バネの風

千葉県野田市の「学習教室BANETバネ」の授業内容や、川上犬、ギャラリー輝の事、おもしろい日常を綴ります。

旅は道連れ世は情け

2017-10-10 10:54:34 | 旅行
ノボさんを機内で読破できないまま松山の人となった10/6。

松山二泊三日の旅だけど、国体応援のために行くのだから旅ではない。
でも国体って団体戦だから,個人戦みたいにみっちり試合が詰まるわけじゃあないから,観光もそれなりにできそうなのでそれなりのスポットを事前リサーチしておいた。

1日目体育館到着したときは,体育館前駐車場満車により坂の下にある町役場に駐めることになった。去年日本リーグ観戦に来たときに買い出しスタッフが坂を歩いて移動しているのを見て「こりゃたいへんだな」と思いながら脇を通り過ぎた道をこれから上ることになるんだ、と思いながら駐車場誘導スタッフの指示に従い坂を下りた。

パンプスを鳥取のワールドウィングで買ったBIMOLOシューズに履き替えたから、坂は苦もなく上ったが、そんなんだから車気楽に取りに行けず試合の合間に出かける気にはならず,千葉県男子の試合が終了する夜8時過ぎまで体育館缶詰。



さて、2日目、試合前に子規記念博物館に突入。ここは1泊目のホテルからほど近くにありホテルに車を置いたまま行けちゃう。
今年は子規、漱石生誕150周年記念ということで特別企画展も開催されていて,常設展と企画展セット券購入し音声案内ゲットしいざ入館。JAF割引でちょっとお得になった。JAFってお世話になることないけど、こうやってちまちま割り引き利用できるからそれはそれでいいね。




やはり予備知識があるとないとで展示物の楽しみは数倍違うぞなもし、と館内反芻しながら歩を進め,子規ってキャラだけじゃなく顔までチャーにそっくりなんだという大発見をし、一人ほくそ笑みながら堪能すること1時間。展示出口でまだこれは常設展のみだったことがわかると同時に、試合の予定時刻を12時と午後2時を勘違いしていたことに気づき、少し焦り、でも20分間の映像案内に参加し,駆け足で企画展を通り抜けようとしたその時、一人の女性に声をかけられた。

「俳句はお詳しいのですか?」

にわか子規ファンなのでたいしたことは知らないので、「えぇ、まぁ」ぐらいにお茶を濁し,お土産に子規日めくりカレンダーを購入し試合会場へと向かった。



2日目のホテルのチェックインしたのは夕刻。
何回か松山に来ているのに行く機会がなかった松山城に今回は行くぞな。

歩くか、ロープウェイで行くか迷いながら天守閣入場とロープウエイ往復セット券購入。ここはJAF割引はなかった。
リフトとロープウエイどちらでも好きな方がチョイスできるというので,リフトは乗り降りで失敗しそうだからロープウエイに向かうと、
「この時間ならリフトをお勧めします。帰りにロープウエイされたらどうでしょうか?」
と案内のお姉さんに言われ,ではそうしますとリフトに行くと,結構高齢者もチャレンジしていた。

右手をバーに回ししっかりつかみ,左手で荷物落とさないようにギュッと握りしめて乗る。
しばらくして落ち着くと、向かいから下山する人たちはバー捕まっていなかったり足ブラブラさせている様子に気づき,バーに回す腕からそーっと力を抜く。



そこからは松山城天守閣を延々と目指す。
石段を登り,場内は狭い階段を上りてっぺんに到着。



てっぺんの天守閣は風がスーッと抜け気持ちいい。
山も海も同時に楽しめる景色と松山の風をしばし堪能し階段を降りると、「あれ、もう出口?」ってくらい楽に外に出た。往路、復路の体感差、ハンパない。リフトのあれと一緒だね。

次は道後温泉別館を目指していたので,とっととロープウエイ乗り場に向かい歩き始め前を歩いていた女性を追い抜きざまにチラッと見ると,一瞬「ん?」となった。あれ?と思ったけど,私は人の顔を覚えるのが苦手だから人違いかなと思いスルーすると、その女性は駆け寄ってきた。

「さっき、子規でもお会いしましたよね?」


やっぱり、そうでしたか。
歩きながらべちゃべちゃしゃべると、その方は家族の国体応援に一人旅で新潟から車でやって来たのだという。観戦は終わったけど一人気ままに松山をもう何日も旅しているのだという。
その女性はしきりに「ご縁があるのかもしれない」と繰り返していた。

車を下の駐車場置いているから次の目的地道後温泉まで送りますという展開になり、お互い一人旅で困るのは夕食ですよねと意気投合し二人で居酒屋に入り、温泉もご一緒することに。
ジワリジワリと通りすがりの人が道連れの人になった。

オープンしたての道後温泉別館を目指していたが、居酒屋で相席になった人が、「関東のスパと変わらないよ」と二人声をそろえて言うが、せっかく来たのだからと1階だけ入ってみるかと入ると、確かに設備は関東のスパ風だけど,湯は本物。汗出る。じゃんじゃん出る。


「こんなにゆっくりお湯につかったことないのですよ」
という同行の女性にホテルまで車で送っていただいた。
別れ際に「明日のバドミントンの応援行くかもしれませんよ」
と言っていたとおり,翌日本当に応援に現れ,飛行機の時間まで一緒に過ごした。

松山空港は太った人でごった返していた。
相撲競技の人たちだった。
空港アナウンスはしきりに,今日は混雑しているから早めにチェックインするようにと言っている。
トイレに行き,試合結果をメールで送り,洗面所で歯磨きしている時またまた搭乗手続きを急がせるアナウンスが流れた。
さて、自分のフライトは何時だったかな?と確認しようとスマホと探すが。
ない。あれ?
バッグの中身を一つずつだし,脇ポケットを確認し、あれ?
と焦り始めたその時、

「トイレにスマホが・・・」

ダーッとさっき出たトイレに戻ると,ペーパーホルダーの上に,メールを打ち送信した状態のスマホが置かれていた。

私の直後に入った女性はスマホを持って追いかけたけど,途中で断念して同じ場所に戻し,洗面所でバッグ広げている私に声をかけたのだった。

スマホ置き忘れていたことの実感がまだなかったけど、その女性は「よかったー、よかったー」と自分のことのように涙ぐんで繰り返した。

もしスマホ見つからなかったら、まず飛行機乗れない。搭乗券出せない。そんなこと以上の大変な事がジュワーこみ上げてきて、涙ぐむ女性に何度も礼を言い、最後に大失敗せずに済んだ。

機内は太った人で混んでいた。
3人掛けの席の二人は太った人。
互いに二の腕が触れあうから暑いとしきりに言う。

今日重量オーバーにならないのか?とちょっと不安がよぎるが、ノボさん続き読んでいるうちに無事着陸。

帰宅すると,リビングには卒業生たちが集まり食事会が開かれていた。私が留守の間一人で食事していたうちのノボさんは、数日ぶりに大学生たちに囲まれ大勢の食事でご満悦だった。
こういうところもノボさんらしいぞなもし。


