バネの風

千葉県野田市の「学習教室BANETバネ」の授業内容や、川上犬、ギャラリー輝の事、おもしろい日常を綴ります。

バネの作文

2020-03-22 16:41:26 | バネ
小6生は1月から作文に特化した授業を行っていた。
最初は「何書いてもいいよ」と原稿用紙を渡すと、たいていの子は創作文を書いた。
何でもいいよと言われ、「はいわかりました」と原稿用紙を受け取る時、一瞬ニヤリとしたあの子、あの表情からするとドタバタモノを書くとだいたい想像できた。
果たして。
やはり。
作文を書こう!と言うと、「何書いていいかわからない」と1時間経っても1文字も書けない子がいたことを思えば、こうやってツラツラ、ツカツカと一気に30分ほどで原稿用紙2枚埋めることができる、それはそれでたいしたものです。
と、ひとまずは褒めた上で…。

これじゃリアリティがない! とだめだし。
想像して書くなら、もっとリアルに想像しようよ。こんな人いるよね、こういうことあるよねと思わせようよ。その時の色や匂いも感じられるように書こうよ。と説明すると途端に創作文の難しさがわかった様子。
だったら創作ではなく、次は本当にあった話を書こう。それも映像が浮かぶように、匂いが漂うように。
更に注文は、「昨日あったことをネタにする」と限定した。

日々はネタの宝庫なり。書こうと思えば学校へ行く途中のことだって書けるよと言うと、次はニヤリとはせず、遠い目をした6年生達。
さてどんなモノを書いてくるのか。
近所の猫とのやりとり、登校中に雨をよけながら歩いた話、隣の席の子の話。
いいね、いいね、これでいいんだよ。小学生の日常が切り取られていて、いいじゃん!と褒めると、皆鼻の穴が膨らんだ。

だいぶ書き慣れたので次は意見文を書く練習に入った。
冒頭で意見をズバリ宣言する。次にその理由を具体例を交えながら説明する。反論にも触れ、自分の意見を再度主張する。
以外と意見文は皆すんなりいけた。
高校受験の作文レベル程度にはね。
例えばコロナウィルス感染症の影響で学校が休校になったことについて賛成か反対かを問うた回では、ほぼ皆「反対」であった。
なぜ反対なのか、自分なりの意見を書き連ねたが、休校になった意義を深く考えるには至らなかった。
意見を主張する前に、もっと深く考察しようと言うと、慌ててノートに何か書き込んでいた。
「深くコーサツする」とでも書いたのだろうか。

こうしていわゆる生活作文、意見文を経て、3月に入ると次の段階は「エッセイ」を書こうだった。
「へっ? エッセイって何?」と段違い眉になる子に、
日常の体験や知識から、それに対する自分の意見や考察を書くこと、と説明した。
「よくわからないけどやってみます」
さて宿題として書き上げてきたものは…。
これは意見文だねに対し、「やっぱり」とか「ですよねー」と返ってくる。
これは日常の体験談と意見がリンクしていないからもう少しがんばろうだね、となり、
以前に書いた生活作文ネタを体験として冒頭に書き、それに対する自分の考えを書けばエッセイになるよと言うと、またノート出して何か書き込んでる。
「以前のネタを使おう」とでも書いたのだろうか。

エッセイは書けないまま3月授業終了となった。

4月からは小学生高学年対象の作文教室を開くので、こちらで続きを楽しもう。
小学生が何を考え、何に心が動き、それをどうアウトプットするのか。
小学生の作文授業はこれだから楽しくてやめられない。

自分が直接感じたものが尊い、のです。

2020-02-16 16:25:32 | バネ
「自分が直接感じたものが尊い
 そこから種々の仕事が
 生まれてくるものでなければならない」
   芸術家、山本鼎の言葉より

子どもの頃から触れていたこの言葉に、改めて『直接感じている』今日この頃。

バネでは小学生クラスは、2月、3月は作文授業を行っている。
以前作文に特化していたパンセクラスを開いていたが、近年は作文だけのクラスを設定する時間的余裕がなく、作文授業は休んでいる。
水曜のアルファクラブの後や土曜のサタデークラブの後などに作文教室を開きたいところだけど、水曜は中学生クラスを入れるし、土曜は何かと用事が入るから年間で授業組むのはちと苦しい展開になりそう。ということで「作文教室、いつ再開するのですか?」と言われ続けて数年。

作文は文章を書きながら自分を見つめる作業であり、「見えない学力」を伸ばす最良の授業であると自負している。
今ならできると思い立ったのが1月。学年授業を終え、特に中学受験組は中学の先取り学習に入る1月.2月。
例年だとこの時期先取り学習している。英語に数学。そして小学理科、社会の復習。
しかし英語数学に関しては先取り学習してもろくなことはない。中学入学後の授業に新鮮味も真剣さも薄くなりがち。そうして貯金抱えて入学して、たいてい夏休み辺りで貯金使い果たし、その先は借金生活になる子だっている。中学入学後苦労しないようにと先取り学習を望む保護者さんの気持ちはわかるが、ここはあえて作文特化学習をします!ということで、小学生対象に作文授業している。

