バネの風

千葉県野田市の「学習教室BANETバネ」の授業内容や、川上犬、ギャラリー輝の事、おもしろい日常を綴ります。

蟹鳥県紀行 【倉吉大河ドラマ】

2017-01-30 12:55:28 | 旅行
「(雪で)大変なときに鳥取行ってたんだね」
とか、
「今、鳥取に行っていると思った」
などと声を掛けられます。
今回の「蟹鳥県紀行」は2016年12月の週末に蟹を食べに鳥取に行ったときの話です。

で、ようやく、この紀行文本題、「倉吉」です。

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 鳥取市を出て海岸沿いに倉吉に向かう。途中白兎神社に立ち寄る。
道の駅入り口に犬を連れた人がいる。犬はじっとこちらを見ている。
しばらくそうして犬を連れたまま駐車場にいるから、おそらくあの人は犬を披露しているのだと思う。
「いい犬だろ」と。
そのくせ犬と一緒に「近寄るな」オーラ出しているから、ちょっと残念。

 倉吉が近づいてくると、ブルーシートが目立ち始めた。
 この地域は10月に震度6の大地震に見舞われている。
 駅を過ぎ観光客の集まる街へと入ると、地震で痛んだ道路を修復する工事であちこち渋滞していた。
 パーキングに車を入れまずは観光案内所に向かうと、先頭の人がガイド旗を持った一行とすれ違った。
 観光ツアーに申し込んでいれば、あのグループの一員にだったんだ。
 一行が脇を通り過ぎるのをチラ見し、観光案内所へ。



 街の中は地震の被害が大きく残っていた。頭上注意の看板を見上げると、壁の一部が崩れそうになっている建物や、大きく亀裂が入った建物が並んでいる。
 白壁土蔵造りの建物が多いから、被害も大きかったと聞いている。
 順々に修復しているとみえ、街のあちらこちらが工事中だった。

 倉吉は酒造が多い。
 利き酒は無料。
 まず1軒目。グイッといただき次の酒造へと向かう。
 入ること数軒目は「利き酒1人500円」だった。
 ここは4種類の酒が女将の説明とともにおちょこに注がれる。グイッと飲み干すと、酒の説明をしながら間髪を入れず次のおちょこ。酒造り一筋と思われる女性の説明をふんふんと聞くが、半分くらいしか理解できなかった。下知識を備えてからもう一度説明を聞きに出直した方が良いなと思う。
 店を出て、「わんこそばみたいだったね」と語り合いながらブラブラ街を歩く。

 そして一番奥にある、歩く人波が途絶えた通りに「淀屋」があった。

 入り口が開いていたので、中を覗くと先客あり。
 年配の夫婦が担当スタッフのおじさんから説明を受けていた。その説明を小耳にはなみながら、展示物や建物を見回していると、スタッフの男性は我々に声をかけてきた。

「お時間あれば説明しますよ」

 急ぐ旅ではない。今日1日フリーなので時間はたっぷりある。

 さて、その説明をかいつまむとこうなる。
 聞き間違いや記憶違いがあるかもしれないが・・・・・・。

【時は江戸時代。
大阪に豪商「淀屋」がいた。淀屋は中之島を開拓し屋敷を建て日本中の商取引行い、大阪商業の発展に貢献した。淀屋が架けた橋が淀屋橋で現在の地名「よどばし」の由来となっている。淀屋は世界に先駆け先物取引を行い、淀屋4代目でピークを迎える。その取引は2時間で八十万両。各地の大名は淀屋に借金した。幕府は経済的な力をつけてきた商人を恐れ、淀屋を贅沢の罪で取りつぶし財産を没収した。幕府の動きを先読みした淀屋は、番頭の牧田仁右衛門を郷里に戻し、そこで商売を始めさせた。その郷里が、倉吉。
 倉吉で始めた店は看板に屋号を載せなかった。なぜなら大阪淀屋とのつながりを知られ幕府につぶされるのを避けるためであった。牧田仁右衛門は商売を繁盛させ財を成し、大阪淀屋再建に貢献した。以後大阪淀屋と倉吉淀屋は協力して栄えたが、安政6年(1859年)両家は突如家屋敷を売り払い、有り金を朝廷に献上し姿を消した。】


 系図を指し示し、初代から続くストーリーを語ったおじさんは、グイッとこちらを向き直ったので、

「積年の恨みってことですね?」
と言うと、
「そう、積年の恨みですよ」
とおじさんは同じフレーズを力強く繰り返した。
もう、完全におじさんとシンクロ。



 鳥取城跡のにわかガイドおじさんとは心に余裕がなくてシンクロできなかった。
 炎天下で汗吹き出す、靴擦が痛い、遊覧船の時間が迫っている等もろもろの事情で、ガイドおじいさんにどこで話をきりあげてもらうかと気をもみながら聞いていた。そして後になって、詳しい説明聞ける機会を逃したことを残念に思った。

 今回は遮るものは何もない。
 どんどん聞いちゃう。もれなく聞いちゃう。

 大蓮寺に墓石が見つかり、そこに淀屋と書かれているのが発見されたのが昭和40年頃(と言っていたかな)。奈良大学(だったかな?)の先生を招き研究し、大阪淀屋と倉吉淀屋の歴史がひもとかれたとのこと。まだ倉吉淀屋の記録は謎に包まれていて、以上は倉吉に伝わる一説とのこと。

