絵の仲間全員で浅草の展示を見に行く。TXって便利だと皆口々に言いながら,車内で盛り上がるのは絵の話。多分周囲は迷惑だったでしょうが、誰かがふと漏らした一言だってビビッと来る情報だから、「それ教えて」って食い下がりながら話は止まらない。スケッチのポイント,画面構成、次ぎの題材。延々続くから一電車乗り過ごしても各駅に乗っても全く気にならない。一回り以上年齢差があると思われるけど、まったくそれを感じさせないのだが、帰路なんとなく皆から疲労の色が見え始めた。横を歩いていたはずなのにふと気づくとずーっと後ろにいたり、一緒に階段を降りているはずが隣のエスカレーターに乗っていたり。多分みんなはすごく疲れたことでしょう。次ぎは気をつけようと思う。
浅草木馬座前でも呼び込みに足を止められる。今日の演目はと確認すると,立川の名は一つもない。最近好んで聞くのは志の輔落語。談春なんかもいいね。立川落語は浅草のどこでやってるかな、と歩きながらスマホで調べようと思うけど,次々いろいろな誘惑が飛び込み,調べきらないうちに関心は次へと移ろいでいく。
そして帰宅すると、談志師匠死去のニュースが。もっともお亡くなりになられたのは数日前なので、虫の知らせってわけじゃないけど、ちょっとドキッ。
また昨晩の爆問ではこの虫の知らせについて解明していた。夢枕に立つおばあちゃんにイヤな予感がしたら、その1時間後に亡くなったという偶然。こういうスピリチュアル体験はおどろおどろしく語られたりするけど、この手の一致は日本で1日に12人(件)はある(数字は不確かだけど)と確率で説明していた。また不一致には目もくれず,一致にのみ意義を見いだそうとするのが人間だとの話。なるほど。
大学受験のとき,前の晩になにげに本棚から抜き取ってなにげに開いたページの文章がそのまま出ていた時の驚き。ずーっと自分には何かあると思っていたけど,意義付けするほどのことではないわけね。じゃあ,高校時代生物のテストを受けている自分を上から見ている夢を見た翌日、上から覗いたのと同じテストペーパーが配られたっていうのは、どう?これも単なる一致というわけかな。その後この話が教室で広がり,次のテスト当ててくれと言われたけど,その後こんな偶然は起きなかったけどね。
何かに夢中になっている時は,それだけアンテナが一杯伸びているから、偶然の一致になりそうな重要情報をキャッチしやすくなっていると理解した方が,意義付けしやすい。しかし夢の事例はどうかな?
中学受験の子ども達にこう言われることがある。「やった問題でませんでしたよ。」しかしよく聞くと予想問題と数字が違うとか,公園が学校だったとか、ヨシオ君がサトシ君だったという違いじゃないの。こういうのはやった問題が出たって言うんでしょ、オイオイ。この場合は,確率でも偶然でもなく過去問研究の成果なんだけど、小学生には抽象化が難しいから、成果を生かせないのです。だから口酸っぱくなるくらい、問題の具体化抽象化を繰り返さないといけないのです。
ワイドショーで談志師匠が取り上げられ知ったのは、落語協会脱退しているっていうこと。その関係から木馬座に出演はしないっていうこと。いかに知らないことが多いかと身が縮む思い。見えるものも見ずに通り過ぎているに違いない、と思う瞬間。
そして帰宅すると、談志師匠死去のニュースが。もっともお亡くなりになられたのは数日前なので、虫の知らせってわけじゃないけど、ちょっとドキッ。
また昨晩の爆問ではこの虫の知らせについて解明していた。夢枕に立つおばあちゃんにイヤな予感がしたら、その1時間後に亡くなったという偶然。こういうスピリチュアル体験はおどろおどろしく語られたりするけど、この手の一致は日本で1日に12人(件)はある(数字は不確かだけど)と確率で説明していた。また不一致には目もくれず,一致にのみ意義を見いだそうとするのが人間だとの話。なるほど。
大学受験のとき,前の晩になにげに本棚から抜き取ってなにげに開いたページの文章がそのまま出ていた時の驚き。ずーっと自分には何かあると思っていたけど,意義付けするほどのことではないわけね。じゃあ,高校時代生物のテストを受けている自分を上から見ている夢を見た翌日、上から覗いたのと同じテストペーパーが配られたっていうのは、どう?これも単なる一致というわけかな。その後この話が教室で広がり,次のテスト当ててくれと言われたけど,その後こんな偶然は起きなかったけどね。
何かに夢中になっている時は,それだけアンテナが一杯伸びているから、偶然の一致になりそうな重要情報をキャッチしやすくなっていると理解した方が,意義付けしやすい。しかし夢の事例はどうかな?
