バネの風

千葉県野田市の「学習教室BANETバネ」の授業内容や、川上犬、ギャラリー輝の事、おもしろい日常を綴ります。

小学生が書いたイソップ物語風ショートストーリー

2024-12-14 21:38:19 | パンセ
バネの作文教室「パンセ」での一コマ。

「北風と太陽」の話をして、この教訓は何だろうと問うと、
5年生男子が間髪をいれず、
「誉めて伸ばすでしょ」

では次は自分でもイソップ物語風に書いてみようということになった。
主人公は人間以外。そして人間社会への教訓が含まれること。
原稿用紙2枚で書くという宿題にした。

そして翌週提出した先の5年生男子の作文。
かいつまんで紹介すると。

三毛猫のミケがいつもの散歩コースを歩いていると、その途中でミケの大好きな白猫のシロちゃんと出会った。
「ネコといったら、やっぱ白色だよね」
と言われ、ミケは嫌われたくないので
「そうだよね。他の色とはしゃべりたくもないよ」

また歩いていると、ミケの先輩で黒い毛のクロちゃんと出会った。
クロちゃんは
「ネコと言ったら、やっぱ黒色だよね」
と言い、ミケは嫌われたくないから
「そうだね。他の色のネコは見たくないよ」

次の日もそこを通ったら、シロちゃんとクロちゃんが何かもめていた。
「ミケ!!」
「白色の毛は見たくないんだろ!」
「黒色の毛のネコとは話したくないんでしょ!」
「えーっと」
「嘘ついてたの!?」
「おまえは茶色のねことでも遊んでろ!」
「じゃーな」

タイトルは「それぞれの色」
この話を中学生に披露すると、「深い。すごい。天才!」

三毛猫だからシロ、クロ、チャというのも面白いね。

バネの作文教室「パンセ」から作文賞受賞

2024-12-04 10:02:31 | パンセ
バネでは小学生対象の作文教室「パンセ」(月曜 月3回)を開いている。
これはバネ始めた当初から授業の中で作文指導をするうち、作文の人気が高まり作文に特化したクラスを独立させたものだ。

作文の点数化はできないしい、テストもない。
それじゃ目標設定としてコンクールに応募すっか!となり、タイミング、テーマ、ボリューム等が合うコンテストを選ぶ。
その結果「朝日小学生新聞社児童文学賞小学生部門」に応募し、バネの5年生が「朝日小学生新聞賞」を受賞した。
先生も一緒に大人部門に応募しようかな?なんてつぶやていたのをしっかり拾っていた子に、「先生の作文はどうなったの?」とニヤリと聞かれた。私はその時結局書きかけのまま仕上げることができなかった。

それ以降、通常の授業コマに別途作文教室枠を作ることが難しくなり、作文教室は閉めてしまった。やはり学校のテストや入試に直結する授業を優先することになってしまった。

でもやっぱり学力は作文からだよね。
と一念発起し、再度「パンセ」クラスを始めることにした。
そのためには他のクラスを削り、通常クラスの入塾生枠を絞りしてキープした作文教室枠。
もしこれで誰も作文教室に来なかったとしても、このまま授業枠キープし続けようと募集案内をバネ生のみに告知したところ、数名がやってきた。

そうやって続けてきた2年目となる今年の夏。
「読売新聞小中学生作文コンクール」に応募した。
そしてそのうちの1点が県の優秀賞に選ばれた。

大抵は作文は苦手、作文書くの嫌い、と言う。
そんな子たちにあの手この手でテーマ探し書く練習繰り返していると、原稿用紙2枚くらいならスラスラ書くようになる。
今回のコンクールでは原稿用紙20枚を目標とした。
「ムリー!」と叫ぶ子たちと伴走していくうち、「これって、いいんじゃね」というものが書き上がった。

そして清書。
手書きだから大変だ。挿入や移動があると最初から書き直し。そんなことを何度かやりできあがった。
この時点で子供たちは大いなる達成感ですよ。

そして受賞となると弾みがついて、「来年は最優秀ねらいます」だって。すでに頭の中に構想があるらしい。

あの時書きかけになってしまった私の作文(小説)の続きを書こうと思う、とつい子供たちに言ってしまった。また「先生の作文はどうなったの?」と聞かれてしまう日がまたやってくるのか?