子規記念館で買った日めくりカレンダーを義父に届けに行くと、

「その記念館で投稿した俳句、入選したことある」

義父母は定年後日本全国を旅した。四国を回ったときに子規記念館に立ち寄り俳句を応募箱に入れたそうだ。

そうだったんだー。
そういえば入り口に応募箱が置かれ、入選俳句張り出してあった。
過去の入選句として記録が残っていたかもしれない。

とべ動物園は試合観戦後行く予定だったけど、臨時の駐車場も満車だったので断念した。
こうしていくつか足りないがあるから、また行くことになるのでしょう、松山に。




ノボさん,読書中、ぞなもし。

2017-10-05 10:35:52 | 旅行
愛媛県で開催されている国体。さぁ、応援行くぞと思い立ちまずはホテルの確保と思ったが、松山市内全く取れない。主催者が選手、関係者分を押さえているからしょうがない、そのうち開催が近くなればキャンセルが出るでしょうと,とりあえず航空券とレンタカーは確保。
さて、なかなかホテル確保できないままたびたび予約サイト確認すると、予約可能なのは、ん? マジ? と思えるほど強気価格設定しているビジホか、ドミトリーのみ。
 
ドミトリーってどうなんだろう。
袖すり合うも何かの縁と「ひよっこ」のノリで楽しめたかもしれないけれど,ちと自信がない。高速バスみたいに一睡もできないかもしれない。
しょうがない、行けば何とかなるかな。ホテル取れなければ,最悪日帰り温泉で深夜まで過ごし,車中泊でもするか、などと構えていたら、先日ふいっと適正価格のホテルが確保できたので,これにて一安心。

宿泊が確保でき安心した今すべきことは・・・。

長崎から帰ってから遠藤周作の「女の一生」を読み、これは行く前に読んでおけば良かったと痛く後悔したので,今回は事前に松山に関する本を読んでおこうと思った。

松山と言えば「坂の上の雲」でしょ。しかしこれは取りかかるにはちと重たい。
で選んだのは、伊集院静の「ノボさん」。
正岡子規の青春を綴った小説。副題が「小説正岡子規と夏目漱石」とあるとおり、漱石のことも一緒に楽しめるお話。

Kindle版でないから布団の中に潜ったり寝転びながら読めない。眼鏡がじゃま、さりとて外すとよく見えないと悪戦苦闘しながら少ーしずつ進み、ようやく上巻終盤。


バネ生にまだ上巻だと言うと「だめじゃないですか、せんせい」

そう、だめです。間に合わない。でも途中だけど十分松山楽しめそう。
それはここまでで正岡子規の人柄がわかったから。
また漱石への小説の理解も深まった気がするから。

いつも大会で出かけると体育館缶詰だから、実際はどこにも行けないかもしれないけれど,知っていてその土地に行くだけでも違うぞなもし。


蟹鳥県紀行 【倉吉大河ドラマ】

2017-01-30 12:55:28 | 旅行
「(雪で)大変なときに鳥取行ってたんだね」
とか、
「今、鳥取に行っていると思った」
などと声を掛けられます。
今回の「蟹鳥県紀行」は2016年12月の週末に蟹を食べに鳥取に行ったときの話です。

で、ようやく、この紀行文本題、「倉吉」です。

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 鳥取市を出て海岸沿いに倉吉に向かう。途中白兎神社に立ち寄る。
道の駅入り口に犬を連れた人がいる。犬はじっとこちらを見ている。
しばらくそうして犬を連れたまま駐車場にいるから、おそらくあの人は犬を披露しているのだと思う。
「いい犬だろ」と。
そのくせ犬と一緒に「近寄るな」オーラ出しているから、ちょっと残念。

 倉吉が近づいてくると、ブルーシートが目立ち始めた。
 この地域は10月に震度6の大地震に見舞われている。
 駅を過ぎ観光客の集まる街へと入ると、地震で痛んだ道路を修復する工事であちこち渋滞していた。
 パーキングに車を入れまずは観光案内所に向かうと、先頭の人がガイド旗を持った一行とすれ違った。
 観光ツアーに申し込んでいれば、あのグループの一員にだったんだ。
 一行が脇を通り過ぎるのをチラ見し、観光案内所へ。



 街の中は地震の被害が大きく残っていた。頭上注意の看板を見上げると、壁の一部が崩れそうになっている建物や、大きく亀裂が入った建物が並んでいる。
 白壁土蔵造りの建物が多いから、被害も大きかったと聞いている。
 順々に修復しているとみえ、街のあちらこちらが工事中だった。

 倉吉は酒造が多い。
 利き酒は無料。
 まず1軒目。グイッといただき次の酒造へと向かう。
 入ること数軒目は「利き酒1人500円」だった。
 ここは4種類の酒が女将の説明とともにおちょこに注がれる。グイッと飲み干すと、酒の説明をしながら間髪を入れず次のおちょこ。酒造り一筋と思われる女性の説明をふんふんと聞くが、半分くらいしか理解できなかった。下知識を備えてからもう一度説明を聞きに出直した方が良いなと思う。
 店を出て、「わんこそばみたいだったね」と語り合いながらブラブラ街を歩く。

 そして一番奥にある、歩く人波が途絶えた通りに「淀屋」があった。

 入り口が開いていたので、中を覗くと先客あり。
 年配の夫婦が担当スタッフのおじさんから説明を受けていた。その説明を小耳にはなみながら、展示物や建物を見回していると、スタッフの男性は我々に声をかけてきた。

「お時間あれば説明しますよ」

 急ぐ旅ではない。今日1日フリーなので時間はたっぷりある。

 さて、その説明をかいつまむとこうなる。
 聞き間違いや記憶違いがあるかもしれないが・・・・・・。

【時は江戸時代。
大阪に豪商「淀屋」がいた。淀屋は中之島を開拓し屋敷を建て日本中の商取引行い、大阪商業の発展に貢献した。淀屋が架けた橋が淀屋橋で現在の地名「よどばし」の由来となっている。淀屋は世界に先駆け先物取引を行い、淀屋4代目でピークを迎える。その取引は2時間で八十万両。各地の大名は淀屋に借金した。幕府は経済的な力をつけてきた商人を恐れ、淀屋を贅沢の罪で取りつぶし財産を没収した。幕府の動きを先読みした淀屋は、番頭の牧田仁右衛門を郷里に戻し、そこで商売を始めさせた。その郷里が、倉吉。
 倉吉で始めた店は看板に屋号を載せなかった。なぜなら大阪淀屋とのつながりを知られ幕府につぶされるのを避けるためであった。牧田仁右衛門は商売を繁盛させ財を成し、大阪淀屋再建に貢献した。以後大阪淀屋と倉吉淀屋は協力して栄えたが、安政6年(1859年)両家は突如家屋敷を売り払い、有り金を朝廷に献上し姿を消した。】