指定したテーマに沿って自宅で作文を書いてくる。
初回は特に言及しなかったのでほぼ全員が創作文を書いてきた。
自由にお話を創り書くのは楽しい作業でしょう。自由とはいっても何らかの実体験がベースになっているから、その子らしさが文章に表れている。
しかししょせん創作。リアルさに欠ける。
まだ人生経験そこそこの小学生が、創造を膨らませてリアルに表現するのは限界がある。
そこで2回目からは「実話」に限定した。
いかに自分が体験したことをリアルに表現するか、映像が浮かぶように書くか、これが最初の課題となった。

家で書いてきた作文は授業で読み上げ、その場で講評する。
自分の作文が読まれる時は「ヒエー、読まないでー」だの「やだー」とか言いながら耳をふさいでいるけど、結構嬉しそう。(に見える)
その場で講評する。
講評の時はしゃんと座り直し、顔を赤らめながら聞いている。何を言われるか楽しみにしている風。
良い点はほめ、具体的にここはこうしたらもっと良くなるとアドバイスすると、無言で聞いているけど、次回アドバイスをそのまま取り入れてくるから、ちゃんと聞いているらしい。

タイトルに命をかけよう!
と言っている。
タイトルを聞いて、「これはどんなお話なんだろう?」と読者を引きつけ、最後のフレーズで「あーなるほど」と合点がいくような題名をつけよう、と初回から注文を出している。
講評の最後に「この内容なら、こんなタイトルがいいんじゃない」と付け加える。恐らく、子ども達にとってはこれが一番欲しいアドバイス、のように見える。(見えるの連続)

さてこうして2月に入り4回ほど作文提出してもらった。
日頃の生活の中からテーマに沿ったネタを見つけて書く作業。何でもない日常から話を見つけるコツがわかってきたようだ。
そして前回辺りから少し変化が出てきた。
心の動きがそことなく表現されるようになってきた。

自分を書くことは恥ずかしいことなので、意識的にあるいは無意識に素通りし、本来はそこにあった自分の気持ちにすら気付かないでエンディングとなるところ、素通りしそうでしない、そこで足踏みした形跡が垣間見えるようになってきた。「心」の道にほんの少し寄り道するようになってきた。
リアルが要求されるうちに自分を少しずつ出さざるを得なくなってきたのかもしれない。

些細な出来事で心が動いた瞬間。
そこを指し、
「ここだよ、次はここをしっかり書くんだよ。」
とアドバイスした子は寡黙に頷くだけだったが、伝わったような気がする。
次にどんな作文を持ってくるのか。

そこで、冒頭のフレーズ。
「自分が直接感じたものが尊い…」



植物育て、人育て。

2019-09-24 09:35:05 | バネ
 先日実家の片付けをしていて、長いこと探していた小学校の卒業文集をようやく発見した。
 文集委員を務め、表紙絵図案を作成した思い入れのある厚さ3センチにもなる文集。捨てるはずはないからどこかにあるはず。なんと見つけたのは、兄や父の絵を保管している倉庫の棚。古いキャンパスの前に何冊かの本と一緒になって積まれていた。
 すぐさま自分の箇所は読み返し、稚拙な文書に赤面しつつも、小学生の頃の景色が鮮明に蘇ってきた。
 入学するから卒業するまでの6年間、学年30人1学級だった。
 この文集作りを始めたのは6年生の秋頃だと記憶する。構成、原稿依頼、とりまとめ、そして最後に表紙の作成。
 思い出作文、自己紹介コーナー、友達紹介コーナー、自由イラスト、先生方や保護者からの寄稿文。3センチほどの厚さがある。
 そこでは30人それぞれが主人公だった。

 順々にページをめくり、最後に4年生から6年生まで担任だった小林先生の言葉を読んだ。

 小林先生の文章を読んだのはこれで3回目と記憶する。
 1回目は文集配布直後。2回目はその数年後。2回目に読み返した時、心が縮む思いをしたことを思い出した。

 小林先生は卒業式の日に記念品として植物の苗を全員に手渡した。その時「大切に育ててほしい」と説明があったことだろう。その言葉を自分はしっかり受け止めていなかったのか、その下りは記憶にない。
 2回目の読み直し時、文集を通してその苗に込めた先生の思いを知った。すでに自分は苗を枯らしてしまっていたので、罪悪感と後悔で気持ちがしぼんだのだった。
 そしてこの度3回目。教師が記念品に込めた思いとそれを受け止めなかった自分を再度思い返し、今は客観的に冷めた気持ちで事実を受け止める自分がいることを確認し、時の流れをかみしめている。

 教育ってこういうものだなと思う。
 教師は伝えたいことを伝える。
 しかし伝わったかどうかは知るよしもない。
 もし伝わらなかったとしても、それを恨んではいけない。
 ただ黙々と、伝えることを諦めないことのみ。

 