中学受験の子ども達にこう言われることがある。「やった問題でませんでしたよ。」しかしよく聞くと予想問題と数字が違うとか,公園が学校だったとか、ヨシオ君がサトシ君だったという違いじゃないの。こういうのはやった問題が出たって言うんでしょ、オイオイ。この場合は,確率でも偶然でもなく過去問研究の成果なんだけど、小学生には抽象化が難しいから、成果を生かせないのです。だから口酸っぱくなるくらい、問題の具体化抽象化を繰り返さないといけないのです。
ワイドショーで談志師匠が取り上げられ知ったのは、落語協会脱退しているっていうこと。その関係から木馬座に出演はしないっていうこと。いかに知らないことが多いかと身が縮む思い。見えるものも見ずに通り過ぎているに違いない、と思う瞬間。
某展覧会に絵を出品したら入選して飾られることになったので、浅草まで見に行った。
待ち合わせ時間に間に合わないからって電車飛び乗って気づいたのは,口紅するの忘れてたこと。だからなんとなく顔にパンチがないんだ。バックをガサガサやるけど手鏡が見つからない。そうだ、携帯で顔映しながらやるかと思うが、スマホのカメラ機能自分撮りってどうやるんだ?じゃ電車の手すりに映してやるか、などとわさわさしているうち,人が乗ってきたからもうできない。さすがに人前で化粧はできないっしょ。浅草で降りて,即トイレに駆け込みメイク完了するのでした。
TXで行くと、浅草って近い。A2出口から階段を上り地上にでると、そこは映画のような世界。正面に建設中のスカイツリーが見え、ザワザワと昭和と平成が混在している。雷門をくぐり正面から浅草寺に向かうより,こっちのサイドから責めるコースの方が現実味があって良いではないですか。
目的の会場に行くには浅草寺本堂前をつっきるので、一応お賽銭上げ,手を合わせ,香炉の線香かぶる。大型バスから降り立った中国や韓国の観光客集団をに逆行する形で会場に向かう。自分の絵がどんな感じなのか、早く見たいけど、楽しみはあとにとっておきたいような気分。じっくり1室目から丁寧に鑑賞し、ついに我が作品前に到着。ん?なんか、変。色、タッチ、表現。それらが皆と同化してしない違和感。絵はみんな違う.それでいいというものの、他の皆は同じであるなかで、一人だけぽつんと違う。異国で一人佇んでいるような感じ。スーッと何か流れる。
会場を出てエレベーターで1階に降りると、そこには長い行列ができていた。さてこのまますぐ帰るのはもったいないので,浅草をブラブラするかっていうところで、タイミングよく同行者は「もんじゃ食べましょ。」二人でそれぞれにスマホでグルメ情報チェックするけど,結局よくわからず。地元の人に聞いた方が早いよねってことで、浅草寺境内で消防か警察かなんかのキャンペーンで出動していた「あのパンダに聞いてよ」って促すのに,同行者はいざとなるとやってくれないんだから。どこの店も忙しそうなので,おじさんが商品にハタキかけてる暇そうな傘屋で聞こうってことになった。同行者はグイグイ店内に入って,堂々と聞いてくるのかと思いきや,傘買って聞いてくるのでした。やっぱり昭和生まれは小心者なんです。
そこそこのもんじゃを食し,レジに向かうと,店の前はモンジャ待ち行列。へー。
良さげな古本屋発見し中物色していると、「お笑いコントただいま1000円。」との呼び込みをキャッチ。そのままズルズルと浅草ミニシアターに突入。ま、多分つまんないだろうけど,調度トイレ入りたかったし,土産話になるんじゃん、って同じようなノリのお客さんで30人分くらいの席は満席。どうして日本の若者はお笑い稼業に懸命に取り組むのか。という積年の疑問がほんの少し解明されかかったのに、一度笑ったきりでお開きとなり、結局モヤッとしたまま。
せっかく来たから土産を買おうよ、ってどうして日本人土産買うかなーって思うけど,やっぱり何か買いたくなるのが人情なんですね。良さげな和風スィーツをゲットし,後ろ見るといつのまにか20人ほどの行列が。なんで今日はこうも毎度毎度行列の先頭にいるんだろう。ってちょっと得した気分で、ついでに隣の店でゴマを煎るフライパン購入。これはいい。いい買い物しました。
久しぶりに行く浅草。これでしばらく浅草フリークかも。
