バネの風

千葉県野田市の「学習教室BANETバネ」の授業内容や、川上犬、ギャラリー輝の事、おもしろい日常を綴ります。

父と娘のヨーロッパ貧乏スケッチ旅行 8 バルセロナに夜到着する

2024-11-30 14:46:43 | 父と娘のヨーロッパ貧乏スケッチ旅行
8.1985年 9月18日(火)晴れ

今日はスペイン行きの列車に乗る。
発車が午前11時半ゆえに、10時までローヌ川に立つ水上レストランの風景を描く。
こちらに来て油は初めて。(F3号)印象派風の絵になったかも。
「ジュネーブ湖からローヌ川源流の地」


ジュネーブホテル部屋の窓より(油絵 F3)

スペインバルセロナ行きに乗る。(カタランタルゴ)

フランスの入国手続きは簡単だった。名に聞く新幹線室内は絨毯で豪華である。途中フランスを経由したのでフラン入国手続きをしたが、いとも簡単であった。食堂車で食事を取る。ここでは大分おごって、一人4000円である。
一等車内を意識した麻美は食事マナーについてやたらやかましいことを言う。


カタランタルゴの食堂車

途中アヴィニオン、アルルを通過した。帰りに降りる駅である。

スペイン国境のポルトブーという名の駅では、スペイン警察の厳しい検問にあった。こちら二人には当たりは柔らかかった。赤のパスポートをちょっと見せるだけで軽くパスするが、日本から来た関西なまり商社風の男3人と後ろの席のスペインジプシーの女に目を付けていたと見え、乗り込んでくるや問いもせず、網棚の荷を勝手に引き下ろして中身を調べ回った。何も異常はなかったが、殺気じみた雰囲気であった。

車窓から見るフランス国境からバルセロナまでの風景が素晴らしく、乾いた広陵として、黄赤褐色の地に白い集落が点々と目に入る。列車の窓が汚れていて写真に撮れなかった。


スペイン国境の小さな村(色紙)

スペイン国境の小さな村 (No.1068 コンテ 四つ切り)

バルセロナには夜の9時半に着いた。延々と10時間だ。夜だったので宿探しで苦労する。電話で30分探し、予約したホテルに向かうと、タクシー運転手はもっと安いところ知っていると言い不安があったが言われるままに動いた。いちいちと聞き返したいのだが言葉が通じなかったのでどこに連れて行かれるのか不安だった。

着いたところはずいぶん駅から離れたところに来たと思ったが、すぐ近くにも大きな駅があり、その前の宿であった。星は一つだがバストイレが付いていた。同じような宿泊客でうごめいた感じであった。通りに面した賑やかなところで1階はレストランで便利である。50半ば過ぎの肉太りの親父が一人で中やテラスの客15.6人をこなしていた。
名物のサングリアを飲んで満腹となり、12時に就寝する。夜半でも部屋がうるさい。
 

追記:タクシー運転手に連れて行かれたのは、ターミナル駅前のチェックイン時前払いの安宿。パスポート預けるように言われたような記憶がある。若い旅行者が多く、活気があり、わさわさしていた。1階のレストランバーでサングリアを注文すると、金魚鉢ほどの大きさの容器にドリンク、フルーツなど次々と何かが投げ込まれる。店主は鼻歌で嬉しそうに。店内の陽気なスペイン人の注目がどんどん集まってきた。ドンと目の前に置かれた金魚鉢サングリアは見た目と異なりアルコールが強く、私はグラス1杯も飲めずクラクラしてきて部屋に退散した。その後父一人でどうしたのか翌朝聞くと、一人で飲んだのだと言う。注目しているおじさん達に振る舞えば良かっただろうにと悔やまれた。


父と娘のヨーロッパ貧乏スケッチ旅行 7 ジュネーブで1泊する

2024-11-21 15:03:56 | 父と娘のヨーロッパ貧乏スケッチ旅行
7.1985年 9月17日(火)晴れ
 睡眠不足で頭がボーッとしていた。
麻美の具合は大分収まったが、食事は口を通らない。
麻美にしてみると今度の旅のメインであるアルプス行きを懸念する。
昨夜の不吉な夢の話をすると断念した方が良いということで、惜しくもアルプス登頂をとりやめ下山する。