4月、武者ぶるいをひとつ

2018-04-07 11:16:06 | バネ
交差点で信号待ちしていると、坊主頭の少年が角を曲がってこちらに向かってくる。
うん、あれは?!
やっぱりそうだ。
先月バネ卒業した子。
学ラン姿で自転車前かごに大きなスポーツバッグ乗せ、野球部仕様の髪型で。

入学したての高校の部活帰りかな。
通りの向こうを通り過ぎる。窓をウィーンとあけ、「マメちゃーん」と2回叫ぶ。

声に気づいたマメちゃんはぺこりと頭を下げて走りすぎていった。

なんか今の、完全におばさんだったな。一瞬目が合った気がしたのに向こうは気づかず通り過ぎそうだったから、思わず大きい声出してしまった。しかもいつもより声のトーン高かった、と思う。さらに満面の笑みで思わず手を振ってしまった。

これじゃまるでアイドルに歓声上げるおばちゃんだわ。

しばらく笑いが止まらない。
3年前の春休み、緊張する面持ちでバネに初めてやって来た子が、希望する高校に入学し、颯爽と今横を通り過ぎて行く。

いつまでも笑ってはいられない。
武者ぶるいをひとつして、今いる子達への全力投球に切り替えだ!


春期講習サプライズ

2018-03-23 18:38:02 | バネ
バネ、春休み中。
と言っても休暇をとっているのではなく、この時期は三者面談、教材の入れ替え、教室片付け、春期講習準備で毎日教室に詰めている。

さて春期講習。
いつもは季節感のあるデッサンを付けた講習ファイル表紙作るが、今回は写真で済ませてしまった。写真からデッサン起こそうかと思ったが、これだけの桜、絵で表現するより写真の方がずっといい。そして、そして。
子ども達が授業を終え教室出ると、目の前に実物がでーんとお出ましする。
そこで「おー、そういうことか!」
となってほしい。
毎年桜の時期はこちらのお宅でライトアップして頂けるので、夜の授業後も楽しめるはず。

これは2018年春期講習のサプライズ!

今年の開花はずいぶん早いらしい。3/29の講習初日までもつだろうか。


春休みの入り口

2018-03-12 12:25:04 | バネ
埼玉県公立高校入試、合格発表の日。
9:00発表のはず。
電話が来るのを待つ。15分経つがかかってこない。
まさか。ダメなはずはないという確信はある。それでも入試っていうのは当日のでき如何だから、「まさか」が全くないわけではない。
もしかしたら電話よりも先に直接報告に来るつもりなのかもしれないと思い、駐車場に出て表通りを眺めていると…。
電話が、来た。
「受かりました!」
弾んだ声を聞き、ほっと一安堵。

入試直前の2週間はともに走った。
私立がキープできているとは言え、万が一にも第一志望を残念な結果に終わらせるわけにはいかない。高校入試という、場合によっては人生初の大きなチャレンジで成功体験と達成感を味わってもらわないといけない。
過去問解き直し、穴見つけ、補修補強し、パターン別対処法を徹底し、最後はハウツー指導になってしまったが直前特訓で30点分、いや50点分くらい加点できたかもしれない。

朝は電話報告だったが、夕方学校帰りに母親と報告にバネに訪れた。
バネの時間にはまだだいぶ早い。
玄関のチャイムが鳴る。
来た!

門扉に立つ青年は透明な目をしていた。
あまり感情を表に出さない子だが、体の芯から全身に気持ちがにじみ出ていた。

私はこの日のためにバネやっている。
この顔を見るためにやっていると言っても過言ではない。

全員第一志望合格の声を聞き、ようやく2017年度が終わった。

日曜の午後、フラリとどこかに出かけたくなり北か南か適当に車を走らせ、前方に見えてきた筑波山をゴールに定めた。
調度梅祭りをやっていて、中腹から渋滞し山歩きの人に追い越されながら、民間の駐車場に誘導するおばちゃんの大きなジェスチャーをやり過ごしロープウエイ駐車場に向かった。

8年くらい前だろうか。
先日それぞれの合格祝いで2度にわたり回転寿司でごちそうした3人組が小学生の頃、一緒に筑波山に登った。あの日先頭を歩いていた私は、競争じゃないからみんなで固まって登ろう!と何度も繰り返したが、「お先に!」とかなんか言って猿のように飛び跳ねて行った小学生軍団の背中を不安な気持ちで見送った。春休みのイベントで子ども達と来たから、調度今頃だっただろうか。

ロープウエイで登ると6分で到着。
山歩きには向かない靴で最後の急な岩場を慎重に歩いた。
何年経ってもあの時と同じ岩がそこにあり、同じ景色が広がる。

あいにく雲が多く関東平野を一望することができなかったが、頂上を踏みしめる今この時間を満喫した。
頭の上をヘリが旋回した。女体山から男体山に向かい、頂上をぐるりと回り一本の線を引くように飛び去った。
恐らく向かう先が東京なのだろう。
どこまで目視できるかと目で追ううちヘリは黒い点になり、一瞬目を逸らしたらもう見つけることはできなかった。

