見よといふこゑあるごとく寒空の遠く近くに星のみじろぐ
創世記の時代、イスラエルの父祖となるアブラム(後のアブラハム)は神から「あなたの子孫を大地の砂粒のようにする。大地の砂粒が数えきれないように、あなたの子孫も数えきれないであろう」という約束を受けた。だが、アブラムは当時75歳を越える高齢、妻のサライも同様に年を取っており尚且つ若い頃からの不妊の女であった。
子を授からぬままに歳を重ねたアブラムに、再び神が臨む。「あなたの受ける報いは非常に大きい」との御言葉に戸惑うアブラム。しかし、神は彼を外に連れ出しこう言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。あなたの子孫はこのようになる」。続く創世記15章6節には簡潔にこのように記されている。「アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。」
横山は東京在住の歌人だが、この歌は星があちこちに瞬いていたということだから、きっと都心を離れたところに出掛けた折に詠んだものであろう。あまたの星々に目も眩むような思いを覚えながら、横山はアブラムへの神様の約束、そしてそれを信じたアブラムの信仰を思い出していたはずである。ローマの信徒への手紙4章18節以下に次のような聖句がある。
彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ、「あなたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、多くの民の父となりました。そのころ彼は、およそ百歳になっていて、既に自分の体が衰えており、そして妻サラの体も子を宿せないと知りながらも、その信仰が弱まりはしませんでした。彼は不信仰に陥って神の約束を疑うようなことはなく、むしろ信仰によって強められ、神を賛美しました。 神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信していたのです。
日々の忙しい生活からいっとき退いて空からこぼれんばかりの星を見上げた時、およそ信じられないようなことを成し遂げてくださる神の臨在を感じ、アブラムに及んだ神様の力はこの自分にも働きかけてくださることを、横山は改めて噛み締めていたに違いない。
横山未来子『金の雨』
創世記の時代、イスラエルの父祖となるアブラム(後のアブラハム)は神から「あなたの子孫を大地の砂粒のようにする。大地の砂粒が数えきれないように、あなたの子孫も数えきれないであろう」という約束を受けた。だが、アブラムは当時75歳を越える高齢、妻のサライも同様に年を取っており尚且つ若い頃からの不妊の女であった。
子を授からぬままに歳を重ねたアブラムに、再び神が臨む。「あなたの受ける報いは非常に大きい」との御言葉に戸惑うアブラム。しかし、神は彼を外に連れ出しこう言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。あなたの子孫はこのようになる」。続く創世記15章6節には簡潔にこのように記されている。「アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。」
横山は東京在住の歌人だが、この歌は星があちこちに瞬いていたということだから、きっと都心を離れたところに出掛けた折に詠んだものであろう。あまたの星々に目も眩むような思いを覚えながら、横山はアブラムへの神様の約束、そしてそれを信じたアブラムの信仰を思い出していたはずである。ローマの信徒への手紙4章18節以下に次のような聖句がある。
彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ、「あなたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、多くの民の父となりました。そのころ彼は、およそ百歳になっていて、既に自分の体が衰えており、そして妻サラの体も子を宿せないと知りながらも、その信仰が弱まりはしませんでした。彼は不信仰に陥って神の約束を疑うようなことはなく、むしろ信仰によって強められ、神を賛美しました。 神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信していたのです。
日々の忙しい生活からいっとき退いて空からこぼれんばかりの星を見上げた時、およそ信じられないようなことを成し遂げてくださる神の臨在を感じ、アブラムに及んだ神様の力はこの自分にも働きかけてくださることを、横山は改めて噛み締めていたに違いない。