「大河ドラマにしてもいい話でしょ」
うん、うん、と我々一行は大きくうなずくのだった。

 壮大な話を前に大きく深呼吸するとともに、立ち去りがたく展示物を眺めていると、

「先日の地震で一切被害はなかったのですよ」
と話題は現在に戻った。

 そう、ずーっとそのこと確認したいと思っていた。
 途中でおじさんに確認しようと思いながら話を聞いているうちに、聞くのを忘れてしまった。
 倉吉に現存する最古の町屋建築物。なのに壁一つ崩れなかったのだそうだ。
 そう説明するおじさんはとても誇らしげだった。

「時間あれば、二階も見ていく?」

 おじさんはそう言いながら、すでに右足を階段に置いている。
「行きます、行きます」
後ろに続くと、
そこは建築物の構造模型を展示する空間があった。

 建物は釘を1本も使っていないとのこと。
 全て寄せ木細工で組み合わせられ、数十種類のパターンが部位に応じ使われているのだそうだ。

「これ、ひっぱってみて」
 歴史的建造物の展示品を直接触っちゃって良いのかと一瞬とまどう。
組み合わされた柱はしっかりくっついている。が、おじさんが木槌でカーンと打つと、柱はパカッと開き、内部が斜めに組まれているのが見えた。
すごい、日本の技。
 あー、これも下知識が必要。そのすごさがよく分からないから、「へー」とか「すごい」を繰り返すのみで残念。もう少し気の利いた質問できるようになって、また訪れようと思う。








 二階も堪能すると、
「菩提寺に淀屋の墓があるから寄って行く?」
「行きます、行きます。」

 墓石の位置をていねいに教えてもらい、記念撮影をしておじさんを分かれた。
 大蓮寺に境内に墓石があった。奥の方は地震で崩れたままだった。
 万感の思いを込めて手を合わせた。

 昼食を終えパーキングに戻る途中、孫と思われる子ども達とスキップするように走るおじさんとすれ違う。
(あっ、さっきの人だ・・・・・・)
 昼までガイドを務め、迎えに来たお孫さんと昼食休憩で家に戻るところかな、と想像する。
 すれ違う時こちらを見て、「ニコッ」としたように思う。

「さっきの人だよね」
と夫や娘に言うと、
「違う、全然違う」
と強く否定されたけど、こっち見てニコッてしたし、さっきの人感がぬぐえない。
 違っててもいいじゃん。孫と一緒に昼を食べに自宅に戻る図を想像する自分がいい。いくつになっても身軽に孫と走っていた父の姿が思い出されるし。

 つづいてワインの店に立ち寄った。
 ここも試飲できるということで夫はグラスを傾けていたけど、わたしの目は棚のワイングラスに釘付け。
 木製ワイングラス。
 木製だからグラスとは言わないか。
 ワインはとても美味しいとのことで夫は買いたそうにしていたけど、飛行機で帰るのだから瓶ものはご遠慮願いたい。
 それより旅の想い出にこのグラスを買いたい。
 大きさも木目もそれぞれに異なる。
 手に持ち、後ろからも下からも眺め、色合いがしっくりくる1点をチョイスした。
 これは、いい。
 多分もったいなくて飾るだけになると思うけど、部屋でこれを見ると倉吉思い出すことができる。



 旅は道連れ、世は情けとはよく言ったものだ。

 偶然の出会いに満ちた鳥取の旅。
 次はいつ行こう。

蟹鳥県紀行【海勝丸で蟹三昧】

2017-01-25 13:03:00 | 旅行

 昨晩の連絡によると、
「雪、1メートルくらい積もってて駐車場の車埋もれてて出せない!」
そうです。今日はどんな状況なんでしょうか?

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「海鮮問屋 海勝丸」本日のメニューは、蟹お任せコース

 お通しを運んできた、いつも娘がお世話になっているという女性にご挨拶。
 店長は他の店で急に人手が足りなくなってそちらに応援にいっているとのことで、会えず残念。さっき通ったアーケード街にあった店かな?

 注文した飲み物を運んできた女性は、


「うちの子も遠くに行っていて何もしてあげられないから、うちの娘の代わりのつもりで見ているのですよ」


 ありがたいです。こうして遠方で暮らす娘のことを自分の子と思って接してくれる人がいるということ。

 娘は3月に鳥取生活を始めた。
 鳥取には何の地縁もない。島根と鳥取の位置関係すらあやふやで、鳥取に関しては日本で一番人口が少ないとか、日照時間が短いなどというネガティブな数値データがあるのみ。
 そこへ、「鳥取城跡はいのしし出たりするんだって」という生情報入ったために、娘が早朝1人でランニングしていて、久松山公園でイノシシに襲われ!? なんてイメージが定着してしまった。
だから娘に電話が1日通じない暁には、「イノシシ遭難」的画像が払拭できなかった。
 しかし自分の目でこの地を見て、歩いて、さらにこうして人の情を直接知ることにより、あやふやなイメージは具体性をもって描き替えられ、安心は大きく膨らんでいった。

 自分の子のつもりで面倒を見る、こういう思いは循環させるもの。
 バネやαクラブの子ども達に、我が子と思い接している(つもり)日常を振り返る。
 とともに、もっとあの子達にやってあげることあるよねと自分にたたみかける。