 系図を指し示し、初代から続くストーリーを語ったおじさんは、グイッとこちらを向き直ったので、

「積年の恨みってことですね?」
と言うと、
「そう、積年の恨みですよ」
とおじさんは同じフレーズを力強く繰り返した。
もう、完全におじさんとシンクロ。



 鳥取城跡のにわかガイドおじさんとは心に余裕がなくてシンクロできなかった。
 炎天下で汗吹き出す、靴擦が痛い、遊覧船の時間が迫っている等もろもろの事情で、ガイドおじいさんにどこで話をきりあげてもらうかと気をもみながら聞いていた。そして後になって、詳しい説明聞ける機会を逃したことを残念に思った。

 今回は遮るものは何もない。
 どんどん聞いちゃう。もれなく聞いちゃう。

 大蓮寺に墓石が見つかり、そこに淀屋と書かれているのが発見されたのが昭和40年頃(と言っていたかな)。奈良大学(だったかな?)の先生を招き研究し、大阪淀屋と倉吉淀屋の歴史がひもとかれたとのこと。まだ倉吉淀屋の記録は謎に包まれていて、以上は倉吉に伝わる一説とのこと。

「大河ドラマにしてもいい話でしょ」
うん、うん、と我々一行は大きくうなずくのだった。

 壮大な話を前に大きく深呼吸するとともに、立ち去りがたく展示物を眺めていると、

「先日の地震で一切被害はなかったのですよ」
と話題は現在に戻った。

 そう、ずーっとそのこと確認したいと思っていた。
 途中でおじさんに確認しようと思いながら話を聞いているうちに、聞くのを忘れてしまった。
 倉吉に現存する最古の町屋建築物。なのに壁一つ崩れなかったのだそうだ。
 そう説明するおじさんはとても誇らしげだった。

「時間あれば、二階も見ていく?」

 おじさんはそう言いながら、すでに右足を階段に置いている。
「行きます、行きます」
後ろに続くと、
そこは建築物の構造模型を展示する空間があった。

 建物は釘を1本も使っていないとのこと。
 全て寄せ木細工で組み合わせられ、数十種類のパターンが部位に応じ使われているのだそうだ。

「これ、ひっぱってみて」
 歴史的建造物の展示品を直接触っちゃって良いのかと一瞬とまどう。
組み合わされた柱はしっかりくっついている。が、おじさんが木槌でカーンと打つと、柱はパカッと開き、内部が斜めに組まれているのが見えた。
すごい、日本の技。
 あー、これも下知識が必要。そのすごさがよく分からないから、「へー」とか「すごい」を繰り返すのみで残念。もう少し気の利いた質問できるようになって、また訪れようと思う。








 二階も堪能すると、
「菩提寺に淀屋の墓があるから寄って行く?」
「行きます、行きます。」

 墓石の位置をていねいに教えてもらい、記念撮影をしておじさんを分かれた。
 大蓮寺に境内に墓石があった。奥の方は地震で崩れたままだった。
 万感の思いを込めて手を合わせた。

 昼食を終えパーキングに戻る途中、孫と思われる子ども達とスキップするように走るおじさんとすれ違う。
(あっ、さっきの人だ・・・・・・)
 昼までガイドを務め、迎えに来たお孫さんと昼食休憩で家に戻るところかな、と想像する。
 すれ違う時こちらを見て、「ニコッ」としたように思う。

「さっきの人だよね」
と夫や娘に言うと、
「違う、全然違う」
と強く否定されたけど、こっち見てニコッてしたし、さっきの人感がぬぐえない。
 違っててもいいじゃん。孫と一緒に昼を食べに自宅に戻る図を想像する自分がいい。いくつになっても身軽に孫と走っていた父の姿が思い出されるし。

 つづいてワインの店に立ち寄った。
 ここも試飲できるということで夫はグラスを傾けていたけど、わたしの目は棚のワイングラスに釘付け。
 木製ワイングラス。
 木製だからグラスとは言わないか。
 ワインはとても美味しいとのことで夫は買いたそうにしていたけど、飛行機で帰るのだから瓶ものはご遠慮願いたい。
 それより旅の想い出にこのグラスを買いたい。
 大きさも木目もそれぞれに異なる。
 手に持ち、後ろからも下からも眺め、色合いがしっくりくる1点をチョイスした。
 これは、いい。
 多分もったいなくて飾るだけになると思うけど、部屋でこれを見ると倉吉思い出すことができる。



 旅は道連れ、世は情けとはよく言ったものだ。

 偶然の出会いに満ちた鳥取の旅。
 次はいつ行こう。

蟹鳥県紀行【海勝丸で蟹三昧】

2017-01-25 13:03:00 | 旅行

 昨晩の連絡によると、
「雪、1メートルくらい積もってて駐車場の車埋もれてて出せない!」
そうです。今日はどんな状況なんでしょうか?

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「海鮮問屋 海勝丸」本日のメニューは、蟹お任せコース

 お通しを運んできた、いつも娘がお世話になっているという女性にご挨拶。
 店長は他の店で急に人手が足りなくなってそちらに応援にいっているとのことで、会えず残念。さっき通ったアーケード街にあった店かな?

 注文した飲み物を運んできた女性は、


「うちの子も遠くに行っていて何もしてあげられないから、うちの娘の代わりのつもりで見ているのですよ」


 ありがたいです。こうして遠方で暮らす娘のことを自分の子と思って接してくれる人がいるということ。

 娘は3月に鳥取生活を始めた。
 鳥取には何の地縁もない。島根と鳥取の位置関係すらあやふやで、鳥取に関しては日本で一番人口が少ないとか、日照時間が短いなどというネガティブな数値データがあるのみ。
 そこへ、「鳥取城跡はいのしし出たりするんだって」という生情報入ったために、娘が早朝1人でランニングしていて、久松山公園でイノシシに襲われ!? なんてイメージが定着してしまった。
だから娘に電話が1日通じない暁には、「イノシシ遭難」的画像が払拭できなかった。
 しかし自分の目でこの地を見て、歩いて、さらにこうして人の情を直接知ることにより、あやふやなイメージは具体性をもって描き替えられ、安心は大きく膨らんでいった。

 自分の子のつもりで面倒を見る、こういう思いは循環させるもの。
 バネやαクラブの子ども達に、我が子と思い接している(つもり)日常を振り返る。
 とともに、もっとあの子達にやってあげることあるよねと自分にたたみかける。


