バネの風

千葉県野田市の「学習教室BANETバネ」の授業内容や、川上犬、ギャラリー輝の事、おもしろい日常を綴ります。

文具は学習の道具

2013-01-31 07:16:17 | バネ
 バネで新入生を迎えると、たいていノートや文具の使い方指導から入る。
 ノートは記録と記憶の場所であると同時に、学習作業台となる。
 「記録と記憶」 大切だと思うこと,覚えておきたいことをノートにまとめる。移動や追加ができるルーズリーフが都合良い。できればきれいにまとめたい。文字の大きさ、配置、色を工夫し、見やすくまとめることがポイントとなる。まとめたことを映像として覚えておくために。自分で書くと忘れない。後日「あれなんだっけ」となった時に映像の記憶があるから、ルーズリーフ内からスッと必要箇所を見つけられる。
 「作業台」 計算や暗記作業時、どんどん書き込む場所となる。使用済みの紙の裏面で作業してもいいが、これだと使用後ゴミ箱にいってしまうので、作業の形跡が残らない。ジャンジャン計算する。ズンズン英単語を書く。この作業の足跡がたまっていく方が達成感につながるからノートで作業した方が良い。これはきれいに書く必要はない。速さと量が求められるし、あとで見返すことはないから。とはいえある程度は美しく整っていた方が良い。計算だったらぐちゃぐちゃな文字で殴り書きするとミスを多発するし、計算の見直しがしにくくなる。作業は道具が大事。手が疲れない、視覚に訴えやすいことから軟らかく濃い鉛筆を使う方が良い。

 新入生を迎える度こういった説明をする。
 
 文房具は学習の道具。
 ノリは、ノートは、鉛筆は、定規はと道具の条件を述べる。
 これらを100円ショップで買っても良いが、できれば文具メーカーのものを購入してほしい。
 やはり100円は安かろう悪かろうである。毎日使う道具なのだから、良いものの方が気持ちよく長く使える。
 
 昨日もこんなやりとりを含めながら小5生「割合」の授業を90分。


野田市民大会雑感

2013-01-23 08:25:07 | Badminton
 今週早々に体調不良となり、2日間ペースダウンしてしまった。よって溜まりにたまった2日分の仕事を一つずつ片付けるのだけど、その前に日曜のサタクラ生の市民大会の様子を述べておかねば。ということで出かける前に大急ぎ入力。
 
 前日のサタデークラブで最後のあいさつで、「試合は一人が勝てば,一人が負ける。どんなにがんばっても必ずどちらかは負ける。だから勝った負けたよりも見ている人が感動するような試合をしよう。」と付け加えておいた。川間小サタデークラブからの出場者は1年生と3年生。市民大会の種目は1,2年生の部と3、4年生の部。ということはこの子たちは皆、一つ上の学年の子とあたることになる。低学年生で1年の違いは大きい。ましてや1年生は10月から始めているから、3ヶ月と15ヶ月の違いはとても大きい。そういうわけで最初から負けるを見越していたから,こう言ったというのもある。
 どんなに低学年だろうと、始めたばかりだろうとサーブが入らなければ話しにならない。
 ラリーポイントになる前は、サタクラ生がサーブが打てなくて試合がなかなか終わらないことが度々あった。ラリーポイントになってからは、サービスオーバーの連続で試合が終わってしまうなんてこともあった。とにかく試合に出ると決めた以上は,最低サーブ。そしてコート内でのマナー。初心者でもこれは守ろう。
 1年生にとってラケットは長い。だからバックハンドでのショートサービスを指導した。そして試合前後のあいさつ。審判、相手へのあいさつ。そしてコートへのあいさつ。