 蟹で始まる。

  蟹のお通し、蟹味噌、蟹刺し、蟹鍋。


 でも残念なのは、料理の写真を撮り忘れたってこと。
 正確に言うと、忘れたのではなく、撮らなかったということ。

 食事の写真撮るのって、なんか「これ載せちゃいマッセ!」ってSNS女子風だし、お店の人や同席の人へのアピールプンプンだから、あえてやる時もあれば、あえてやらないときもある。

 稀勢の里が横綱就任挨拶で四字熟語を言わなかった様に、行いに意気を込めて、当たり前と思われていることを当たり前にしない。そんな気分もあり、今回はあえて撮らなかった。

 しかしそれがいけない。
 前半料理の写真が残っていないので、実のところ何を食べたかあまり記憶にないというのが今となっては非情に残念。
 夫に聞いても同じ状況。
 結局は人の記憶って、何かに残されて定着していくんだよね。

 コース中盤だっただろうか、


「ジャーン」(実際は効果音も、声もないけど)

と登場したのは ゆで松葉ガニ。

「こちらになります。これから食べやすく調理してきますね」

 先ほどこれから調理すると披露されたその松葉ガニが、めでたく登場。




 ゆで蟹。

 これはコース追加メニューだったそうで、よくわからないまま一つでいいの? と事前に確認されていたけど、テーブルに置かれると、これは人数分あった方が良かったかも、と一瞬思った。

 皆無言になって蟹ホジホジに夢中になるというけど、適宜食べやすくハサミが入っているからスルスルいけちゃう。
 食べやすい。香り、食感、グルメ人でないわたしには、この味を表現するボキャブラがないから、何も言えない。ということで、皆何も言わないまま食す。

 食べ終わるタイミングでお店の方が、地元では蟹味噌が少し残る甲羅に熱燗を注いで飲む方法があるけど、「どうしますか」と聞いてきた。

「飲みます、飲みます」
 と夫は身を乗り出す。

 いつか蟹をもらうことがあったら、これはうちでも再現してみよう。

「もうこれ以上たべられまへーん」て後ろにひっくり返るくらいカニをほおばってみたかったというイメージ通りに胃袋は働いてくれず、ほおばる前に満腹サインが出始めてしまっている。
 また、おしゃべりも一段落したので、やっぱりここは写真撮っておこうと思い直す。
 だから後半の料理は記録がある。

 ゆで蟹は「1人一つで良かったんじゃない?」と先ほど公言したのに対し、同席の皆から

「さっきあれだけ豪語してたのに、もうお腹いっぱいなの?」

 少し食休みにと席を外し、店内の水槽で泳ぐ魚と遊んだ。

 水槽に指を付けるとツーと近づいてくる。指を動かすとツーと追いかけてくる。
 何度か繰り返し遊んで、トイレに行き、トイレ後に水槽の前に立つと顔を覚えられたのか指を出さないのに、ツーと近づいてきた。
 この子、意思がある。

 部屋に戻り続く蟹料理
 
 蟹の天ぷら。
 蟹どんぶり。

 





 ではそろそろ会計をと思うと、

「これ」

と娘から差し出されたのは、わたしへの誕生日プレゼントだった。

 えー、サプライズー!

 会社の上司に母親の誕生日プレゼント口紅送りたいけどどこのがいいですかねとアドバイス求めると、

「それは、エスティローダーよ」

大丸百貨店で、

「おばさんだったらどんな色がいいですか」

と聞くと

「でしたらこちらの番号が人気です」



 わたしも母親に誕生日プレゼントで口紅送ったことがある。母は滅多に化粧しない人だからということもあるけど、大事に使ったのだろう、何年も使っていた。
 せっかく買ってもらったものを大事にし過ぎて仕舞いこまわないようにという気持ちを込め、まずその場で付けてみた。

 一同が
「いい色じゃん」
 おばさん向きだという色を一同に「いい色」と言われ納得するとともに少々複雑な気持ち。

 盛り上がったところで、さらにホールケーキも登場。
 お店の方が、一番人気のケーキ屋さんに注文しておいてくれたとのこと。

 帰り際に水槽をツンツンして、店を出る。

 旅館に戻り、就寝前に大浴場へ行く。
 誰も入っていない。
 こちらも結局は貸し切り状態。高速バスで眠れぬ夜を過ごしたから今日はぐっすり眠れるなと思いながら、カニのこと、ケーキやプレゼントのことを浴槽で思い返した。
 脱衣所を出た大浴場休憩所にスタッフの女性がいた。先ほどはここには誰もいなかったようだったが、静かなたたずまいの人だから入る時気がつかなかったのか。湯上がりによく冷えたレモン水をいただいた。

 部屋に戻ると、夫はテレビのリモコン握りしめたまま寝ていた。
 まだ明日の予定決めていない。帰りの飛行機は18時過ぎだから、明日は一日たっぷり時間がある。

 倉吉に行こうかという意見が上がっていたからHPで倉吉情報収集。
観光ボランティア申し込めば、ガイド付き散策コースで楽しめるというのは分かったけど、申し込みは1週間前までにとのことだから、これは却下ですね。

 そこからの記憶はない。
 わたしも布団に潜り込んだらいつの間にか寝て、いつの間にか朝になっていた。

 朝風呂に入り、早めの朝食をとり、宿をチェックアウト。
 旅館前の駐車場には、隣に「野田」ナンバーの車が止まっていた。
 いつも見ているナンバーだから当たり前過ぎてスルーしそうになる。しかし、よく考えると「ん?!」でしょ。わざわざ野田から蟹食べに来た人かな。それも車で。知っている人かな。