 蟹で始まる。

  蟹のお通し、蟹味噌、蟹刺し、蟹鍋。


 でも残念なのは、料理の写真を撮り忘れたってこと。
 正確に言うと、忘れたのではなく、撮らなかったということ。

 食事の写真撮るのって、なんか「これ載せちゃいマッセ!」ってSNS女子風だし、お店の人や同席の人へのアピールプンプンだから、あえてやる時もあれば、あえてやらないときもある。

 稀勢の里が横綱就任挨拶で四字熟語を言わなかった様に、行いに意気を込めて、当たり前と思われていることを当たり前にしない。そんな気分もあり、今回はあえて撮らなかった。

 しかしそれがいけない。
 前半料理の写真が残っていないので、実のところ何を食べたかあまり記憶にないというのが今となっては非情に残念。
 夫に聞いても同じ状況。
 結局は人の記憶って、何かに残されて定着していくんだよね。

 コース中盤だっただろうか、


「ジャーン」(実際は効果音も、声もないけど)

と登場したのは ゆで松葉ガニ。

「こちらになります。これから食べやすく調理してきますね」

 先ほどこれから調理すると披露されたその松葉ガニが、めでたく登場。




 ゆで蟹。

 これはコース追加メニューだったそうで、よくわからないまま一つでいいの? と事前に確認されていたけど、テーブルに置かれると、これは人数分あった方が良かったかも、と一瞬思った。

 皆無言になって蟹ホジホジに夢中になるというけど、適宜食べやすくハサミが入っているからスルスルいけちゃう。
 食べやすい。香り、食感、グルメ人でないわたしには、この味を表現するボキャブラがないから、何も言えない。ということで、皆何も言わないまま食す。

 食べ終わるタイミングでお店の方が、地元では蟹味噌が少し残る甲羅に熱燗を注いで飲む方法があるけど、「どうしますか」と聞いてきた。

「飲みます、飲みます」
 と夫は身を乗り出す。

 いつか蟹をもらうことがあったら、これはうちでも再現してみよう。

「もうこれ以上たべられまへーん」て後ろにひっくり返るくらいカニをほおばってみたかったというイメージ通りに胃袋は働いてくれず、ほおばる前に満腹サインが出始めてしまっている。
 また、おしゃべりも一段落したので、やっぱりここは写真撮っておこうと思い直す。
 だから後半の料理は記録がある。

 ゆで蟹は「1人一つで良かったんじゃない?」と先ほど公言したのに対し、同席の皆から

「さっきあれだけ豪語してたのに、もうお腹いっぱいなの?」

 少し食休みにと席を外し、店内の水槽で泳ぐ魚と遊んだ。

 水槽に指を付けるとツーと近づいてくる。指を動かすとツーと追いかけてくる。
 何度か繰り返し遊んで、トイレに行き、トイレ後に水槽の前に立つと顔を覚えられたのか指を出さないのに、ツーと近づいてきた。
 この子、意思がある。

 部屋に戻り続く蟹料理
 
 蟹の天ぷら。
 蟹どんぶり。

 





 ではそろそろ会計をと思うと、

「これ」

と娘から差し出されたのは、わたしへの誕生日プレゼントだった。

 えー、サプライズー!

 会社の上司に母親の誕生日プレゼント口紅送りたいけどどこのがいいですかねとアドバイス求めると、

「それは、エスティローダーよ」

大丸百貨店で、

「おばさんだったらどんな色がいいですか」

と聞くと

「でしたらこちらの番号が人気です」



 わたしも母親に誕生日プレゼントで口紅送ったことがある。母は滅多に化粧しない人だからということもあるけど、大事に使ったのだろう、何年も使っていた。
 せっかく買ってもらったものを大事にし過ぎて仕舞いこまわないようにという気持ちを込め、まずその場で付けてみた。

 一同が
「いい色じゃん」
 おばさん向きだという色を一同に「いい色」と言われ納得するとともに少々複雑な気持ち。

 盛り上がったところで、さらにホールケーキも登場。
 お店の方が、一番人気のケーキ屋さんに注文しておいてくれたとのこと。

 帰り際に水槽をツンツンして、店を出る。

 旅館に戻り、就寝前に大浴場へ行く。
 誰も入っていない。
 こちらも結局は貸し切り状態。高速バスで眠れぬ夜を過ごしたから今日はぐっすり眠れるなと思いながら、カニのこと、ケーキやプレゼントのことを浴槽で思い返した。
 脱衣所を出た大浴場休憩所にスタッフの女性がいた。先ほどはここには誰もいなかったようだったが、静かなたたずまいの人だから入る時気がつかなかったのか。湯上がりによく冷えたレモン水をいただいた。

 部屋に戻ると、夫はテレビのリモコン握りしめたまま寝ていた。
 まだ明日の予定決めていない。帰りの飛行機は18時過ぎだから、明日は一日たっぷり時間がある。

 倉吉に行こうかという意見が上がっていたからHPで倉吉情報収集。
観光ボランティア申し込めば、ガイド付き散策コースで楽しめるというのは分かったけど、申し込みは1週間前までにとのことだから、これは却下ですね。

 そこからの記憶はない。
 わたしも布団に潜り込んだらいつの間にか寝て、いつの間にか朝になっていた。

 朝風呂に入り、早めの朝食をとり、宿をチェックアウト。
 旅館前の駐車場には、隣に「野田」ナンバーの車が止まっていた。
 いつも見ているナンバーだから当たり前過ぎてスルーしそうになる。しかし、よく考えると「ん?!」でしょ。わざわざ野田から蟹食べに来た人かな。それも車で。知っている人かな。

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 さてここから我々一行は一路倉吉を目指す。
 今回の蟹取県紀行、どうしても記録に残したいと思ったのは倉吉でのできごとがあったから。
 鳥取から帰ってきて数ヶ月経つ今もジワンジワンと感動が止まらず、誰かに言いたくて仕方ないできごと。これを書くのが今回の究極の目的なんです。

蟹取県紀行 【ガイドおじいさんと唱歌】

2017-01-24 15:13:53 | 旅行

鳥取市でも昨日50㎝の積雪で今もまだ降っているとのこと。
地元の人が、朝から雪かきずーっとしていますと言っていました。

雪かき大好き、雪かきやりたーいってレベルではないですね。
車の運転、お気をつけ下さい。

さて、楽しかった鳥取旅行をいろいろ思い出しながら綴るので、どんどん中身が膨らんでしまい、夏にあったことまで盛り込んで長くなってしまいましたので、まだ蟹まで行かれません。

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 高速バスで浜松町を出発し、ようやく鳥取駅に到着しました。

 鳥取駅で合流した我々一行は、まず温泉へ。
 鳥取駅から車で20分ほどのところにある吉岡温泉に行くかという案もあったけど、とにかく早く入りたいので市内の元湯温泉
へ。ここは朝6時からやっていて入り口に駐車場がある。県庁所在地で、JR駅至近に温泉があって無料の駐車場があるって、この街くらいじゃない。