帰りもロープウエイで降り、渋滞にはまることなく、日没の頃には野田に戻ってきた。

いつも田圃の遠くに見える筑波山の頂上にさっきまでいた。

3.11をその瞬間を筑波山頂上で過ごしたことに申し訳ないような気持ちになり、数時間遅れで心の中で合掌した。


作文教室あれこれ

2018-03-06 12:36:18 | バネ
昼前に気づいた。
冷蔵庫電源入っていない。庫内真っ暗。
コンセント抜けてる?
いや、ぬけていない。抜き差し何度かするが、電源入らない。
ついに壊れましたか。使い始めて10年くらいあるいは10年以上選手か、いずれにせよ新しい代物ではない。

ガックリ。今結構いろいろ入っている。冷凍庫も満杯。どうする。すぐ冷蔵庫買いに行って届くまでの数日間、中身どうする? そもそも家具の隙間にぴっちり入れているこれをどうやって動かす?更にここに入るサイズの新製品あるかな? とりあえず珈琲でも飲んで落ち着くか、とポットに移動するが、そういえばキッチンの自動点灯ランプが付いていないことに気づいた。もしかして、停電? しかし部屋の電気もテレビもさっきから付いたまま。でもエアコンは吹き出し口開いたままで作動していない。
すぐにブレーカーを確認。何も変化ない。
家中チェック。すると電気が付く部屋と付かない部屋がある。同じ部屋でもコンセントが使える場所と使えない場所がある。バネも確認すると、こちらもブラーカー落ちてないけど、半分電気が使えない。
東電に相談すると1時間後に点検にやって来た。
なんでも、外から電気を送る部分のヒューズが切れているとのことでヒューズ交換して一件落着。こちらの問題ではない、東電側の問題ですとの説明。
こうして昼間の数時間バタバタして時を過ごした。

そして今朝。
ノートパソコンを立ち上げメールチェックし、スリープになったので再度ログインしようとしたら、指紋認証の画面が出ない。さっきまでできていたのに。
なんだ、なんだといろいろやるも改善せず、サポートに電話。
指示されるままにいろいろやったら元通りになった。
これにて午前中の数時間が飛ぶ。

いつも通りのことができなくなった数時間の不安と焦り。さらには元通りになったときの安堵感。そして対応してくれた方への感謝。
どちらも当方の問題ではないと思うが、今まで通りのことができる幸福感を再確認させてもらったと思えば、無駄な数時間ではなかったかもしれないけれど、2日連続こんなことに時間取られてしまったことは事実ですね。

今年度のバネ中3生は2月末日で終了した
教室内混雑は緩和され、新しい学年のスタートをゆったりした気持ちで始められる一方で、そこはかとなき空疎感。
そんななか小学4年生から来ていた子のお母さんが、夕方の授業が始まる前に挨拶に訪れた。調度東電の修理が完了し、バネの電気が付いてほっとした頃の来訪だった。
この子は姉妹が卒業した後、勉強ではなく作文を指導してほしいとのことでバネに連れて来られた。
たいていは算数や国語の指導を希望する親御さんが多い中、国語とは言わず「作文」を指定してきた。勉強は見なくても良いのですかと確認すると、「うちの子は作文をみてほしいのです」と作文に絶対的な期待を寄せてきた。
とはいうものの果たして本人は作文に興味あるのだろうか、嫌々通っているのではないだろうか、そんな思いから、その子の顔色を伺いながらの授業だった。

簡単な課題作文からはじめ、週1回の授業で一つ書き上げ、書くことに抵抗がなくなってきた頃全国規模の作文コンクールに応募した。原稿用紙5枚の創作。亡くなった祖父母が登場する心温まるお話。これは残念ながら何の賞も取れなかった。その1年後、5年生の時は原稿用紙20枚の創作に挑戦し、こちらは見事日本一に輝いた。2作目は、少年の成長物語。少年を支える家族、とりわけ母親が印象的なお話で、古き正しき小学生とその家族の様子がえがかれていた。

お母さんとこれまでのことを振り返ると、やはり作文の話になった。

「今でもあの作文読むとどきどきします」
とお母さん。「賞はとらなかったけど、実は私は4年生の時の作文も大好きなんです」とのこと。

また作文教室開こうかと思っている。
一応スケジュールは組んでいる。ひっそりと募集案内にも載せた。でも一切広報していない。
本格的に作文教室再開しようかなと思うものの、授業コマを増やすことに躊躇している。そもそも生徒集まるかどうかわからないし。

「うちの子にとって小学生時代の作文授業、あれはドンピシャリでした」
ドンピシャリとはその子にとって何がどうだったのかあやふやな表現だが、おっしゃりたいことはよくわかる。
子どもの成長にとって作文授業の意義は大きい。作文教室を多くの子どもたちに門戸広げるべきだとは思う。しかしこの思いも経験も今につなげていないのだから、私にとってはドンピシャリとはなっていない。
