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 さてここから我々一行は一路倉吉を目指す。
 今回の蟹取県紀行、どうしても記録に残したいと思ったのは倉吉でのできごとがあったから。
 鳥取から帰ってきて数ヶ月経つ今もジワンジワンと感動が止まらず、誰かに言いたくて仕方ないできごと。これを書くのが今回の究極の目的なんです。

蟹取県紀行 【ガイドおじいさんと唱歌】

2017-01-24 15:13:53 | 旅行

鳥取市でも昨日50㎝の積雪で今もまだ降っているとのこと。
地元の人が、朝から雪かきずーっとしていますと言っていました。

雪かき大好き、雪かきやりたーいってレベルではないですね。
車の運転、お気をつけ下さい。

さて、楽しかった鳥取旅行をいろいろ思い出しながら綴るので、どんどん中身が膨らんでしまい、夏にあったことまで盛り込んで長くなってしまいましたので、まだ蟹まで行かれません。

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 高速バスで浜松町を出発し、ようやく鳥取駅に到着しました。

 鳥取駅で合流した我々一行は、まず温泉へ。
 鳥取駅から車で20分ほどのところにある吉岡温泉に行くかという案もあったけど、とにかく早く入りたいので市内の元湯温泉
へ。ここは朝6時からやっていて入り口に駐車場がある。県庁所在地で、JR駅至近に温泉があって無料の駐車場があるって、この街くらいじゃない。

 鳥取の温泉の湯質は固く強い。足にジンジンくる。入った瞬間に別所温泉のように化粧水が肌にすーっと浸透するような柔らかさもいいけど、ここの湯の強さもそれはそれでいい。体の芯に残るバス酔いがとろけていくというよりも、温泉パワーで強制的に押し出されていく感じ。旅の疲れが一気に吹き飛んでいった。

 入浴後夫と娘は市内散歩にでかけ、わたしはその間しばし休憩をとることにした。
 2時間ほど休んでいる間に、夫と娘は鳥取城跡を散策し、「すなば珈琲」に行ってきたという。

「スタバはないけど、すなばはあるよ」
と自虐でキャッチしてしまえる「とっとりー」に人気のスナバ珈琲。ここのモーニングセットって、おにぎりにコーヒーとか、朝粥にコーヒーの組み合わせ、なんすか? とは思うけど、これだからいいかも、ともしみじみ思える。
 スタバに行くと、平静を装いながら小難しいスタバ用語でオーダーしないといけないという非日常感に辟易気味だし、だからこうなんだよと無理矢理納得させられる価格設定に疲れながら精算するのだが、ここは田舎の「ルノアール」感があり、楽だ。休憩するんだから、楽じゃなきゃいけない。

 鳥取城跡を8月に訪れた時のこと。仁風閣を出たところで、

「仁風閣は映画の撮影に使われたって知ってる?」

と城跡入り口で「おはようございます」と挨拶したおじいさんが話しかけてきた。
二言三言ことばを交わし先へ進むと、先回りしていたおじいさんが「こっちで写真撮るといいよ」と教えてくれた。おじいさんお勧めの撮影スポットは市内が一望でき、遠く白波寄せる日本海までスーッと伸びていく景色。撮影後しばらくおじいさんと一緒に歩くことになった。にわかガイドのおじいさんは、天球丸のこと石垣のこと、水の道のこと進むコースに合わせて説明を入れ、と言うよりおじいさん設定のガイドコースに誘導されるように公園内を歩いた。
「ふんふん」とか「へー」などと相づちを返しながら歩くこと小一時間。城跡散策の次に回る浦富海岸島めぐり遊覧船小型船の予約しているが、こちらは次の便に予約し直したほうが良いなと思う。
久松山は岩がちで、石がゴロゴロしている道を歩いているうち、サンダル履きの左足小指が靴擦れになってきた。炎天下を歩いているこの状況と靴擦れの問題さえなければ、このまま山頂まで案内したげる風なおじいさんにお任せするんだけどな。残念だけどおじいさんとはこの辺でお別れすることにした。

鳥取城跡がある久松山公園は桜の名所だとのことで、

「桜の季節に来ると、ここが一番の絶景ポイントだよ」

と最後にもう一押しお勧めスポットを教えられる。
それじゃ、春にまた来なくちゃね、と思う。
 我々との散策が終わると、おじいさんは次に城跡に入ってきた2人組に声かけていたから、あの人はあーやって観光ボランティアしているのかもしれない。






 今回は早朝でもあったし、そんなラッキーガイドおじいさんには巡り会わなかったとのこと。その代わりというのもなんだけど、帰り際に橋の近くに設置されているボタンを押したら、静かな朝の街に大音量で唱歌「故郷」が流れ出したそうだ。

 そうそう、ここは童謡・唱歌の里だ! 
「故郷 (ふるさと)」の作詞者は信州中野出身の高野辰之、作曲者は鳥取市出身の岡野貞一。3月に訪れた「わらべ館」で唱歌故郷を通じた鳥取と長野のつながりを知って、勝手にこの地にご縁を感じている。
次行ったときは、そのボタン押してみよう。
あまりの大音量でビックリしたとのことだから、心してオンすることにしよう。