パンセとは文字通り考えること。

2023-07-22 08:53:13 | パンセ
 今年度からリスタートした小学生作文教室「パンセ」
 第1クール、12回コース終了。
 7月の3回は学校の夏休みの課題である読書感想文に備え、感想文を書く練習を行った。
 感想文を書く視点が学習のテーマだったので、視点考察するためには授業内で読み終える課題でありたい。そこで選んだのは、絵本。
 3回の課題図書は、
 1.つみきのいえ
 2.きたかぜとたいよう
 3.つるのしかえし

 1回目の課題「つみきのいえ」は大人の絵本だけあって読みがしっくりこなかった。地球温暖化問題に触れるのは優等生的作文で、おじいさんが過去を振り返る感情に寄り添うのは年齢的に無理があり、薄い感想になってしまった。やはり大人向けだった。
そこで2回目と3回目はイソップ物語から選考。

 イソップ物語は動物などに例えて人の業を語っている。それをどう読み解き、さらには今後とりかかる創作分の参考になればと思い取り上げた。
 どちらもすぐ読める。その場で感想を言い合う。
 少し先生がヒントをだしてしまうと、目が上向いている。何か考えている。

【「きたかぜとたいよう」を読んで編】
 数人は、人は叱られるよりも褒められた方が結果が出やすいと勉強やスポーツ活動を引き合いに説明した。うーん、大人として頭が痛いご指摘。気をつけます。ぽかぽか太陽(褒められる)だけでもダメで、ときおり北風(しかる)も必要だと付け加える子もいた。いいね、将来学校の先生向きだね。
 一人は全く違う視点。
 きたかぜとたいようの対決に旅人を巻き込むなんてひどい。コートは旅人が大切にしているものかもしれない、飛ばされてしまったらどうするんだ!と鋭いご指摘。子供の頃からこのような視点で読んだことなかった。いえ、もしかしたら最初は同じ感想を抱いたのかもしれない。
 状況を自分に置き換え「こんなことやめて下さい」と言える感性。さすが子供。教訓が白々しくなってしまう。

【「つるのしかえし」を読んで】
 これは少し難しかった。キツネがツルを家に招待し平らな皿にもったごちそうを振る舞った。ツルは食べることができなかった。その後ツルがキツネを招待し、細長いグラスにごちそうを入れ振る舞い、キツネは食べることができなかったという話。
 きつねの意地悪にツルがしかえししたことで、「いじめ」問題に触れるまでいった。ツルにやり返されて、キツネが自分のいじめを反省するだろうという解釈までは出せた。しかしなぜ最初にキツネはツルに意地悪したのか? という問いにはうまい言葉が見つからず目をグルグルさせて考えていた。
 相手の弱点を突くことでキツネは優越感を持ちたかったのでは? と先生が解釈をくわえると、一同「なーるほど」と納得しつつも、さらに「それだけか?」と思考の海にはまった感じ。
 「平等」と「障害がある人」いうキーワードを使って感想を述べようとした人もいた。何を言いたいのかうまくまとまらないけれど、この話に重要なワードだという。
 ドキッとした。鋭い感性。やはり通り一遍の教訓で読むだけでない。この話に隠されたものは深い。

 12回コースで、エッセイ、意見文、読書感想文をテーマに書く練習した。
エッセイが難しかったようだ。しかしイソップ物語読み込んだ後の今なら、そこそこのエッセイかけるかもしれない。
「どうして?」と考えることが哲学だよと伝えると、「テツガク」が流行っている。
「先生、この作文テツガクしてる?」とか「ここからここまでがテツガクだからね」って。