 鳥取の温泉の湯質は固く強い。足にジンジンくる。入った瞬間に別所温泉のように化粧水が肌にすーっと浸透するような柔らかさもいいけど、ここの湯の強さもそれはそれでいい。体の芯に残るバス酔いがとろけていくというよりも、温泉パワーで強制的に押し出されていく感じ。旅の疲れが一気に吹き飛んでいった。

 入浴後夫と娘は市内散歩にでかけ、わたしはその間しばし休憩をとることにした。
 2時間ほど休んでいる間に、夫と娘は鳥取城跡を散策し、「すなば珈琲」に行ってきたという。

「スタバはないけど、すなばはあるよ」
と自虐でキャッチしてしまえる「とっとりー」に人気のスナバ珈琲。ここのモーニングセットって、おにぎりにコーヒーとか、朝粥にコーヒーの組み合わせ、なんすか? とは思うけど、これだからいいかも、ともしみじみ思える。
 スタバに行くと、平静を装いながら小難しいスタバ用語でオーダーしないといけないという非日常感に辟易気味だし、だからこうなんだよと無理矢理納得させられる価格設定に疲れながら精算するのだが、ここは田舎の「ルノアール」感があり、楽だ。休憩するんだから、楽じゃなきゃいけない。

 鳥取城跡を8月に訪れた時のこと。仁風閣を出たところで、

「仁風閣は映画の撮影に使われたって知ってる?」

と城跡入り口で「おはようございます」と挨拶したおじいさんが話しかけてきた。
二言三言ことばを交わし先へ進むと、先回りしていたおじいさんが「こっちで写真撮るといいよ」と教えてくれた。おじいさんお勧めの撮影スポットは市内が一望でき、遠く白波寄せる日本海までスーッと伸びていく景色。撮影後しばらくおじいさんと一緒に歩くことになった。にわかガイドのおじいさんは、天球丸のこと石垣のこと、水の道のこと進むコースに合わせて説明を入れ、と言うよりおじいさん設定のガイドコースに誘導されるように公園内を歩いた。
「ふんふん」とか「へー」などと相づちを返しながら歩くこと小一時間。城跡散策の次に回る浦富海岸島めぐり遊覧船小型船の予約しているが、こちらは次の便に予約し直したほうが良いなと思う。
久松山は岩がちで、石がゴロゴロしている道を歩いているうち、サンダル履きの左足小指が靴擦れになってきた。炎天下を歩いているこの状況と靴擦れの問題さえなければ、このまま山頂まで案内したげる風なおじいさんにお任せするんだけどな。残念だけどおじいさんとはこの辺でお別れすることにした。

鳥取城跡がある久松山公園は桜の名所だとのことで、

「桜の季節に来ると、ここが一番の絶景ポイントだよ」

と最後にもう一押しお勧めスポットを教えられる。
それじゃ、春にまた来なくちゃね、と思う。
 我々との散策が終わると、おじいさんは次に城跡に入ってきた2人組に声かけていたから、あの人はあーやって観光ボランティアしているのかもしれない。






 今回は早朝でもあったし、そんなラッキーガイドおじいさんには巡り会わなかったとのこと。その代わりというのもなんだけど、帰り際に橋の近くに設置されているボタンを押したら、静かな朝の街に大音量で唱歌「故郷」が流れ出したそうだ。

 そうそう、ここは童謡・唱歌の里だ! 
「故郷 (ふるさと)」の作詞者は信州中野出身の高野辰之、作曲者は鳥取市出身の岡野貞一。3月に訪れた「わらべ館」で唱歌故郷を通じた鳥取と長野のつながりを知って、勝手にこの地にご縁を感じている。
次行ったときは、そのボタン押してみよう。
あまりの大音量でビックリしたとのことだから、心してオンすることにしよう。

 さて体調回復したのでひとまずは早めの昼食をとり、地元のジュニアや高校生の練習会にお邪魔した。

 先日関東から鳥取に赴任した方が、

「鳥取は外を歩いている人がほとんどいないのに、体育館行くと、こんなに人がいるのかー!って思うくらい、バドミントン盛んなんですよ」

と言っていた。バドミントン競技登録人口比は日本一だそうだ。バドミントンが盛んなのは、熱心な指導者がいるだけでなく、冬場アウトドアスポーツが限られる地域であることや、2人いれば出来る点、さらにはスポーツ性が鳥取人気質に合うのか。その辺のところはよくわからないが。
 確かに。体育館はバドミントンだけでなくスイミングやらで集まっている子ども達で賑やかだった。
 地元の人に「今回は蟹を楽しみに来た」と言うと、地元ならではの穴場を教えてもらった。そこは「海でとってそのまま即食すのだから、とにかく美味い!」とのこと。行き方を説明されたが途中までの地図は頭で描けたけど、後半はちんぷんかんぷんであったから、次回行くとなったら事前にもう一度説明してもらおうと思う。

 さてそうこうしているうちに夕刻になったので宿にチェックインすることにした。
 宿泊は娘が予約しておいてくれた「観水庭こぜにや」さん。
 今回はビジネスホテルに泊まるつもりでいたら、こぜにやさんの口コミ読んだことあるのかと娘が言う。

「読めば分かるよ。泊まりたくなるから」

 と、その言葉通りまんまと泊まりたくなり、

「もしこぜにやさんに泊まるなら、自分も一緒に泊まろうかな」

 これは娘の作戦勝ちか。

 駅前通りから一つ角を曲がるとそこに広がるこぜにやワールド。駅至近とは思えない静けさとたたずまい。通された部屋は一番奥で、コの字型の大きなソファーがある絨毯敷きの部屋。どこで靴脱ぐのかためらう立派なたたきの間(?)の先に座敷があった。

「もう少し早ければ紅葉が調度見頃でした」

と開け放たれた障子の先は、池や渡り廊下を望む。部屋が一階っていうのもいい。
すぐさま温泉へ。
 貸し切り風呂が2カ所ある。予約なしで入れる。空いていればいつでも入れる。制限時間もない。と何から何までご自由にというスタンスの貸し切り風呂。どちらも空いていたのでまずは左側の檜風呂に入る。
 鍵をかけると浴場へ向かう渡り廊下に風呂使用中ランプが点灯するシステムになっているから、途中でドアをガチャガチャされる気ぜわしなさもなく、安心してゆったり入れた。貸し切りというからこじんまりした家族風呂をイメージしていたが、大人4人でもいけちゃう広さ。掛け流しを堪能し、もう一つの貸し切り風呂をはしごしようと思ったら、さっきは空いていたけど今は使用中とのこと。







 朝風呂に続いて2回目の風呂を堪能し、本日のもう一つのミッション。
 それは夕食。こぜにやでの夕食も楽しみだったが、今回は娘がいつもランチでお世話になっているという「海鮮問屋 海勝丸」さんへご挨拶を兼ねて出陣す。