 さて体調回復したのでひとまずは早めの昼食をとり、地元のジュニアや高校生の練習会にお邪魔した。

 先日関東から鳥取に赴任した方が、

「鳥取は外を歩いている人がほとんどいないのに、体育館行くと、こんなに人がいるのかー!って思うくらい、バドミントン盛んなんですよ」

と言っていた。バドミントン競技登録人口比は日本一だそうだ。バドミントンが盛んなのは、熱心な指導者がいるだけでなく、冬場アウトドアスポーツが限られる地域であることや、2人いれば出来る点、さらにはスポーツ性が鳥取人気質に合うのか。その辺のところはよくわからないが。
 確かに。体育館はバドミントンだけでなくスイミングやらで集まっている子ども達で賑やかだった。
 地元の人に「今回は蟹を楽しみに来た」と言うと、地元ならではの穴場を教えてもらった。そこは「海でとってそのまま即食すのだから、とにかく美味い!」とのこと。行き方を説明されたが途中までの地図は頭で描けたけど、後半はちんぷんかんぷんであったから、次回行くとなったら事前にもう一度説明してもらおうと思う。

 さてそうこうしているうちに夕刻になったので宿にチェックインすることにした。
 宿泊は娘が予約しておいてくれた「観水庭こぜにや」さん。
 今回はビジネスホテルに泊まるつもりでいたら、こぜにやさんの口コミ読んだことあるのかと娘が言う。

「読めば分かるよ。泊まりたくなるから」

 と、その言葉通りまんまと泊まりたくなり、

「もしこぜにやさんに泊まるなら、自分も一緒に泊まろうかな」

 これは娘の作戦勝ちか。

 駅前通りから一つ角を曲がるとそこに広がるこぜにやワールド。駅至近とは思えない静けさとたたずまい。通された部屋は一番奥で、コの字型の大きなソファーがある絨毯敷きの部屋。どこで靴脱ぐのかためらう立派なたたきの間(?)の先に座敷があった。

「もう少し早ければ紅葉が調度見頃でした」

と開け放たれた障子の先は、池や渡り廊下を望む。部屋が一階っていうのもいい。
すぐさま温泉へ。
 貸し切り風呂が2カ所ある。予約なしで入れる。空いていればいつでも入れる。制限時間もない。と何から何までご自由にというスタンスの貸し切り風呂。どちらも空いていたのでまずは左側の檜風呂に入る。
 鍵をかけると浴場へ向かう渡り廊下に風呂使用中ランプが点灯するシステムになっているから、途中でドアをガチャガチャされる気ぜわしなさもなく、安心してゆったり入れた。貸し切りというからこじんまりした家族風呂をイメージしていたが、大人4人でもいけちゃう広さ。掛け流しを堪能し、もう一つの貸し切り風呂をはしごしようと思ったら、さっきは空いていたけど今は使用中とのこと。







 朝風呂に続いて2回目の風呂を堪能し、本日のもう一つのミッション。
 それは夕食。こぜにやでの夕食も楽しみだったが、今回は娘がいつもランチでお世話になっているという「海鮮問屋 海勝丸」さんへご挨拶を兼ねて出陣す。

 旅館を出てアーケード街を歩くと、なんだか人がざわざわ歩いている。
 忘年会シーズンだからか、蟹シーズンだからか、特に海鮮系の店の前が賑わっている。アーケード街で肩がぶつかりそうになって人が多いことに改めて気づいた。静けさもいいけど、こういう人の波も旅情をそそる。これから向かう夕食に、ズンズン期待が高まるぞ。

 歩くこと数分で「海鮮問屋海勝丸」に到着。
 ここから蟹づくしの夜が始まった。

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 下知識がないまま観光すると、歴史や価値がよく分からない。帰ってきてパンフ読み直して、もう一度行ってこよう! となります。
 ガイドおじいさんの説明はもう一度聞きたい。

蟹取県紀行 【高速バス搭乗】

2017-01-23 10:43:57 | 旅行
そうだ、鳥取行こう!
と思い立ったのは11月のこと。

 娘の引っ越し手伝いとこれからお世話になる勤め先へのご挨拶を兼ねて鳥取市を訪れたのは3月上旬。
 勤務先の方が開口一番、

「残念、調度蟹終わったところなんですよ」

 終わったって? 全て食べ尽くされた後ということ? と事情がよくわからず
「・・・・・・」と反応すると、なにやら解禁の時期を過ぎたとのこと。
地のものを限られた期間だけ食すという自然の理に従う生活とは縁遠いから、解禁に対して生活実感がわかない。冷凍でいいから食べたいのに・・・・・・と思うが、しかしそこは、地元の方は譲りませんよ。

「時期の蟹でないと美味しくない!」

を強調され、そういうもんなんだと納得。
その後
「解禁の時期に来て下さいね」
という地元の方の言葉はずーっと反芻され、醸成され、そして11月ふっと浮かんだ。

今、行こう、と。
 
 スケジュールを調整しまず移動の確保。
 今回の楽しみの一つなんだけど、それは夜行バスで鳥取に行ってみること。
 夜浜松町を出発して朝起きたら、そこは鳥取ってすごくね!的なのりで夫との2名分即予約。帰路はANAマイレージで特典航空券予約。これで移動は完璧。

