バネの風

千葉県野田市の「学習教室BANETバネ」の授業内容や、川上犬、ギャラリー輝の事、おもしろい日常を綴ります。

昼飯ぬきの仕事

2014-01-22 09:59:09 | ライフスタイル
 月曜日の眼科は混んでいた。駐車場が一杯。この時点で相当混んでいることがわかる。院内は全てのイスが埋まっている。これは2、3時間待ちだなと思う。この待ち時間に手術の予定を組んでおこう。これが3回目になるから流れはわかっている。術前検査する。恐らく今日やることになるでしょう。手術は月曜と木曜の午後。その日はバネ休むことになる。術後数日は染髪できず、洗顔は1週間できない。だからバネ休めてイベントのない頃に予定組みたい。そうやって候補日に見当をつけておいた。
 待合室で1時間過ぎ,万全なスケジュール作りが終わった頃、回りがイライラしていることを感じ始めた。受付に今何番を診察しているのかと問い合わせる人が立て続けにやってくる。ここは患者を番号で管理しない。必ずフルネームで呼ぶ。1年前に訪れたときはそれがアットホームな診療所的な良さを出していたが、その後急激に人気が出て遠方からも患者が押し寄せるようになった今、こうも進捗状況問い合わせる人が増えるなら番号表示になるのも時間の問題かも。
 診察は3人体制なんだけど、多くの人が院長先生を希望するから、診察は一人の医師に集中することになる。私の診察券には院長マークがついているから、受付時に「院長先生の診察ですね?」と確認されたが、多くの人は受付時にこう言われる。「診察は何先生にしますか。院長先生は大変込み合っていますから長くお待ちいただくことになりますよ。」と言われてもほとんどの人は、「それでもいい」と返す。別に簡単な診察なら院長先生じゃなくてもいいじゃん、と思う。だから本当に大変な人も長く待つようになっちゃうじゃん、と少々恨めしく思う。
 待つこと1時間半。ようやく奥待合室に呼ばれた。診察前にあらかじめ必要そうな検査は済ませておこうということなのだが、私の場合今日は痛くないし、充血が消えつつあるし、そもそも眼球癒着という面倒な症状抱えているんだから、いきなり検査するのもどうかと思うんだけど。痛みは秋頃からあるけど、いよいよもって我慢できなくなってきたからやって来た。でも昨日から痛みは収まったのだと手短に伝えると、やはり検査助手も同じことを考えたのか、結局検査はせずそのまま院長診察を待つことになった。1時過ぎたけど、奥待合室にはまだ10人は居る。何人かはイライラしている。何度も順番を問い合わせする人がいる。自分は順番を飛ばされたのではないかと不信感を拭えない女性は、スタッフが通るたび確認している。そして私の横にやって来て「おたくは何番ですか?」と聞いてきた。その人の番号は私より数番後だった。「皆さんこんなに待つのですね」と急速に安心したその女性は落ち着いて雑誌を読み始めた。
 一人あたりの診察時間を確認してみた。2分くらい。状況によっては長い人もいるが、数分で終わる。このままいけばあと30分かなと計算する。この日の午後は先生は手術が入っているはず。お昼いつ食べるんだろうと心配になってきた。ちょっとの時間にロールケーキほうばって終わりかな、と想像する。
 バネ始めた頃子どもたちからよく言われた。「先生、いつご飯食べるんですか。」そうか、あの時の保護者や子どもたちの気持ちはこんな感じだったのか。

 ひたすら待つ人びと。じっとひとつの空間にいて、しかも最後になってきたこともあり、患者同士の連帯感が生まれるたのか、ようやく自分の名前が呼ばれると、「お先に失礼」といった物腰で、少し勝ち誇ったように、そして照れくさそうにソファから立ち上がる人びと。皆でその背中を見送る。「やっと呼ばれてよかったね」と声をかけたくなる。
 どんなにイライラしていた人も、ブツブツ言っていた人も、「おまたせ○○さん」と先生から声を掛けられるとたちまち腰砕けになって、皆院長先生を前にしてフレンドリーな口調になっている。診察室での顔は見えないけど、声は聞こえる。前の人がそうなんだから、次の人だって誰も怒らない。「なんでこんなに待たせるんだ」って先生に向かって怒る人はいない。対人は鏡なんですね。
 そうこうしているうちに、待ち人あと数人のところでついにフルネームで呼ばれた。
 「もっと早く来ないと。あんまり我慢しちゃだめだよ。」が先生の第一声だった。
 結局のところ眼球癒着は心配なかった。痛みと充血の原因はドライアイだった。なんだ,超軽症患者ではないですか。これなら近所の医者でも良いし、もちろん今日院長先生限定でなくてよかったのは、この私じゃん。ドライアイの検査受けながら、「しかし手術経験者だし、やっぱりもしものこともあるから執刀医に診察受けようと思うのは当然のことだよね」などと自己弁護を反芻する。ここでは週2回手術する。1回で数十人が受ける。ということは1週間に50人とか、60人になるんだ。その人たちは皆、調子が悪くなったら執刀医に見てもらおうと思うわけで、だから何が何でも,どんなに待とうとも院長先生受診を譲らないという気持ちは皆一緒だし、今までじっと待っている人のほとんどが同じ状況だったんだと改めて気づいた。
 その後いくつかの処置してもらい、今後の話しをして、通算4回程「今度はもっと早く来るんだよ」のフレーズを繰り返され、私の診察、検査、処置の全てが終わった。

