友好という外国との付き合い方は、必ず良い結果を生むと信じ続ける人がいます。
こちらの友好的対応に悪い反応があっても、いずれは相手が自ら改まるという信念がそうさせます。
国の誕生のとき以来、絶え間なく恨め憎めと教えられてきた人が、7割8割の多くを占めれば、その国にこちらの友好の信念が通じることはあり得ません。
友好の信念も、不遜な相手に通じなければ、次第に空虚なものになります。
持ってしまった信念は、空になっても捨てにくく、それが宗教的感覚のようになってくると、実りのない信念が守られる対象に置き換わってしまいます。
信念だけを守り続け、一生を終えたあとには、「信念の人」という讃辞は生まれるかもしれません。
その人の仕事が、公人としてのものであったとき、そんなことでよいのかどうか尋ねてみたいところです。