 コートは広い。初めて大きな体育館でコートに一人で立った時、とんでもなくコートは広いと感じた。あの時の気持ちを今この子たちは感じているんだなと思った。寒さと緊張でガチガチになってしまった子。コーチが打つ羽とは違い、とれないところに打ち返されることの連続。悲しさと,悔しさが押し寄せている子。でも最後までコートから逃げなかった子。これは感動した。脇で応援し続けるお母さんにも感動した。
 予選リーグを抜け,いつも一緒に練習している子同士での決勝トーナメント1回戦。ということはどちらか一人は勝ち,どちらか一人は負ける。この試合は笑いが起こるほどの接戦となり、1点差ゲームとなった。「おもしろかったー」と周囲の声。勝って嬉しい、負けて悔しいは残ったけど、感動のある試合だから良かった。
 3年生の試合。練習では空振りばかりする子がなぜか調子良く勝ち進んでいる。本番に強いんだ,この子。他の子は?負けて泣いてる。泣くくらいなら普段ももっと真剣にやれよとちょっと思うけど、これがきっかけになるならそれで良しということで。3年生の試合を大体育室で見ていると、3年生の男子たちはコートの出入りでコートにあいさつしていた。これはMコーチやOコーチの指導の賜物。
 ブレーは短日に上達しないけど、初心者でも振る舞いは一流になれる。
 
 いろいろな意味で感動多し。


小学生のうちに身につけたい学習

2013-01-23 07:18:19 | バネ
 小6生が、数学検定5級に挑戦するということもあり、正負の数や文字と式の学習をしている。本来ならこの時期英語をやっている。フォニックスを入れながら、名詞の単数形、複数形、a,the,this,that,these,thoseを経て、人称代名詞、be動詞と一般動詞の違いあたりまでを終えて中学へ送り出す。中学英語ではここのあたりを素通りしているので、学校の授業に追われない今こそゆっくり丁寧に身に付くまで学習できる。しかし今年は数学検定対策として先に数学をもってきたのでしばらく英語は休み、速いペースで数学を進める。
 正負の加減。ルールを覚えればすぐできるようになる。かっこはずしも大丈夫。乗除、累乗ではマイナスの数を数え,奇数ならマイナス,偶数ならプラス。符号を決定したらあとは計算するだけ、ということでこれも楽にクリア。さて四則混合となると。これは小学算数の頃から計算式を項で区切る方法を指導してきたから、同じように項をスラッシュで区切る。スラッシュの中は乗除。スラッシュどうしは加減。これを理解したらジャンジャンいける。
 今年の子たちは特によくできる。いつもとどこが違うのか。何が良いのか。
 
 それは2点ある。
 まず一つは、計算のベースである加減の暗算が速くできることにある。速くがポイント。誰でも暗算でできるとしても、時間がかかる子は計算がサクサクいかない。ゆっくり加減している子は計算の迷子になりやすく,結果解答を導き出せないことが多い。
 もう一点は説明を聞けること。板書での説明を聞く力、理解する力があるかどうかは大きい。これが苦手,要するに日本語理解力が不足する子は、先生の説明が頭に入っていかない。
 四則計算を難なくこなすこの子たちを見て、小学生のうちに暗算と日本語、すなわち「読み書きそろばん」を徹底してきた成果を実感。

 「読み書きそろばん」の中で特に重要と思うのは「読み」。
 これに特化したパンセクラスでは主語述語を見つける練習から始まる。続いて文の構造を分解する。どの文節がどこにかかるか。修飾語はどれか。これができると主語述語を骨格として文を捉えられるので,要約ができるようになる。そして説明文やお話文を丁寧に読む。この学習を4月から週3回入れてきたら、以前は「どうしてこの人こう思うかわからない。」と文を味わうことができなかった子が、「最近読めるようになってきました。」