 会計をすべく受付に戻ると、手術室がある二階へ向かう階段を走る上がる院長先生の下半身が見えた。
 仕事ってこういうことだよね、と思う。
 しかし悠長なことを言ってはいられない。自分もそれどころではない。このままではもしかしたら今日の授業に間に合わない。
 どうか帰路渋滞しませんように。


美しい瞳の条件

2014-01-21 08:17:48 | ライフスタイル
 スーパー銭湯で天井から落ちた水滴が目に入った。それがもとで結膜炎になりこじらせ、眼球粘膜が癒着し手術するはめになった。
 いくつか大学病院はしごしたあげく、浦和の眼科にいきつき無事手術を受けることができた。しかしすぐまた癒着し、その数ヶ月後に再手術。こんな目にあってしまったので、以来銭湯には警戒してしまう。目にバイキンを入れてしまう危険性はどこだってあるのに。
 
 年末年始に帰省し近所の温泉に行った。
 洗い場隣に座ったおばあさんが話しかけてきた。
 「菅平行ってきたけど、雪降ってたのよ。」
 別所には全く雪がないのに、菅平は雪だったということを伝えたかったのでしょう。
 でもこの話しをヘーで聞き流せない。なぜおばあさんが菅平へ?スキーしに行ったの?
 そこでズバリ聞いてみた。
 「忘年会よ。」
 以外な答えが返ってきて笑っていると、そのおばあさんがザブザブと洗面器でタオル洗ってるそのしぶきが、かつて痛めた方の目に、まるで目薬をさすかのようにドンピシャリと黒目の上に完璧に飛び込んだ。
 やっちまった。
 すぐに温泉で洗い流す。

 これが原因というわけではない。因果関係ないけど、その後しぶきが入った方の目がひどく充血した。血の塊ができている。眼底出血?という言葉が浮かびネットで調べると、どうやらこれは疲れ目でそのうち血の塊は吸収されて消えるとのことが判明。とはいえ、目が赤いのは見た目が悪い。メガネかけているからか、それとも人は人の目を見ないからなのか案外他人に充血を気づかれないけど、たまたま気づいた人はたいてい「どーしたの?目真っ赤だよ!」となる。
 瞳の美しさとは白目が白いことが絶対条件だなと思う。
 充血はいくらか薄らぎながらも、血の塊が眼球を移動し、そしてずーっと目がしみるようなショボショボするような不快感が続いていた。また癒着したかもしれない。そして痛みは日々増し、「癒着したかもしれない」が「違いない」にかわり、目を開けていられない程痛くなってきた週末、いよいよ月曜には医者に行こうと決意した。
 ずーっと痛かった目。ずーっと充血していた目。だから病院行こうと決めた月曜の朝。こころなしか痛みが薄らいでいる。というより全くないような気もする。あんなに赤かった目が充血していない。美しい白目が出現している。
 たいていこういうもんだよね。今日こそ病院行こうと思った時には治ってる。「で、どうしましたか?」って医者に聞かれて、「喉が痛かった」と過去形で症状を訴えることになるのだ。
 そんなわけで、行くか行かないか迷ったあげく、大事をとって行くことにした。


 