図書館とバネ

2017-09-05 12:05:58 | バネ
 受験生が図書館に行って勉強するとか言うが、どうしてわざわざ図書館に行くのか理解できない。なんで自主勉するのに人が居る所行くかなー。
 何か調べるものがあるからとか、冷房がきいているから等図書館に行くにはそれなりの理由はあるかもしれない。しかし、今だったら家に居ながら手元のスマホで調べたい情報はだいたいゲットできる。冷房ない家ならいざ知らず、電気代節約の旨味は、公共の場の席取り、他人との煩わしさによるストレスというデメリットを越えることはない。

 バネを卒業した子が、「ここで勉強させて欲しい。家じゃ集中できないから」と言うので、空いている席でご自由にどうぞと高校生には自習室としての使用を随時許可しているが、とは言いながらも、なんで家で集中できないのか、わざわざ先生の説明や中学生の話し声が響くバネにやって来るのか解せなかった。

 なかったというのは,今は解せるようになったと言うこと。

 週末、ふと思い立った。
 自分の勉強がある。いろいろ資料を広げられるバネでやる。だったらその時間中学生に自習室としてバネを開放してもいいのではないかと。調度定期テスト前だし,何人来るかわからないけど、「家じゃ集中できない」って言う子が多いから何人かはやって来るだろう。

 午前3時間、午後3時間の自習室開放。
 前日の連絡だったが、5人の中学生がやって来た。

 私は最前列の机一列を使い,テキスト、資料、CD,スマホを並べて自分の勉強を始めた。
 後ろの席に生徒たちは点々と座った。
 質問があればしても良いことにしていたが、だれも質問せずそれぞれに6時間を過ごした。

 整理したい知識、覚えたいことはやはりノートに手書きが一番だ。
 たくさん字を書くときは手が疲れないように2Bの鉛筆を使う。
 芯がすぐに丸まるから,鉛筆削りで数本まとめて削り手元に並べる。
 書き味滑らかなルーズリーフを用意する。
 整理事項を分類するカラー付箋を手元に置く。
 これでスタンバイオッケー。

 背後で文字を書く音、本をめくる音が聞こえるが、時折音が聞こえなくなる。
 他人が気にならない時間を持つ。
 一人で教室にいるような錯覚に陥る。
 ゾーンに入った。

 久しぶりにまとまった時間集中した。
 雑草生い茂る草地を、まずチェーンソーで草刈りし、目的地までの道を作り途中に目印の旗を立てながら進む。そんな作業がことのほかはかどった。
 まだ目的地までは遠いが,先が見通せるからいつでも途中から道に迷うことなく歩き始められる状態に整えることができた。

 背後の5人はこの時間何をどうしていたか知らない。自分のことに夢中になって途中振り向かなかったような気がする。それぞれが何かに黙々と取り組んでいたということだけはわかった。

 不思議な感覚。
 先生と生徒ではない、空間と時間を共有した仲間の様な感じ。


 図書館にわざわざ出向いて勉強するって,こういう感じなんだ! と今さらながらにわかった。

 この感覚、やみつきになりそう。
 
 今後随時,自習室開放しようかな。

サンタさんネタは微妙

2017-05-22 10:18:00 | バネ
 小学生の国語読解教材,物語文にて。

 物語文を二つに分けると小説とエッセイになる。
 小説読解のコツ

 その1-場面設定を押さえる
  課題文からわかる範囲で時代、場所、時間、そして事件=話題を把握する。要するに舞台セット ですね。

 その2-登場人物を押さえ、そのキャラを把握する。キャラクターは会話や態度で表現されること が多い。

 課題文に引用するのは物語のほんの一部なので、いきなり事件のクライマックスからスタートする場合もあるから、舞台セットをいち早くつかむのがポイント。だから既知の物語だったりすると理解が進むので、「とても読みやすい」となる。
 しかしながら小学生の場合気をつけないといけないのは、そのセットに「ちゃぶ台」とか「ひさし」があると、生活体験薄いこれらが理解できないことが多いし、「むくれている」とか「すねている」といった言葉の意味を説明しないといけない場合もある。このように文章の細部が理解できないことがあるにせよ、小学生向けの題材なので、登場人物の心情は無理なく理解してもらえる。

 やっかいなのはエッセイ。
 エッセイって日々のできごとを題材に思考を巡らす大人視点の文章だから、小学生が大人の感慨に腑に落ちるわけがない。「春はあけぼの」って言われて言葉の意味は理解しても、「そうだよね」って感じ入ることができるようになったのはいくつの時だっただろうか。少なくとも小中学生の時に今と同じ理解ができてはいない。
 エッセイではたいてい大人が過去を振り返り人生の歩みを反芻するから、書き手にとって過去の時代を進行形で生きている小学生には理解できない。人生先回りはできない。
 だから大人が思うほど、読後なるほど感に染まっていないなと子ども達の顔を見ればわかる。
「ふーん、それで」って反応になる。


