バネの風

千葉県野田市の「学習教室BANETバネ」の授業内容や、川上犬、ギャラリー輝の事、おもしろい日常を綴ります。

プレッシャーは緊張を喚ぶ

2012-07-24 11:49:32 | バネ
 ついに来ました、夏期講習初日。
 夏期、冬期、春期。いずれにおいても講習初日は緊張する。

 通常とクラス編成が変わったり,テキストが変わったりと、混乱要因がいくつかある。複数学年、複数レベルが一斉に集う時間など、それなりの準備が必要。進め方をシミュレーションする。この子にここ説明している間、あの子はこの問題解いているなど。必要となるだろう問題集や資料は,事前に手元に置いておく。

 バネ始めた当初、問題集は全て手作りした。一人一人に合わせたプリントを作成し,家庭学習分も綴じ込んでファイルを作った。家にコピーなかったから、必要になると思われるコピーは近所の店で済ませる。ここのコピーが頻繁にトラブル起こす。紙ぎれ、紙づまり。そして後ろに並んだ人の「チッ」という舌打ち。どこかに行かないように,左手で娘を捕まえての作業。こうやって苦労して作っても,生徒はその半分くらいしかこなさない。今思えば、こちらの要求レベルが高すぎたし、作業内容が細かすぎたから皆ついてこれなかった。もし、今の子達にあれだけのものを作ったら、それはそれなりの効果を上げると思う。ただ、今はできない。20代の時、リュック一つとわずかなお金でヨーロッパに飛び出すことができたように、あの頃だったからできたことがある。
 でも今はあの時なかった経験の積み重ねがある。全て手作りしなくても,効率よくできる方法を手に入れた。だから講習準備の負担は,バネ当初と比べたらたいしたことはない。それでも、それ相応の準備をするから、当時にのように緊張する。


青春18キップな日

2012-07-22 22:13:00 | ライフスタイル
 高崎から大宮まで電車に乗る。
 いつもなら新幹線でヒュイッと通り過ぎている区間。
 大宮から「あさま」に乗り込むと、車内販売でコーヒー買いたいのにまだ来ないの、もう上田についちゃうじゃんってちょっといらっとする時間距離。背もたれに挟み込まれているJR冊子をパラパラして巻頭のエッセイを読み終え、次の歴史物を眺めているくらにの時間距離。
 その区間を、たまにはいいじゃん、という気分で各駅停車に乗り込んだ。乗ってから乗車時間調べると「え?」ってほどかかる。最も時間がかかる各駅停車に乗ってしまったということが判明。大宮まで18駅、90分。やっぱり新幹線に乗り換えようと思うが、まぁたまにはこんな移動もいいかと思い直す。
 車内はがらがら。前橋、熊谷、本庄と耳なじみのある駅を通り過ぎる。
 長野新幹線ができる前、帰省は特急電車だった。更に学生時代は節約のため急行電車を使った。4人掛けボックスシートで,上田-上野間6時間かけての移動だった。その頃良く耳にした駅名や通過だけだった駅に実際に止まる。

 上尾のあたりから車内は混み始めてきたが、大宮で大勢降りる。
 高崎から大宮まで乗っていた人、この中に何人いるんだろう。

 川間駅からタクシーにするかバスにするか、それとも歩くかと迷う。
 バスの時間を調べると20分ほどで来る。このまま歩いていると途中後ろからバスに抜かれる情けない状況になりそうだから,バスを待つことにした。とはいえ、少し走るともうそこはバンの散歩コース。荷物を持たず身軽だったから、一つ前のバス停で降り、いつもバンと一緒に歩く道を一人で歩いた。いつも通り端で鼻を鳴らしてにこにこする犬が、「あれ、今日はお一人ですか?」って丸まったまま,面倒くさそうに上目づかいでこちらを見る。いつも愛想がいい犬なのに、それはバンに対してだったのかと少々がっかり。

 ほどなくして家に到着。
 いつもは車で帰ってくるから,遠くから車の音を察知するからなのか、それともそうやってずーっと帰りを待っているのか、バンはいつも門の前で足踏みしている待っている。
 今日はいかに。
 コロコロを引っ張っていれば遠くから近づいてくる音がする。だからたとえ居眠りしていたとしても,近くまで来れば音で気づく。しかし今日は手ぶら。音もなく門の前まで到着した。それでも匂いとか、テレパシーとかで家人の帰宅を察知するかと思いきや、門からのぞいてもバンの姿は見えない。呼び鈴を押してみた。

