バネの風

千葉県野田市の「学習教室BANETバネ」の授業内容や、川上犬、ギャラリー輝の事、おもしろい日常を綴ります。

春期講習サプライズ

2018-03-23 18:38:02 | バネ
バネ、春休み中。
と言っても休暇をとっているのではなく、この時期は三者面談、教材の入れ替え、教室片付け、春期講習準備で毎日教室に詰めている。

さて春期講習。
いつもは季節感のあるデッサンを付けた講習ファイル表紙作るが、今回は写真で済ませてしまった。写真からデッサン起こそうかと思ったが、これだけの桜、絵で表現するより写真の方がずっといい。そして、そして。
子ども達が授業を終え教室出ると、目の前に実物がでーんとお出ましする。
そこで「おー、そういうことか!」
となってほしい。
毎年桜の時期はこちらのお宅でライトアップして頂けるので、夜の授業後も楽しめるはず。

これは2018年春期講習のサプライズ!

今年の開花はずいぶん早いらしい。3/29の講習初日までもつだろうか。


春休みの入り口

2018-03-12 12:25:04 | バネ
埼玉県公立高校入試、合格発表の日。
9:00発表のはず。
電話が来るのを待つ。15分経つがかかってこない。
まさか。ダメなはずはないという確信はある。それでも入試っていうのは当日のでき如何だから、「まさか」が全くないわけではない。
もしかしたら電話よりも先に直接報告に来るつもりなのかもしれないと思い、駐車場に出て表通りを眺めていると…。
電話が、来た。
「受かりました!」
弾んだ声を聞き、ほっと一安堵。

入試直前の2週間はともに走った。
私立がキープできているとは言え、万が一にも第一志望を残念な結果に終わらせるわけにはいかない。高校入試という、場合によっては人生初の大きなチャレンジで成功体験と達成感を味わってもらわないといけない。
過去問解き直し、穴見つけ、補修補強し、パターン別対処法を徹底し、最後はハウツー指導になってしまったが直前特訓で30点分、いや50点分くらい加点できたかもしれない。

朝は電話報告だったが、夕方学校帰りに母親と報告にバネに訪れた。
バネの時間にはまだだいぶ早い。
玄関のチャイムが鳴る。
来た!

門扉に立つ青年は透明な目をしていた。
あまり感情を表に出さない子だが、体の芯から全身に気持ちがにじみ出ていた。

私はこの日のためにバネやっている。
この顔を見るためにやっていると言っても過言ではない。

全員第一志望合格の声を聞き、ようやく2017年度が終わった。

日曜の午後、フラリとどこかに出かけたくなり北か南か適当に車を走らせ、前方に見えてきた筑波山をゴールに定めた。
調度梅祭りをやっていて、中腹から渋滞し山歩きの人に追い越されながら、民間の駐車場に誘導するおばちゃんの大きなジェスチャーをやり過ごしロープウエイ駐車場に向かった。

8年くらい前だろうか。
先日それぞれの合格祝いで2度にわたり回転寿司でごちそうした3人組が小学生の頃、一緒に筑波山に登った。あの日先頭を歩いていた私は、競争じゃないからみんなで固まって登ろう!と何度も繰り返したが、「お先に!」とかなんか言って猿のように飛び跳ねて行った小学生軍団の背中を不安な気持ちで見送った。春休みのイベントで子ども達と来たから、調度今頃だっただろうか。

ロープウエイで登ると6分で到着。
山歩きには向かない靴で最後の急な岩場を慎重に歩いた。
何年経ってもあの時と同じ岩がそこにあり、同じ景色が広がる。

あいにく雲が多く関東平野を一望することができなかったが、頂上を踏みしめる今この時間を満喫した。
頭の上をヘリが旋回した。女体山から男体山に向かい、頂上をぐるりと回り一本の線を引くように飛び去った。
恐らく向かう先が東京なのだろう。
どこまで目視できるかと目で追ううちヘリは黒い点になり、一瞬目を逸らしたらもう見つけることはできなかった。

帰りもロープウエイで降り、渋滞にはまることなく、日没の頃には野田に戻ってきた。

いつも田圃の遠くに見える筑波山の頂上にさっきまでいた。

3.11をその瞬間を筑波山頂上で過ごしたことに申し訳ないような気持ちになり、数時間遅れで心の中で合掌した。


今わかった、バンのお手柄

2018-03-09 10:54:45 | 川上犬
教室が雨漏り!
大変なことです。ということで屋根裏を点検すると…。
「小動物が住んでいた後があります」
と業者は涼しい顔でのたまった。

住んでいたことは知っている。
かつて天井を走る動物の物音に辟易し清掃業者呼んで相談するが、天井隙間が狭くて人が入れないからと却下されていた。ネズミではないもう少し大きい何かがいる。天井つついたり、見上げて大声出すけどいなくならず。
「やつだって生活してんだから」と言う人もありそのまま放置していたら、ほどなくして音がしなくなった。だから天井裏に何かがいたことは忘れていた。というより積極的に忘れようとしていた。

業者に残骸掃除してもらい、ネズミですか? それともハクビシンですか?と問うと、
「たぶん、あの様子はイタチじゃないでしょうか」
イタチ!
アッという顔をした私に、「何か思い当たることがあるのですか?」
そう、あるのです。
もう何年前だろう。庭でバンと戯れていたら突然バンが教室入り口のこんもりとしたあじさいの根元にダイブした。目の前でジャンプして、草むらにザザアーと飛び込んだ。
そしてドタンバタンと二度ほど大暴れしたすえ、ピョンと目の前に飛び出してきたバンの口にはイタチがくわえられていた。
ピカピカお目々で、ドヤ顔で。