待ち合わせ時間に間に合わないからって電車飛び乗って気づいたのは,口紅するの忘れてたこと。だからなんとなく顔にパンチがないんだ。バックをガサガサやるけど手鏡が見つからない。そうだ、携帯で顔映しながらやるかと思うが、スマホのカメラ機能自分撮りってどうやるんだ?じゃ電車の手すりに映してやるか、などとわさわさしているうち,人が乗ってきたからもうできない。さすがに人前で化粧はできないっしょ。浅草で降りて,即トイレに駆け込みメイク完了するのでした。
TXで行くと、浅草って近い。A2出口から階段を上り地上にでると、そこは映画のような世界。正面に建設中のスカイツリーが見え、ザワザワと昭和と平成が混在している。雷門をくぐり正面から浅草寺に向かうより,こっちのサイドから責めるコースの方が現実味があって良いではないですか。
目的の会場に行くには浅草寺本堂前をつっきるので、一応お賽銭上げ,手を合わせ,香炉の線香かぶる。大型バスから降り立った中国や韓国の観光客集団をに逆行する形で会場に向かう。自分の絵がどんな感じなのか、早く見たいけど、楽しみはあとにとっておきたいような気分。じっくり1室目から丁寧に鑑賞し、ついに我が作品前に到着。ん?なんか、変。色、タッチ、表現。それらが皆と同化してしない違和感。絵はみんな違う.それでいいというものの、他の皆は同じであるなかで、一人だけぽつんと違う。異国で一人佇んでいるような感じ。スーッと何か流れる。
会場を出てエレベーターで1階に降りると、そこには長い行列ができていた。さてこのまますぐ帰るのはもったいないので,浅草をブラブラするかっていうところで、タイミングよく同行者は「もんじゃ食べましょ。」二人でそれぞれにスマホでグルメ情報チェックするけど,結局よくわからず。地元の人に聞いた方が早いよねってことで、浅草寺境内で消防か警察かなんかのキャンペーンで出動していた「あのパンダに聞いてよ」って促すのに,同行者はいざとなるとやってくれないんだから。どこの店も忙しそうなので,おじさんが商品にハタキかけてる暇そうな傘屋で聞こうってことになった。同行者はグイグイ店内に入って,堂々と聞いてくるのかと思いきや,傘買って聞いてくるのでした。やっぱり昭和生まれは小心者なんです。
そこそこのもんじゃを食し,レジに向かうと,店の前はモンジャ待ち行列。へー。
良さげな古本屋発見し中物色していると、「お笑いコントただいま1000円。」との呼び込みをキャッチ。そのままズルズルと浅草ミニシアターに突入。ま、多分つまんないだろうけど,調度トイレ入りたかったし,土産話になるんじゃん、って同じようなノリのお客さんで30人分くらいの席は満席。どうして日本の若者はお笑い稼業に懸命に取り組むのか。という積年の疑問がほんの少し解明されかかったのに、一度笑ったきりでお開きとなり、結局モヤッとしたまま。
せっかく来たから土産を買おうよ、ってどうして日本人土産買うかなーって思うけど,やっぱり何か買いたくなるのが人情なんですね。良さげな和風スィーツをゲットし,後ろ見るといつのまにか20人ほどの行列が。なんで今日はこうも毎度毎度行列の先頭にいるんだろう。ってちょっと得した気分で、ついでに隣の店でゴマを煎るフライパン購入。これはいい。いい買い物しました。
久しぶりに行く浅草。これでしばらく浅草フリークかも。
大丈夫なんだろうか、って不安になってしまう映像はAPECで野田首相が中央、それもオバマさんの隣にいる、それ。
セミナーなんかでは、たいてい前列中央は空席になる。全体見渡すはす向かいの席から埋まり、演題からツバキが届きそうな席は、よっぽどのことがない限り空席になるよね。前列中央っていうのは自信満々の人には問題ない場所だろうけど、そうでない人は背中が痛くなる。そんな凡人的感覚から、あの位置で何かとプレッシャーがかかるのではないか、と勝手な心配。
先日バネで漢字検定を実施。皆口々に、「学校だと緊張しちゃうけど、バネならリラックスできるから、いいよね。」学校だと級別配置になるから、普段の教室と違うし、高校生に混じって受けることになるから、それだけで緊張するのだという。先日は塾外の子が漢字検定受験にやって来た。この子にとっては知らない人に囲まれ、知らない場所で受けることになるのだから、席を配慮した。最前列を避け、顔見知りを近くに配置。