 文章読解力と暗算力。
 小学校低学年生にこそ徹底しておきたい。


後悔しない練習

2013-01-21 08:50:04 | Badminton
 野田市小中学生大会前日のサタデークラブ。大会参加選手にとっては大切な練習日。
 サタデークラブを始めて10年が経った。当初からバドミントン参加者は市内最多で、人気講座となっている。年間10回程度のサタデークラブだが、年度末に文化系講座は成果発表の場がある。しかし体育系講座にそういった機会はない。では、市のバドミントン協会主催の小中学生大会を発表の場にしてはどうかと、いうことでこの大会に出場するよう子どもたちに声をかけた。最初は数名の参加のみ。これは児童保護者への大会アナウンスが徹底できないことに原因があった。翌年は、4月からこの大会を目標に練習するよう度々説明し、更にその翌年は教育委員会を通して児童全員に大会案内が配布できるよう調整すること数年。そして迎えた今年は50名あまりの参加者となった。

 大会を目標に練習するとは言ったものの、とにかくこの子たちは練習量が足りない。月に多くて2回。それも1回2時間。そのなかで実際シャトルを打つ時間は30分もないだろう。だから大会前日は切実なのです。
 練習終了間近となり、ハンドマイクで「あと5分で終わりだよ。後悔のないように残り5分、精一杯やりなー」と言うと、男の子がクルッと振り向き、ワンピースだったかなんて言ったか忘れたけどアニメの名前を言い「みんなは航海士っていってるよ。」ときた。シャレね。この子「後悔しないように」という言葉にかけてきたのね、と思った。でもそう言ったあともこちらの目を覗き込んで、「コウカイシってどういう意味?」
 アニメでよく耳にする「みんなは航海士」の航海はどうも「後悔」ではないと感じていたので、「後悔のないように」と言われた今、なんとなくモヤッとしていたものを解決したいのだということらしい。航海士の意味を説明する。最初はふざけて聞いているのだと思ったので軽く説明すると,何度も説明を求めて来る。丁寧に説明し、そしてその正しい意味を知ると,数人の男子の群れが一同に納得していてうなずき合っている。「いつも後悔している人たちだと思ってたー。変だと思ったー。」と言う笑い声が聞こえた。
 納得してスッキリしているその間に、最後の5分は終了。

 そして迎えた市民大会の日。
 大会雑感は後日ということで。
 
 

誰もミケランジェロを超えられない

2013-01-19 07:11:22 | 
 我が家で絵の仲間の新年会を開く。先生も出席。
 どこかの店でやっても良かったのだけど,長い時間落ち着いて話しなによりも父の絵を鑑賞したいという意見があったことから、うちでやることになった。

 うちに来ても普通は,多くは、掛けてある絵に言及しない。そこにあることに気づいていないかと思われることも多い。
 
 この日は違う。絵の前に立ちじっくりとなめるように見る。更には,棚、壁、そこここの「こだわり」への言及が続く。トイレに置いている写真にも。「いいアングルしてるね。」
 オブジェは空間に存在しないといけない。全てのアクセサリーをありったけ身に付けてしまうゴージャスおばさんのように、なんでもてんこもりしてはいけない。そういう「こだわり」に気づいてもらい、そこに言及される心地よさ。

 ひとしきり食事を終え、それぞれの絵の話しになる。
 「わかる」と「わからない」のカードを1まいずつ交互に積み重ねている感じであることを告げると、先生は「芸術は数学とは違い、誰もミケランジェロを超えられないんだから、それでいいんだよ。」
 この話しはこういうことだろう。芸術は数学とは違い先人の経験を借用できないのだから,常に誰も一からのスタートである。自力で零や負の数を発見し、円周率を算出しないといけない。そして「誰もがミケランジェロが到達したレベルに達していないのだから、とにかくどんどんやった方が良い。」なるほど、ということは長生きし長く続けたとしてもまだ本当の「わかった」に達せずということ。ちょっとやそっとやっただけで、「わかった」となるわけがない。

