バネの風

千葉県野田市の「学習教室BANETバネ」の授業内容や、川上犬、ギャラリー輝の事、おもしろい日常を綴ります。

心のデトックス、早朝座禅体験

2017-08-17 21:12:32 | ライフスタイル
別所温泉安楽寺にて「座禅体験」を体験した。
朝6時から7時という早朝コース。
高校生達と総勢35人ほどでの参加。

10分ほど前に到着すると、高校生達がすでに到着し降り出した雨をよけて寺の軒下にズラリと並んで待っていた。
皆この時点で無言。騒いで怒られた後なのだろうか。皆神妙な面持ちで立ち尽くしている。

若いお坊さんが出てきて、皆を禅堂に導く。
無言で全員が一列になって禅堂に入る。
「ここは子供の頃習字教室に通ったところですよ」などと無駄口きいたのはわたしだけなので、「この奥の池、怖いよ」というケメコ情報は追加せず、発した自分の言葉だけが頭の中でリフレインする。

禅堂内、ずずずいーっと一周するようにそれぞれの位置につくと、まず座禅の作法を説明していただいた。
挨拶、台への上がり方、座り方、足の組み方、手の組み方など。
今回は体験なので、本来の作法はそれはそれとして無理をせず、あくまでも体験ですと何度か説明され、そして3回の鐘のあと座禅は始まった。
何も考えないと考えた時点で考えていることになります、とおっしゃるとおりで、無になることは難しい。

じーっと心を鼻の奥に集中させ、魂を宇宙に飛ばそうかと思い、いや、これではいかん、思った時点で考えていると思うまもなく、普段はめったにできないのにスーッと軽く宇宙空間に出られた。
ミッドナイトブルーの空間に星が無数に点在している。
その瞬間、「そうだ、画面の立ち上げ設定、チャーに聞いておこう」と思う。
そのとき脳内に広がった宇宙空間で、最近買ったばかりのノートパソコンのトップ画面を思い出してしまったのだった。

惜しいところで今に引き戻され、もう一度行ってこようと思ったところで鐘が一つなり、座禅体験終了。

瞑想時間自体は15分間で、ちと短かったように思う。「ひよっこ」1話分ですから。30分くらいあってもよかったかな。

禅堂を出て、石段を降りる頃におしゃべり解禁気分となり、それでも言葉少なに安楽寺を後にした。

「誰かいびきかいてたよな」
と言われたけど、それには全く気づかなかった。聞こえてきた音は雨だれとカラスの鳴き声のみだった。

心のデトックスまではいかないけど、皆の聞こえた音が聞こえない時間を持てていたと知ったことで、じわりじわりとくる満足感。
その足で北向き観音に向かった。ここで正月に引いたおみくじが大吉だったから、そのまま運を継続させておくために、ここで新たに引くのやめておこうかな、どうしようかなと思いながら「えいっ」と引くと、大吉。

続いて「大師湯」に行くと、幼なじみや子供の頃の知り合いに会った。
これにて心のデトックス、フルコース完了。

本当にあった怖い話

2017-08-17 08:33:55 | ライフスタイル
本当にあった怖い話を投稿サイトに応募しようと書き始めたが。
 本当にあったことだから、本当に怖い。
 バネのパソコンでカチャカチャ入力していると、後ろに気配を感じ背中が冷たくなってきたので途中でやめた。翌日トライするが、同じようにそれ以上書けなかった。長野合宿中、実家で続きを書こうかと思うが、やはり書けない。
 書き始めると後ろで誰かがのぞき込んでくる気配がする。

 そんな話を友人にすると、
 「本当にあった怖い話って、人に話せないっていいますよね」
 
 努めて明るく、「怖くないもんね」って口調でコメディー調にまとめようと思ったのに、これ以上進めないということは、
 「わたしのことをばらしてはいけない」
 ということでしょうか。
 この時点でばらしかけていると言えなくはないが。

 ということで、世に出ている本当にあった怖い話というのは、本当は本当ではないかもしれない。

小学校の文集

2017-08-15 08:49:34 | 別所温泉
 小学生の頃学校文集があった。全校生徒180人分ほどの作文を一冊にまとめたものを、年1回全員が配布された。文集名は「たけのやま」。別所温泉の象徴となっている山の名前からとっている。
 実家の今は使われていない部屋の本棚でそれを見つけた。
 表紙は子供の版画。全校生徒分の作文が、ほとんど同じ筆跡でガリ版が切られている。所々に子供が書いたと思われるイラストが入る。
 校長先生の言葉に続き、1年生から順に学年ごとに色紙中表紙が入り、目次、そして作文へと続く。記録によると昭和40年度が第5号。号を重ね、途中から先生、用務員さん、給食のおばさん、図書館のおばさんも、学校の人全員が作文を寄せている。

 2月頃だっただろうか。その年の「たけのやま」を持ち帰ると、家族全員で全ページを回し読みしたものだった。
 子供の作文だから、家族のことや家庭の様子が赤裸々に書かれている。だから大人たちも興味津々で読んだのかもしれない。どこそこのうちは旅行で海に行ってきたとか、親戚が大阪にいるとか、お父さんとお母さんがけんかした、など家庭の諸事情がよくわかる。今みたいに個人情報云々など言及する価値観はなかった時代だからできたのだろうか。
 子供ながらにこの作文を書く際は、大人が読むことを意識していた記憶がある。年間何度となく行事が終わるごとに作文を書く。その他読書感想文、生活作文、創作、詩など。これらから担任が代表作を一つ選ぶ。先生から「たけのやま」にこれを載せると発表される日をドキドキして迎えたものだった。なかには載せるために手直しさせられていた子がいたような記憶もある。

 これを作った先生方のご苦労は大層なものだったことが今ならわかる。
 丁寧な手書きで、印刷機のない時代に全校生徒180人分を手刷りし、製本したのだから。
 
 実家にあったものは兄が小1~6年生までの6冊だった。自分のはない。どこへやってしまったのだろう。
 だから自分の作文は1年生から4年生の分までしか読み直すことができない。

 まず最初に自分のを読む。次に同級生のを読む。そして次に兄のを読む。
 1,2年生の頃のは、ありのままが載せられていたように思う。3年生からは読者を意識して書いている。これを後にむさぼり読む村の大人たちの目を気にして脚色した部分がある。兄の記述は全く気取らず、別所弁丸出しの子供同士のやりとりが延々と書かれ、当時の子供の遊びがよくわかる。そんな話を兄にすると、「あれは嘘を書いただ」とこれまで封印してきたと思われる暴露話が披露された。遊んでいてニワトリの餌を決められた時間にやらなかった。しかしそのまま書くと、餌やりを忘れていたことが先生にばれて怒られるから、時間の流れを変えて書いたのだそうだ。
 そうか、兄は兄なりに読者を意識して書いていたんだ。
 多分全員がそうなんだろう。背伸びしたり、気取ったりして、変なことは書かないようにしたのだろう。
 それでも今読み返すと、当時の別所小学校の様子がまざまざと浮かび上がってくる。当時の子供たちや家庭の生活が見えてくる。

 こういう作文集はどこの小学校もやっているのだと思っていた。
 書き出しの校長先生の挨拶文によると、これは別所小学校独自のものだとわかった。

 素晴らしいものを残してくださった、当時の先生方に感謝の気持ちで一杯です。

 入学前の1967年、「たけの山」第六号、校長先生結びに言葉より。

 わたくしたちはこれをだいじに使って勉強の役にたてたり、おたがいの心の結びつきに利用してこれからもずっと続く「たけのやま」とともに、別所の名山たけの山のように、姿美しくがっちりした人になりましょう。