そういえばその頃だった。天井裏の物音がしなくなったのは。
そうか、そうだったのか。
あればバンのお手柄だったんだ。

「そんな元気なワンちゃんだったんですか?」
はい、10歳の頃のことだと思います。亡くなって1年経つから、かれこれ7.8年前ですけどね、と返すと、
「霊前に手を合わせておいた方がいいですね」

営業マンの極意かもしれないけれど、いいですね、こういう人。

バンのお手柄話を帰宅したチャーに堰を切るように話すと、
「またバンか。そういうの親ばかっていうんだよ」
古い写真ひっくり返し、若い頃のバンの写真見ながら、あの時のイタチ事件を一人反芻する。



1歳の頃。小学生と戯れるバン



8ヶ月の頃 年賀状スケッチモデルとなる

作文教室あれこれ

2018-03-06 12:36:18 | バネ
昼前に気づいた。
冷蔵庫電源入っていない。庫内真っ暗。
コンセント抜けてる?
いや、ぬけていない。抜き差し何度かするが、電源入らない。
ついに壊れましたか。使い始めて10年くらいあるいは10年以上選手か、いずれにせよ新しい代物ではない。

ガックリ。今結構いろいろ入っている。冷凍庫も満杯。どうする。すぐ冷蔵庫買いに行って届くまでの数日間、中身どうする? そもそも家具の隙間にぴっちり入れているこれをどうやって動かす?更にここに入るサイズの新製品あるかな? とりあえず珈琲でも飲んで落ち着くか、とポットに移動するが、そういえばキッチンの自動点灯ランプが付いていないことに気づいた。もしかして、停電? しかし部屋の電気もテレビもさっきから付いたまま。でもエアコンは吹き出し口開いたままで作動していない。
すぐにブレーカーを確認。何も変化ない。
家中チェック。すると電気が付く部屋と付かない部屋がある。同じ部屋でもコンセントが使える場所と使えない場所がある。バネも確認すると、こちらもブラーカー落ちてないけど、半分電気が使えない。
東電に相談すると1時間後に点検にやって来た。
なんでも、外から電気を送る部分のヒューズが切れているとのことでヒューズ交換して一件落着。こちらの問題ではない、東電側の問題ですとの説明。
こうして昼間の数時間バタバタして時を過ごした。

そして今朝。
ノートパソコンを立ち上げメールチェックし、スリープになったので再度ログインしようとしたら、指紋認証の画面が出ない。さっきまでできていたのに。
なんだ、なんだといろいろやるも改善せず、サポートに電話。
指示されるままにいろいろやったら元通りになった。
これにて午前中の数時間が飛ぶ。

いつも通りのことができなくなった数時間の不安と焦り。さらには元通りになったときの安堵感。そして対応してくれた方への感謝。
どちらも当方の問題ではないと思うが、今まで通りのことができる幸福感を再確認させてもらったと思えば、無駄な数時間ではなかったかもしれないけれど、2日連続こんなことに時間取られてしまったことは事実ですね。

今年度のバネ中3生は2月末日で終了した
教室内混雑は緩和され、新しい学年のスタートをゆったりした気持ちで始められる一方で、そこはかとなき空疎感。
そんななか小学4年生から来ていた子のお母さんが、夕方の授業が始まる前に挨拶に訪れた。調度東電の修理が完了し、バネの電気が付いてほっとした頃の来訪だった。
この子は姉妹が卒業した後、勉強ではなく作文を指導してほしいとのことでバネに連れて来られた。
たいていは算数や国語の指導を希望する親御さんが多い中、国語とは言わず「作文」を指定してきた。勉強は見なくても良いのですかと確認すると、「うちの子は作文をみてほしいのです」と作文に絶対的な期待を寄せてきた。
とはいうものの果たして本人は作文に興味あるのだろうか、嫌々通っているのではないだろうか、そんな思いから、その子の顔色を伺いながらの授業だった。

簡単な課題作文からはじめ、週1回の授業で一つ書き上げ、書くことに抵抗がなくなってきた頃全国規模の作文コンクールに応募した。原稿用紙5枚の創作。亡くなった祖父母が登場する心温まるお話。これは残念ながら何の賞も取れなかった。その1年後、5年生の時は原稿用紙20枚の創作に挑戦し、こちらは見事日本一に輝いた。2作目は、少年の成長物語。少年を支える家族、とりわけ母親が印象的なお話で、古き正しき小学生とその家族の様子がえがかれていた。

お母さんとこれまでのことを振り返ると、やはり作文の話になった。

「今でもあの作文読むとどきどきします」
とお母さん。「賞はとらなかったけど、実は私は4年生の時の作文も大好きなんです」とのこと。

また作文教室開こうかと思っている。
一応スケジュールは組んでいる。ひっそりと募集案内にも載せた。でも一切広報していない。
本格的に作文教室再開しようかなと思うものの、授業コマを増やすことに躊躇している。そもそも生徒集まるかどうかわからないし。

「うちの子にとって小学生時代の作文授業、あれはドンピシャリでした」
ドンピシャリとはその子にとって何がどうだったのかあやふやな表現だが、おっしゃりたいことはよくわかる。
子どもの成長にとって作文授業の意義は大きい。作文教室を多くの子どもたちに門戸広げるべきだとは思う。しかしこの思いも経験も今につなげていないのだから、私にとってはドンピシャリとはなっていない。