先日実家の片付けをしていて、長いこと探していた小学校の卒業文集をようやく発見した。
文集委員を務め、表紙絵図案を作成した思い入れのある厚さ3センチにもなる文集。捨てるはずはないからどこかにあるはず。なんと見つけたのは、兄や父の絵を保管している倉庫の棚。古いキャンパスの前に何冊かの本と一緒になって積まれていた。
すぐさま自分の箇所は読み返し、稚拙な文書に赤面しつつも、小学生の頃の景色が鮮明に蘇ってきた。
入学するから卒業するまでの6年間、学年30人1学級だった。
この文集作りを始めたのは6年生の秋頃だと記憶する。構成、原稿依頼、とりまとめ、そして最後に表紙の作成。
思い出作文、自己紹介コーナー、友達紹介コーナー、自由イラスト、先生方や保護者からの寄稿文。3センチほどの厚さがある。
そこでは30人それぞれが主人公だった。
順々にページをめくり、最後に4年生から6年生まで担任だった小林先生の言葉を読んだ。
小林先生の文章を読んだのはこれで3回目と記憶する。
1回目は文集配布直後。2回目はその数年後。2回目に読み返した時、心が縮む思いをしたことを思い出した。
小林先生は卒業式の日に記念品として植物の苗を全員に手渡した。その時「大切に育ててほしい」と説明があったことだろう。その言葉を自分はしっかり受け止めていなかったのか、その下りは記憶にない。
2回目の読み直し時、文集を通してその苗に込めた先生の思いを知った。すでに自分は苗を枯らしてしまっていたので、罪悪感と後悔で気持ちがしぼんだのだった。
そしてこの度3回目。教師が記念品に込めた思いとそれを受け止めなかった自分を再度思い返し、今は客観的に冷めた気持ちで事実を受け止める自分がいることを確認し、時の流れをかみしめている。
教育ってこういうものだなと思う。
教師は伝えたいことを伝える。
しかし伝わったかどうかは知るよしもない。
もし伝わらなかったとしても、それを恨んではいけない。
ただ黙々と、伝えることを諦めないことのみ。
文集委員を務め、表紙絵図案を作成した思い入れのある厚さ3センチにもなる文集。捨てるはずはないからどこかにあるはず。なんと見つけたのは、兄や父の絵を保管している倉庫の棚。古いキャンパスの前に何冊かの本と一緒になって積まれていた。
すぐさま自分の箇所は読み返し、稚拙な文書に赤面しつつも、小学生の頃の景色が鮮明に蘇ってきた。
入学するから卒業するまでの6年間、学年30人1学級だった。
この文集作りを始めたのは6年生の秋頃だと記憶する。構成、原稿依頼、とりまとめ、そして最後に表紙の作成。
思い出作文、自己紹介コーナー、友達紹介コーナー、自由イラスト、先生方や保護者からの寄稿文。3センチほどの厚さがある。
そこでは30人それぞれが主人公だった。
順々にページをめくり、最後に4年生から6年生まで担任だった小林先生の言葉を読んだ。
小林先生の文章を読んだのはこれで3回目と記憶する。
1回目は文集配布直後。2回目はその数年後。2回目に読み返した時、心が縮む思いをしたことを思い出した。
小林先生は卒業式の日に記念品として植物の苗を全員に手渡した。その時「大切に育ててほしい」と説明があったことだろう。その言葉を自分はしっかり受け止めていなかったのか、その下りは記憶にない。
2回目の読み直し時、文集を通してその苗に込めた先生の思いを知った。すでに自分は苗を枯らしてしまっていたので、罪悪感と後悔で気持ちがしぼんだのだった。
そしてこの度3回目。教師が記念品に込めた思いとそれを受け止めなかった自分を再度思い返し、今は客観的に冷めた気持ちで事実を受け止める自分がいることを確認し、時の流れをかみしめている。
教育ってこういうものだなと思う。
教師は伝えたいことを伝える。
しかし伝わったかどうかは知るよしもない。
もし伝わらなかったとしても、それを恨んではいけない。
ただ黙々と、伝えることを諦めないことのみ。