バネの風

千葉県野田市の「学習教室BANETバネ」の授業内容や、川上犬、ギャラリー輝の事、おもしろい日常を綴ります。

田の水張り

2013-04-26 11:42:19 | 感動
 先週の土曜日、だから4月20日のこと。朝6時からバンの散歩でちょっと遠出した。国道を越え,里山を抜け,利根川の土手を目指す。土曜の早朝なので人気はないけど、農道を歩いていると前方に立ち話しているおじいさんが二人。そこに近づく頃に、話しを終えたおじいさんの一人は自転車にまたがりこちらに向かってきて脇で自転車を止めた。そし畦に降りて田んぼの水出しをした。ポンプの栓を開けたのだった。
 一面乾いた土が広がるここが、水をたたえた田園風景に変わる,その瞬間に遭遇したわけ。そしてあたりを見渡すと、あちこちで乾いた土の一部が水を吸い、濃い茶色に変わり始めている。身を乗り出してポンブを覗くと、水はドボドボと勢いよく吹き出している。土に吸われながらも少しずつ水の領域を広げている。下から地上に向かって噴き出す水の塊はまるで生き物のようで、水が泳いでいるように見える。噴き出す水の音に興味を持ったのか,それとも喉が渇いて水の臭いに引かれたのか、バンも一緒になって畦を覗き込み、更には田んぼに降り立ち噴き出す水に顔を突っ込んだ。踊るような水を捕まえようと水にむかって口をパクパクする。
 
 田んぼに水を入れる瞬間に出くわしたのは初めてのこと。ここ一面が水田となったその風景を知っている。田んぼは季節が進むとその風景を変え、いずれもその美しさを知っている。しかしこれまで水を張るという営みに思いを馳せたことはなかった。
 流山から野田に向かう道で、田んぼの奥に西の空が広がるその風景が好き。冬枯れの景色は特に好き。4月に入り茶色かった田んぼに緑が見え始め、冬枯れが去り行くのを惜しい気持ちでいたけど、昨日は一面水が張られさざ波をたて、キラキラ輝いていた。ここでも人の手によって水を出す営みがあったのですね。

1年生に教えられたこと

2013-04-19 08:23:15 | バネ
 4月から小学1年生を教え始めた。入学式から1週間後には5時間授業になったその日やってきた1年生は、とても疲れていた。
 そうか、1年生にとっていきなり1日授業はきついよね。こういう子どもの感覚は大人になると忘れてしまう。娘のときはどうだったか。学校生活に慣れるまで当分の間午前授業だったように記憶する。先生引率で家の近くまで集団下校し、そこで引き渡しだった。まだ子犬のバンを連れて迎えに行った。子どもは昼前に帰ってくるわけだから時間持て余して,午後は幼稚園に遊びに行っていた。自分のときはどうだったか。1年生のときはとにかく疲れたということを記憶している。「こうしなければならない」が押し寄せ,それらを遂行する緊張の連続。午後はいつもグッタリしていた。
 バネで久しぶりに迎える小学1年生。以前はたくさんいた。1年生たちは午後の時間を持て余し,学習好奇心に溢れていた。机と椅子をどかして床に座って授業したり,テラスに机を出し木の下で勉強したこともある。学習グッズも沢山手作りした。字を丁寧に書く練習,暗算を速くする練習、文章を作る練習。それらの小道具はいつの間にかどこかに埋もれてしまったし、そういう授業していたことすら忘れてしまっていた。
 「今日はつかれた」と言い床にゴロンとなった1年生を見てそんなことをツラツラと思い出した。こんなときは机使わなかったよねとか、教室内走り回らせたよねなど。
 ファイルをめくっていたら足し算九九、引き算九九シートやひらがな,カタカナボードが出てきた。またここから始めよう。

 

芸人の対話

2013-04-18 01:03:46 | ライフスタイル
 日本の人口は減っている。総数が減っているだけに,存在感をどんどん大きくしているのは高齢者たち。仕事をリタイアし,年金がもらえるようになって,目一杯自分のために時間を使える世代。生涯学習の講座は高齢者ばっかり。
 芸術系、語学系、スポーツ系。これらに参加しているけど、恐らくどの講座でも最年少な自分。そのなかの一つ、卓球。
 
