◆2月2日
マタイ25章、十人の乙女の譬え。6節「真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした」に注目。寝耳に水の到着ではなかったし、花婿が来る直前にそれと告げる声があったのだ。バッハの《目覚めよ、と我らに呼ぶ声あり》が、この話に基づいているのだなと、今朝の通読で気づいた。
◆2月4日
詩編32:7「あなたはわたしの隠れが。苦難から守ってくださる方。救いの喜びをもって わたしを囲んでくださる方」後半、NIVでは〈surround me with songs of deliverance〉。主語は《主》。私達は普段讃美をささげるが、主の歌は聴いたことがない。天に行ったら聴けると思うと楽しみ。
◆2月5日
詩編36:7「恵みの御業は神の山々のよう あなたの裁きは大いなる深淵。主よ、あなたは人をも獣をも救われる」。以前【恵子の郵便ポスト】で、愛犬は救われるのか?といったご質問が紹介されていたけれど、こんなに明瞭に聖書に書いてあったんですね。その方もこの聖句に気づくといいな
◆2月6日
マタイ27章。祭司長や民の長老達がイエスを連行したのは、ねたみに突き動かされてのこととピラトは見抜いていた(18節)。NIVで〈ねたみ〉は〈self-interest(利己心)〉。利己心は誰にでもあり得るものだが、それが妬みになり、殺意にまで発展する。心したい。
◆2月7日
詩編38:10「わたしの主よ、わたしの願いはすべて御前にあり 嘆きもあなたには隠されていません」。節の後半はNIVで〈my sighing is not hidden from you〉とあり、《嘆き》は《溜め息》になっている。私達のつく溜め息の一つでさえ主はご存知でいらっしゃる。
◆2月10日
新改訳詩篇41:8「邪悪なものが、彼に取りついている。彼が床に着いたからには、もう二度と起き上がれまい」。復職した職場で「取り憑かれている」と言われ、結局退職。しかし今の土地に移住し為すべきことがあった。敗残者の汚名を濯ごうと必死になる必要はない。主にのみ栄光あれ!
◆2月13日
湖で嵐に見舞われた弟子達は船尾で眠っていたイエスを起こす。「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか」(新改訳マルコ4:38)少し前の通読箇所・詩篇44:23「起きてください。主よ。なぜ眠っておられるのですか」滑稽なようだが、そんな祈りをしてもいいのだな
◆2月17日
マルコ6章。牢に入れられていた洗礼者ヨハネがヘロデに斬首されたのを聞いたヨハネの弟子達は、遺体を引き取りに行き、墓に納めた(29節)。悲惨な最期だが、彼はまだ弟子達に葬られた。主イエスの遺体を引き受けに行ったのは、アリマタヤ出身の議員ヨセフだった(マルコ15:43)。
◆2月18日
新改訳詩篇52篇。逃亡中のダビデの居所がエドム人ドエグによってサウルに告げられた時に、ダビデは「なぜ、おまえは悪を誇るのか。勇士よ」と詠った。NIVでは〈you mighty hero〉と呼びかけている。自分の敵とも言えそうな人間に〈ヒーロー〉とは…!イエスに通じる器の大きさのダビデ
◆2月20日
詩編55。敵が迫り恐れた詩人は「鳩の翼がわたしにあれば 飛び去って、宿を求め はるかに遠く逃れて 荒れ野で夜を過ごすことができるのに。烈しい風と嵐を避け 急いで身を隠すことができるのに」 と(7-9節)。荒れ野はNIVでdesert。砂漠に逃れたいと神に訴える程の恐怖は如何許りか
◆2月21日
マルコ10:35。ヤコブとヨハネがイエスに申し出た願い「先生、お願いすることをかなえていただきたいのですが」は、NIVでは“Teacher, we want you to do for us whatever we ask.” お願いすることは何でもしてほしい、とは何と傲慢な…!と思ったが、こういう祈り結構してる。反省…
◆2月25日
新改訳詩篇61:4「…あなたの幕屋に、いつまでも住み、御翼の陰に、身を避けたい…」NIVでは〈I long to dwell in your tent forever and take refuge in the shelter of your wings.〉《tent》《refuge》《shelter》は仮の居所。だが、テント・避難所でも主の許にずっと居たい心は解る
◆2月26日
NIV詩編63:3〈Because your love is better than life, my lips will glorify you.〉日本語訳ではつるっと読み流してしまっていたが、英訳だと心に切り込んできた。主の愛は、確かに命・人生に勝ると、素直に頷ける。そのような慈しみを示して下さった主に感謝!