よく晴れ渡った空に山が立ち並んでそれを見る麻美であった。
途中までは昨日の路線を戻りさらに西に向かって、ベルン経由でジュネーブに着く。
麻美は汽車の中でキャラメルと果物(キウイ)を食べたら急に元気を回復し、本当に良かったと思う。
もしここで病んだものならどうしようものか。








惜しい気持ちで見つめるユングフラウヨッホ


ベルンからジュネーブ行きの列車の中のじいさん


ベルンからジュネーブ行きの一等列車内

ジュネーブの街は国際会議を持つ都市だけのことはあって活気に満ちている、日本のツアーも目立ち始め、日本人向けの店もあり、日本語の広告が目に入った。
時計店がやたらに目についた。
電気製品のほとんどが日本製品であるのには驚く。
乾物屋で日本の品のみを扱う店もあった。
駅のインフォメーションで見つけた宿は歩いて15分のところで、ロマン湖から出るローヌ川河岸通りに面したところだった。


ジュネーブホテル外観


ジュネーブホテル部屋のドア

乗り合わせたロマン湖畔遊覧船は湖畔の一部を遊覧するもので一時間ほどであった。
南湖岸には岡先生(岡鹿之助氏は父の師匠)の描いた建物が森の中に静かに佇んでいた。


ホテル部屋の窓から 湖面に浮かぶのはレストラン

ジュネーブホテル部屋の窓から


遊覧船

遊覧船 気持ちよかった

【追記】
ジュネーブに着き、湖畔の屋台でオレンジを買い食べた私は、果汁が体全体に染み入り急速に元気に取り戻すことができた。その後遊覧船に乗り、湖面の輝きと陽を浴びた時は、本当に気持ちよかった。



献立セットに右往左往

2024-11-21 10:07:23 | ライフスタイル
ネット広告で流れてきた、2人分5日間献立お試しセットに申し込んだ。
食材到着2日前メールが。
画像付きで。
冷蔵庫のこのスペース空けておくようにと。

なに? そんなに空けるのか!
というわけで賞味期限切れていたり、まだ食べれそう等と食べないだろうけど作り置きしておいたものを月曜の朝潔く廃棄し、冷蔵庫3段すっからかんにして宅配到着を待機。

すると、なんてことはない。
それらは野菜庫1/4とチルドルーム半分程度で収まったではないか。
これで5日分の食材? が第一印象。足りるのだろうか。
大急ぎで冷蔵庫収納してから、添付説明よく読むと、今回届いた食材に到着日書いてシール貼るようにと。
あわてて再度全部出して、シール貼る。
これにより、すでに冷蔵庫にあった食材と間違うことがない、なんてかゆいところに手が届くしかけができていた。

メインと副食の計3品が30分でできるという。
調味料は自前ということで、レシピ読むと「ケチャップ」
え? ケチャップー!
ケチャップなんて日頃使わない。だから1本買えば1年はなくならない。多分、今ない。あわてて夫にケチャップのみ購入を頼む。

バネ終了後の20:30から作り始める。
初めて作るメニューばかりで、レシピ読みながら、冷蔵庫行ったり来たりしながら悪戦苦闘。
ニラ1/4、三つ葉1/3だの、パプリカ1/4だのと使用量が指定されている。取り出した食材の必要量を準備し残りをパッキングし直し冷蔵庫に戻すのに手間がかかる。

これって、いつもなら1袋買えば一度に使っちゃうよね。取り置きすると次使わなかったりするから、全部一度にざっと洗って、ザクザク切ってた。
ということで、今までどんだけうちでは食材使い過ぎていたのか、食べ過ぎていたのかということを知るのである。