 テキストの順番で今日の題材はエッセイ。
 授業前にざっと一読すると、
 それはサンタクロースねただった。
 サンタクロースからのプレゼントを巡る両親との攻防。子ども時代の出来事を振り返る大人になった作者。
 まいったな、と思う。
 これは小学生に読ませられるかどうか。

 その教材を開く前に小学生に質問した。ピンポイントで聞くと墓穴を掘る可能性があるから
「みんなの家にはサンタさん、来るの?」
 ニヤッとして「来るよ」と即答した子。微妙な顔をする子。何でそんなこと聞くの、という顔をする子。これらの反応から各家庭の両親と子どもとサンタさんのつながりに確信は得られなかった。
エッセイを読めばサンタさんの秘密がわかってしまう。子ども達の夢をつぶし、両親の努力を無にする可能性がほんの少しでもある以上、今日の教材はスルーってことで。

 のび太君の家ではクリスマスプレゼントは4教科のドリルだった。
 涙目になってドラえもんにすがるのび太君だったが、私には泣きすがる相手はいなかった。 
 あれは3.4歳の頃だったと思う。目覚めると枕元に包装紙に包まれたプレゼントが置いてあった。中身は白の木綿の肌着だった。兄のはアニメキャラがプリントされたズックだった。うちは子どもの頃貧しかった。父は給料全て絵の具に変えてしまうような生活をしていたので、人並みのものが買ってもらえないことは子どもながらに理解していた。わかってはいるけど、その包みを開けた時の残念感は今でもはっきり残っている。せめて兄のようにシャツに何かがプリントされているとか,花が刺繍でもされていればよかったのにとツラツラ思ったことまでも。でも誰にも愚痴は言わなかった。こうして枕元に置いたことや、包装紙にくるんだのが精一杯の親の気持ちであることが伝わったからかもしれない。
 今日の教材を扱ったら,授業中にきっとこんな思い出話に発展したことだろう。そして子ども達に微妙な顔をされ、「先生のうちは子どもの頃貧しかった」という事実だけが記憶にインプットされたことだろう。

 物語もエッセイも書き手は大人である。
 小学生の心に届くお話、書いてみたいな。




職員室の片付け

2017-04-01 17:42:24 | バネ
新しいコピー機入れるために,バネ職員室片付けていろんなモノが出てきた。
その中の一つ。
こうやって通常じゃ出会わないものに出会ったのだから、コピー機新調で費用かかったけど,悪いことばかりではないね。

これは20年前,バネ始めた頃のイラストFAXだと記憶する。
訪ねてこられた仲人さんに送ったお礼メッセージ。

この絵の様子だと娘は2歳くらいで、転がり込んできたばかりと思われるデブネコのエリがいる。

コピー機入れるために今ある棚を新しいモノに入れ替える。
コクヨのカタログ広げ,
「この棚に入れ替えるから,今ある棚の撤去手伝ってもらえますか?」
と営業さんにお願いすると、すぐさまカタログの品番メモし、
「それはこちらで用意します」
だって。もちろん新しい棚の搬入や組み立てもやっていただけるとのこと。

年度末で急いでいるという先方の事情に忖度し一緒になって急いで対応したけど、自分の事情じゃないからこそ無理が利いてがんばれちゃうんだよね。自分の都合なら、「ここの片付けはこの次にしよう」となり、結局やらないで終わったことでしょう。だからこそこうやって引き出しにしまい込まれたものは、20年前のものなので、こんな忙しい,特に春期講習中で毎日立て込んでいるこの時期に片付けするなんてあり得ないでしょ。
放り込まれていたのは「なつかしー」ものばかりで、保存するか処分するか悩みながら資料を半分にすることができた感あり。

捨てられないものの置き場所、どうするんだー。


静脈に響く映画

2017-02-01 12:57:27 | バネ
沈黙を観てきた。

と中学生に言うと、

サイレンス!と間髪を入れずに英語苦手君が言った。
映画のタイトルを知っていて、サイレンスと呼応したのか、それとも知っている単語だから他の子に言われる前にあわてて発したのか、その真偽は定かではない。
叫んだ後のドヤ顔からして、恐らく後者だと思う。


遠藤周作原作「沈黙」の映画化という下知識だけで映画館に突入。

予告編を見ながら待っていると、ゾワッとしてきた。
これって、もしかしてホラー?
日曜の午後なのに映画館ガラガラ。だからそう思わせたのか、何かおどろおどろしい雰囲気が漂う。
オープニングはドラキュラをイメージさせる。
ホラーだったら途中で出よう、と思う。

色のない映像に、侍が動いている場面を見届け、日本の映画だと安堵して腰をすえて観ることにした。

感想はというと、「なんかねー」としか言えない。
隠れキリシタンを弾圧するシーンがリアルで、リアルすぎて血管が痛い。
なのに「信じる心」という壮大なテーマがあるのに、わたしの心に届く前に何かに遮られた感だけが残り、「うーむ」という気持ちで映画館を後にするのだった。もう少し、人の業を掘り下げてほしかった。あとは各自考えよというスタンスでいいから、そのための余白がほしかった。
後半ですすり泣く人がいたけど、自分としてはそこに行くまでに何か蓋がされてしまった感じだった。

