの許されない法もあります。
倫理に基づいた言わば自明の理を定めたような法がそれで、人々が正常な精神環境にあるときには、必要のないものです。

奇法の一例に公職選挙法があります。

選挙カーで、運動員が候補者の名前だけを連呼するのは、走行中の演説はダメ、候補者名の連呼はOKと決められているからです。
ふだん会ったこともない候補者名だけを聞いたところで、投票対象選択の判断には役に立たないのに、それが法定の方法として"遵守"されているのです。

また、ウグイス嬢には1万5千円以内の日当が認められていて、それは公職選挙法施行令 第12章(選挙運動に関する収入及び支出並びに寄附)で決められているようなのですが、法文を読んでいるうちに頭がおかしくなってきそうなので確かめるのはあきらめました。

実際には、コンビニの店員よりややまし程度の報酬で、労働条件を比べればはるかに苛酷な仕事に、これでは適任者を得られるはずもなく、法定遵守には秘法が隠されているはずです。

違反にならないためには、都合のよいことは合理的でなくてもそのまま、都合のよくないところは別の方法を考え出し、暗黙の了解で遵法が続けられるというわけです。
立法が本業の国会議員も、なぜかこの奇法を改めようという動きを見せません。

彼らには、法の改革より大臣を引きずりおろす騒ぎのほうが、性根にあっているのかもしれません。

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おかしな日本人:21 嫉妬攻撃

2019年11月14日 | つぶやきの壺焼

催し物に招かれず、嫉妬が高じて招待の仕方がおかしいとケチをつけ、"税金の使い方"にかこつけて、国会の論議を遅らせるためのネタにする、さもしい議員がいます。
時間稼ぎをさせないためには、次回は中止という手しかなかったようです。

招待客の選び方の説明を求めて、質問のマネのようなことをまた続けるつもりは外されましたが、こうしたらどうかという提案は考えもしません。
もともと改善の意思などないからです。

もし改善を望むなら、今はやりのAI方式を提案したらどうでしょう。
選考基準を定めて機械に任せ、忖度無用の決め方をすればよいのです。
国政の検討への貢献度を厳しく査定する選考基準にしておけば、この問題で騒いでいた人は、たぶん選外となるでしょう。
あたりまえのことです。

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おかしな日本人:20 安価信奉

2019年11月13日 | つぶやきの壺焼

同じ品物がいくつか並んで値段が違っていれば、多くは安いほうを選ぶでしょう。

品物が同じに見えても、違うものを巧みにつくる技術に長けた人の多い国で作られたものは、価格の高低は選択基準には不適当です。

いったん購買実績ができてしまうと、それより高価なものは買いにくくなり、予算も抑えられます。
それがあだになることもあるので、輸入品には注意が必要です。
特に食品の材料や健康にかかわる消耗品類には気をつけなければなりません。

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おかしな日本人:19 親分信仰

2019年11月12日 | つぶやきの壺焼

親分格の人を恐れ敬う気風が、日本人にはむかしからあります。

しかし、いくら親分の素ぶりを見せても、無辜の人を平気で殺害するような人を、国賓扱いで招待しようなどは、とんでもない話です。

口が滑ったお招き言葉は、サッサと取り消しておかないと、一所懸命にそのための準備をするおバカさんもいるので、早く機会をつかんでヤメタ宣言をしておかなければなりません。

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おかしな日本人:18 こもりゲーム

2019年11月11日 | つぶやきの壺焼

電車で向かい側の席に座っている人が、一人残らずスマホに見入っている奇景も珍しくはなくなりました。
そのうち何人かは、たぶんゲームにはまっているのでしょう。

ゲームには、皆で楽しむものと、ひとりの世界にこもるものとがあって、スマホやパソコンの場合はこもり型が優勢です。
チャレンジだ、ガンバルぞなどと言ったところで、ゲームではなあ、というぐらいのところです。

こんなゲーム好きの人を、国の財政や外交の要職につけたら大変です。
あーまただめかあ、そんなことではすみませんから。

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おかしな日本人:17 言葉切り

2019年11月10日 | つぶやきの壺焼

要人の発言の中に、何か引っかかるものを見つけて、雨男発言、セクシー発言、身の丈発言などと名前をつけ、ニュースやワイドショーのタネに仕立てると、紙面や番組のスカスカ部分を埋めることが簡単にできます。
切り抜き雑誌に似た、軽微な創造性で間に合う、お手軽手法です。

発言のごく一部を切り取って、というよりほじり出して裏返しにして使うところは、切り抜き雑誌より意地の曲がった制作方法なので、決して品格の良いものは出来上がりません。