バネの中学生の席は自由にしている。入室順に好きな席をゲットする。先生席の目の前をとる子、部屋の隅に行く子。最前列選択組みは、とにかく手取り足取りなんとかしてもらいたい状態の子であることが多く、勉強のスタイルとしてはお任せタイプ。この子が成長してくると、自然と部屋の隅に近づいて行く。だから中1は前、中3は奥になる傾向がある。親に無理矢理塾に行かされているっていうタイプは、最初から奥へ行く。こういう子は意識的に前列に引っ張りだして、刺激と緊張を与えないといけない。
席も深い。
セミナーなんかでは、たいてい前列中央は空席になる。全体見渡すはす向かいの席から埋まり、演題からツバキが届きそうな席は、よっぽどのことがない限り空席になるよね。前列中央っていうのは自信満々の人には問題ない場所だろうけど、そうでない人は背中が痛くなる。そんな凡人的感覚から、あの位置で何かとプレッシャーがかかるのではないか、と勝手な心配。
先日バネで漢字検定を実施。皆口々に、「学校だと緊張しちゃうけど、バネならリラックスできるから、いいよね。」学校だと級別配置になるから、普段の教室と違うし、高校生に混じって受けることになるから、それだけで緊張するのだという。先日は塾外の子が漢字検定受験にやって来た。この子にとっては知らない人に囲まれ、知らない場所で受けることになるのだから、席を配慮した。最前列を避け、顔見知りを近くに配置。
バネの中学生の席は自由にしている。入室順に好きな席をゲットする。先生席の目の前をとる子、部屋の隅に行く子。最前列選択組みは、とにかく手取り足取りなんとかしてもらいたい状態の子であることが多く、勉強のスタイルとしてはお任せタイプ。この子が成長してくると、自然と部屋の隅に近づいて行く。だから中1は前、中3は奥になる傾向がある。親に無理矢理塾に行かされているっていうタイプは、最初から奥へ行く。こういう子は意識的に前列に引っ張りだして、刺激と緊張を与えないといけない。
席も深い。
昨晩は心が震えるいい映画を見た。
先日の結婚式で、仲間が高校時代の部活の思い出を映画にして上映した。
演じるのはおっかさんになった元女子高生達。思い出のシーンをおっかさん達が実写。通行人や店員さんの目に臆することなく、楽しそうに再現している。カメラを覗く目からも楽しさが伝わってきている。校庭走ったり、罰ゲーム(?)の抱え込みジャンプやったり、足が重そうなのも、いいね。
青春っていいな、同期っていいな、仲間っていいな、って思う。
現役生よ、新人戦や受験の真っ最中でそれどころではないと思うけど、先輩であるおっかさん達の青春を覗いてごらんよ。
ただ一つ違和感があった。これは私だけかもしれないけど。
それは、文字が早くて読み切れないこと。半分程度読んだところで、次の画面に行ってしまう。
先日来より速読に目覚め、いろいろ調べたところ、自分の読む速度は1分間に1500字程度。超普通人であるということがわかった。だから遅くない方だと思うんだけど。そして速読っていうのは、心で音読せずに文字を映像として目で捉えるのだという概要はわかった。(できないけど)
映像に挟まれるように現れる文字のみ画面を、気がつくと速読みたく、バシャって写真撮るように写し読みしようとしていた。でも真ん中の2行ほどを写すのが精一杯で、無情にも画面は消えていく。
何度か見ないとだめだね。NHKのカーネーションなんかも、何回か見ると隅々にあるスタッフの心憎い演出が発見できるというのと同じで、このミニ映画は二度、三度と見るたびに発見がありそう。
近々αにアップされるというから、YouTubeで見直すとするか。
先日の結婚式で、仲間が高校時代の部活の思い出を映画にして上映した。
演じるのはおっかさんになった元女子高生達。思い出のシーンをおっかさん達が実写。通行人や店員さんの目に臆することなく、楽しそうに再現している。カメラを覗く目からも楽しさが伝わってきている。校庭走ったり、罰ゲーム(?)の抱え込みジャンプやったり、足が重そうなのも、いいね。