磨き抜かれた500円玉

2014-01-19 22:37:43 | ライフスタイル
 洗濯機が壊れた。
 そろそろ洗濯終わったかなとふたを開けると,洗濯物はグッショリしている。脱水できていないまま,エラー表示で洗濯機止まっている。どうしたものか。不思議な現象だなと思いながら,脱水だけやり直す。
 その翌日。またエラー表示が出て脱水できないまま止まっている。うーん。これは,壊れたかな?
 前日のように脱水だけやろうと思うが、まてよ、これは脱水前で止まったのか、それともすすぎ前で止まったのかわからないではないか。すすぎしていない状態で脱水することになるかもしれないから,すすぎからやり直す。そして洗濯機の動作を監視する。
 すすぎはできた。
 脱水前の排水がどうもスムーズではない。排水ホースがゴボゴボしている。排水に手間取るために脱水に移ることができずエラーが出てしまうのだということを突き止めることができた。洗濯機本体の問題ではなさそう。とりあえず洗濯機を買い替えるという大出費は免れた。
 排水の問題か。ホースがさし込まれている排水トラップを外してそうじすれば済みそうだ。しかし,ここから先が難関だった。
 まずトラップが外れない。洗濯機の陰になって暗くて、狭くて,手が十分入らない。ホコリかぶってフタが固まっているから、なかなか回らない。悪戦苦闘して指を切ってしまった。無理にホーズごと引き抜こうか、それともここから先は水道屋か何でも屋を呼ぶしかないのか。それは安易であるし、なんとかして自分で解決せねばならぬと強い決意で,まずバンドエイドで指の応急処置し、懐中電灯を準備し,固まったトラップに棒状のモノを挟み込んで回したりしながら奮闘すること30分。ようやくトラップを外すことができた。
 さてここから先どうする。排水パイプに洗浄液を流し込むか。しかし、もしうまく流れず溢れたりしたら洗濯機下に流れ出した液剤の掃除はそうとうやっかいなことになる。しばらく悩んだ結果、まず外の排水溝の確認した方が良いという結論に達した。
 外に出ると、バンが「遊ぶ?」とまとわりついて来るが、「今それどころではない」と無視して裏口に回り洗濯機からの排水溝のフタをあける。後ろをついて来たバンも一緒に覗き込む。少々汚れている。家に戻り,洗面所の水を出す。また外に出て排水溝を掃除する。どうせここを掃除するなら、続いてこのゴミが流れる次の排水溝を掃除するかと隣の排水溝をあけてびっくり。そこで目の当たりにした目を疑う光景。それは,排水溝にてんこもりになっている土。モグラが盛り上げたような土が排水溝の8割ほどを覆っている。どうするこの事態。とにかく何かできそうな道具を捜す。小さなプランターをゲットし、これでかき出す。表面の土は軟らかいが、下は堆積して固まっているから、小さい園芸用スコップでくずしながらかき出す。全ての土をかき出して出現したのは、隣家側からの排水穴。どうもそこから土が流れ込んできたと思われる。どこの水が流れる穴なのか。その穴の方向に家の排水はない。答えは出ないまま、この先に続く家中の排水溝をチェックし、全ての水関係の掃除を完了した。ついでに家回りの掃き掃除し、いろいろかき集めた道具を元の場所に戻し、随分大仕事終えた気分。しかし問題の洗濯機は何も解決していない。
 洗濯機前に戻る。
 思い切って洗浄剤流し込むか。とふとその時,転がる500円玉を発見。なんでここに500円玉が?
 そうか、そいうことか。そういえば先日洗濯終えた洗濯槽に100円玉が刺さっていた。そうかあの時洗濯したのは600円だったんだ。100円玉は洗濯槽に挟まったけど、500円玉は洗濯機をすり抜け排水パイプまで流れついていたということか!

 洗濯機買い替えや何でも屋依頼という出費を免れただけでなく、思わぬところでで500円ゲットできたことになる。
 ピカピカになった平成24年の500円玉を、ポチリと貯金箱に入れた。


成人の日

2014-01-17 08:30:02 | 感動
 先日娘の成人式があった。
 野田市は1500人が新成人になったそうだけど,当日式に出席したのは何人だったのだろうか。
 高校3年生の冬から毎日のように着物のDMが届く。そのうち電話がかかってくる。ジャンジャン届くDMを開くことなく捨てる。電話は話しを聞くこと無く断る。しかしこれでもかこれでもかとやって来る,あの手この手。こう攻め込まれると,成人式セールスに乗っかることは,ひっかかるような気がしていやになる。そもそも子ども本人だって晴れ着着るつもりでいるか、式に出るのかもわからないしさ。
 自分のときは,晴れ着は却下。式も出ない。何も特別なことをしないでその日は終わった。「皆がこうする」からって当たり前のようにのっかるのが嫌だった。多分,儀式にからんだ商戦にのっかりたくなかったのだろう。
 