なかには聞いたことない食材があった。
「カブッコリー」
見た目はカボチャだから多分ブロッコリーとカボチャのミックスなんでしょう。生食できるらしい。
うちのブランは純粋なるミックス犬。母はミックス、父不明。で、山羊にもキツネも似ているからブランはさしずめドッグ、山羊、フォックスのミックスで「ドヤックスか!?」なんて肩揺らしながらカボッコリーを切る。

夫が「どうせ俺は半端な仕事だけなんだろ」と言いながら手作りエプロンつけてコンロの前に立つので、焼き物担当してもらう。
こちらはレシピ通りに時間きっちり計り、フライパンの前でじっと待っている。

その間次のメニューへ順番通りに進める。
調味料はケチャップに酢に、砂糖、マヨネーズ等等。
そして次のメニュー。また酢。そして次。またケチャップ。
ケチャップと酢の登場回数多くね?って感じで25分で完成!

盛り付けると、オーって感じ。普段食べないメニュー。こういう味付け家で出せるんだと驚き。全国のこだわり食材お取り寄せと書いてあるからなのか、心なしか食材の味がいい。
来週から3日分にして注文する? と夫と話し合う。

2日目は事前に野菜をカットしタッパーに用意し、20:35からスタート。この日は事前準備もあったことから一人でやっても20分。しかも、冷蔵庫で以前からあった食材活用せねばと、オリジナル追加レシピ2品つけた。

バネの小学生が暗算タイムレースで高得点はじき出し、椅子に立ち上がり「ドンダケー」って風邪引いてハスキーな声張り上げ指振っていた。そう、あの姿を今再現したい。20分で完成、ドンダケーって。
一人分をプレートに載せ食卓に置くと、夫が「スゲー、定食屋みたい」って。

3日目。今日のメインはエビか。
エビ、夫食べられない。何かわかりになる食材をと思い久しぶりにスーパーに行く。
エビの代わりになるものの他、度々登場する調味料で切れそうな酢、なくなりそうなオリーブオイルとマヨネーズ買うために行ったのに、ついでにブランのおやつ、おいしそうなコーヒー等等ついつい買ってしまい、何じゃこの金額!ってびっくりするほどで決済。

さて3日目の調理は、やはりまたケチャップと酢か。なんだかこの味付けうんざり。たまにはあっさり生野菜にポン酢、冷や奴におかかにポン酢なんてメニューがいい、と思い始めた。が、レシピ通り作る。
こんなんで足りるの?と思った料理が、3日目は食べ残してしまった。
味付けに飽きたというのもあるし、意外にも量が多い。
しかも、指示の細かすぎるレシピにうんざりしながら、使ったことのない計量スプーン使ってみたりして作ったせいか、二人でやったのに30分きっちりかかった。
さらに、さらには、いつもなら作りながら調理器具等洗ってしまうからできあがり時にはキッチンがすっきりしているのに、そんな余裕なく作るから食後のシンクが大変なことになっている。油モノの使用量多いから、汚れ物も半端なく、片付けにうんざり。

こういうの、だめた。
まずなんでもレースになってしまう自分に向かない。
30分でできるという文言がいけない。
30分でできないと駄目だし、だったらそれより早く作ってやる!ってタイムレースになってしまうのがいけない。
そして、できあがりまでの工程が頭に入っていないので、同時進行3品くらできることだって一々レシピ読みながら一つずつ進めるから効率的でない。
普段だって15分程度あればとんかつ、付け合わせ、副食2品、味噌汁くらいできるじゃないですか。

あー、疲れた。残り二日はテキトーにやろう。
そういえば、レシピ用紙の端にセンチメモリが印字されていた。なにこれ?って思ったけど、どうやら野菜カット長さのメモリに使うらしい。
日頃調味料計量したり時間計ることもなくカンでやっているものにとっては全く不要です。
ということは、この商品は料理初心者向けだったのかな。
夫が「若い人の味付けだな」と。
これにて定期購入しないことが決定です。


