小学生の国語読解教材,物語文にて。
物語文を二つに分けると小説とエッセイになる。
小説読解のコツ
その1-場面設定を押さえる
課題文からわかる範囲で時代、場所、時間、そして事件=話題を把握する。要するに舞台セット ですね。
その2-登場人物を押さえ、そのキャラを把握する。キャラクターは会話や態度で表現されること が多い。
課題文に引用するのは物語のほんの一部なので、いきなり事件のクライマックスからスタートする場合もあるから、舞台セットをいち早くつかむのがポイント。だから既知の物語だったりすると理解が進むので、「とても読みやすい」となる。
しかしながら小学生の場合気をつけないといけないのは、そのセットに「ちゃぶ台」とか「ひさし」があると、生活体験薄いこれらが理解できないことが多いし、「むくれている」とか「すねている」といった言葉の意味を説明しないといけない場合もある。このように文章の細部が理解できないことがあるにせよ、小学生向けの題材なので、登場人物の心情は無理なく理解してもらえる。
やっかいなのはエッセイ。
エッセイって日々のできごとを題材に思考を巡らす大人視点の文章だから、小学生が大人の感慨に腑に落ちるわけがない。「春はあけぼの」って言われて言葉の意味は理解しても、「そうだよね」って感じ入ることができるようになったのはいくつの時だっただろうか。少なくとも小中学生の時に今と同じ理解ができてはいない。
エッセイではたいてい大人が過去を振り返り人生の歩みを反芻するから、書き手にとって過去の時代を進行形で生きている小学生には理解できない。人生先回りはできない。
だから大人が思うほど、読後なるほど感に染まっていないなと子ども達の顔を見ればわかる。
「ふーん、それで」って反応になる。
テキストの順番で今日の題材はエッセイ。
授業前にざっと一読すると、
それはサンタクロースねただった。
サンタクロースからのプレゼントを巡る両親との攻防。子ども時代の出来事を振り返る大人になった作者。
まいったな、と思う。
これは小学生に読ませられるかどうか。
その教材を開く前に小学生に質問した。ピンポイントで聞くと墓穴を掘る可能性があるから
「みんなの家にはサンタさん、来るの?」
ニヤッとして「来るよ」と即答した子。微妙な顔をする子。何でそんなこと聞くの、という顔をする子。これらの反応から各家庭の両親と子どもとサンタさんのつながりに確信は得られなかった。
エッセイを読めばサンタさんの秘密がわかってしまう。子ども達の夢をつぶし、両親の努力を無にする可能性がほんの少しでもある以上、今日の教材はスルーってことで。
のび太君の家ではクリスマスプレゼントは4教科のドリルだった。
涙目になってドラえもんにすがるのび太君だったが、私には泣きすがる相手はいなかった。
あれは3.4歳の頃だったと思う。目覚めると枕元に包装紙に包まれたプレゼントが置いてあった。中身は白の木綿の肌着だった。兄のはアニメキャラがプリントされたズックだった。うちは子どもの頃貧しかった。父は給料全て絵の具に変えてしまうような生活をしていたので、人並みのものが買ってもらえないことは子どもながらに理解していた。わかってはいるけど、その包みを開けた時の残念感は今でもはっきり残っている。せめて兄のようにシャツに何かがプリントされているとか,花が刺繍でもされていればよかったのにとツラツラ思ったことまでも。でも誰にも愚痴は言わなかった。こうして枕元に置いたことや、包装紙にくるんだのが精一杯の親の気持ちであることが伝わったからかもしれない。
今日の教材を扱ったら,授業中にきっとこんな思い出話に発展したことだろう。そして子ども達に微妙な顔をされ、「先生のうちは子どもの頃貧しかった」という事実だけが記憶にインプットされたことだろう。
物語もエッセイも書き手は大人である。
小学生の心に届くお話、書いてみたいな。
物語文を二つに分けると小説とエッセイになる。
小説読解のコツ
その1-場面設定を押さえる
課題文からわかる範囲で時代、場所、時間、そして事件=話題を把握する。要するに舞台セット ですね。
その2-登場人物を押さえ、そのキャラを把握する。キャラクターは会話や態度で表現されること が多い。
課題文に引用するのは物語のほんの一部なので、いきなり事件のクライマックスからスタートする場合もあるから、舞台セットをいち早くつかむのがポイント。だから既知の物語だったりすると理解が進むので、「とても読みやすい」となる。
しかしながら小学生の場合気をつけないといけないのは、そのセットに「ちゃぶ台」とか「ひさし」があると、生活体験薄いこれらが理解できないことが多いし、「むくれている」とか「すねている」といった言葉の意味を説明しないといけない場合もある。このように文章の細部が理解できないことがあるにせよ、小学生向けの題材なので、登場人物の心情は無理なく理解してもらえる。
やっかいなのはエッセイ。
エッセイって日々のできごとを題材に思考を巡らす大人視点の文章だから、小学生が大人の感慨に腑に落ちるわけがない。「春はあけぼの」って言われて言葉の意味は理解しても、「そうだよね」って感じ入ることができるようになったのはいくつの時だっただろうか。少なくとも小中学生の時に今と同じ理解ができてはいない。
エッセイではたいてい大人が過去を振り返り人生の歩みを反芻するから、書き手にとって過去の時代を進行形で生きている小学生には理解できない。人生先回りはできない。
だから大人が思うほど、読後なるほど感に染まっていないなと子ども達の顔を見ればわかる。
「ふーん、それで」って反応になる。
テキストの順番で今日の題材はエッセイ。
授業前にざっと一読すると、
それはサンタクロースねただった。
サンタクロースからのプレゼントを巡る両親との攻防。子ども時代の出来事を振り返る大人になった作者。
まいったな、と思う。
これは小学生に読ませられるかどうか。
その教材を開く前に小学生に質問した。ピンポイントで聞くと墓穴を掘る可能性があるから
「みんなの家にはサンタさん、来るの?」
ニヤッとして「来るよ」と即答した子。微妙な顔をする子。何でそんなこと聞くの、という顔をする子。これらの反応から各家庭の両親と子どもとサンタさんのつながりに確信は得られなかった。
エッセイを読めばサンタさんの秘密がわかってしまう。子ども達の夢をつぶし、両親の努力を無にする可能性がほんの少しでもある以上、今日の教材はスルーってことで。
のび太君の家ではクリスマスプレゼントは4教科のドリルだった。
涙目になってドラえもんにすがるのび太君だったが、私には泣きすがる相手はいなかった。
あれは3.4歳の頃だったと思う。目覚めると枕元に包装紙に包まれたプレゼントが置いてあった。中身は白の木綿の肌着だった。兄のはアニメキャラがプリントされたズックだった。うちは子どもの頃貧しかった。父は給料全て絵の具に変えてしまうような生活をしていたので、人並みのものが買ってもらえないことは子どもながらに理解していた。わかってはいるけど、その包みを開けた時の残念感は今でもはっきり残っている。せめて兄のようにシャツに何かがプリントされているとか,花が刺繍でもされていればよかったのにとツラツラ思ったことまでも。でも誰にも愚痴は言わなかった。こうして枕元に置いたことや、包装紙にくるんだのが精一杯の親の気持ちであることが伝わったからかもしれない。
今日の教材を扱ったら,授業中にきっとこんな思い出話に発展したことだろう。そして子ども達に微妙な顔をされ、「先生のうちは子どもの頃貧しかった」という事実だけが記憶にインプットされたことだろう。
物語もエッセイも書き手は大人である。
小学生の心に届くお話、書いてみたいな。