 無反応。バン、飛び出してこない。
 まさか、バン、留守の間に逃走?
 もう一度押し、しばらくすると、「なんですかー」って表情のバンが、これまた超面倒くさそうにニューっと小屋から顔を出した。  そしてこちらの存在に気づいたその瞬間。
 不意打ちをくらった帰宅。状況がすぐに飲み込めなかったのか、それとも寝ぼけていたのか、喜びの反応が少々遅れてしまった。だけに、じわじわと、そしてしつこく媚びを売るように喜ぶ続けるバン。
 いいんだよ、別にそんなふうにしなくても。もう歳なんだから、ゆっくり寝ていなよ、と思う。ものの、やっぱり留守の時はこうやって気を抜いたくつろぎの番犬していたんだということが判明。

 家人が留守だと,超手抜き番犬であることは多くの人から指摘されていた。
 「呼び鈴押しても,面倒くさそうに出てきて,チラ見しただけでどっかに行っちゃうよ」とか、「でも、手に何か食べ物持ってると,近寄ってくるけどね。」

 こうやって使い分けているということは、ある意味素晴らしいではないですか。

同じことを繰り返している

2012-07-20 17:40:05 | ライフスタイル
 体調を崩し,入院することになった。
 検査入院だから数日で退院する、との予定だった。だから多くのことをやりかけで、「ちょっと行ってくる」というノリでの入院だった。
 しかし、その人はそのまま一度も退院することなく、一ヶ月半ほどで亡くなってしまった。

 やりかけのことを気にかけていた。そういう気持ちが気の毒で、何とかしてあげたいと思うものの、希望にそうようなことをしてあげられるでもなく、せめて安心してもらおうと「わかった、やっておく」と口先だけになるに違いない返答をするしかなかった。
 
 やり残したことがある。心残りである。
 
 そう思うのは,誰でもない自分。
 
 父の時もそうだった。
 もっとできたのではないか。

 

 

小説って、小さいお話?

2012-07-19 12:01:18 | バネ
 7月最後の授業となるので、5年生は作文にとりくむ。
 
 先日6年生は論理的な文章を書く練習として意見文にチャレンジし、つづいてエッセイを一つ書いた。
 意見文は1回目ということもあり、まず問題提起に対する賛否を話し合い、意見を黒板に書き出しておいた。これを型にはめて書く作業。続いてエッセイ。「エッセイって何?」ときたけど、随筆のことって言うと「なーんだ。」とくる。じゃ、随筆って何?ってこちらが質問すると、全員無言。
 読みやすい群ようこさんの文を取り上げ、表現の工夫を鑑賞した後、実際に書いてもらった。しかしこちらは時間内に終了せず、持ち帰り作業となった。
 さて,続く5年生。そろって「作文嫌い」と言う。どこが嫌いなのかと聞くと、「何書いていいかわからない。」なるほど。たいていここがスタート。みな最初は作文嫌いと言う。小学生時代にバネで作文授業受けた中学生が、「いいな。私も作文書いていいですか?」って口を挟んできた。何度か作文授業を体験した子は作文が好きになる。この5年生達、はたしてそうなるだろうか。
 いくつか参考になる作文を紹介し、次に書く決まり事を説明し、とにかく書こうということになった。
 決まり事とは、作文初心者のいつものやつ。こちらが指定したキーワードを必ず使ってお話を作ること。書き出しは会話にすること。そしてタイトルに命をかけること。
 原稿用紙を渡すと、以外にもサラサラと書き始めた。そして皆2枚目を要求してきた。ほどなくして出来上がった作品。まったくのつくり話しだという。じゃ、生まれて初めての小説だね、って言うと、「小説って、小さいお話のこと?」
 この質問はスルーして、講評にうつった。たった30分ほどのレクチャーで「うまい!」ってことにはならない。ただ,原稿用紙前にして苦役そうではなかったというのがまずまずの反応。いくつか表現の工夫を説明し、こうすると文にリズムが生まれて良くなるよと指摘すると、なんとなく理解したようなしないような。1回目だから無理なんだけど、タイトルはぼちぼち。
 自分が小学生の頃、作文授業ってどうだったかな?