青春っていいな、同期っていいな、仲間っていいな、って思う。
現役生よ、新人戦や受験の真っ最中でそれどころではないと思うけど、先輩であるおっかさん達の青春を覗いてごらんよ。
ただ一つ違和感があった。これは私だけかもしれないけど。
それは、文字が早くて読み切れないこと。半分程度読んだところで、次の画面に行ってしまう。
先日来より速読に目覚め、いろいろ調べたところ、自分の読む速度は1分間に1500字程度。超普通人であるということがわかった。だから遅くない方だと思うんだけど。そして速読っていうのは、心で音読せずに文字を映像として目で捉えるのだという概要はわかった。(できないけど)
映像に挟まれるように現れる文字のみ画面を、気がつくと速読みたく、バシャって写真撮るように写し読みしようとしていた。でも真ん中の2行ほどを写すのが精一杯で、無情にも画面は消えていく。
何度か見ないとだめだね。NHKのカーネーションなんかも、何回か見ると隅々にあるスタッフの心憎い演出が発見できるというのと同じで、このミニ映画は二度、三度と見るたびに発見がありそう。
近々αにアップされるというから、YouTubeで見直すとするか。
サタデークラブのアップで恒例の突然鬼で子供達と遊ぶ。
Mコーチが低学年の子達を追いかける様は、まるでインバラを追いかけ蹴散らそうとするバッファローみたいで笑える、なんて笑っていると、インパラたちが大勢でこっちに逃げてきた。腕を広げて一挙に捕獲しようと思うのに、脇の下をすり抜け左右に散っていった。ギア入れ直して、クイックターンで捕まえにかかろうと思うけど、ここで深追いしたらケガしそうなのでやめることにした。自分では機敏に動いているつもりなんだけど、たぶんこの走りは鈍くさく見えるだろうな、と自覚できるようになってきた。モモが上がっていない。蹴り上げが少ない。腕が振れていない。
犬を散歩している人を見て思うのは、だいたい飼い主と犬は共に高齢化している。おじいさん、おばあさんの連れている犬は、一緒にトボトボ歩いている。子供が独立した50代半ばに、寂しいからうちも犬でも飼おうかってなって、そこから早15年が過ぎ、「お互い年取ったよな」ってことなのでしょう。
あー、それにしてもうちのバン。いつになったら年相応になるのか。こっちはモモ上げや蹴り上げ弱くなってきているんだから、飼い主と同じペースで年取って欲しい。そもそも犬の散歩で猛ダッシュしている人、この界隈で一度も見たことない。
Mコーチが低学年の子達を追いかける様は、まるでインバラを追いかけ蹴散らそうとするバッファローみたいで笑える、なんて笑っていると、インパラたちが大勢でこっちに逃げてきた。腕を広げて一挙に捕獲しようと思うのに、脇の下をすり抜け左右に散っていった。ギア入れ直して、クイックターンで捕まえにかかろうと思うけど、ここで深追いしたらケガしそうなのでやめることにした。自分では機敏に動いているつもりなんだけど、たぶんこの走りは鈍くさく見えるだろうな、と自覚できるようになってきた。モモが上がっていない。蹴り上げが少ない。腕が振れていない。
犬を散歩している人を見て思うのは、だいたい飼い主と犬は共に高齢化している。おじいさん、おばあさんの連れている犬は、一緒にトボトボ歩いている。子供が独立した50代半ばに、寂しいからうちも犬でも飼おうかってなって、そこから早15年が過ぎ、「お互い年取ったよな」ってことなのでしょう。
あー、それにしてもうちのバン。いつになったら年相応になるのか。こっちはモモ上げや蹴り上げ弱くなってきているんだから、飼い主と同じペースで年取って欲しい。そもそも犬の散歩で猛ダッシュしている人、この界隈で一度も見たことない。
中3の国語で『理想的な学問は自己解体、自己発見を伴うものである』という内容の評論を取り上げることにした。
そこへ入室してきた中三生。「こんにちは」ではなく「ただいま」。 修学旅行で先日まで海外に行っていたからだ。初めての飛行機、初めての海外なので、どうだった?と聞くと、「やっぱり日本がいいってことがわかりました。」どこに行ってもあまり清潔でない、特にトイレが、とのこと。食事がおいしいだけでなく、日本は清潔だから良いとの見解。ほーなるほど、わかるわかると相づちを打つながらも、それって日本が世界から見たら特殊なんじゃないの?と切り返すと、中三生も「そうかも」となった。