 参加者全員と順繰りに打ち合う。始めたばかりはとにかく精一杯だったけど、月数が経つと経験者の仲間入りしちょこっと余裕が出てきた。初めて打ち合う人とはその人のレベルに合わせてコースやスピードを変えるくらいのことができるようになってきた。
 見るからに初心者風の初期おばあさん。ここは加減した方がいいと思う。「わたし、下手ですから。」とあいさつ代わりの最初の一言があるだけに、フワリと打ちやすい球を返す。こちらから出すサーブは、そんな気はないんだけど,ラケットワークがバドミントン風なのか微妙にスピンがかかるらしく、多くの初心者は打ち返せない。だから弾む球でサーブを入れる。そうやって何往復か打ち合うと,オットというコースに球が返ってきた。偶然かと思うが,次はきわどいコースに決めて来る。ナヌッ!そう来るならこっちだって、と低く打つ。少しスピードを上げる。しまったと思う高い返球に対して思いっきり打ち込んで来た。
 次の人。おじいさん。やはりこの人に対してもとにかく打ちやすい球を返す。相手を動かさないように気を使いながら同じ場所に同じ球を返す。すると100以上のラリーになる。まるで卓球温泉。そんなラリーが続けている途中、フォア側に足の長い厳しい球が時々混ざるようになる。それが決まった瞬間、ガッツポーズはしないにしても少々勝ち誇った表情をしたおじいさん。ナヌッ!じゃ、いきますよ。そうくるならこっちだって球を低くし,スピードを上げる。さっきまでの卓球温泉ラリーとは違うラリーが始まる。
 そして次のおじいさん。この人は見るからにうまそう。「私下手ですから。」と最初に譲歩しておきたくなるところを我慢してとにかく打ち合う。この人はうまいから最初から打ち込む。打っても打っても返して来る。「もっと強く打っていいですよ。」と言うから思いっきり打っても、返して来る。そしてカットを入れて来る。

 そうか、みんなは私の調子に合わせていたんだ。こちらが相手の様子を見るより先に,相手がこちらを見ていたわけですね。このくらいなら打てるかな,これは大丈夫かなとレベルを調節し、そして徐々にレベルを上げる。しばらく休んでいて再会したらほとんどのメンバーがはじめて見る人になっていたから、先方から見てもこちらは初めての人。だから新しく来た人には加減して様子を見ようと言う気配りだったようです。

 卓球講座を終えてそのまま子どもとのバドミントン。次はこちらが完全に相手に合わせる時間。
 これなら飽きないかな。これなら楽しめるかな。これならがんばれるかな。来週も挑戦しようという気になるかな。

 バドミントンを終えると次はパンセ。
 ここも子どもたちとの対話の時間。難しすぎないか,簡単すぎないかと一人ずつ確認しながら進む。自信なさそうな子にはそれとなく近くでヒントを出す。無駄話を入れながら全員の注意をひきつける。

 本日のキーワードは「対話」。
 そう言えば父の作品に「芸人の対話』というのがあったね。

バネは18年目 バネの風は5年目

2013-04-15 12:21:41 | バネ
 バネ生宛に配布するプリントに毎月コラムを載せています。このコラムと「バネの風」は微妙にかぶります。それは当然でしょ。同じ人が書いているんだから。って、でもできるだけバネ生向けの方はバネネタにしぼり、ブログとは重ならないようにしています。しかし今回は4月に配布したバネのお知らせからコピペです。