 先生とのこういったやりとりを得て、「わかる」カードを1枚乗せた。
 

雪降った後にすること

2013-01-18 07:51:51 | ライフスタイル
 月曜日に大雪。この日は終日バネやっていたこともあり,外出せず、よって車に乗らず。
 翌日の火曜日。マックスバリューに買い物に行く。スタットレスはいているから多少の残雪は平気。雪のせいか道路を歩いている人多い。マックスバリューの駐車場は大雨の時みたいに湖になっていた。
 そして水曜日。柏に車で行く。
 駐車場は日陰なので車の屋根の雪は残ったままだけど、固まっていて手で払いのけられない。走っているうちに溶けるでしょう、と軽い気持ちで発車。
 走り出してしばらくすると、我が車体の屋根から雪の塊が後ろに飛ぶのが視界に入る。これは後ろの車は迷惑ではないかと気づき,周囲見回すと上下車線どこにも同じように雪乗せて走っている車は1台もない。トラックが平らな屋根の中央あたりに少しの雪を残しているくらいで、乗用車では1台もない。心なしか皆がこの車の雪を気にしているような気がする。通り過ぎる車も横を走る車も,皆こちらを見ている気がする。
 急速に思い出した。
 大雪が降った後車にたくさんの雪を乗せたまま走った。信号でブレーキを踏んだその瞬間,屋根の雪がズルズルッ、さらにズルッとフロントガラスを覆い、視界は真っ白になってしまった。ワイパーは雪の重みで動かない。あわてて車を降り、後ろの車に合図して,交差点で雪をとりのぞいた。
 国道であの時のようなことになるかもしれない。一瞬にして何も見えなくなる。そんなことが走行中に起きたら。前方に陸橋が迫る。上りで後ろにズルッと落ちてくれないか。落ちない。では下りでズルズルッと前に落ちて来るかも。落ちない。どこかでコンビニとか脇道入って雪落とした方がいいと思うが、みんな苦労して除雪したのにばかりなのに、「誰だ,ここに雪の塊置いてったのは?!」となりそうなのでどこで落としても良いと言うわけでもないと思いながら走っていると、一つの塊がフロントガラスを滑り落ちた。そしてもう一つ。するとまさに総崩れ状態で全ての雪がザザーッとフロントガラスに滑り落ちてきた。パーキングをつけ、シートベルトをはずし、助手席側から車外に出て雪を取り除く。予測していた事態だけに我ながら行動は速い。そしてラッキーなことに信号で車が切れていたので,後続車はなかった。大まかな塊のみを慌てて落とし、ワイパーに雪が張り付きフロントガラスには多少の雪を残したままだけど走り去る。バックミラーで確認すると,乾いた道路に我が雪がどっさり落ちている。

 どういうわけかさっきまでは雪乗せ車は一台も見かけなかったのに、自分が身軽になった今たびたび見かける。あの車は危ない。あの状態では近々視界真っ白が訪れるぞ。あの車はワイパー周りに雪いっぱいへばりついているから,雪どっさりの恐怖体験後だな。そうして随分走った頃、前方にすっかり雪だらけの車を発見。屋根だけでなく,サイドミラーにもリアにも雪がへばりついている。まるで雪の中から出てきたという様相。これはいかにも危ない。運転席を見るとちょっと若い主婦。昼の陽射しで雪は溶け始めているから近いうちに、来るぞ、危ないぞ。危険を感じたのかこの車はのそのそ走り,バックミラーの視界から消えて行った。
 
 最初皆の視線を感じていたけど,気のせいではなかったということがわかった。

記憶のひきだしを開く

2013-01-10 07:21:46 | 感動
 正月は双方の実家をはしごする。
 高齢者となった父母と生活をともにするひと時となるが、考えさせられること多々ある。そこから何を感じるか。