父と娘のヨーロッパ貧乏スケッチ旅行 6 ユングフラウヨッホを目指す

2024-11-16 08:29:27 | 父と娘のヨーロッパ貧乏スケッチ旅行
6.1985年 9月16日(月) 小雨
宿を出る時小雨で肌寒くブルッた。
明日はアルプスに登るので、途中のウエンゲンという谷間の街まで行くことになる。

ルチェルン駅

電車は乗り換えごとに小型になり、アプト式で急坂を登る。雲の合間から手に取るようにアルプスの連山が雪をスッポリかぶる姿が見え隠れする。
高原の駅ウエンゲンに到着。
駅の看板の案内でホテルを見つけ、電話で依頼する。
ホテルから(迎えの)電動リヤカーが来て、それに乗せられて山間の木造のホテルに運ばれた。

ウエンゲン駅

ウエンゲンのホテル



夕食後麻美が胃の異常を訴える。
胃炎らしい。
機内の食事から昨日にかけて食べるらしく食べていない。
出発前会社の仕事が多忙で胃の調子を崩していたという。
苦しむが医者もない。
胃薬を飲ませ、背中をさすってやる。
そのほか施す術がなし。
不安がのしかかる。
病気保険に入っておくべきと痛切に感じる。


麻美は多少収まって眠った様子。麻美が動けなくなった時のことを考えると眠れない。一時間おきに目を覚ます。
朝になって麻美の様子は昨夜より大分良い様子だが一向に食事は口を通っていない。


ウエンゲンの町並み


【追記】
ルチェルンの街は花祭りだった。小雨が降っていたこともあり13度で肌寒い。
日本を発ったときは残暑。いきなり寒く手がかじかんだ。
雨がそぼ降る湖畔で、父はいきなりスケッチを始めた。
その後、登山鉄度でユングフラウヨッホを目指した。
持参した衣類をすべて重ね着した。


父と娘のヨーロッパ貧乏スケッチ旅行5 スイス、ルチェルンで1泊

2024-11-09 15:03:50 | 父と娘のヨーロッパ貧乏スケッチ旅行
5.1985年9月15日(日) 天気曇り ルチェルンにて

空港を出るとこれからの行動のため麻美は次々に駆け廻って手続きをとる。
ドイツ語標示で苦しむ。
言葉はフランス語で通じるのでことはスムースに運ぶ。
ここでも荷物の番であった。

列車に乗り込みある街に行くことになる。
麻美に聞いたが疲れていたのですぐに忘れてしまう。
ユーレイルパス券の初使いである。
駅には、日本のような切符切りもなければ改札もない。
ゆったりとした車掌がユーモアのある態度で検札にきた。



列車は湖水のほとりに沿って突き走る。
風景はスイスだけのことあって、信州の風景に似たところがあるけれど、民家が漫画的なところが違う。
飛行機を降りたときは日本人はたくさんいたが、どこにその姿を消したか、ちりぢりに散り、どこにも見当たらなかった。不思議に思った。

日曜で観光案内所が開いていいないため、自力で今晩の宿探しが始まる。
目星を付けておいたので、早く見つかるが13キロの荷物を背負って30分は歩く。
夜から雨が降り出し、肌寒い。日曜とあって店は閉じている。歩き回ってファミリーレストラン的なところを見つけた。飛行機の疲れで早めに寝る。


【追記】
まず1泊目はスイスのルチェルン
私は20代だったこともあり時差ぼけはなかった。(今は無理だと思う)
スイスに着いたのが朝だから、その日はスイス時間の夜になるまで頑張って起きていて、夜ぐっすり眠れば翌日から普通に動けると思っていた。当時54歳の父にも同じようにしてもらった。
今にして思えば、父は時差ぼけは大丈夫だったのだろうか。
かなり無理したのではないだろうか。
ルチェルンの街で立ったままスケッチしたこの絵は、いずこに?