 TX経由で浜松町に行き、まず夜行バス乗り場を確認しコロコロを近くのコインロッカーに預ける。身軽になり腹ごしらえにと街へ繰り出す。街はどこもクリスマスイルミネーションで華やかなのに加え、仕事帰りの人でわさわさしている。適当に店に入ると「予約されてますか?」 そうか巷は忘年会シーズンでしたか。グルグル回りようやく居酒屋2席ゲットできた。高速バスの時間まで居座るのは混んでいる店に悪いので、出発時刻まであと1時間を残して退店。そして時間つぶしにと世界貿易センタービル最上階の展望室へ。

「終了まであと30分ですがよろしいですか?」

受付のお姉さんに確認され、JAFカード見せて少し割り引いてもらい階段を数段上ると、なんとそこには東京の夜景が一望できるゾワッと来る回廊が続いていた。
 ピカピカの東京の街がグルーッと眼下に広がる。終了間近ということもあってか、人気の少ない絨毯敷きの薄暗い回廊をゆったり歩くと、もうすっかり気分は20代。
「東京タワー、あれがスカイツリー。あっちの方が家か」
などとミニデート気分で夜景を楽しみ、さてようやく高速バス乗り場へ向かう。



 すでに乗り場前には乗客が数人集まっていた。この人達みんな鳥取へ行くんだ。いや、帰る人たちなのかもしれない。ということはここにいる人は皆鳥取の人? 

 とそこに、なんとも「とっとりー」な男子3人組がほろ酔いで登場。
 地味な3人組だけど酔っているからなのか見た目以上に声でかい。あー、あの人達車内で騒ぐかもしれない。席近くだったらちょっとやだな。
 乗り場に登場した3人はすぐに場の空気を読んで声のトーンを落としたけど、「楽しかったー」と言い合う声だけははっきり聞こえる。
 バスが到着すると先の3人組男子のうちの一人が「じゃあな」と手を挙げた。乗るのは2人で、1人は見送りということが判明。

 そうか、そういうことか!
 うーん、なんかこういうのいいね。
見送る青年は少し飲み過ぎた友人を気遣いつつ、郷里に帰る友に何かを託すというこの感じ。さっきまでのあの男子やだねが、いい子達だねに変わった瞬間。
 バスに乗り込む時に青年2人組が「お先にどうぞ」とさりげなく手で合図したのから、好感度は更にアップ。さすが、鳥取男子。噂に聞いていたとおりじみーで口数少なく、控えめではないですか。これなら席近くてもいいや。



 と、ここまでは良かった。
 さて、これから長い、長ーい、バスの旅が始まるのでした。

 浜松町を夜9時に出発して、鳥取駅到着は朝6:30。9時間半の旅。
 寝てしまえばどうってことない。寝てしまえばね。

 高速バスが初体験というわけではない。新宿発福井行きに乗ったことがある。その時の反省を活かし、2度目の今回は準備万端だった。
 我が席に乗り込みバッグを足下に置いたり、コートやマフラー片付け、飲み物をホルダーに装着し、キンドル充電セット。そしてヘッドレストの位置を合わせようと下に引っ張ると、力入れ過ぎてマジックテープがベリッとはがれてしまった。付け直そうと後ろ向きにシートに膝立ちしたところで、バスは出発したのだった。

 浜松町バスターミナルをグルーリと大きく回転するのに合わせて、頭も後ろ向きのままグルーリと回った。もうこの瞬間に、だめ。

 きた、車酔い。

 子どもの頃から車に酔いやすかった。でも自分が運転するようになってあまり酔わなくなったから自分が車酔いすることを忘れていた。久しぶりに味わうぐうっとくる感じ。今回の酔いはそれほど深くないから、しばらくじっとしていればなんとか吹き飛ばせそう。なのに、よせばいいのに、せっかく準備したからとネックピローを膨らませようと一気に息を吐き出してしまうという酸欠を導く行為により、バス酔いは深く、深く体に浸透していった。そこから先はもうバス酔いとの戦いのみ。気持ち悪いだけでなく、そのうちお腹まで痛くなってきた。皆が静かーに寝ている中、ひとりだけ気持ち悪い、苦しいと静かな車内で遠慮がちにゴソゴソ体の位置を変えるのだった。カーテンの隙間から車窓見ると、見えるのはトンネルの壁か、横を走るトラックの車体。だめだ、これじゃ外見るともっと酔う。

 途中サービスエリアで2回トイレ休憩タイムが入った。みんなぐっすり寝ていると思っていたら、ほとんどの人がバス降りるから、「みんなも寝ていないんだ」と少ーしほっとし、朝までの時間を指折り数え、ようやく到着した鳥取駅バスターミナル。

「どこにいるの?」
 娘からラインに着信があった。ぐるりと見回すと、3月まで乗っていた懐かしい我が車が、鳥取駅前にあった。到着時刻は連絡しておいたけど、どうせ寝坊しているだろうから直接アパートに乗り込むつもりでいたけど、駅まで車で迎えに来ていた。
 その顔と車を見ると、さっきまでの不快感はふっとんだ。
 
 まずはこの足で、朝湯行こう!

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ようやく鳥取駅到着しました。次回は蟹三昧編へ。

鳥の楽園

2017-01-17 12:50:20 | ライフスタイル
バンいなくなってから庭ほとんど行かない。
行かないだけでなく、見ることもない。

久しぶりに障子開け庭確認すると、なにやら穴を掘った後がある。
近所の野良猫かな?

