バネの風

千葉県野田市の「学習教室BANETバネ」の授業内容や、川上犬、ギャラリー輝の事、おもしろい日常を綴ります。

久しぶりの合体漢字

2013-02-28 06:55:58 | バネ
 「漢字が覚えられない。」と言う小学生。それでは奥の手、例の合体漢字で遊ぶ。
 漢字は意味の塊であり、図形の塊でもある。そこに着目し、書き順に従ってパーツに分けていく。それをクイズ形式にして合体することで漢字を覚えるということ。
 この場合、書き順を守ることがポイント。
 例えば、「必」 これは「そしは」を合体して書く。カタカナのソ、ひらがなのし、カタカナのハと書けば、書き順も覚えられる。
 「てくーいてく」は「飛」になる。
 合体漢字初心者がいたので、必と飛を説明し、さて問題です。

 「つちのひみみ」
 あーでもない、こーでもないとやりながら誰も正解しない。これは「都」 土 ノ 日 と書き、部首のおおざとをミミと表現した。耳の形だから。おおざとを書いた時点で、「ナーンだ、そういうのもアリー?」とちょっと騒ぐ。
 そしてもう一問。

 「いとうめえる」
 ヒント出せだの、答えは言わないでくれだのと騒ぐけど、どんなにヒント出しても正解しない。
 では、答えは次週というと、「ダメー、今教えてー」と騒ぐ。答えは「値」 十が「とお」となり、アルファベットのLもありだとわかり、やっぱり「なーんだ」となる。

 これをやりだすと終わりがなくなるからこの辺でおしまいとする。漢字が嫌いという子が漢字を楽しむ機会を持てれば、それでよし。


一生のうちに出来ること

2013-02-25 07:42:02 | ライフスタイル
 先日卒業生の同級会に招かれ、一家で参加して来た。
 ほぼ皆、お父さん、お母さんになっていた。
 
 会場に少し遅れて到着すると、「こんばんは。」の代わりに「こんなに太っちゃいました。」って。ジュニアを立ち上げた時に一緒に汗を流した大学生が大きくなっていた。
 落ち着いた大人向けの店で和食コースを頂く。

 会の終盤で一人ずつ近況報告と高校時代の思い出を語ることになった。
 それぞれが最も輝いた部活の瞬間が語られる。あれだけキツい日々を越えたのだから、社会に出ての苦難などなんでもなくこなせると皆口々に言う。そして思い出話しは苦労話しの披露や練習の話しになるかと思いきや、家でみんなと一緒に食事した話しになる。
 カレー、すいとん、キムチ鍋。あの頃は毎日が合宿みたいだった。生徒も保護者も一緒になって家に来てご飯食べた。いつも一升釜3個だった。
 私が同席していたから話題を選んだのかもしれないけれど、それを差し引いても古い家の座敷での食事はよほど印象に残っているらしい。

 森の中の一軒家。座敷にテーブルを並べ食す。あとは雑魚寝。
 当時は大変だった。収入の大半は食費だったかもしれない。だから安く大量に作れるメニューばかりだった。
 「あのスイトンの作り方教えて下さい」とよく言われる。かといって本当に作り方を知りたいわけではないこともわかっている。あの味は、あの時代、あの状況が織りなしたものだから。
 スピーチの順番が回って来た。そこで先日立ち上げたNPOの披露をした。なんのために今更NPO作るの?と聞かれる。その説明をしようと思った時ふと口から出たのは、「このNPOは、あの時の座敷です。」だった。これが全てを表している。また食べたいと思えるモノを、それは場であり体験であり、を提供しようと思っている。さらに「他者からのアテンション」という言葉を使おうかどうか迷ったが、それは言わなかった。人から生かされているかどうかを感じるのはその人次第で、他人がセットするものではないから。

 エレベーターで上ったところを、細い回り階段で降りる。
 外に出るとそこは来た時とは風景が変わっていた。呼び込みのお兄さんが立つ、夜の歓楽街だった。
 彼らとはそこで別れる。きっと近いうちまた会うことでしょう。