 正月のプチツアーとして義父を東京見物に誘った。これはチャーのかねてからの希望で、生家のあった街を父に見せてあげたい、そして自分も見たいということ。都内を車でサクサク移動するには正月はもってこい。
 父は以前住んでいた街を見ることにさほど関心がないようだった。しかし、「いやー、そんなとこ行ったって」と言いながら、老いては子に従えなのか,単純に出かけることが楽しみなのか、足取り軽く車に乗り込んだ。
 高速より下の道の方が空いている。父は車を運転しない。自転車で動き回る。高齢となった今は出歩く距離は限られ、車でほんの10分ほどの街並を懐かしそうにする。
 車はいよいよチャーの生家のあった下町に入る。工場用地だったところに大学が建ち全く知らない街に見えたのか、後部座席から父の様子を確認するが特段の反応はない。車は更に商店街や路地に入る。チャーは古そうな建物を見つけると、「あのクリーニングあった?」とか「この魚屋知ってる?」としきりに父の記憶を促そうとする。車がやっと1台通れる路地を回ると、生家があった場所に出た。そこは駐車場になっていた。すると父は、「ここに長屋があったんだよ。」と説明してくれた。
 路地から商店街を抜け表通りに出た時、正面に隅田川の堤防が見え、父の頭に地図が描けたのだろうか、先程通った大学前の道は以前からよく知る道であることがわかった様子だった。
 その後新橋に向かった。車を駐車場に入れ駅前を歩く。
 駅ロータリーに出たその時、「あの機関車、そのままだ」と父は強い言葉で言った。ゆっくり歩きながら新橋烏森口前にさしかかると、急に饒舌になった。サラリーマン時代の話しが吹き出してきた。会社帰りの一杯風の店に入りたかったけど,正月で開いているのは地下の小洒落た店しかなかった。そこで焼き鳥や酎ハイを注文する。
 食事しながら父は田舎での生活、上京してからのこと、サラリーマン時代のこと、そして母のこと。戦前戦後の激動を生きたドラマ。いろいろ語ってくれた。チャーすら初めて聞く話が多かった。
 店を出て、父の希望から烏森口と機関車前で記念撮影をする。

 人の記憶が蘇る瞬間。面影なくした街に、当時のままを残すものがたった一つあった。そこから開いた。ジワジワと。

 人が喜ぶ姿を見ると嬉しい。来てよかったという気持ちに満たされての帰路となった。

 それから数日後、別の視点を知ることとなった。
 娘は父のドラマから何かを得た。19歳が人生の示唆を得たのかもしれない。

 同じ時を共有し、何に心動くか。



美味だれ考

2013-01-09 09:01:51 | 別所温泉
 別所温泉に「はっちゃん」という美味しい焼き鳥屋があった。
 結婚当初,帰省すると父が連れて行ってくれた。そして出前をとったりした。
 ここで軟骨の味を覚えた。
 タレが絶品。醤油ベースの味付けでニンニクが強い。
 食べ過ぎると翌日胃が痛む。それくらいニンニクが強い。
 
 長野合宿で焼き肉のタレを自作した。
 はっちゃんの焼き鳥のタレを真似してつくった。一般的な材料に加え、ニンニクの他すりおろしたリンゴを大量に入れた、鍋一杯つくった。
 このタレは好評で、参加した保護者からは,肉がおいしかったではなく、「タレがおいしかった」と言われた。

 年月が経ち,はっちゃんは廃業し、あの味を楽しむことはできなくなっていたが、先日「美味(おい)だれ」なる上田産の焼き鳥のタレを発見。焼き鳥屋 鳥幸の味とある。別所温泉のあいそめの湯前のコンビニのレジ横にあった。その濁り具合、沈殿物の様子からして、はっちゃんの味再現の予感。荷物になるから帰りに上田駅で購入することにしたが、肝心の駅周辺ではどこにも売っていない。観光案内所で聞いても、売店でも「何のことだかわからない」と言われる。
 
 その日は、チャーとはっちゃんの焼き鳥を食べる気になっていたので、帰宅後すぐにタレを自作した。
 ちょっと違う。コクが足りない。リンゴが少なかったと思われる。ニンニク多すぎたらしく、少し胃が痛む。

 次の別所行きで例のコンビニで「美味だれ」を即ゲット。
 一ビンにフルーツが三分の二入っているとのこと。確かに原材料として「リンゴ、バナナ,桃、巨峰」とある。長野らしい。バナナは意外。
 焼き上げた鶏肉にかける。野菜にもかける。さすがに美味い!でもちょっと違う。はっちゃんの味ではない。
 