9月以降がますます楽しみなパンセクラス。



作文教室パンセ授業風景と課題

2023-04-16 10:42:27 | パンセ
4/10 パンセ
初回授業風景
 ブラン君の散歩の様子をおもしろおかしく話した。話している最中もブランは教室内はしゃいで走り回り、子供たちの膝に手をかけ、スリッパくわえて逃げ回る。一通りブランの散歩の話を終え、「さて、ブラン君ってどんな子だと思いますか?」
すると、「びびり」、「こわがり」と一様にブランの性格を正確に言い当てる形容が返ってきた。
これが狙いです。
その人(犬)らしさを表現するために、ズバリ形容詞を使うのではなく、そのキャラが伝わるようなエピソードで伝える。
子供たちは、ふんふんとわかったような顔していたので、そこで家で書いてくる作文の課題を発表。

今回の作文課題は「家族の紹介」
お父さん、お母さん、兄弟姉妹、またはペットでもいいので、誰か1人をその人らしさが伝わるエピソードを交えて紹介する。

「うちのお母さんはのんびりやさんです」などとズバリ性格を表現せず、エピソードを通じてのんびりやさんであることがわかるようにすること、と注文をつけた。

さて次週どんな作品を提出することでしょう。

エモい考

2023-04-06 10:26:44 | パンセ
先日の春期講習最終日に、そうだいつも誰かに尋ねようと思っていたことを、中学生に聞いてみた。
「ところでさ、エモいってどういう意味?」
一瞬沈黙。
「せんせー、そんなことも知らないの!」
と言われるかと思ったら、全員が
「知らない」
ときた。
「でも、なんとなくわかる」
って続ける。
そうなんですよ。自分だってなんとなくわかる。
悪い意味ではないのはわかる。でも使いたくないなーって直感的に思うのは、語感が「エロい」とか「キモい」に似ているからだと思う。
「意味わかんないって、あなたたちは使ったことないの?」
「私は使わないけど、お姉ちゃんは使ってます」
「たぶん、英語のエモーなんとかからきてるみたいです」
あー、そういうことか。
emotionallyか。
納得。したけど、当面は使わないと思う。
エモい、emoい、は字面がemojiに通ずる感があり、ちょっと違うなと感じさせる。

絵文字をコミュニケーションツールとして多用するのは苦手で、かといって自分だけ絵文字無しは冷たい感じに受け取られると妥協して、たまーに使う。
「話しにくそうに見えるけど、話してみたら、話しやすいジャン!」と何度言われたことか。
絵文字使わないような、みんながやることをあえて避けるような、こういうひねくれた感がとっつきにくさを漂わせているのだろうなと自己分析する。
でも、いいさ。
4月からスタートする、バネの作文教室「パンセ」ではこのあたりをつっこんでいく。
安易に形容詞で気持ちや様子を表現せず、文字で伝え文章で響かせる。
説得や説明は言葉で行う。
そして感動は言葉で伝え合う。
食レポで「おいしーです」の連発ではなく、思わず食べたくなるような直感の表現ができるように、こんなトレーニングを積み上げる。
読み手や聞き手が日本語力を共有していなければ伝えようにも伝わらないから、まずはそこからですね。

パンセ、いよいよ復活の日

2023-03-24 20:30:12 | パンセ
バネの作文教室「パンセ」を4月から始める。
以前小学生対象に作文教室開いていた。
書き方のコツをレクチャーした後、毎回テーマ決めて作文一つ書き上げる授業。

作文クラスの始まりは、算数や国語の一般クラスから派生した特別講座だった。
学期末などに授業進度に余裕があるときに「今日は作文書こうか」となった。何度か作文取り入れると、「先生、作文やろうよ」「作文授業がおもしろい」と言われるようになり、作文だけのクラスを作った。
文章を書くことは考えることだから、フランス語で考えるを意味する「パンセ」と名付けた。