【下の3点は、このブログアップ後に発見したスケッチ画です。】
ルチェルン湖畔でのスケッチ
雨の中描いている




高台のホテル前の坂道より

※この旅行記作成しながら、実家倉庫からいくつものスケッチブック発見。そこにはスケッチや日記が書き込まれていました。
そのうちの一つが雨のルチェルン湖畔で立ったまま描いているこのスケッチブック。
このときのスケッチをはじめとして、いくつかのスケッチを追加します。


今日は漢字検定

2024-11-08 16:44:19 | バネ
今日は秋の漢字検定の日。
11月最終日程に設定したのは、皆学習時間が足りないと感じたから。

バネでは検定2ヶ月前から対策学習を始める。
受験級が決まったら、まず1回過去問で今の得点力をチェックする。
その際、すでに余裕の人には、一つ上の級に挑戦する、もしくはダブル受験を勧める。
今回も一つ上の級にチャレンジする人が一人いた。

模擬テストはこの後数回やる。
最初は2ヶ月前
十分学習した頃を見計らって2回目は1ヶ月前。
その後は間隔を詰めて2週間、1週間、3日おき、連日と異なる過去問で得点力をチェックする。

大抵最初は合格ラインに達していなくとも、徐々に点数上がり、最終的には160点程度とれるようになることが多い。
200点満点140点以上で合格で、初回80点台でも合格することもある。
しかし60点台の場合は、2ヶ月の学習では合格可能性低く、次の機会を進めることにしている。
さて、今回はいかに。

以前協会から、「いつも合格率高いけれどどのような学習していますか?」の問い合わせがあった。
子供たちには、それくらいバネではほとんど合格すると伝えている。

なのに、なのに。

今回は、厳しい。
点数がなかなか上がらない。

過去問で実力チェックする。
不正解をやり直し、満点取れるように練習した上で後日再度同じ問題を解く。
そしてしばらくは弱点を中心にテキストで学習したうえで、次の過去問にチャレンジし、得点力をチェックする。

この流れでいけばいいのに。

先日過去問チェックで128点。
「もう1回お願いします」
しばらく復習して同じ問題出すよと言ったら、
「違う問題で!」

それじゃ練習しないで、試合ばっかりやりたがるのと同じでしょ。
試合だけやってうまくなる場合もあるけど、普通はしっかりトレーニングしたら弱点はノック練習したり、フットワークみっちりやるでしょう、と言うと。

「わたし、練習してますよ。ノック一杯やりますよ」
って、例え話の意味通じていない。
実体験を通じてわかりやすく説明するために部活ネタにもちこんだのに、逆に通じにくかったのか。
小学生はこういうことが多い。例え話にむきになるから例えのチョイスは気をつけなければいけない。
しかしこれは中学生。
自分はいかにフットワークや基礎練習みっちりやっているかを執拗に語り、らちあかないのでそのままスルーしていると、さっきの間違えた問題繰り返し解いていた。

さて、このようなお子様も含め、本日の漢字検定の結果やいかに。



父と娘のヨーロッパ貧乏スケッチ旅行 4 日本出発

2024-11-08 11:17:08 | 父と娘のヨーロッパ貧乏スケッチ旅行
4.1985年9月14日(土)
麻美のは12キロ、おれが13キロのリュックを背に、玄関先で写真を撮り午前九時に下宿を発つ。(成田発PM一時半で2時間前に空港に入るため)




成田の空港では、空港拡張反対派の動きを制するために検査が重なってずいぶん時間がとられた。
麻美の肩がけバックは金属類が多く入っていたので検査にひっかかった。

麻美は手際よく小早に動き廻る。おれには荷物の番がせいぜいだった。
飛行機は韓国機で定時の13時30分に発った。
ジェット機内が珍しいのできょろついていて麻美に注意を受ける。
夏休みが終わっているので学生の姿はなく、社用族、それに科学万博帰りの韓国の人の姿が目に付く。

ソウルで3時間停まる。

ソウルを発つと日もとっぷり落ちサウジアラビヤのバーレンに向かう。気流が荒れ、夜中揺れて眠れなかった。
バーレンでは一時停泊で、麻美は二度来られるところでないからと言って、飾り品を買い込んだ。