切り取った言葉には、発言全体の意味にも、発言の場の環境にも、全く無関係な意味が塗りつけられます。
ただ興味を持って読んだり見たりされるように作られた話を、国会の場に引きずり出して内閣を責め続け、国会の無審議時間を最大にしようと励む議員もいるので、言葉切りによるシナリオ制作法は、文化水準を沈めながらまだまだ廃れそうにありません。
ほとほと情けないことです。

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おかしな日本人:16 横槍信奉

2019年11月09日 | つぶやきの壺焼

オリンピックのマラソン会場を、開催期日の10ヶ月前になってから、全然別のところに変えろと決め、それに従えという横暴がまかり通っています。

理由は暑いからというだけのこと、北国の人が不利だからということしか考えられません。
マラソン以外の競技でも暑いのは同じです。

耐久力も含めてのマラソン競技なので、一競技時間が長いことを理由にはしにくいでしょう。
エアコンに慣れてひ弱になった人間が、暑さを避けたければ、はじめから全体の時期をずらせばよかったので、時間調整という方法もないわけではありません。

急に変えようという話が、なぜどこから持ち上がったのかも知らされずに、費用の話ばかりが騒がれているのも奇妙なことです。

こんな横暴に、なぜすぐに従ってしまうのか、それは横槍には従うものというおかしな習性が日本人についてしまい、信奉のようになっているのではないかと思うのです。

ものごとは、淡々と進むよりは横槍が入ると面白く見えます。
当事者の迷惑はニュースにならなくても、横槍はニュースに仕立てるには格好の材料です。

このオリンピックも、競技場や交通施設の問題で、何度か横槍が入り、進行を妨げられてきました。
始めのほうで横槍を入れた人が、今になって別の横槍で責められ、横槍競争のような皮肉なことにもなっています。

横槍の理由に、安全、健康などともっともらしい名目がつけられても、およそこじ付けに過ぎません。
何か別の大きなたくらみの中で、ころ合いを見計らって槍が突き出されることもあるのだということに注意を向けなけれがならないでしょう。

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おかしな日本人:15 守護信念

2019年11月08日 | つぶやきの壺焼

友好という外国との付き合い方は、必ず良い結果を生むと信じ続ける人がいます。
こちらの友好的対応に悪い反応があっても、いずれは相手が自ら改まるという信念がそうさせます。

国の誕生のとき以来、絶え間なく恨め憎めと教えられてきた人が、7割8割の多くを占めれば、その国にこちらの友好の信念が通じることはあり得ません。

友好の信念も、不遜な相手に通じなければ、次第に空虚なものになります。
持ってしまった信念は、空になっても捨てにくく、それが宗教的感覚のようになってくると、実りのない信念が守られる対象に置き換わってしまいます。

信念だけを守り続け、一生を終えたあとには、「信念の人」という讃辞は生まれるかもしれません。
その人の仕事が、公人としてのものであったとき、そんなことでよいのかどうか尋ねてみたいところです。

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おかしな日本人:14 裁かれ好き

2019年11月07日 | つぶやきの壺焼

「ウソをつくと閻魔さまに舌を抜かれるよ」
子どものころに違う人からも同じことを聞くと、ウソつきが大きな罪であることを察しながら育ちます。
閻魔さまはこの世にはいない、舌を抜かれることなどないと知っても、ウソをついてはならないことは忘れません。

閻魔さまは、冥界の王として死者の生前の罪を裁く神とされています。
人びとは、怖いと思いながら、お裁きの力に頼り、ひそかにその力にあこがれながら、裁かれることに慣れていき、何かにつけ自ら判断を下さず裁きを待ちます。
日本にはそういう社会性格が形成されているように思います。
東京裁判という、あの壮大なリンチの強行を、黙って受け入れたのも、裁かれることを好む民意がそうさせたのかもしれません。

ものごとの当否を、正邪ではなく適法かどうかで決めたがるのも、裁かれ好きによるものではないでしょうか。

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おかしな日本人:13 壁好み

2019年11月06日 | つぶやきの壺焼

壁を見ると、そこに何か描きたくなる人がいます。
日本に住む外国人も多くなっているので、壁に絵を描く人がどこの国の人なのかはわかりません。

落がきの場所になりやすい構築物の壁ではなく、越えにくい仮想のものを障壁と呼んで、足を踏み入れようとしない領域をつくることが、社会ではしばしば行われます。

何か面倒が起こりそうな気がして、違う場所には行きたくないとなれば、想像の壁はすぐにできます。
実際に構築される壁ではなく、あると思うだけの壁ですから、材料は豊富、作るのも簡単です。