 旅館を出てアーケード街を歩くと、なんだか人がざわざわ歩いている。
 忘年会シーズンだからか、蟹シーズンだからか、特に海鮮系の店の前が賑わっている。アーケード街で肩がぶつかりそうになって人が多いことに改めて気づいた。静けさもいいけど、こういう人の波も旅情をそそる。これから向かう夕食に、ズンズン期待が高まるぞ。

 歩くこと数分で「海鮮問屋海勝丸」に到着。
 ここから蟹づくしの夜が始まった。

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 下知識がないまま観光すると、歴史や価値がよく分からない。帰ってきてパンフ読み直して、もう一度行ってこよう! となります。
 ガイドおじいさんの説明はもう一度聞きたい。

蟹取県紀行 【高速バス搭乗】

2017-01-23 10:43:57 | 旅行
そうだ、鳥取行こう!
と思い立ったのは11月のこと。

 娘の引っ越し手伝いとこれからお世話になる勤め先へのご挨拶を兼ねて鳥取市を訪れたのは3月上旬。
 勤務先の方が開口一番、

「残念、調度蟹終わったところなんですよ」

 終わったって? 全て食べ尽くされた後ということ? と事情がよくわからず
「・・・・・・」と反応すると、なにやら解禁の時期を過ぎたとのこと。
地のものを限られた期間だけ食すという自然の理に従う生活とは縁遠いから、解禁に対して生活実感がわかない。冷凍でいいから食べたいのに・・・・・・と思うが、しかしそこは、地元の方は譲りませんよ。

「時期の蟹でないと美味しくない!」

を強調され、そういうもんなんだと納得。
その後
「解禁の時期に来て下さいね」
という地元の方の言葉はずーっと反芻され、醸成され、そして11月ふっと浮かんだ。

今、行こう、と。
 
 スケジュールを調整しまず移動の確保。
 今回の楽しみの一つなんだけど、それは夜行バスで鳥取に行ってみること。
 夜浜松町を出発して朝起きたら、そこは鳥取ってすごくね!的なのりで夫との2名分即予約。帰路はANAマイレージで特典航空券予約。これで移動は完璧。

 TX経由で浜松町に行き、まず夜行バス乗り場を確認しコロコロを近くのコインロッカーに預ける。身軽になり腹ごしらえにと街へ繰り出す。街はどこもクリスマスイルミネーションで華やかなのに加え、仕事帰りの人でわさわさしている。適当に店に入ると「予約されてますか?」 そうか巷は忘年会シーズンでしたか。グルグル回りようやく居酒屋2席ゲットできた。高速バスの時間まで居座るのは混んでいる店に悪いので、出発時刻まであと1時間を残して退店。そして時間つぶしにと世界貿易センタービル最上階の展望室へ。

「終了まであと30分ですがよろしいですか?」

受付のお姉さんに確認され、JAFカード見せて少し割り引いてもらい階段を数段上ると、なんとそこには東京の夜景が一望できるゾワッと来る回廊が続いていた。
 ピカピカの東京の街がグルーッと眼下に広がる。終了間近ということもあってか、人気の少ない絨毯敷きの薄暗い回廊をゆったり歩くと、もうすっかり気分は20代。
「東京タワー、あれがスカイツリー。あっちの方が家か」
などとミニデート気分で夜景を楽しみ、さてようやく高速バス乗り場へ向かう。



 すでに乗り場前には乗客が数人集まっていた。この人達みんな鳥取へ行くんだ。いや、帰る人たちなのかもしれない。ということはここにいる人は皆鳥取の人? 

 とそこに、なんとも「とっとりー」な男子3人組がほろ酔いで登場。
 地味な3人組だけど酔っているからなのか見た目以上に声でかい。あー、あの人達車内で騒ぐかもしれない。席近くだったらちょっとやだな。
 乗り場に登場した3人はすぐに場の空気を読んで声のトーンを落としたけど、「楽しかったー」と言い合う声だけははっきり聞こえる。
 バスが到着すると先の3人組男子のうちの一人が「じゃあな」と手を挙げた。乗るのは2人で、1人は見送りということが判明。

 そうか、そういうことか!
 うーん、なんかこういうのいいね。
見送る青年は少し飲み過ぎた友人を気遣いつつ、郷里に帰る友に何かを託すというこの感じ。さっきまでのあの男子やだねが、いい子達だねに変わった瞬間。
 バスに乗り込む時に青年2人組が「お先にどうぞ」とさりげなく手で合図したのから、好感度は更にアップ。さすが、鳥取男子。噂に聞いていたとおりじみーで口数少なく、控えめではないですか。これなら席近くてもいいや。



 と、ここまでは良かった。
 さて、これから長い、長ーい、バスの旅が始まるのでした。

 浜松町を夜9時に出発して、鳥取駅到着は朝6:30。9時間半の旅。
 寝てしまえばどうってことない。寝てしまえばね。

 高速バスが初体験というわけではない。新宿発福井行きに乗ったことがある。その時の反省を活かし、2度目の今回は準備万端だった。
 我が席に乗り込みバッグを足下に置いたり、コートやマフラー片付け、飲み物をホルダーに装着し、キンドル充電セット。そしてヘッドレストの位置を合わせようと下に引っ張ると、力入れ過ぎてマジックテープがベリッとはがれてしまった。付け直そうと後ろ向きにシートに膝立ちしたところで、バスは出発したのだった。

 浜松町バスターミナルをグルーリと大きく回転するのに合わせて、頭も後ろ向きのままグルーリと回った。もうこの瞬間に、だめ。

 きた、車酔い。

 子どもの頃から車に酔いやすかった。でも自分が運転するようになってあまり酔わなくなったから自分が車酔いすることを忘れていた。久しぶりに味わうぐうっとくる感じ。今回の酔いはそれほど深くないから、しばらくじっとしていればなんとか吹き飛ばせそう。なのに、よせばいいのに、せっかく準備したからとネックピローを膨らませようと一気に息を吐き出してしまうという酸欠を導く行為により、バス酔いは深く、深く体に浸透していった。そこから先はもうバス酔いとの戦いのみ。気持ち悪いだけでなく、そのうちお腹まで痛くなってきた。皆が静かーに寝ている中、ひとりだけ気持ち悪い、苦しいと静かな車内で遠慮がちにゴソゴソ体の位置を変えるのだった。カーテンの隙間から車窓見ると、見えるのはトンネルの壁か、横を走るトラックの車体。だめだ、これじゃ外見るともっと酔う。

 途中サービスエリアで2回トイレ休憩タイムが入った。みんなぐっすり寝ていると思っていたら、ほとんどの人がバス降りるから、「みんなも寝ていないんだ」と少ーしほっとし、朝までの時間を指折り数え、ようやく到着した鳥取駅バスターミナル。

「どこにいるの?」
 娘からラインに着信があった。ぐるりと見回すと、3月まで乗っていた懐かしい我が車が、鳥取駅前にあった。到着時刻は連絡しておいたけど、どうせ寝坊しているだろうから直接アパートに乗り込むつもりでいたけど、駅まで車で迎えに来ていた。
 その顔と車を見ると、さっきまでの不快感はふっとんだ。
 
 まずはこの足で、朝湯行こう!