その先は、モグラがトンネル移動した跡がある。



以前庭にモグラがころんと落ちていたことがあった。
寸胴体型で黄色い手をちょこんと胸の前に揃えて、仰向けになって死んでいた。
バンがやったんだな。
バンはモグラの穴掘りが好きだった。穴をフガフガいいながら掘り続けめでたく獲物ゲット!でも死んじゃったら興味なくなって、庭に放置ってことだね。
そんな話をバネで子ども達にすると、
「モグラ見たい!」と庭に飛び出し、バンに吠えられ、「おっかねー」って教室に舞い戻っていたね。

おい、もぐら。
今は楽園でしょう。

先日、教室の入り口に立っていると、セキレイが舞い降りてきて目の前をツンツン歩いて行った。こうして人が立っている前を警戒もせず、庭に落ちているものをチョンチョンついばみながら、バン小屋の前を通り過ぎ遠路の先までツンツン進んで、いつもバンが穴掘りに興じていた花壇でなにやらついばんでいる。
思わず「バン!」と二回声かけると、
なんとセキレイは振り向き、ツツーッとこちらに向かってきた。まるで、庭にいる私を発見して「ワーイ」って駆け寄ってきた時のバンみたいに。
セキレイの動きには意志と感情があった、ように感じる。
手が届くほど近くまでツッツーと駆け寄って来たけど、目の前まで来るとふと我に返ったように全身に「ヤベッ!」感をみなぎらせ、チッチと高い声を上げて教室の屋根を飛び越えて行ってしまった。

だから庭にピーナツをまいておきますよ。

おじいさんと犬

2017-01-16 11:30:06 | 川上犬
コインランドリー前を車で通りかかった時、前方から茶色の犬を散歩するおじさんがこちらに向かって来るのが見えた。

Nさんだ。

Nさんちのお孫さんがバネに通っていた。
授業終了時間に合わせてお孫さん迎えがてら、Nさんはワンちゃん連れてバネの門まで来ていたから、門越しにバンとNさんのワンちゃんとはかなり仲良しになっていたらしい。(飼い主の知らぬ間に)

そのNさんとバン散歩時にすれ違った時、
「うちのはちょっと手強いですから近づかない方がいいですよ」
と言うと、
「だいじょうぶ。仲良しだから」ってNさんが言い、先の門で仲良し事情を知ったのです。

それじゃあ、とバンのリードを緩めると、二匹は後ろ足で立ち上がり「わーい」と抱き合うのでした。この図、かなり絵になる。
Nさんのワンちゃんはゴロンとお腹だし、さかんに私にもアピールしてきたり、バンに飛びつきまとわりつき、バンが「ちょっと、うぜっ」て顔になるまでしつこくちょっかい出してきたりして。

こちらは散歩の時間もコースもまちまちだから、たまーにタイミングが合うとNさんと合流することがあって、そんなときは一緒にしばらく歩いたり、そんな日々が数年続いたかな。

久しぶりにNさんに遭遇。
もう犬触りたくてしかたないから、コインランドリーに車を止めると、もうワンちゃんはお腹出してゴロゴロしてきた。

Nさんちは白い秋田犬を飼っていた。高齢で亡くなったそのすぐ後に、今の茶色の犬がやって来たと記憶する。
うちはもう一度川上犬飼おうと申し込んでいるけど、2年待ちなんだと言うと、
「あと1回くらい飼えるよね?」
とNさん。
さらに、「うちはこれで終わりかな」と続ける。

Nさんちのワンちゃん、7歳。
前より太ってもこもこしている。

癒やしの補習授業

2017-01-15 15:36:06 | バネ
受験直前の週末なので、中3生の補習を入れる。
金曜授業最後に、直前補習やるからと言うと、
「何のために補習するんですか?」
なんて当事者が質問してきた。

直前補習入れるっつう時は、どうにもこうにもやり足りなさ満載で、最後の悪あがきしておきたい、いや、しておかないとこちらの気が済まない、不安が収まらないなんて子がいる時です。
その子に対してピンポイントで「これは絶対出る!」と配点高く、なんとか得点につながりそうな究極の問題を、神がかり的なこと言いながら丸暗記作戦でだめ押しするのです。
直前はあれもこれもではなく、「これだけ」と「絶対!」で強気で攻めておくに限ります。
そんな最後の悪あがきをすべき日なのに、補習やると該当者に声かけると、補習しなくても大丈夫っていう子までが、「じゃ、ぼくも補習出ていいですか?」ってなってしまい、結局全員出席となります。
補習は無料なんだから自分が受けられないのは不公平だという意見もあるでしょうが、いくら先生に大丈夫って言われても、友達が勉強していると知って不安になるというのは人情です。
勉強に来たいというものを断ることは出来ないので、結局全員補習に突入することになるのです。

今年は全員大丈夫だから先生はちゃっかり休憩もらっちゃおうかな、なんて時でも、お母さん方から「先生、前日授業やってもらえないんですか?」と言われ、「そうですね、やりましょう」となることもあります。

しかし、直前補習やると言ったのに対し、「何のために補習やるのか?」 と聞かれたことはいまだかつてない。
この子達、危ない感があったわけではないけど気を緩めないためにやっておいた方が良いと感じたから補習しておくか、って展開だったわけです。
そんなこちらの気を読んだから「何のために補習か」と聞いてきたのでしょう。