「で、(映画)どうだったんですか?」
と中学生が聞くから、

「動脈には響いたけど、静脈には響かなかった」
と答えると、
皆「??」状態。

よく分からない説明をスルーして話は隠れキリシタンだの、踏み絵だのと歴史話に飛んだが、先の動脈について納得いかない子が食い下がってきた。

「動脈って理科で習ったけど、どういうことですか?」
「それはね心臓から出て酸素運ぶ血管で、静脈は心臓に戻る血管ですよ」
ってさっきのサイレンスドヤ顔君がはりきって完全には正しくない説明をつける。
(おれは今そんなこと聞いているんじゃねぇ!)と心でさけんだかどうかは知らないけど、食い下がり君はドヤ顔君の説明はスルーしてしつこく聞いてくる。
「だから、どうして動脈なんですか?」

「ほら、欧米のホラーは怖いけど、日本のみたいにゾクッとこないでしょ」
というと、
「先生、この前もそんなこと言っていたよね」
って他から相の手が入る。
子ども達って、ちょっとした雑談いつまでも覚えてやんの。

でもこの説明で少しは分かったくれたみたいで、
「なんか、分かる気がします」
とめでたく雑談は終了し、本来の授業に戻ることができたのでした。

癒やしの補習授業

2017-01-15 15:36:06 | バネ
受験直前の週末なので、中3生の補習を入れる。
金曜授業最後に、直前補習やるからと言うと、
「何のために補習するんですか?」
なんて当事者が質問してきた。

直前補習入れるっつう時は、どうにもこうにもやり足りなさ満載で、最後の悪あがきしておきたい、いや、しておかないとこちらの気が済まない、不安が収まらないなんて子がいる時です。
その子に対してピンポイントで「これは絶対出る!」と配点高く、なんとか得点につながりそうな究極の問題を、神がかり的なこと言いながら丸暗記作戦でだめ押しするのです。
直前はあれもこれもではなく、「これだけ」と「絶対!」で強気で攻めておくに限ります。
そんな最後の悪あがきをすべき日なのに、補習やると該当者に声かけると、補習しなくても大丈夫っていう子までが、「じゃ、ぼくも補習出ていいですか?」ってなってしまい、結局全員出席となります。
補習は無料なんだから自分が受けられないのは不公平だという意見もあるでしょうが、いくら先生に大丈夫って言われても、友達が勉強していると知って不安になるというのは人情です。
勉強に来たいというものを断ることは出来ないので、結局全員補習に突入することになるのです。

今年は全員大丈夫だから先生はちゃっかり休憩もらっちゃおうかな、なんて時でも、お母さん方から「先生、前日授業やってもらえないんですか?」と言われ、「そうですね、やりましょう」となることもあります。

しかし、直前補習やると言ったのに対し、「何のために補習やるのか?」 と聞かれたことはいまだかつてない。
この子達、危ない感があったわけではないけど気を緩めないためにやっておいた方が良いと感じたから補習しておくか、って展開だったわけです。
そんなこちらの気を読んだから「何のために補習か」と聞いてきたのでしょう。


「そりゃ、それよ。ほら、癒やしよ」
ズバリ聞いてくるから、ちょっと言葉選びながらも、そのものズバリ答えてしまった。
過去問からいくつか問題抜粋して、出来る問題の出来具合を再確認し、補習授業が終わりを迎える頃に、
「先生、これが癒やしですか?」
「そうよ、これが癒やしよ。」




お助けボードに助けられ

2016-09-01 14:35:07 | バネ
今日から始まる学習教室バネの通常授業。
さて、木曜日は誰が来るんだったけ?
昨日は講習中にテスト受けられなかった子の特別補習やっていたから、数日休みを入れた後の浦島太郎感覚はない。しばらく休むと暗算ができなくなったり、漢字が瞬間に出てこなくてマーカーペン握りしめ「うーん」なんてこともあるけど、今日はそういう頭ギシギシ感はない。
でも今日誰が来る日だったのか、そもそも今日は何曜日なのかという感覚が鈍くなっている。

しばらく休みを入れると時間割を失念しがちになったので、去年から時間割を記録する「お助けボード」を用意している。それまでは誰が何時に来て、何曜日は何人いてという人の動きは頭の中に入っていた。「先生、何曜日空いてますか?」の問いになめらかに答えることができた。でも最近はこうした長期休みの後など、しばらく通常の流れから離れると何が何だかわからなくなりがちだったので、コマ割りを書き込んだボードを作った。
これが重宝する。
これさえあれば突然の入塾希望者に、「そうですね、火曜なら入れますよ」とか「この時間は小さい子と一緒ですよ」などとなめらかーに即答することができる。