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ようやく鳥取駅到着しました。次回は蟹三昧編へ。

砂丘を登る

2016-03-20 13:49:15 | 旅行
先日バネの床を張り替えた。
鳥取から夕刻帰宅し、病院に預けていたバンを引き取りに行き、荷物を広げ、家にたまったゴミを片付け、など慌ただしくこなした翌朝、卒業生のTさん率いる職人さんと大工さんがドーッとやってきた。
まず今の絨毯をはがず。この作業が大変。布部分のラバー下敷きがボンドで床板にベッタリついている。それを皆でコシコシと削り、新しいコンパネを乗せ、絨毯を張る。荷物どかしながら教室半分ずつやるので、同じ作業を2セット繰り返した。繰り返したって、最初は自分もコシコシ手伝ったけど、途中からは完全にお任せ。

これまで明るいグレーだった絨毯を、せっかく張り替えるのだから色を変えようということで、サンドベージュにした。すると。なんだかコルク床に見える。そして先日登ってきた鳥取砂丘に見える。

砂丘を登る。
市街地から砂丘を目指した。
最初の小さな駐車場に車を置き、はやる気持ちを抑えながらフェンスの向こう側まで砂に足をとられながら歩いて行くと。確かにそこは砂浜だけど、これと言って何もない。誰もいない。遙か遠くにドライブインやら、ごまのように点々と黒い粒が付いた砂の丘面が見える。前を歩いていた山陰なまりの2人組は、なにやら「残念な景色だ」とか言いながら引き返すから、自分も残念に思いながら車に戻り駐車場の案内板を見ると、この先に見えたドライブインのあたりが観光ポイントであるということがわかった。

砂丘観光地帯に踏み込むと、そこにはラクダがいた。観光撮影用と乗車(ラクダ)用。勝手にラクダの写真を撮ると怒られると聞いていたし、なにより先ほど遙か彼方に見えた砂丘面の黒い点々は黙々と登る観光客達だったことがリアルに確認でき、気がそぞろになりラクダ撮影はスルー。点々と人が這いつくばる砂丘面とラクダをバックに自撮りして、ラクダの一件はよしということで。
さて、ここまで来たら登るでしょう。靴がそれ用じゃなかろうが、寒風吹きすさぼうが、登るでしょう。砂に足を取られながら、前の人が踏み固めた部分を探しながらザクザク進む。こうやって登る人の中に紛れると、自分も点々になっているのだなと思い、それはそれで楽しい気分になってきた。点々で驚いたのは、杖を付く高齢者も家族に引っ張ってもらいながら登っていたこと。みなあちらこちらで口々に「がんばれ」などと家族や仲間と励まし合いながら登るけど、こちらは一人なのでとにかく黙々、グイグイ登るからどんどん他の人を追い越し砂丘頂点に、登りはじめの印象より楽に到達。
こうして到着したてっぺん、そこに何があるのか。そこから向こうに何が見えるのか。
頂上から見下ろすのは普通の砂浜で、冷たそうな日本海の白波が浜に打ち付けている光景が続いているだけ。
「ありがたや」なんて手を合わせる人がいるわけじゃないし、一人だし何もやることも、しゃべることもないから、もう一度今登ってきた砂面をバックに自撮りして、登った労をあっさり捨てるように砂丘を降りた。どうやらグループで来ている人もほぼ同じ行動をとっているようで、頂上まで行って砂丘の向こう側を確認して、多少おしゃべりはするものの、まるできびすを返すように降りてくる。老いも若きも黙々と砂丘を登り降りてくる。ただそれだけのことなのに何とも言えぬ満足感に満たされるのでした。

教室の床張り替えで本棚を動かしたので本を整理していると、娘が幼児の頃何度も読み聞かせした絵本「こんとあき」が出てきた。ぱらぱらめくると。
そこに広がるのは、あの砂丘の景色。登った斜面の形、頂上から見える海岸、まさにあの景色。なにかじゅわーっとした思いがこみ上げる。


わたしの「案山子」

2015-10-27 09:34:33 | 旅行
「ここに泊まりたい。」

広告の力ってすごいね。実家の母は折り込みチラシや近所の人の話、いわゆる口コミで、以前からこの旅館泊まりたい!と力説していた。
なぜそれほどまでに泊まりたいかっていうと、「安い」からだそうだ。
一人2食付きで7980円! しかも温泉はかけ流し。その旅館専用バスがお客さんを乗せて走るのを目にするから、「みんなが行っている」というみんな感が強いのでしょう。
母の術後の様子伺いやら、墓参りも兼ね実家に行くので、ではこの際その旅館に行くかってことになった。

ネットで予約すると、激安価格は平日で一部屋5人利用の場合、いわゆる最低料金ということがわかり、紅葉やキノコのベストタイミングの週末はそれなりの価格であることがわかった。母は終始「なーんだ」を繰り返すけど、行く気満々であることには変わりはない。

温泉行くったって、自分のとこだって温泉なのに。しかも行き先は鹿教湯温泉。
別所温泉の裏山にあたる湯治の湯。
トンネル一つ超えた先。
同じ市内。
隣の温泉。
どうしても自分としては近所であることがぬぐえず、ここにわざわざお金払ってまでして行くかい!がつきまとう。

さて旅館に行く前に墓参りを済ます。
墓地は山の斜面高台にあり、由緒正しい日本昔話のような集落にたたずむ。



通常ならここから鹿教湯温泉はいったん塩田平らに引き返し、平井時トンネルを抜けて向かう。しかし我々は墓地から松本方面に向ける林道を使い直線コースで鹿教湯温泉を目指したので、ものの30分で到着。

着いたところは「大江戸温泉物語 藤館」
大手資本がひなびた温泉街に進出し、土地の鋭気を吸い取ったかのようにその一角はひときわ賑わっていた。駐車場入り口に若い白人男性と日本人女性が寄り添っていたので、その二人をよけるように駐車場に入った。
ここは夕食も朝食もバイキング形式となる。
チェックイン時に夕食希望時間を聞かれた。
「5時、6時、7時から選んでください」
すると後ろのソファでチェックイン順番待ちしていたおじさんが、「5時じゃ早いベ」
6時だと激混みしそうだったので我々は5時からの90分コースにした。