「そりゃ、それよ。ほら、癒やしよ」
ズバリ聞いてくるから、ちょっと言葉選びながらも、そのものズバリ答えてしまった。
過去問からいくつか問題抜粋して、出来る問題の出来具合を再確認し、補習授業が終わりを迎える頃に、
「先生、これが癒やしですか?」
「そうよ、これが癒やしよ。」




うちの年賀状

2017-01-12 14:05:55 | ライフスタイル
ブログ書くことから遠ざかっていた。
これを書こうと頭に描くものの、いつもちょっと淋しいエンディングになりそうだから、書こうかな、やっぱり今日はやめておこう。こんなことを繰り返していた。

何か書こうとすると、どうしても話はバンにいってしまう。
口を開くとバンの話になってしまい、子ども達には「また、バンー!?」と言われたけど、最近はバンはねって話し始めても皆スルーするようになってきたから、淋しいエンディングにならないように気をつけ今日はバンネタで『バネの風』復活です。

年賀状どうするか。
娘が1歳の時にその成長を鉛筆デッサンで書き留め年賀状にした。これが我が家のデッサン年賀状のスタートだった。
これは自分で言うのもなんだけど、皆さんに好評で、年賀状楽しみにしてますと声をかけられることたびたび。ではしばらく続けようと、娘が鉛筆持って字を書くようになった、三輪車乗れるようになった、小学校に入学したなど、成長の節目を絵で切り取ってきた。

子どもが小さい頃はいい。
娘が小学高学年になる頃には「恥ずかしいからやめてくれ」とか「バンの絵にしてくれ」などとささやかな抵抗にあうようになった。
そりゃそうだよね。その気持ち分かる、分かる。自分だってもしこんな風に父親にやられ、見ず知らずの人に「あー、あの年賀状の子ですか?」なんて言われたら、自分が子どもの頃だったらそれはとっても嫌だ。

そんな本人の抵抗を交わしながら、娘が成人を迎える年までは続けようと決め、成人式の絵でめでたく終了!と思っていたものの、「ここでやめてはだめだろう」とか、いっそのこと孫が生まれるまで描いて、その後は孫の絵にしたら? などいろいろなご意見いただき、ずるずると大学生時代を描き続けた。
そして娘が社会人となり遠方にいる2016年の年の瀬、何描く?
ここから方針転換で、ドーンと自分が描いた油絵にするという方法もあった。超インパクト大でしょう。油絵の裸婦像。しかし一般には裸婦は抵抗あるだろうと家族から却下。
ではこうしよう。
今一番心を占め、溢れそうになるのに外に出さないように押さえ続けているものを、この際出してしまおう。このハガキサイズの紙にアウトプットすれば、少しは容れ物にゆとりができるかもしれない。

バンの絵を描く。
これが苦行の始まりだった。

まずいつのバンを描くか。
若く溌剌とした時を描きたいと思うけど、そんな時があったはずなのにその姿が全く思い出せない。つらつらと過去を振り返っても、いつも哲学者のような目でこちらを見ていたバンの姿しか浮かんでこない。
それでも元気いっぱいの時の写真を引っ張り出し、当時を振り返りながら描き始めた。

写真をじーっと見て、イメージを抜き取り、目の奥で一旦絵にして、そして紙に落としていく。
大抵こうやって描けば渾身の1枚ができるのに、描き上がったバンはイメージ通りでななかった。
一緒に庭を走った日々を思い返しているのに、バンの顔が悲しそう。
何がだめなんだろうと目を直し、口を直し。
描いたものをぐしゃぐしゃにして、もう一度最初から描き直して。
冬期講習を終えた深夜、教室で何度も描き直したけど、結局時間切れで、納得の一枚にならないまま印刷。

毎年書き上げた年賀状を、「いい絵だな」と振り返り自画自賛している。
それは絵の出来がよいというのではなく、娘の成長のシーンを想い出しながら心を膨らませて描いているときの満足感が蘇るから。
この絵は後に、「いい絵だな」と手にとって見るようになるだろうか。そう思いながら何度も描き直したけど、元旦に届くように印刷して投函するにはタイムリミットの夜だった。

正月は実家で迎え、自分が実家宛に出したバンの絵の年賀状を実家で見た。
母はすかさず
「バン、悲しそうな顔している。」

帰宅すると郵便受けにどっさり入っていた年賀状の束の中に、宛先不明で戻ってきたバンの絵が数通。このバンもじっとこちらを見つめている。

こうやってアウトプットして、時間の経過に助けられ少しずつ収めていくしかないのだろうか。

それから数日後、バンの生家、川上村のHさんからの年賀状が届いた。
16年前の4月、川上犬が生まれたから引き取りに来て下さいと連絡があって向かったお宅。
数匹いた子犬の中で最後までじゃれついてきた子がバンだった。
そのHさんの年賀状に「バンちゃん愛おしい目をしていますね」と書き添えられていた。

Hさんの年賀状を見て、あの日のことが鮮やかに蘇った。
まだ雪残る川上村に子犬を迎えに行き、バンと初めて対面したこと。
親や兄弟から離されたことに気づいたバンが、川上村から最初の峠を越えるまで遠吠えしたこと。
帰りの車の中で名前をつけたこと。
うちに戻り車から降ろすと、初めて見るアリを追いかけ、庭の月見草に埋もれ、芝生でゴロゴロしたこと。
この日から始まったバンとの16年8ヶ月。
いろいろ浮かんできた。

そうだね、じっと見ると、愛らしい顔だね。