本格的な作文クラスを作ったは良いが、算数や国語と違い成績を点数化できない。成果が見えにくい。そのため学習目標としてコンテストに挑戦にした。
4月からスタートするので12月頃に提出できる小学生対象の作文コンテストをターゲットに、子供たちはそれに向けてトレーニングした。
4年生から通い始めた子が2年目に朝日小学生新聞大賞を受賞した。
原稿用紙20枚の短編小説だった。
「先生も小説書いて、何かに応募しようかな」とつぶやいたのをその子はしっかり拾っていて、受賞後「先生の小説はいつ読ませてもらえるのですか?」と問い詰められたのは遠い思い出となってしまった。
大賞を受賞したお母さんは入塾時にこう言った。「うちの子には作文だけ教えてください。算数とかやらなくていいです」

その後そう言うお母さんに出会わず、作文だけでは生徒が集まらず、というよりも毎回イレギュラーで準備が大変な作文クラスを続けるエネルギーが薄くなったという方が正しくて、いつの間にか作文教室は消滅していった。

近年、「うちの子文章が読めないのです」と言われることが増え、「算数はいいから国語指導してください」と言われるようにもなってきた。
最近は保護者から「読解力がないと学力伸びないですよね」と先に言われることもある。

こんな情勢もあり、今自分が子供たちにやるべきことは作文教室ではないかとの思いが強くなり、4月から作文教室「パンセ」復活となった。復活させようと覚悟した。
文章を書き、考え、人に読んでもらう。作文トレーニングを積み読解力、思考力を養うクラスの復活。

とはいえ生徒集まらないかもしれない。でも、全く生徒が来なくても、あるいは一人しか来なくても、粛々と続け、コマを設定し続けておこう。このクラスこそが今自分のすべきことなのだから! と決意を持ってクラス案内を配布した。
もともとバネは広告は出さないので、通塾生への案内配布のみ。
良ければそのうち口コミで人が集まるだろうしと気長に構えることにした。

すると、意外にも作文教室申しでが複数からあった。
なかには「こういうクラスこそが、うちの子に必要なんです」というお母さんがいた。

また作文教室で盛り上がれるかもしれない。
「先生の小説読ませてください」なんて言われる日がくるかもしれない。

作文教室再開します。

2020-02-25 11:38:14 | パンセ
バネの作文教室 パンセ 再開のお知らせ

【 月末配布のバネ通信3月号コラムより】
 先月以上に、日々新型肺炎リスクが大きくなってきている今日この頃です。主宰するNPO団体の2/22のイベントを決行するのか中止するのか主催者としての決断が迫られました。中止を決断したのは2/19。イベントの3日前でした。「やらないのですか?」という時流に乗ったかのような判断を冷ややかに見る目もありましたが、少しでも不安があるのならばリスク回避すべしと決断し中止としました。

 この出来事は二つの示唆を含みます。

 まず一つ目。少しでも不安がある限り、徹底的に対処し、万全の策を練るべし!です。これは受験勉強にも言えます。
「いつもここで点取れないんだよね」とか、「適当に書いたら当たってた。オレってすげー!」なんて箇所があってはだめです。確実にできるまで徹底しないと、本番では得点に結びつきません。だから受験生最後の詰めは不安箇所の徹底学習になります。
 今年もそうでした。全教科でそれをやるので,それ相応の時間が必要になりますが,最後の1ヶ月の徹底学習は、これまでの経験上かなりの割合で得点に結びついています。そして神がかり的なのですが,どういうわけが直前学習の箇所からの出題が多いのです。いわゆる『予想が当たった」ってやつです。万全対策だからこそなのでしょう。