 今の子たちは違うらしい。
 友達とのつながりはとても大切だから,成人式は懐かしい人たちに再会する有意義な日なのだそうだ。そのための衣装が,晴れ着。皆同じような着物で,同じフワフワまとって、同じような髪型して。
 成り行きでディズニーランドの行列に並び、その並んでいる姿を知り合いに見られた時くらいの気まずさなんて全くないらしい。

 しかし有意義な一日だった。
 朝6時に家を出て着付け会場に向かう。8時半頃に着付け終わっただろうか。それから式典までの時間にこれまでお世話になった方々を訪ねた。子どもの頃面倒見てもらった方々。子育てに奮闘していた当時手を差し伸べて下さった方々。そして式典終了後も訪問を重ねた。
 皆一様に、ここまで大きくなったのかと感動し、それぞれに当時の想い出話をし。そうして感動と想い出を一緒になぞりながら、無事成人の日を迎えたことの価値を改めて噛み締めた。
 成人式は親にとって一区切りの日だった。



子どもの成長物語

2014-01-10 12:54:11 | バネ
 読むこと、書くことに特化したクラス、パンセ。
 今年度後半は「書くこと」のトレーニングを続けている。
 たいてい子どもたちは「作文、きらーい」っていうけど、今や原稿用紙3枚くらいはスラスラ書く。
 題材は今日あったこと、家族のこと、友達のこと。身近なネタを題材に書くことから始め、セリフだけでお話を作る練習、登場人物のキャラをたてる練習などを積み上げていった。そして2ヶ月間の構想、推敲を重ね、今月作文コンテストに挑戦する。題材は自由。フィクションもノンフィクションもOKというもの。
 生徒たちが挑戦するに適当なコンテストは2種類あった。原稿用紙5枚以内のものと、20枚~25枚のもの。子どもたちの意見を確認すると、5枚じゃたいしたこと書けないから20枚以上がいい!とまとまった。
 果たしてお話が作れるのか。20枚も書けるのか。「できない」、と全員が途中で投げ出す事を覚悟していた。無理しないで5枚にしておけば良かったかなとも思った。そんな私の不安をよそに、子どもたちはそれなりに書き始めている。最初に少々アドバイスをした。いきなり書き始めたら数枚でもたつくよ。最初に設定をしっかり決めよう。特に登場人物は大事。キャラは、名前は?書き出し、出来事、結末。ぶれないようにしっかり書き出しておこう。パッピーエンドにしてね。そして主人公の成長物語にしましょう。これらの注文をつけてから始めた。
 子どもたちは手書きだから挿入、移動が大変な作業である。もうここ何十年も手書きで文章作成することのない私から見ると、ふーってため息つきたくなるような書き込み方法。紙を張ったり、切ったりして移動している。
 そんなこんなで冬休み前にあらかた書き上げ、休み中に数回推敲し、そしていよいよ清書の段階にきた。

 完成に近いものを読ませてもらった。
 内容は知っている。主人公の挫折も、挑戦も、そして成長も。でも,読み直しながら感動してしまう。
 リアルな展開に、これって本当のこと?って聞くと。「フィクションですよ」って二ヤッてする子どもたち。
 フィクションっていうけど、主人公がどうしても作者そのものに思えて来る。主人公が動物になっていても、その子の顔が浮かんで来る。

 ちょっとの間に、子どもたちに抜かれてしまった。



いつもの景色

2014-01-10 08:52:03 | 感動
 流山に向かう道。田園地帯を通り抜ける道。
 ここを通るたび、自然の色に魅せられる。
 冬は特に美しい。長い陽射しが作る陰影。運転しながら頭の中で絵の具を置く。

 久しぶりに前の晩に雨が降った昨日は、その光景にハッとした。
 雨に洗われた枯れ草に東の日があたり,イエローオーカーの中からクリムソンレーキーが現れていた。まさに表面が流され、本来の色が出現したという感じ。心にしっくり来る景色に包まれている。
 山を見ると落ち着く。山に囲まれるとこの景色良いなと思う。360度山に囲まれて育ったから、当時は遠く見渡せる平原に憧れていた。だから初めて江戸川の土手に立った時感動した。まっすぐ伸びる道。吹き抜ける風。しかしその感動はたちまち薄らいでしまった。地平線に青く霞む雲を山と錯覚していることに気づいた時、景色に山がない不自然さを知ったのだった。どこまでも続く田園は単調な景色に思えた。
 しかし最近は変わってきた。山並みに入ると、山に囲まれる安堵感よりも、ここは土砂崩れしそうだなとか鉄砲水危なそうだな、湿気多そうだななどと冷めた目を持つ。そして、広がる田園地帯に安らぎを感じる自分がいる。