表も裏も読む

2013-02-21 08:31:09 | バネ
 小5算数。グラフを作成する。
 割合を計算してグラフを書くまではOK。大事なのはグラフから傾向を読み取ること。このグラフから何がわかるのか。時系列で比べているときは変化を読み取り、それを言葉にし、文にする。これができない。「減った」「増えた」ではだめ。何がどのように減ったのかを主語述語を省略せずに文にしないといけない。しかし算数で突っ込むのはここまで。どうして減ったのかを考察するまで持っていきたいところだけど、算数の教科書には数字以外の情報は無いから、それ以上の突っ込みはここではできない。
 ああ言えばこう言う。こちらの言わんとすることを読んで、すっとカードを裏返したり、先にめくったり。言葉でこういうやりとりが出来るのだから、頭の中を流れる言葉を文にすることに慣れていないだけ。
 

最後は円で

2013-02-18 06:57:22 | 野田市オープンサタデークラブ
 今年度最後のサタデークラブ。2月中旬で最後なんて早すぎ。
 最後であることを意識してなのか、子どもたち来るわ、来るわ。ほぼ欠席なし。いつもいる子はほとんどいる。
 ヨシ、ヨシと思う。
 今年度最後のそれなりの儀式を入れようともくろんでいたから、いつも見る顔が揃ってよかった。

 儀式の最初は集合、あいさつから始まった。
 あらためてコーチの紹介。ここにいるコーチは、この体育館で小学生の時から練習してそのまま中学、高校ってバドミントン続けたのだと説明。そして1年間の表彰。
 続いて、では1年間の成果チェックテストをします、と言うと「えー」って案の定の反応。テストといっても個別にチェックするのではなく、グループ分けしてグループで成果を競う。今にしてはこのテスト、ちょっとレベル高かったかなと思う。狙った箱に打ち返すんだけど、箱の位置をコート前、中央,奥と3数段階に設定。前は近すぎて入らない。奥は遠すぎる。なかなか入らないんだけ、コーチの球出しに注文つける子もいてそれなりに盛り上がる。
 そしてレベルも学年も混在で遊べるゲームとして、トリプルス川間バージョン。打てる子も打てない子も一緒に遊べて、一人一人に出番がまんべんなく回って来て、待ち時間を少なくすることができる。人数が多い時全体で遊ぶにはもってこい。しかし、少し打てるようになってきた子にとってはガンガン打ち合えないから物足りなく、「つまんなーい」とつぶやく。そうだよね、ようやく打てるようになって来た子は、とにかく打ち合いたいんだよね。
 残り30分はコーチとのフリー打ち合いに変える。10月から始めた1年生が20回越えて打ち続けられるようになっていた。ミスしない。あまり長いと後ろの子に順番回らないから、少し打ちにくい場所に返す。そうやっていろんな子と打っていると、「中学生まで続けるよ」と1年生の子が駆け寄って来た。ちゃんと最初の話し聞いていたんだ。

 さて残り10分。もっと打ち合いたい子の名残惜しさを感じるけど、全員で清掃を入れる。
 そして最後の儀式。
 あいさつは円になる。コーチと子どもたちが対面するのではなく、アイスホッケー女子チームがやるように、全員の顔を見ながらあいさつできるように一つの円を作った。すると皆は自然と手をつなぎ始めた。男子と手つなぐと嫌だとか騒ぐ子もなく、50人を超える大きな円ができた。
 手をつないだまませーのであいさつして終了。こうやって一礼するとどこからともなく拍手がおこる。
 
 次この子たちに会うのは4月ですか。

 
 
 

3.11の過ごし方

2013-02-16 07:09:15 | ライフスタイル
 1日にいくつも予定が入る。朝は何、その後何、午後は、夕方は、夜は。ビジネスマンではこんなこと当たり前。こんな調子で実家に帰るといくつも予定を組む。それは数日でいろいろな用事をこなす必要があるから必然そうなるんだけど、こんな調子で実家で過ごすと、「お前見ていると目が回る」とよく言われたものだった。
 そう言われて長野の人たちの生活を意識的に見ると、基本1日1イベントだなと結論が出た。もちろん仕事はそうはいかないけど、休日の過ごし方は非常にゆったりしているなと感じる。人に会う予定がある。するとその日は基本それだけ。
 人を招く。まず山で川魚を釣る。串を削る。火をおこす。じっくり魚を焼く。そして夕方から宴を催す。これは父が私たちのが帰省を迎える日の過ごし方。
 もてなしのために1日を費やす。