 「美味だれ」というのは、美味しい、好みに応じて後からタレを追いダレする、上田の方言で仲間内で親しみを込めて使う愛称である「おいだれ」の三つを掛けてネーミングしたとのこと。そして、ここが重要。タレの味は店によって異なる。
 だからこれは鳥幸の味で、はっちゃんの味ではない。

 では、はっちゃんの味とどこが違う?そう考えると,たいして違わない気もする。さらに、はっちゃんのタレの味を正確に思い出すことはできないことにも気づく。
 このタレは十分に美味しい。でも少し違う。
 
 父がいるかどうか、そこなんだろうか。



 

診察は相性?

2013-01-09 07:22:53 | ライフスタイル
 朝起きたら目やにで目が開かない。ほど、突然目に異常をきたした。しばらく様子を見ても改善しないので近所の眼科に行くと、ひどい結膜炎であるとの診断。
 ある日帰り温泉施設で、天井から落ちた水滴が目に入った。その瞬間目に激痛がはしった。あの時バイキンが入ったに違いない。
 眼科にしばらく通うけど改善するどころか、眼球癒着を起こしているとの診断を受け大学病院での手術を進められた。紹介状をもらい、1ヶ月ほど先となる予約日に重たい気持ちで診察を受けると、しばらく点眼で様子を見ようということになった。その2週間後受診すると、「治りましたね。」確かに目やには止まった。しかし目の違和感は残っている。だからもう来なくても良いとの説明を受け、いぶかしい気持ちは残ったものの、手術しなくて済んだと安堵と、これでもう病人ではないいう優越感に似た気持ちで闊歩するようにして大学病院を後にした。
 
 1年が経過した。同じ目がゴロゴロする。再び近所の眼科へ。
 すると、前より癒着がひどくなっている。「前回紹介した病院へは行かなかったのですか?」もう来なくてよいと言われたというと、「若い先生はそういう診断してしまうことあるんだよね。」では別の大学病院を紹介しましょうということになり、予約をとりつけ、1ヶ月待った昨日、ついに二つ目の大学病院受診日となった。

 駐車場入口が混んでいて、少し離れた指定の駐車場へ回る等して到着までに少々もたついたけど、予約時間30分前に到着。受付へ。
 「ここの病院は初めてですか?」20年以上も前に一度かかったことはある。その旨告げると、「では診察券は再発行ということになりますから、発行代210円負担していただきます。」そうなんだ。診察券の再発行するくらいなんだから、以前のカルテを引き継ぐのかね。まさか、20年以上も前のものとっていないでしょうに。だったら、ここは初めてですっていえば良かったのかね、とちょっと変な感じを持つ。後ろのおじいさんも全く同じやりとりをした挙げ句、同じこと言われていた。

 さて、診察前に検査をするということで、予約時間10分ほど遅れて検査に呼ばれた。
 近所の眼科でいつもやるお決まりの検査で、顕微鏡のようなものに目をあてると遠くにぼんやりした木が見えたり、目に風を当てる、この担当者は終始威圧的。そして視力の確認へ。よく見えないと言うと、「だいたいで良いから」とにこりともせず言う。だからだいたい見えたものを、断定的に「右!」と答えないといけない。そうやっておぼろげなまま答えを告げても、正解なのか不正解なのかもわからないモヤッと感を持ったまま、近所の眼科の半分、いやさらに半分くらいの時間で視力検査終了。
 このまま診察を待つように告げられる。検査も診察も名前ではなく、番号で管理され、今誰を診察中なのか掲示ボードに番号が表示される。それも見ると、さっきからずーっと同じ人を診察している。一人にこんなに時間かけるから予約通りに診察は進まないんだ。待つこと1時間。さて、手術となるとどこに入れるか。恐らく診察中に日程決めないといけないだろうから、スケジュール確認しておく。さらに待つこと30分。ようやく自分の診察番号が表示され、中待合室へ進む。
 