 バネは18年目に入りました。数字にすると長い道のりです。仕事柄同じ事の繰り返しではないので毎年が新鮮で精一杯であるうちに、気づけば17年が過ぎていたという感じです。先日入塾申し込みに来られた方は、バネ2代目生です。つくづく長くやってきたのだなと人から知らされた次第です。
 2代目生の面接をしたのをきっかけに、これまでで印象的だった事例のいくつかをご紹介します。
 初めての中学受験生のことです。理解はできるものの定着が徹底していない子でした。常に知識はあやふや。こういう状態で受験すると、たいていはテストではほとんど得点できません。この子がどうしたら確実に得点できるようになるのか。そこで作ったのが「算数カード」です。子どもを寝かしつけてから、テーブルに教科書、問題集を広げ手書きで40枚ほどを作成しました。書き終えたら朝になっていました。翌日近所のスーパーでコピーしました。そのカードは紙やサイズを変え、手を加えながら今も継がれています。数年前からは高校受験版に取りかかり、基本編応用編に分け追加作成中です。卒業生に「あのカードは大切にしまっています」と言われることがあります。先日、主がいなくなってガランとした娘の部屋の引き出しの奥に、特別なものを大切にしまっているかのように置かれているカードを発見しました。嬉しいものです。途中このカードの量産化、商品化を考えたこともありますが、結局は今も手書きで手差しコピーの手作りのままです。
 これも初期の生徒の話。講習資料を手作りしました。一人一人の課題にそってプリントを作り、授業用、宿題用を綴じ込んで春休み中の学習スケジュールに沿って1冊の本になるようにしました。合間に休息日を入れ、その日は何もしない日と記してまっさらな紙を1枚差し込んでおきました。これを受け取った生徒の一人がお母さんにこう言ったそうです。「全部手作りなんだよ。だから、先生が作ったプリント全部やらないと。」当時のプリント群はしばらくバネで保管していましたが、震災後バネを被災者に使ってもらおうと大掃除した際、勢いで全て捨ててしまいました。今思うと惜しいことをしました。
 4月から入塾する2代目生のお宅に、初代バネ生が卒業するときに作った文集が残されていたとのことです。お金をかけない簡易なものですが、何十年も捨てられずにそこにあったという事実は重たいですね。
 いくつかつらつらと書き出したら、その全てのキーワードは「手作り」であるというのが示唆を含みますね。巷ではグローバル化がもてはやされ、時代の潮流に乗った企業の一人勝ちが目立ちます。教育界は常に少し遅れながらも時代に乗りたがります。一人が勝てば一人は負ける。誰かが得をすれば誰かが損をする。教育がこんな論理に乗り、流されてしまっているというのが今の社会ではないでしょうか。
 10年前です。こども達の思考力を高めるクラスとして「パンセ」を作りました。今のパンセは文章読解を中心にしていますが、当時のパンセは総合学習的でした。数年続けましたが、即学力に反映する通常クラスを重視してパンセは閉じました。それから数年。読解をテーマに開設した2代目パンセは今年で2年目を迎えます。これまでの経験と知恵を詰め込んだクラスであると自負しています。

バネ生二代目に突入

2013-04-06 09:46:01 | バネ
 先日電話をとると、「バネ今もやっていますか?」
 それはバネ始めて数年目の頃の生徒のお母さんからだった。はい,相変わらず細々とやっていますと答えると、お孫さんを入塾させたいとのこと。ではとりあえず一度会ってお話ししましょうとなる。何年ぶりに会うことになるのだろうか。
 テレビでいきなり大写しになった元タレントの顔に「ギョ」っとすることがある。頬もまぶたもたるんでいる。ホウレイ線がくっきり出ていて.あの人こんなふけたんだと思う瞬間。誰もが年を取るのは止められない。だから数年ぶりに見る顔に一瞬戸惑うのは仕方がないと思う。しかしビックリした後に眼を背けたくなるのは、たいてい無理して隠そうとしている場合のような気がする。
 テレビで立て続けに「ギョ」っとする体験が続き無理な若作りは格好悪いと思い始めていた矢先だけに、お孫さんとやってくる元保護者が「ギョ」っとするのはやむを得ないとしても,正視に耐えられない無理はないだろうかと気にかけながらの再会。
 「先生,変わりませんね。」
 最初の一言に安堵するのと同時に、「変わらない」と言われるのはお世辞も含め褒め言葉なのだと実感した。

 「変わらないね」とはよく言われる。
 若い頃は「変わらない」と言われることは進歩していないと蔑まされているように感じ、久しぶりの人にあう時は背伸びしたものだった。そして「大人っぽくなったね」と言われることを狙っていた。その後も「ぜーんぜん、かわらなーい」なんて元小学生なんかに言われると、ちょっとカチッときた時期もあった。そして今。「変わらない」と言われてホッとする自分がいる。

 テレビが壊れたのを機に,2年ほどテレビを見ない生活をしていたという人の話し。
 久しぶりにテレビで見ると,タレントが皆老けていたという。

 お孫さんの面接に一緒について来たのは、その伯父にあたる兄弟。どちらも元バネ生。この際だから久しぶりにバネに遊びに行っちゃおうとなったらしい。当時と机の配置が変わっているとか、ワニのタイマーがまだあるなどおしゃべりしたあげく、

 「バン君何歳になりました?全然変わらないですね。」
 おい、バンよ。キミは褒められたんだよ。