主語が人ではなく,物になる時。

2012-07-17 09:01:18 | ライフスタイル
 東武線車内にて。
 部活帰りに女子高校生が3人立っている。その高校生の前に座っているおばさんが、降りようと座席を立った。その時、おばさんの膝から白いカーディガンがハラリと床に落ちた。「あら、汚れちゃう」と払いながら拾う図が予想されたが、気の毒なことに、それを自分で踏んでしまい、それでも尚気づかず出口に向かった。おばさんが自分のカーディガンを床に落とし、さらに自分で踏んでしまった時、「あっ!」という空気が車内に流れ、そのまま足早に降りようとするおばさんの後ろ姿に,「あー」という声にならない声が響いたその時、前に立っていた女子高生がそれを拾い、おばさんを追いかける。
 「落ちましたよ。」
 「あ、どうも。」
 何もなかったかの様に、女子高生達はそのままおしゃべりを続けた。
 
 それがどうしたって、女子高生がとっさにかけたことばの意味を考えるのです。
 「落としましたよ。」でなく、「落ちましたよ。」
 落としましただったら、主語はおばさん。落ちましたよ、だと主語はカーディガン。
 不覚にも白いカーディガンを床に落としてしまい、しかも自分で踏んでしまったという年配女性に対して、「落としました。」では、行為者がおばさんであることを強調していて、おばさんに対して高飛車にな言い方になってしまう。だからとっさに、「落ちました。」となったのでしょう。

 などと考えているうちに,川間に到着。

対話力

2012-07-10 16:25:29 | ライフスタイル
 頭が痛い。ずーっと同じところが痛い。もともと頭痛気味だけど,同じ場所が四六時中痛いのは今までにない症状。それが数ヶ月続いている。きっと何か原因があるに違いない、という布石はあった。
 夕食後テレビを見ながらウトウトした。番組の一部がストンと記憶から抜け落ちている。目を覚ましてからも,頭がはっきりしない。ろれつが回らない。頭の痛みが増し,頭部全体がもわーっとしている。これはまずいのでは。
 翌日すぐ病院へ行く。受付で口早にそのような症状を話すと,内科に行くように言われた。ここは脳外科ってもんでしょ、と少々不信。でもまずは症状を聞いて、そのあと脳外科に回すっていうことかと思い直す。呼ばれるのを待っていると,看護師が簡単な問診をする。そのときも昨夜の状況を語り始めると、「そういうことは診察の時に言って下さい。」とてんで人の話聞く気がない。「どうしましたか?」って聞いてきたからそう言っただけなのに、とぶつぶつ。そしてほどなくして診察に呼ばれた。
 医者は,チラッと一瞥しただけで、問診内容をポチポチとパソコンに打ち込んでいる。カチャカチャとブラインドタッチではなく,人差し指でポチッ、ポチッって。キーボードとモニターを交互に顔近づけブツブツ言いながら入力している。笑っちゃう光景。こりゃだめだ、って状態。
 症状説明って難しい。特に痛みの表現。うまく一言で説明できないかったから先の説明を言い直したら、「あんた、だってさっきこう言ったでしょう!」って初めてこちらに顔を向けた。入力し直さないとならないのが大変なことなんだね、と同情しちゃう。
 「で、そんなに頭が痛くなるようなこと,昨日は何していました?」って急にこちらを向いて話しかけてきた。何してたって,仕事です。「どんな仕事なの?」と超詰問調。最初は適当に説明していたけど、途中「塾」というキーワードが入ると「ん」って反応し、それをきっかけに態度が軟化したかのように感じられた。
 睡眠時間は?と質問を重ねる頃には、パソコン作業から離れて完全にこちらに向き直っていた。「そりゃ、疲労だわ。それって寝不足の時の症状じゃない。」そういえば、そうだ。完全に寝不足の症状だ。ろれつが回らないって,寝言ってことじゃん。なんでこんなことで病院まで来たんだろうと思ったそのときには、もう早く診察切り上げてもらってチャッチャと家帰ろう、と思うのに。
 医者はそれでも、うーんといろいろ考えている。そう言えば昨日コーヒー飲んだだけで水飲んでいないと、こちらから診察に終止符を打つための有益情報出しているのに、それでも「うーん」と続く。
 そこから先は,診察ではなく、「対話」。
 話しているうちに早く帰ろうと思う気持ちより,もう少し話していようかという気持ちになり、最初の「この先生だめだ」の印象が「この人すごい」に変わっていた。
 「頭痛やめまいに効く漢方薬出せるけど、どうする?」薬ってもらってもほとんど飲まないし、ましてや粉薬じゃまず飲まないだろうけど、なんとなく飲んでみようかなって気になり、出してもらうことにした。
 そして1週間分の漢方薬に律儀に日にちを書き込み、完全に飲みきろうとしている自分。こんなこと初めて。