 二つ目は,目に見えないもの(この場合ウイルス)を注視すべし、です。どこに存在するのかわからない肉眼で捉えられないウイルスへの対処として,マスク・手洗い・うがいをこぞって実施していますよね。しかし、目に見えないモノへの対策は流行が去るとたちまち忘れ去られ、先日までのあのウイルス対策は何だったんだろう、『喉元過ぎれば熱さを忘れる』という緩んだ気持ちになることでしょう。(実際のところ早くそんな日がやって来て欲しいのですが。)
 これは学力についても同じことが言えます。
『見える学力・見えない学力』を提唱した岸本裕史先生の教えを継承し、100マス暗算に代表される影山メソッドが巷を賑わしたのは20年ほど前です。しかし今では、「100マス暗算って、何?」と言う小学生がいるのだから、せっかくのメソッドが一流行で終わったのは残念でなりません。
 私が岸本先生の本に出会ったのは調度バネを始める25年前。それ以来子ども達の『見えない学力』を養うべく、暗算力、読み書き能力、そして何より学力を下支えする整理整頓や時間管理能力等の生活力養成にバネを通じてアプローチしてきました。ややもすると保護者受けが良い、学校のテストの点数に直結される指導(見える学力)に傾倒しがちになりますが、そこは一教育者であること、バネで出会った子ども達への大人としてすべきことすべし!の信念を持ち、子ども達に「エー、また100マス!」と言われても、「先生、英語教えないのですか?」とお母さんから詰め寄られても、本当に大事な『見えない学力』の養成に努めています。

 この信念から始めたのが「パンセ」です。パンセで文章を書くトレーニングを通して、思考力を養い学力向上に貢献していたと自負しております。しかしパンセは数年で閉じました。バネはワンオペ運営ですので、時間的な余裕がなくなった際に、事業として効率の良い「見える学力」指導を選択してしまいました。
 パンセを閉じて数年。内情を言うと、実は2019年度からの継続生が減り、新年度生が減少し時間割に余裕ができました。これをチャンスと捉え今こそパンセ再開すべし!なのです。

 2020年度開講のパンセは、月2回、月曜に開きます。対象は小学生高学年です。宣伝、広報一切しておりませんので、今のところ生徒0人です。何らかの方法でパンセ開講を周知し最終的には8人程度のクラスを見込んでいます。

 ご縁がありましたら。

夏の作文教室が残したもの

2016-08-30 14:46:16 | パンセ
バネの夏休み作文教室。
通常1年間で形にするところをほんのさわりの4回で何かを伝え、何らかの成果を残したい。
という気持ちで始めた。

1回目は作文を書くにあたり守ってほしいことを説明し、そのあと長い時間かけ日常の中からネタを見つけ最後に魅力的なタイトルをつけてほしいと話した。例文を示しながら。
「ふん、ふん」と聞き入り、時折「なるほど」などと相の手を入れる小学生。
本当にわかっているのだろうか。ただ単にこの子は素直でいい子なだけなのではないだろうか。
「いま説明した内容をぎゅっと詰めた物語を先生が作ったから、読んでみて」
説明だけじゃ伝わらないだろうと、説明事項のポイントを詰め込んだ見本の物語を前日までに作っておいた。

書き出し。日常のネタ。小さなシーン。登場人物のキャラを引き出す会話。
10分間程度のできごとを掘り下げて原稿用紙6枚分にしていること。
日常のありふれたできごとから、話題を見つける視点を感じてほしかった。
そしてこの物語に、読後「なるほど」となる題名をつけることを1日目の課題とした。

小学生がしばらく考えてつけた題名は、案の定普通だった。
先生がつけた題名を告げると、「そうなんだー!」って言いながらメモしている。
これが正解ってわけじゃないけどね、もっといいタイトルがあればそれにしてもいいよと言うと、そんな話には耳をかさず、「なるほどー。そうなんだー」を連発する。
小学生がうなったタイトルは
「次は回転寿司で」
この場合「で」が重要なんだよねとつけ足すと、「そうだ、そうだ」と喜んでいる。
タイトルに込められたオチがわかったように見受けられる。