 そこはさっき入った検査と同じ場所で、検査している横、ついたてで仕切られた空間が診察室となっていて、診察の様子は中待合室から丸見え。
 前の診察の人の様子を見ていると、先生は朗らかに談笑している。笑い声まで聞こえて来る。きっと深刻な症状ではないのだろう。笑っていられるのも今のうちですよ、次の患者は身を乗り出すような状況になるよ。

 ようやく呼ばれる。挨拶して椅子に座るが、先生は無言。
 「どうしました?」
 紹介状にいろいろ書いてあるでしょ、と思うがかいつまんで説明しているにもかかわらず、説明を途中で遮り、目をチラっとのぞく。「どっちの目?」だから、書いてあるでしょ。「癒着?」この時点で医者はまだ一度も眼球覗いていない。そしてようやく紹介状を見る。「○○大学病院行ったんだ?」その後の経過を口早にかいつまんで説明し、近所の眼科でもう一度他の大学病院へ行くよう言われたので来た、と訴える。
 コミュニケーションとは同調であるので、感じ悪い相手に引きずられるようにこちらも感じ悪くなるのがわかる。でもここで言うべきことはきちんと伝えないと。このまま放っておくと眼球動かなくなるという近所の医者の言葉は伝えなかったけど、剥離手術するよう勧められましたとだけ付け加えると、「手術?」「あんた、今目がぱっちり開いているでしょ。必要ないよ。」「調子悪かったら、近所の眼科に通って。」
 こんな調子で診察はほんの数分。2分程度だったと思う。
 
 何もスッキリしないまま会計へ。番号で管理され,機械で清算。2500円。
 駐車場は時間オーバーしたのか,有料。

 結局時間とお金の無駄遣いして,目の痛みを残したまま、確信できたのは、もうここには二度と来ないということのみ。
 なんだかね。

頼むよ、子ども達。

2013-01-08 14:17:03 | バネ
 年明けに始まった冬期講習後半では、受験直前の最終調整を行った。
 本番ではノートで計算するわけではないので、テスト用紙の狭いスペースを活用することになる。時間配分も練習が必要。そして何よりも、わからない問題をスルーすること。小学生はこれが意外とできない。もし2(3)あたりにちょっとひねった問題があったとする。そこで悩む。律儀に悩む。あと10分ですと告げられ「ヤベ!」となる。そこで止まったまま、後ろを解いていない!そんな馬鹿なと思うでしょうが、小学生がこういう状況になるのたびたび見てきた。わからない箇所を飛ばしてはいけないという呪縛。
 こういうケースもたびたびある。設問が数行にわたっていると、「難しそうだから、パス」。たいていこういう問題でも(1)は易しい。でも全く読まないで、「できない」と決めつけてしまう。
 図がついているといけない。設問読まない子は図で解答してしまう。角度や面積問題はそれで正解すること多いから、設問読まない癖が抜けなくなる。
 何度も解いた問題なのに、ほんの少しひねられたり、設定が違ったりするだけで、「こんな問題初めて見た」となる子。これは先日解いた問題のパターンでしょと説明すると、「なーんだ、最初からそう言ってくれればわかるのに」とブツブツ言う。
 そこそこにできる子。こういう子に限って1(1)をミスする。もっとも易しい問題。超基本問題。これに限ってミスる。

 それぞれのレベルや到達点に応じ、入試直前の調整をするけど、全員に共通するのは、
 できる問題を絞り込むこと。
 わからない問題は潔く捨てること。
 設問は指でなぞりながらしっかり読むこと。
 後で見直してもミスは見つからないから、1発で正解するよう焦らず、その1問に集中すること。

 こんな当たり前のことだけど、トレーニングしておかないと本番でできない。
 
 こんな最終追い込みで、風邪なんかひいてらんない。