本日の評論文を読む前座としてはあまりにもピッタリなやりとりではありませんか。その後文章を読み、解説を入れると、異文化に触れるということは自己発見につながるんだと、読解練習以上の収穫あった様子。
とはいえ、やっぱり汚いトイレに日本人は弱い。先日山口国体に行ったときのこと。
海岸散歩中にトイレに行きたくなった。公園脇にコンクリートのトイレとおぼしき建物を発見。だめだろうと思いながらもおそるおそる中を覗くと、そこは正視に耐えかねる状況。人生最強にピンチでも使用不可!そこに入るくらいなら、松林で済ませちゃうかと物色しながら散歩続けた。こんな特殊な状況はさておき、やっぱり汚いトイレには弱い。でも中国でもスペインでも、フランスでだって、仕方なくあの程度のモノ使ったことある。
中国に行ったとき、50年に一度と言われる集中豪雨で街中茶色の泥水につかってしまったことがあった。翌朝になったら水は引いていたけど、街全体が茶色かった。でも消毒する様子はなく、普通に朝から翌日がスタートしていた。まー、こんなもんかな、と思った。不潔だのと騒ぎ立てる方が「変」なのだろうという気になった。
タイでは今洪水で大変なことになっている。テレビで町中の様子を報道していたけど、子供達が浮き輪つけて遊んでいる。あの水の中を泳いでいる。水をザブザブとかき分け歩く市民を見て「大丈夫なのだろうか」とは思ったけど、泳ぐ子供を見たら、中国でのあの感覚が蘇った。自分の価値観でズバリと切ってはいけないと。
とその時、テレビで女性コメンテーターが「衛生状態は大丈夫なんですかね。」あーあ、言っちゃった。幸いにも周りのコメンテーターが、この女性の発言を流したから、よかった。
そこへ入室してきた中三生。「こんにちは」ではなく「ただいま」。 修学旅行で先日まで海外に行っていたからだ。初めての飛行機、初めての海外なので、どうだった?と聞くと、「やっぱり日本がいいってことがわかりました。」どこに行ってもあまり清潔でない、特にトイレが、とのこと。食事がおいしいだけでなく、日本は清潔だから良いとの見解。ほーなるほど、わかるわかると相づちを打つながらも、それって日本が世界から見たら特殊なんじゃないの?と切り返すと、中三生も「そうかも」となった。
本日の評論文を読む前座としてはあまりにもピッタリなやりとりではありませんか。その後文章を読み、解説を入れると、異文化に触れるということは自己発見につながるんだと、読解練習以上の収穫あった様子。
とはいえ、やっぱり汚いトイレに日本人は弱い。先日山口国体に行ったときのこと。
海岸散歩中にトイレに行きたくなった。公園脇にコンクリートのトイレとおぼしき建物を発見。だめだろうと思いながらもおそるおそる中を覗くと、そこは正視に耐えかねる状況。人生最強にピンチでも使用不可!そこに入るくらいなら、松林で済ませちゃうかと物色しながら散歩続けた。こんな特殊な状況はさておき、やっぱり汚いトイレには弱い。でも中国でもスペインでも、フランスでだって、仕方なくあの程度のモノ使ったことある。
中国に行ったとき、50年に一度と言われる集中豪雨で街中茶色の泥水につかってしまったことがあった。翌朝になったら水は引いていたけど、街全体が茶色かった。でも消毒する様子はなく、普通に朝から翌日がスタートしていた。まー、こんなもんかな、と思った。不潔だのと騒ぎ立てる方が「変」なのだろうという気になった。
タイでは今洪水で大変なことになっている。テレビで町中の様子を報道していたけど、子供達が浮き輪つけて遊んでいる。あの水の中を泳いでいる。水をザブザブとかき分け歩く市民を見て「大丈夫なのだろうか」とは思ったけど、泳ぐ子供を見たら、中国でのあの感覚が蘇った。自分の価値観でズバリと切ってはいけないと。
とその時、テレビで女性コメンテーターが「衛生状態は大丈夫なんですかね。」あーあ、言っちゃった。幸いにも周りのコメンテーターが、この女性の発言を流したから、よかった。