さて2回目レッスン。
タイトルの付け方がわかった風だったので、1回目の物語の続編にタイトルをつけるようにと言うと、
「続きがあるの?やったー」

タイトルそっちのけ。
この後どうなるの?自分だったらこうする、と話は続いた。

レッスン用に書いた物語。タイトルレッスンのために第3話まで書いた。
そして今、この物語は夏期講習レッスン用ではなく、自分の中で小学生の女の子が生き成長し始めている。

ゆずり葉の頃

2015-06-07 09:41:33 | パンセ
 ドラマで気になるのは、生活感がないこと。
 一人暮らしであんなに部屋片付いているわけないとか、あんなに広い部屋に住めるわけないと突っ込み入れながら見ているから、夢ないよね。「素敵」と単純にときめきを楽しんでおけばいいのにね。
 ロケ地なんかだときれいなところだけ、都合いいところだけ写して、見せたくないものは脇に寄せておくから、あの川は○○、あの通りは○○などと切り貼りロケして、たまに別所温泉やその界隈が映画なんかで登場すると、「へー、こうやって貼り付けると立派に見えるもんだね」とか、悪いイメージで使われがっかり感漂うこともあり、地元民は見せる手法に感心するわけです。

 「ゆずり葉の頃」
 先日特別鑑賞券をいただいたので、岩波ホールに観に行ってきました。
 平日午前の部だから空いているだろうと思いきや、開演30分前でもうすでにロビーは人で一杯。高齢の女性が多い。それも皆品が良い。ほどなく開場し席につきゆったりと待つ。周囲の雰囲気がそうさせるのか、このまま眠ってもいいかもと思えるほどゆったりした気分。
 映画は八千草薫さんをはじめとした出演者の品格が漂って、感じ悪い人が一人もいないのでした。この映画が伝えたかったことはたぶん自分には十分伝わってなくて、それは世代的に無理なのであって、あと20年ほどして観たらまた違う感慨が押し寄せてくるのだろうなと思います。
 
 というわけでここではストーリーには触れず、ロケ地の映像について感想を一言。
 ストーリーは北軽井沢を舞台としていたので、もしかしたら上田でロケしているかもしれないから馴染みのある景色が出ないかと気にかけて観ていました。山の形を見れば位置がわかるけど、終始曇天で山が見渡せない。でもどこかで見たことがある風景。山麓の斜面感があるから小諸あたりかなと思いながら観るうち、自分の中ではそこはすっかり浅間山麓に広がる田園地帯となっていました。違和感なくそこにいる気分が心地よい。
 そうかこれは景色の切り貼りしていないからだ。曇天なら曇天のまま。雄大な山の景色を望めないなら、そのまま。農作業小屋もエキストラも普通のまま。もしかしたら制作のために本来そこにはないバス停のベンチを置いたかもしれないけれど、自然を演出している感じはしなかった。無理はするけど無理はしない。こだわるけれどこだわらない。
 
 この映画の監督さんは76歳の女性で、今回初監督作品だそうです。

 

 

 

 

「自分ってどんな人」

2014-06-01 08:47:32 | パンセ
 パンセに高校生の入塾希望があった。このクラスは小学5年生から中学生を対象としているから本来なら高校生は別枠で個別対策の小論文コースを勧めるけど、母親から状況を聞くかぎりでは今のパンセクラスで一緒にいけそう。
 この子は3月までバネ生だった。中3で最後の授業を終え教室を出るとき、「またすぐ戻ると思いますよ」などと言ってはいたが、こんなに早く戻ってくるとは。

 前回の作文のテーマは、「ピンチの話」。自分がピンチだったときのこと、それをどうやってきりぬけたのか、またはきりぬけられなかったのか。ノンフィクションで書く。そのピンチが読んでいる人に伝わるように状況を詳しく説明をするというのが課題だった。制限時間は15分。持ち帰った子もいたがその場で書き上げた子もいた。しかし読む時間はとれず、講評は次週に持ち越しとなっていた。
 まず授業最初にピンチ作文を読む。
 いつもよりじっくり講評した。状況説明が不十分ではないか。自分はよくわかっていることでも意外と他人は知らないのだから。この時こんな気持ちだったのではないか。正直に気持ちを書いた方がよかった。ピンチの原因となった大事なことに触れていないため、あなたのピンチがリアルに伝わらないのではないか、等。