今も拙宅リビングアクセントとなっている、バーレンの飾り物


バーレンの後はダッカに降りる。ここは警戒が厳しく機内で一時間缶詰にされた。酒・たばこが禁じられた。
(英語やらいくつかの言語の機内アナウンスの後、最後に日本語で「お酒飲まさせませ~ん、たばこ吸わさせませ~ん」と流れた。)

スイスのチューリッヒには翌15日の朝8時に着く。(日本時間15日午後3時)
成田を発って27時間。
機内での食事は飛行場を発つたびに出るので5回などと寝てる間がなかった。麻美は機内で酔って、酔い止め薬を服用して良くなった。
出る食事にはほとんど手つかずで、心配でもあった。

席はやや後方よりの中央4列の中。一番右席にヨーロッパの日本人学校にいて夏休みで日本からの帰りだという高校2年の女の子。その隣がおれ。となりに麻美。一番左は外交でヨーロッパに行かれるという40代の男性。

ソウル空港を発つとき買い込んだマイルドセブン(税抜き200本1200円)を席で吸ったが、途中禁煙を注意されてからは後ろへ立って吸った。

夜通しの飛行で外の風景は眺められなかったが、チューリッピに着くときには日の出の時刻。
上空からの眺めは見事であった。アルプスの山肌に浴びる太陽の光に映え、なんとも素晴らしい現象。

空港を出るときのチェックは簡単だった。
パスポートを見せると60歳くらいの老係官に「ゴクロウサン」と笑顔で言われちょっと面食らう。
一方心和む思いをする。


父と娘のヨーロッパ貧乏スケッチ旅行 3 出発前日

2024-11-07 14:50:44 | 父と娘のヨーロッパ貧乏スケッチ旅行
1985年9月13日(金)晴れ
出発前日

明日14日はヨーロッパ旅行で成田を発つため、麻美の下宿に今晩は泊まるようになり、特急2時36分上田発に乗る。
麻美はいろいろ手続きがあると言って、すでに午前中に帰っていた。

塩田の田んぼの稲は黄ばみ、車中からの浅間山が心に残った。

出発すると今まで気持ちの中に堆積していた不安感のようなものが一掃。天気が良いので一層のことだ。

No.865 「追分浅間」F8 379×459㎜


東武東上線車内アナウンス

2024-11-04 20:27:12 | 旅行
先日ギャラリー輝の取材を受けるために、金曜に日帰りした。
午後早い時間で取材を終え、帰路は別所線に乗り上田駅を目指した。
兄は上田駅まで送る風な様子だったけど、いつもガラガラ電車でなので少しは貢献しようと思うのと、色々考えていたことを車内でゆっくりまとめようと思ったからあえて電車を選んだ。








案の定ガラガラ。
しかし途中からそこそこに乗車があった。
下之郷からも何人か乗り、隣に座った。
しばらくすると隣の少年が電車のアナウンスを始めた。
リュックにキャップ姿なので少年かと思いきや、チラ見すると少年と言うより、青年でもなくもう少し歳いった人だった。

でもここでは青年ということで。
その青年のアナウンスはまるで本物そっくり。
イントネーションもリズムも。
さらに英語バージョンも入り、さらにさらに乗客への注意事項も織り込まれる。英語なんかメチャ発音いい。

別所線車内の肉声アナウンスや声優バージョンの録音アナウンスとの三重奏になったりもした。

青年のアナウンスは東武東上線のものだった。
各駅停車の上り線。それとなく流して聞いていると、「大宮・春日部方面の方はお乗り換えです」と言った。
えっ? 東上線から東武野田線ってつながってた?
聞き間違いかな? ちょっとお兄さんと呼び止めて確認したいと思うが、そういうことはできず、流して聞いていると、朝霞台まで来た。
「武蔵野線の方はお乗り換えです」
そうそう、ここで武蔵野線乗り換えたことある。あの頃昼の時間帯は1本逃したら2時間なかった。

以前住んでいたのは下赤塚。
成増まで来たからあと一歩、というところで別所線は上田に着いたので東上線アナウンスはこれにて終了。

今度ゆっくり東上線乗ってみよう。