14 1985年9月24日(火)夕立あり
4日間使ったホテルを11時に出ることにして、朝の間にホテル窓越し風景をサム号に油で描く。
トレド橋の時はホワイトを使わないでやってみたが、今日は白を沢山くれて描いた。おもしろいのができた。西洋の建物では白が必要とされると思った。ただ、ホワイトの乱用にならねばよいが。
トレド橋の時はホワイトを使わないでやってみたが、今日は白を沢山くれて描いた。おもしろいのができた。西洋の建物では白が必要とされると思った。ただ、ホワイトの乱用にならねばよいが。
No.513 SM マドリードホテル窓より
正午には王宮の見学をする。時間待ちして入ってはみたが、各ツアーごとに英語ガイドがいて、一般の旅行者なるもには勝手が利かず、少し見るだけで出る。
ゴヤパンテオン横のレストランで昼食
マドリード王宮前
近くに華麗な壁面のゴヤ美術館なるものを見つけて入った。教会が美術館になっていて、部屋の上段にゴヤの墓らしきものが置かれ、天井壁画が素晴らしい。プラド美術館で見たものより色彩が生々しく新鮮だった。美術館を出る時夕立に遭った。暑い日続きたっだから、気持ちよかった。
スペイン最南端のアルヘシラスへ行く寝台車に乗るために、夜食を買い込み、マドリード駅へ戻る。
向かいのホームから出る同じアルヘシラス行きの普通車に、黒人の若者たちがひしめいていた。荒くれ者の囚人列車を思わせる様相に麻美は恐ろしがって行くのを取りやめようかと言いだした。予定の寝台車に乗り込む。勝手のわからずまごつく。
向かいのホームから出る同じアルヘシラス行きの普通車に、黒人の若者たちがひしめいていた。荒くれ者の囚人列車を思わせる様相に麻美は恐ろしがって行くのを取りやめようかと言いだした。予定の寝台車に乗り込む。勝手のわからずまごつく。
アルヘシラス行き寝台列車で夕食
寝台車ではフランス人の親子三人が同室となる。やたらとしゃべりまくる親子だった。列車は定刻の午後8時20分に発車する。フランス親子は一行に夕食の様子がないので、麻美とワインで済ませ、3階に登って寝てしまう。
【追記】寝台車は初体験だった。マドリード駅でアルヘシラス行きのホームにたどり着くと、途端に辺りは黒人だらけになった。ホーム全体が薄暗かった。向かいのホームから出る列車車両には人々が張り付くように群がっていた。ホームでは大声で話したり歌ったり、奇声を上げたり。なかには手招きして「こっち来て、この車両に乗れ」と話しかけてきたりする人もいた。アルヘシラスへ行くのをやめ、明るいマドリードのホームに戻りたくなった。私たちが乗るのは向かいから出る寝台車だと分かると,彼らは「あーあ」という様なことを言って誘うのを諦めた風でほっとした。
寝台車同室はフランス人のおばさんと中高生くらいの娘二人。フランス語を話す人でしかも女性でホッとした。3段ベッドが2列の6人乗りコンパートメント。最初は全員が1階座席部分でおしゃべりしめいめいに過ごしていたが、フランス人の母親に私たち二人に3階ベッドを譲ると言われ,父と私は嬉々として上に登った。まもなくそれはまちがいだとわかった。上はとても揺れる。あの人たちはだからいつまでも動かないで下にいたのだと後でわかったが仕方ない。一晩中、3階から振り落とされないように気をつけて寝ることになるのだった。
寝台車同室はフランス人のおばさんと中高生くらいの娘二人。フランス語を話す人でしかも女性でホッとした。3段ベッドが2列の6人乗りコンパートメント。最初は全員が1階座席部分でおしゃべりしめいめいに過ごしていたが、フランス人の母親に私たち二人に3階ベッドを譲ると言われ,父と私は嬉々として上に登った。まもなくそれはまちがいだとわかった。上はとても揺れる。あの人たちはだからいつまでも動かないで下にいたのだと後でわかったが仕方ない。一晩中、3階から振り落とされないように気をつけて寝ることになるのだった。