 読んでこれ物足りな、薄いなと思う作文は、大事な自分の気持ちに触れていないモノ。自分の悪い心を暴露しようとしない。「こんな時そういう悪い気持ちは誰でも持つものだから、書いても大丈夫」と指摘する。ズバリだった子は顔を赤らめ、言葉にされて今初めて自分の気持ちを気づかされたという子は遠い目をする。

 これらいくつかの指摘のあと、「自分ってどんな人」というテーマでエピソードを交えながら「自分の短所を書く」を課題にした。今回は30分とじっくり時間をとった。多い子は時間内に3枚書き上げた。
 どれだけ自己分析しているか。どんな風にエピソードを使っているか。

 随分良くなっている。説明、気持ち。今までよりずっとよく書けている。
 でもまだ薄い。というより薄ら寒い。悪い自分をさらけ出せば先生が評価すると勘違いしたのか、薄っぺらに卑下している。だから一層その先に、『実はそんなに悪くない自分』が見え隠れする。
 次は課題を変えよう。自分の長所を書いてもらおう。
 この内容から高校生合流ってことですね。


犬だってほめられたい。

2014-05-21 11:39:22 | パンセ
 
 
 バンの不思議な行動の一つ。
 顔を合わせる度、エサを食べる。ドッグフードをパクパクとほおばり,顔を上げてこちらを見ながらモグモグする。こんな調子で食べるのならエサはいつだって空になっていそうなものなのに、そのモグモグしているのは朝入れたままのエサだから、一日中食べないでおきっぱなしにしているのに、見ている時だけ勢いよく食べるフリをする、と思われるような行動をする。
 「あいつ、エサ食べると褒められると思っているのかな?」とチャー。
 そうか、そう言われれば思い当たる。

 バンは赤ちゃんの時からドッグフード食べない。エサを入れる。覗き込んで,なんだこれかって顔して食べない。キュルキュルお腹なっていても,食べない。食べるように無理に口に入れると,横からベロで押し出す。仕方ないからそのままにすると,一日中そのままになっている。
 そんなことしているからバンのエサ入れ狙って鳥がやって来る。スズメが来てついばむ。ムクドリが来てつっつく。そしてついにはカラスがやって来て、小屋の中に退避させたエサ入れをくわえて外でひっくり返して食べる。やれやれ、と思う。

 こんなんだから空になっているエサ入れ見ると、「よしよし今日はよく食べたな」と思う。庭に出る度エサ入れチェック。空。「いいこだね」とか「よく食べたね」と言う。近くにバンがいればついでに頭をなでたりもする。

 こんな習慣が,食べるとほめられると刷り込まれたのかもしれない。

 怒られるよりはほめられたい。
 ほめる効果って大きい。犬ですらこうなんだから。
 子どもを怒っている場面に出くわすと、「何もあんなに怒らなくっても」と思う。

 「なんで食べないんだ!」って言うより、「よく食べたね」って言った方がいい。
 忙しいとか自分に自信がないなど心に余裕ないとほめるより怒るになってしまうから、特に子どもと接する時は気をつけないと。

初回パンセ授業

2014-04-09 06:57:58 | パンセ
 新年度最初のパンセ。
 パンセ3年目の生徒がいる一方で,新入生もいる。
 経験やレベル差がある中で、どんな授業ができるか。