さて「お助けボード」によると、本日はまず小学4年生と中学2年生の混在クラス。
続いて中1クラスか。
テスト前だから、たぶん他の中学生も来るだろうな。

夏休みの朝自習クラスに参加していた子が新規入塾し、今日からスタートする。
新しい子が来る日は何かと緊張する。
どんな子なのかわからないし、授業の流れ、他の子とのバランスの取り方がつかめないから。
でも今日来る新人さんは朝自習に来ていたから、何をすべきか、どこに重点置くべきかわかっていて気持ちが楽だ。
この子にとってまず必要なのは、ていねいに飽きずに学習する土台を作ること。
そして記録をきちんと残すこと。
そのためのファイルやノートを準備した。
今日すべきことは、記録の残し方を覚えてもらうこと。

シミュレーションしすぎた時はたいてい授業は空振りに終わっているから、今日のところはこれ以上の準備はやめておこうと思う

夏期講習雑感

2016-08-30 14:12:17 | バネ
バネの夏期講習が終わった。
今年はバネ初の企画として、小学生朝自習教室と作文教室を朝8時から入れた。
どうなることやら。
正直なところこんな思いでスタートした。

これらの小学生向け講座意外に、次から次と続く通常生の夏期講習をなめらかにかつ効率的に、そして情熱的に進めるためにはどうしたものか。
朝から小学生を元気よく迎え入れ夜まで授業をやっているシーンをイメージした結果、生徒と先生との間に「これ!」が必要と感じられた。
それを講習前日までにセットした。
それは夏期講習ファイル。

各自用に個別に手作りした。
表紙、スケジュール表、各自の目標、そして毎日の振り返りシート。
いつもバネはそうなんだけど、同じ学年、レベル、目的の子が揃って板書説明で進めるような授業スタイルをとらない。極端なクラスは高校生の横で小学1年生が勉強することもあるくらい、無学年で各自のスタイルで学習を進めている。
連続日程で講習する夏期講習などは曜日で学年をコマ分けできないから、通常以上に混在クラスになってしまう。
でもなおかつ、なめらかで効率的、そして情熱的な授業にするには。

子ども達はその日の学習スケジュールをたて、ファイルに記入する。
適切な学習メニューかを授業最初に確認し、ホワイトボードに書き出す。
それに沿って各自学習する。そして授業最後に、達成度を各自振り返る。そこに先生がコメントをつける。
文字が乱雑な子、資料を整理できない子、こんな子も一様にスムーズに学習記録を残すには、このファイルが生きてくる。
また、フィルに記録が残るから、子ども達も「やった」感が残る。

「先生、朝授業があると助かります」
以前こんなことを言われ、心の片隅に残しておいたあるお母さんからの言葉。

「こういうの(朝自習)、冬休みもやってもらえるよね?」
と子ども達はその気になっているようだから、たぶん冬休みもやると思います。

手書きパワー

2016-05-04 19:45:44 | バネ
特定非営利活動法人、って一応法人だから、年度末の書類作りが大変。
連休中ずーっと、書類作ってる。特に前年度はモルディブの選手育成支援事業の作業量が多くて、いろいろなことが脇に寄せられて、イベントやりっぱなし、の書類放りぱなしになっていて・・・。それらを一つずつひもときながら整理し、とりまとめ、それと並行して5/14のパートナーズカップの準備して。
なんだか業務に働かされているって感じ。本当は純粋に「楽しむ」ために立ち上げた法人なのに、総会前のこの時期はどうしても働かされている感、大ですよ。

1年に一度の提出資料ばかりだから、忘れちゃうんだよね。
年度末に提出すべき資料リストに沿って準備しているんだけど、やべっ、この資料去年ちゃんと提出したかな?と去年のファイルひっくり返すと、確かに提出した痕跡はある。1年に一度のことだから提出したことさえも記憶にない。そんなんだから、書き方なんて全く覚えていない。

そこに来て、役員改選?、登記?
あー、もう実にやることいろいろある。
ネットでいろいろ調べたら、なんだかどこかで見たことがある書類に行き着いた。
書棚のNPO資料ファイル広げると、画面と同じものが紙ベースでありましたよ。NPO法人設立の時に何度も読み返し、アンダーライン引き、不明点は担当者に電話で聞き、付箋貼り、書き込んだものが。設立に奔走していた4年前に使った資料。

無数の付箋には電話でアドバイスを受けた内容等が書き込まれていたり、大切なところには赤線が引かれている。それを見ているうちに、まざまざといろいろなことを思い出してきた。4年前書類作成で疑問に思って質問し、解決に至った過程等を。
やはりアンダーラインや書き込みなど自分の手が加えられているのは記憶に残るね。その内容だけでなく、その時の電話でのやりとりや、どうやって書類を仕上げたかに付いてまで思い出すことができるんだから、自筆の書き込みパワーはすごいね。

このことを子ども達に言っているのです。
覚えたいことや、大切なことはノートは自分なりにまとめるようにって。
自分で書いたものは、あの紙のあの辺りにあるぞって記憶に残るし、自分の文字を見ると内容をすっと思い出すことができるよって。