そんな壁づくりの名工が集まっているところが、首都の中央部にあります。
それは、N町、K関、壁の街です。

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おかしな日本人:12 顔たて政治

2019年11月05日 | つぶやきの壺焼

「窮鳥懐に入れば猟師これを撃たず」
弱った相手はあえて撃たないという武士の情のたとえがあります。
これはもともと古代中国の「顔氏家訓」にあった言葉なのに、現代中国では、何万人もの無抵抗な人々をまとめて殺害してはばからない、まったく違った人が実権を握ります。

そんな最高権力者の顔を立てるために、こともあろうにあらためて国賓として迎え入れようと、口を滑らしたか何か確信があってのことかはわかりませんが、とんでもない挨拶をしてしまったという話があります。

いくらなんでも国賓はないでしょう。
日本人の顔立て政治の悪癖が、外交にまで露出してしまったのは、まことに遺憾と言わなければなりません。

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おかしな日本人:11 アピール狂

2019年11月04日 | つぶやきの壺焼

何かを提言するでもなく、支持を得たいわけでない、ただただ自分の存在をアピールしたがる人がいます。

その人たちがグループを組むと、マスクで顔の下半分を隠し、サングラスで眼まで隠しながら、無意味なことを書きなぐった同じ文句同じ図柄のプラカードを掲げて気勢を上げます。

個人では、読んでも意味のわからないようなことを酔った指で打ち込み、むやみにツイートする人もいます。
TVのインタビューでは、アピールに努めますというようなことだけしか言わない人もいます。

日本人には、この種のおかしな人間が多いと、世界に向けてアピールしていることには、当人たちは気づきません。

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おかしな日本人:10 解釈選好

2019年11月03日 | つぶやきの壺焼

現実直視というものの見方があります。
目の前に起きている一つの出来事を、まっすぐそのままに見ることを好む現実直視型の人が多い民族もあれば、いろいろな見方、さまざまな解釈を試みることを好む解釈選好型の人が多い民族もあるでしょう。
地球上のどこの人も、みな同じ見方をすることはまず考えられません。

一つの言葉の意味もさまざまに使い分ける日本語を話す日本人は、よほど意識を集中しないと現実直視は難しいのではないかという気がしています。
見たいように見るのはそれぞれの人の自由ですが、視線~ものの見方・聞き方~思考様式の順に誘導されて、それが現実直視であるかのように錯覚させられると、困ったこと恐ろしいことの起きる要因になります。
現実直視のつもりが現実ではなく、その裏返しを、あるいは位相の異なる見方をしてしまうからです。

さて、現実直視型と解釈選好型、どちらに危ない人が多いでしょうか。

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おかしな日本人:9 駄々許諾

2019年11月02日 | つぶやきの壺焼

大人のダダコネほど見苦しいものはりません。
子どものダダは、わけもわからず自分の希望も整理がつかずにコネるのですが、大人のダダはわかっていてコネるから見苦しいのです。
それが集団のダダコネになれば、見苦しいのを通り越して、その集団の存在価値の引き下げに大いに寄与することになります。

ダダコネの対処法は適当にあしらってあえて相手にしないことですが、こういう酒場のできごとのようなやり取りが、政治の中枢の場であるN町の大きな会議場で行われていたらどうでしょうか。
普通の何でもない話の中からただ一つの言葉を切り取って、この発言はけしからん、謝らなければ審議拒否だと、道理も何もそっちのけのダダコネの見本のようなことが、国費を使って行われているのです。
こんなありさまを、にやにやしながら眺めている人が、同じ会議場の中にいるのも始末の悪いことですが、にやにやしている人は、海の向こうにもいるのであれば、鼻で笑っている場合ではないでしょう。

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おかしな日本人:8 無抵抗

2019年11月01日 | つぶやきの壺焼

何を言われても「いいえ」と言わない、「あなたの道を進みなさい。他人には勝手なことを言わせておけばいい」というダンテの言葉をだいじにする立派な人がいます。
この言葉の後半を実行しても、前半をそうしなければ、言わせておく意味がまったく違ってきます。

そこで「あなたの道」を進まなかったら、あるいはそこに「あなたの道」がなかったら、言わせておくだけの無為無抵抗に終わります。

相手のことを自分と呼び、変幻自在な人称名詞の使い方をする日本語では、「あなたの道」の「あなた」は、この言葉を聞いている人ではないという、おかしな解釈さえできてしまうかもしれません。

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