釣るか、釣られるか。

2012-07-09 07:07:25 | ライフスタイル
 今年もやってきた、夏期講習の準備。スケジュール組んで募集案内を塾生に配布したのは7月に入ってから。こちらの予定、あちらの予定それらを全て考慮しながら日程を組む。この作業が毎年なかなか進まない。案内まだですか?って塾生からの問い合わせがチラホラ来るころ、ようやく配布となります。
 その点大手塾の対応は早いですね。6月上旬には広告入り出すからね。

 早いと言えば、成人式の広告。
 高3秋頃から入り始めた。手紙、DM、電話。今や毎日なにがしかの広告が届く。電話もしつこい。いらない。もうあります。などとかわしても相手は簡単には切ってくれない。「もうあるって、お姉さんのお着物ですか?」と食い下がる。うちは男です、って言ったときはさすがに、「え?」ってなったけど、それにも懲りずに同じところから繰り返しDM届くし、電話も相変わらず入る。これだけの宣伝広告費が商品価格に上乗せされるわけですね。しかし考えてみれば、こうやってDM使うことで、配送業者は儲かる。印刷屋も儲かる。経済回るから、いいか。いや,配送のガソリン無駄。紙等の資源の無駄。なんともかんとも、ですね。

 自分のときもそうだった。実家にまだ居たわけだから、あれは高校を卒業してすぐのことだったかと思う。中学時代の同級生が夜突然訪ねてきた。中学卒業後一度も顔あわせたことがない子。なつかしいねーなんて思いで話しもそこそこに着物のセールスが始まった。高校卒業して地元の呉服屋に就職したとのこと。同い年なのに、がんばるねと感心する。あちらは営業トークで一生懸命説明する。あの子がと気の毒がった母親なんかは、「買っちゃおうか」という気になっている。そこへ「成人式出ないから、いらない」という自分の一言がその日のセールスに終止符を打った。その後も何度か訪ねてきたらしいけど、「娘がいらないって言うから、ごめんね」と母親は丁重に断ったらしい。その後しばらく母親にブツブツ言われた。というより今でも言う。「お前があの時いらないて言うから。でも無理矢理買っておけばよかった。」
 その母親がまた言い出した。「成人式、どうするの?」





ことばの力

2012-07-08 09:42:00 | ライフスタイル
 先日OBが、「先生のメール、絵文字全くないから、なんだかさみしい」とのたまったから、思わずチャーと顔を見合わせてしまった。絵文字ないことを批判的に追求されたチャーは心なしかしょんぼりと、「絵文字使ったのはハートマーク、一回だけ。」って答えていた。
 絵文字は使わないようにしている。伝えたいことは活字で表せばよいので、安易に絵文字に頼りたくない。そういう主義主張を通している。でも、家庭内業務連絡メールの語尾に赤いハートマークがついていた時、文字だけにはないものがモワーンと漂ったあの感覚。それはそれで悪くなかったね。

 若い子達、実に他人に気を遣っている。メールが来たらすぐ返さないといけないといって、一日中携帯チェックしている子。実名のfacebookではみんないい人。人の批判する子いないし、みんな優しい。「それは人に嫌われたくないからですよ」って中くらいの若い子が分析していた。そうなんだよね、嫌われたくないから相手への言葉にとても気を遣う。そして伝えきれないニュアンスを絵文字に託す。句点の代わりに赤いハートをつける程度なんじゃなくて、そこには意志が込められているのですね。