 「きょうという日」 室生犀星
  時計でも
  十二時を打つとき
  おしまいの鐘をよくきくと
  とても大きく打つ
  きょうのおわかれにね
  きょうがもう帰って来ないために
  きょうが地球の上にもうなくなり
  他の無くなった日にまぎれ込んで
  なんでもない日になって行くからだ
  茫々何千里の歳月に連れこまれるのだ
  きょうという日
  そんな日があったかしらと
  どんなにきょうがはなやかな日であっても
  人びとはそう言ってわすれて行く
  きょうの去るのをとめることが出来ない
  きょう一日だけでもよく生きなければならない

 きょうは朝から盛りだくさんで、一つ一つのイベント(スケジュール)を駆け足で過ごしそうだからこそ、長野の時間を思う。
 1日1イベント。そんな過ごし方は理想。現役世代はもとより、社会生活を送る上で毎日がこういくわけがない。しかし意識的にそう過ごそう。
 せめて1年に一日だけでも。
 
 3.11をそうしよう。特別な思いで過ごそう。
 結婚記念日、誕生日、人それぞれの記念日をあててもよいけど、「きょうという日をよく生きる」ために3.11をあてよう。



宝のもちぐされ

2013-02-06 23:53:47 | ライフスタイル
 何が好きって、雪かきが好き。
 雪に道をつける。すると冷たく湿ったピュアな空気の中に、体から湯気が立ち上がる。

 明日は積雪との予報で、新しい雪かきを買い求めた。
 以前からあるものはもう長年風雨にさらされ劣化したからなのか、それとも先日の雪が重かったからなのか、先端が割れて使いにくくなっていた。前々日通り過ぎたホームセンターの店前では、平たいスコップが数本あった。スコップの柄も腐食して折れているから、プラスチックの雪かきよりあのスコップを買った方が良いかもしれないとその店を訪れた。 
 昨日あったその場所にスコップは1本もない。そこにはただ空っぽの空間があるのみ。ではプラスチックの雪かきを買おうかと売り場を見渡すけど、それらしいものは見当たらない。しばらくキョロキョロしていた、その時。台車に大きな段ボール4つ積んだ店員さんがやって来て、数人がかりで雪かきの品出しを始めた。箱には12本入りと書いてある。
 それは透明紫の、頑丈そうで少し小ぶりなピカピカの雪かき。
 今品出しほやほやの中から1本取り出す。すると次から次と人がやってきて、人だかりができ、さらには品出しの店員さんが店内放送で雪かき入荷をアナウンスしたので、その後ものの数十分で48本は完売だね。

 そうやって一番で手に入れた新品の雪かき。
 明日はこれを使って、新しい道をつける。

 朝飛び起きた。障子をあける。積もっていない。
 子どもの頃もこうだった。早朝、積雪の気配で飛び起きる。誰よりも早く起きないと、誰かが先に雪を片付けてしまう。青年部の人たちが道路の雪をかきながら近づいてくる音がする。あの音に追いつかれないようにと、あわてて服を着込んで部屋を飛び出したものだった。
 