夕食前に風呂を済ます。
無色無臭だけどよく汗が出る温泉だった。露天風呂へはいったん服を着て長い廊下を移動するというのでこれはちょっと面倒。帰り際に中をのぞくだけにしておいた。
5時からじゃ早いベとは思うけど、同じように混雑を避けたたくさんのグループが食堂があくのを待っていた。その中に、先の駐車場で見かけた白人と日本人女性カップルとその両親だったと思われる「早いベ」おじさんご一家もいた。

通常旅館の食事ってこれでもか、これでもかと出てきて、「もうこれ以上食べられまへーん」ってなって、大量に残し、罪悪感を残すってなるけど、その点バイキングだといいねと適量を楽しんだ。地産地消の地元の食材を使った野菜料理を選んだけど、母は刺身や寿司をほおばっていた。食事中、娘から電話がかかってきた。
なにがしか必要なものを送ってほしいといういつもの「お願い」コールで、「孫の声聞きたい」という母に電話を代わると、母はなにやら娘と約束事を交わしていた。

ホテル内でカラオケができるというので予約すると、あいにくというかちょうどよいというか食後の1時間のみ予約が取れた。
鍵を受け取り自分で「カラオケルーム」と書かれた扉開けると、そこはスナックの一室だった。カウンターもスナックのママコーナーもある。これじゃまるで「あまちゃん」の小泉今日子じゃん。テンション上がる-。
カラオケ入り口に卓球コーナーがあり、先の「早いベ」おじさんご一行が浴衣で卓球に興じていた。
母は「あたしも卓球やりたい」と言うけど、ここは予約済みのカラオケを優先した。

カラオケに与えられた時間は60分。
たいてい最初の30分は何歌うか決めるのにもたついてしまう。そんなこんなで時間やり過ごし残り時間少なくなった頃、「そうだ、あれ歌おう!」

それは、さだまさしの「案山子」
この歌を聴くたび、歌うたび、あるシーンを思い出す。

高校を卒業し東京で一人暮らしを始めた時のこと。
アパートは風呂なし。もちろん部屋に電話はない。
実家に用事があるときは、夜銭湯に行ったついでに外の公衆電話でかけることが多かった。
その日は同じアパートの静岡から来た子と一緒に銭湯に行った。その子が実家に電話をかけ終わると、私にも実家に電話をするようにと促してきた。
別に今用事はないし、お金かかるからかけないというのに、何度もかけるようにというから、渋々プッシュボタンを押した。

「もしもし」
「○○!!?」
電話口の女性の声は、ゆう子だったかよし子だった、知らない人の名前を呼んだ。
あー、間違い電話したなとわかり切ろうとすると、
「切らないで!少しお話ししましょう」
無情にも10円玉が電話に吸い込まれていく音が響いた。
「うちの娘は東京で一人暮らし始めたから、つい娘からの電話かと思った」
「こうしてよく実家に電話するの? えらいね。」
「一人暮らしがんばってね」
同じ上田市内のどこかにかけ間違えたのだろうから、その娘さんって知っている人かもしれない、同級生の誰かかもしれない、なとどツラツラ考えながら、えー、とかまーなどと返答しながら、つい自分の身の上も少し説明し、電話を切った。

「案山子」を歌い終えると、母は
「これってさだまさしの歌? おまえが作った歌かと思った。」
だって。







ふるさとのなまりなつかし、か。

2012-06-18 10:21:30 | 旅行
 大宮まで東武線、そこから長野新幹線に乗る。自由席車両だと時間によっては高崎辺りまで新幹線通勤の人で込み合う。それ風の人がドサッと降りると,次ぎは軽井沢で一団が降りる。その多くはリゾート客。降り立った人たちは一様にゆったりホームを歩く。誰一人としてせかせか改札に急ぐ人はいない。そんな一行を見送ると,車内は一気に緊張がゆるみ、空気が変わる。空いたからというだけでなく、ここから先は皆同県人という安心感がそうさせる様に思う。
 大宮駅でいきあたりバッタリで乗った夕方の新幹線は最初の停車駅が軽井沢だったから、通勤客の利用は少なく、大宮でぼちぼちの空席があった。荷物ビッシリ入ったコロコロは重い、大きい。邪魔にならない様に通路側の席をとり、足の前に置く。前の席は子連れ一行が4人掛けボックにしていた。子連れ集団はマナーが悪く辟易することが多いから他の席に移ろうかなと思ったけど,1時間程度のことだからとそのまま本を読み始めた。案の定少々うるさい。公共の場では静かにするという当たり前のしつけをしない人が増えたな、でもおばさんのおしゃべりも同じかなどと考え事をするでもなく、本を読むでもなく、その家族の会話を聞くつもりなくも耳に入ってきた。時おり甲高い幼児の声が混ざるものの、その会話は微笑ましいものだった。同乗者達も同じ様に,自然と視線はその家族に注ぎ,口元が緩んでいた。
 車内アナウンスが軽井沢停車を告げ,列車がホームに滑り込む頃にその一行は降り支度を始めた。「次ぎ降りるよ」などと子ども達を促す大人の言葉はないまま、子ども達すらも手慣れた様子で荷物を片付け通路に並んだ。別荘族か、と思う。幼児は車内の人に向かい「バイバイ」している。皆でこの家族を見送ろうとする空気に包まれたその時、通路の向こうから一人の女性がやって来た。通路をふさぐ家族連れに「邪魔だからどけ」と言うばかりのいらついた表情。察した母親が通路を空けると、家族連れを押しのける様にして、その空いた席にドサッと座った。さらには後ろを確認するでもなく、いきなりリクライニング最大にした。ムギューッと。ビックリしたのは私。おもわず「ちょっと」と声が出る。グイッと力を込めて椅子を押し返して、足とリクライニングに挟まれた荷物をはずす。が、その傍若無人な女性は無反応。この出来事で車内は一瞬にして凍り付いたように感じた。互いに顔を上げ辺りを見回していた人たちが,一斉に視線をはずしたのだから。
 軽井沢から先は和む。皆でさっきの家族の余韻を楽しめたところを、この一人の女性がぶちこわしてしまった。この人も長野県人なんだろうか。
 
 車内アナウンスは上田駅到着を告げる。さっきの家族連れみたいに、ドアが開く寸前くらいに手慣れた風にスッと席を立ちたいところだけど、窓側の若い子が降りたそうにもぞもぞしたので早めに席を立った。このコロコロは重い。降りる時に手間取りそうだから、最後に降りようと戸口から離れたところに立つ。すると二人目に出口に並んだのは臨席の若者。先はあなたでしょ,と言わんばかりに脇に寄っている私の後ろに並んだ。すると次ぎの人もその後ろに。いよいよ列車がホームに入り,ホームの安全ドアがあいても
戸口先頭を空けたままなので、「ではここは最初に来た私が」と先頭に入る。これで順番のバランスがとれた。やっぱり、みな上田人だね。