 みんな対話による相互理解が大事だとわかっている。気持ちを伝えたいと思っている。でも語彙力が不十分で活字で対話はうまくできないこともわかっている。もし表現できたとしても,相手が正しく受け取るかどうかはわからない。相手が同次元の読解力とは限らないから、下手に活字で表現して誤解を生むよりは、共通言語となる絵文字で行間表しておいた方が便利なんだよね。
 などと、絵文字使用を許容しつつある今日この頃。使うかどうかは別物だけど。
 絵文字を使ってまで理解し合いたい,対話を成立させたいという要求をデジタル文化の若者も持っていることを評価しつつ、もしかしたら絵文字を使わないできたこちらの言い分は、これまで相手に十分伝わっていなかったのか、と思い始めた今日この頃。そういえば、なんでこんなことで誤解されるのかってことあったしね。

 それはさておいて、それでも鳥肌ものなのは。語尾の(笑)や(涙)のたぐい。
 「うまく言えないんだけど,わたしのこと誤解しないでね。」っていう媚びが漂う。そして後ろでペロッて舌を出している姿が目に浮かんでしまう。
 こういうのって、自分だけかな。
 

 

のんびりがもたらす効果

2012-07-07 21:57:46 | Badminton
 蒸し暑い体育館で,サタクラ。二階も足下も窓全開にする。
 小学低学年から中学生になっても,ずーっと通ってきている子。いつまで経ってもそこそこなんだけど、今日初めて基本的な指摘をした。それは,肩が回っていないということ。指導のタイミングが合ったのか、なんてことはない、練習前にほんの5分ほど説明しながら打ち合っただけで、いきなりきれいなハイクリア打てるようになった。本人も,「楽にとぶー」ってご満悦。
 月に1回程度の練習だから教えても無理、なんてやり過ごしながら何年も経ってしまったけど、やればできるじゃん。これまで全く指摘しなかった訳じゃないけど、どうせ月1回だしってお互いスルーしていた。それよりとにかく打ちましょうよ、そうだねそうしよう、って流していた。じゃ、どうして今日指摘し説明し、直そうって気になったのか。
 もしかしたら全体にも同じことが言えるかもしれないと思い、完全に今日は本格モードにした。いつもの鬼ごっこはやめて、ステップをとりいれたトレーニング、素振り、そして床打ち。
 こういうトレーニングや基本練習でも、飽きることなく落ち着いて練習してる。1年前の子達は,これができなかった。去年とはメンバー入れ替わりがあるものの、基本的には学年構成も人数も同じようなものだから、大差はない。もしかしたらこちらの問題かもしれない。指導者側の空気の変化かも。
 最近まったりした新人コーチが加わったのも良いのかもしれない。
 この新人コーチは川間ジュニア卒業生。
 子供達にステップや素振りを説明する。みんな落ち着いて話聞いて,言われたことをやろうとする。「あんた達に教えた時より,ちゃんと話聞くからやりやすいよ。」と新人コーチに言うと、「そうですかー」と間延びした答え。そしてゆったりした語り口で,「もう一人卒業生が誘ってほしいって言ってますよー」だって。サタクラ若返りだね。



いい子達に囲まれる

2012-07-03 09:19:57 | Badminton
 最近OB,OGとの食事会の機会が続いた。
 ワーッと集まり、めいめいに席に着いているところにバネ終えて合流。こういう状況ではたいてい座卓の回りに隙間なく座っている。が、先日はいつもと様子が違った。
 久しぶりに訪れた元下宿人。彼の配慮だと思うんだけど、私の定位置を空けていた。さすが営業マン。
 テーブルの上を見ると、みんな練習後で空腹だろうにコンビニで買ってきたつまみしか並んでいない。これじゃだめでしょー、ってチャーハンだの焼き肉だの、サラダだのと作り始めると、元下宿人は横に立ち一緒に料理する。なつかしいね、この感覚。そういえば彼らが居るときはいつもこうだった。私切る人、彼炒める人で流れ作業で大皿料理が次々できあがる。
 卒業生が集まると、だれが先輩で後輩なのかよくわからない。卒業しちゃうと皆一緒に見える。でも思い出話しになった時に、それを共有しているかどうかで世代が判明したりする。どのイベントを知っているか。たいてい我が家がどこにあったかで世代が区切られている。アパート時代。借家時代。そして今の家。
 先日初期の頃のOBに誘われて食事会に出かけた。もうこの辺まで戻ると、それはアパート時代になる。身も心も大きく、立派に成長した卒業生にすっかりお世話になってしまった。これからはこうやって卒業生に支えられながら進むのかな、とも思う。
 
 きっと彼ら、彼女らが、今後しっかりした土台となるであろうと確信した夜。