 今日の雪はなかなか積もらない。落ちても落ちても溶けてしまうから。
 玄関からバネにつながる通路をつけるために、みぞれの雪を新しい雪かきで拭う。

 この雪かきを本格的に使うのは来年だな。来年使うとも限らない。再来年かもしれない。



「本当」って普通

2013-02-03 13:57:34 | Badminton
 サタクラで、先日の市民大会に出場した子に前に出てもらい、健闘の拍手を送り、参加した子に感想を言ってもらった。突然みんなの前で感想を求められてもじもじしている子に、大きい声で言うようにと促す。そこへ遅れて入ってきた子。その子も大会参加組だったから到着後すぐに、なんだか状況わからないままみんなの前に立ち感想を言うことになったので何を言おうかと一瞬考えている、すると、列の中程から1年生の子が一歩横に出て「大きい声ではっきり言うようにって、さっき先生言ってたよ。」 
 どきっとする瞬間。
 子どもの前に立ち何かを説明する。そういう時聞いていないと思われる子が必ず何人かいる。たいてい隣の子としゃべったり、上の空の目つきしていたり。そういうイレギュラーな少数は目につく。しかし多くは、ただいま進言した子のように、とてもよく話を聞いている。一字一句漏らさず聞き、全て正しいこととして心に入っている。

 これは自分の悪い癖なんだけど、人前で説明するときについギャグをいれてしまう。子どもはそのまま受け取るから気をつけないといけない、と思うんだけど。



本は返らない

2013-02-01 10:11:40 | ライフスタイル
 本を人に貸してはいけない。
 貸すときは、返らないものと思わないといけない。

 こういう思いをし始めたのは10年くらい前からだろうか。

 この本いいよ、と言ってホイっと貸す。1年経つ。2年経つ。まず返ってこない。これは絶版であるのでもう手に入らないから必ず返してほしいと言いながら貸しても、返らない。こんなことを繰り返すうち、本は返らないものと思うようになった。だから、この人この本読んだらいいのになーって思っても、絶対本は貸さないと強く誓いたい。
 返らぬ本を思いながら、そういえばあの時「読みたい!」とか「貸して欲しい」って懇願されたわけでもない。そうだ、たいてい返らぬ本の場合は、親切の押し売りになっている。相手にとっては、「こんなもの渡されたって」「そもそも本読む習慣ないし」って状況だったのかもしれない。
 返ってこない本を諦め、同じものを買うこともある。電子書籍の時代になろうと、本はコレクションでもあるからそう簡単に手放せないし、手元にないといけない。
 と本棚に戻らぬ本を思い、ついグチグチしてしまう今日このごろ。


花札学習法

2013-02-01 06:59:46 | バネ
 映像で覚えると効果的であると昨日のノート作りで触れたけど、映像記憶を実感した先日の出来事。

 神経衰弱は子どもの頃は大得意だったけど、大人になって久しぶりにやったら2手前すら覚えられないことに愕然とした。自分のめくったカードをハートの9とスペードの2と覚えても、次の人が二枚めくり、そして次の人がと続き、その人たちのめくったカードを覚えようとし自分の番が来ると、さてどこになにがあるんだっけとなってしまう。当てずっぽうでめくると、それはさっき自分がめくったカードだったりする。こうなるともう自分のカードのみ記憶し自分の前に並べておくのに、それを誰かにスッととられてしまったりする。子どもの頃大人たちに「神経衰弱おもしろくない!」とか「おまえとはやりたくない!」と言われたその意味がよくわかるようになった。
 だからおおみそかに実家で神経衰弱をやろうとなった時、多分できないだろうと思ったが。
 実は全く違った。サクサク覚えられる。ジャンジャンとれる。何が違う?
 この違いはトランプと花札。めくったのはカードではなく、札。例えばめっくった2枚の札が「もみじの20」と「雨の5」だとする。するとカテゴリーを映像で記憶できるから、「もみじの20」と言葉に置き換えて覚えておく必要がない。さらに「やく」とか鹿や札の色が記憶のキーワードとなるから、特徴ある札は特に覚えやすい。
 この日とった札数は一番多くて気を良くしたけど、なんと2位は80歳になる母。高齢者なのにこの記憶力。さらには自分のめくった札はさりげなく元と違う場所に置くという裏技を駆使してまで札をとろうという勝利への執着心。そしてもう一つすごいと思ったことがあった。それは花札の種類を知らないのに参加した娘。「あー、くろみだった!」とか「しまった、これはげただ!」と言いながら人がめくるのを見て、その場で言葉と映像を記憶しズバズバめくっていったこと。恐らくもう一度やったらだんとつトップになったことでしょう。

 80代の超記憶法はさておき、花札記憶のポイントは学習法に応用できる。