 全員であるエッセイの読解にとりくんだ。
 軒下で雨宿りしている子猫たちのためにみかん箱と段ボールでネコ小屋を作ってあげたら、しばらくして子猫たちが小屋に入るようになった。子猫の様子に風流を感じると言う話し。通常ならその後この文章の設問を解くのだけど、今回は設問はスルーした。
 エッセイには大人の経験が詰め込まれている。果たしてこれが小学生に理解できるのか。字面をなぞって設問解いたとしても、「何言いたいのかよくわからなかった」と共感できないまま終わるのではないか。
 今回は設問を解くという無粋なことはやめ、まずは言葉の理解を一つずつ確認していった。
 この意味わかると聞くと,案の定「初めて聞いた」、「なんとなくわかる」、「でも説明できない」となった。それは、『軒下』。やっぱりね。今の家に軒下ないからね。絵を描いて説明する。
 続く言葉は『風流』。これにはテキストに脚注があり、風流とはおもむきがあることと記載されている。
 風流って何、と聞くと、すかさず「おもむきがあることです。」って、あのさ、それじゃおもむきって何?
 おもむきを感じる例を出しながら説明するが、たぶんこれは皆理解できなかったと思うよ。
 そして雨を眺める子猫を見ながら徳利を傾けたいなと語る作者の言葉から、『とっくり』って何? 全員わからない。一人がもぞもぞしながら「こういう風になった服のこと?」と聞いてくる。それは徳利セーターの事ね。これも絵を描いて説明する。と「お酒飲む時のヤツだ!」
 子猫に優しいという状況からくるのか、皆この作者は女性だと思うと言っていたが、徳利の意味がわかると、おじさんかおじいさんじゃないかと想像するようになった。
 
 さて、ここから。
 ではこの短いエッセイに題名をつけてみよう。
 含みを持った題名をどうつけるか。皆10分程かけ2、3考えた。
 で、さらにここからが本題。
 おじさんの気持ちに寄り添って風流に共感するなんて小学生には無理でしょう。でもこれならできる。
 この日のパンセの課題は、「あなたはここに登場する子猫になって,子猫から見た話しをつくりましょう。」

 すると書く、書く。30分で原稿用紙2枚。
 登場人物に子猫の両親やおじさんの奥さんが加わるなどして話しが膨らんでいる。ネコ目線の小屋の使い具合にも触れられている。

 初回としてはよく書けました。
 最後にタイトルをつける。ここで悩む,悩む。
 書き上がらなかった子は原稿用紙を持ち帰った。来週どんな話しを持ってくるのか、楽しみ。
 

タイトルは命

2014-04-08 07:49:37 | パンセ
タイトルに命をかける。
これはバネの読む書くクラス「パンセ」受講生に言っていること。

タイトルでネタばれさせてはいけない。文章を最後まで読んで、そして初めて「なーるほどね。だからこのタイトルなんだ。」と思わせたい。
例えば、「筑波山登山」というタイトルで,春の遠足で筑波山に登ったことをツラツラ書いたって、なんにもドキドキ感がない。

だから最初にタイトルを決めて書き始めるのではなく,全部書き終えてからタイトルを考えようと指導している。このお話はどこに本質があるのか,隠し扉はどこか。本文中の印象的な会話をタイトルに持ってきてもおもしろい。

ただし、これはある程度読者が確保できている場合でのこと。
学校に提出する作文なら、読者として最低でも担任の先生は確保できている。先生が出した課題なんだから、先生には絶対読んでもらえる、というより先生はどんなにつまらなくても子どもの作文を最後まで読まなければならない。だから刺激的なタイトルやネタばれタイトルで呼び込む必要はない。
先日パンセの生徒が朝日学生新聞社賞を受賞したが,その子の時もそう。
公募原稿なんだから,審査員という読者が確実にいる。だから文章を最後まで引っ張れるタイトルで勝負かけられる。
受賞した男の子の小説のタイトルは「ふまなかった柿」。最後まで読めば腑に落ちるタイトル。これは「ふめなかった柿」ではだめだし、「ふまない柿」でもだめ。そして柿はカキではだめ。などとこだわってつけたタイトル。

しかし不特定多数の読者に,ホイッって投げ出す文章だとこれではだめです。ネタ出ししつつ,刺激的でないと。

さてブローチからgooに引っ越ししたこのブログ。
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