マタイ25章、十人の乙女の譬え。6節「真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした」に注目。寝耳に水の到着ではなかったし、花婿が来る直前にそれと告げる声があったのだ。バッハの《目覚めよ、と我らに呼ぶ声あり》が、この話に基づいているのだなと、今朝の通読で気づいた。
◆2月4日
詩編32:7「あなたはわたしの隠れが。苦難から守ってくださる方。救いの喜びをもって わたしを囲んでくださる方」後半、NIVでは〈surround me with songs of deliverance〉。主語は《主》。私達は普段讃美をささげるが、主の歌は聴いたことがない。天に行ったら聴けると思うと楽しみ。
◆2月5日
詩編36:7「恵みの御業は神の山々のよう あなたの裁きは大いなる深淵。主よ、あなたは人をも獣をも救われる」。以前【恵子の郵便ポスト】で、愛犬は救われるのか?といったご質問が紹介されていたけれど、こんなに明瞭に聖書に書いてあったんですね。その方もこの聖句に気づくといいな
◆2月6日
マタイ27章。祭司長や民の長老達がイエスを連行したのは、ねたみに突き動かされてのこととピラトは見抜いていた(18節)。NIVで〈ねたみ〉は〈self-interest(利己心)〉。利己心は誰にでもあり得るものだが、それが妬みになり、殺意にまで発展する。心したい。
◆2月7日
詩編38:10「わたしの主よ、わたしの願いはすべて御前にあり 嘆きもあなたには隠されていません」。節の後半はNIVで〈my sighing is not hidden from you〉とあり、《嘆き》は《溜め息》になっている。私達のつく溜め息の一つでさえ主はご存知でいらっしゃる。
◆2月10日
新改訳詩篇41:8「邪悪なものが、彼に取りついている。彼が床に着いたからには、もう二度と起き上がれまい」。復職した職場で「取り憑かれている」と言われ、結局退職。しかし今の土地に移住し為すべきことがあった。敗残者の汚名を濯ごうと必死になる必要はない。主にのみ栄光あれ!
◆2月13日
湖で嵐に見舞われた弟子達は船尾で眠っていたイエスを起こす。「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか」(新改訳マルコ4:38)少し前の通読箇所・詩篇44:23「起きてください。主よ。なぜ眠っておられるのですか」滑稽なようだが、そんな祈りをしてもいいのだな
◆2月17日
マルコ6章。牢に入れられていた洗礼者ヨハネがヘロデに斬首されたのを聞いたヨハネの弟子達は、遺体を引き取りに行き、墓に納めた(29節)。悲惨な最期だが、彼はまだ弟子達に葬られた。主イエスの遺体を引き受けに行ったのは、アリマタヤ出身の議員ヨセフだった(マルコ15:43)。
◆2月18日
新改訳詩篇52篇。逃亡中のダビデの居所がエドム人ドエグによってサウルに告げられた時に、ダビデは「なぜ、おまえは悪を誇るのか。勇士よ」と詠った。NIVでは〈you mighty hero〉と呼びかけている。自分の敵とも言えそうな人間に〈ヒーロー〉とは…!イエスに通じる器の大きさのダビデ
◆2月20日
詩編55。敵が迫り恐れた詩人は「鳩の翼がわたしにあれば 飛び去って、宿を求め はるかに遠く逃れて 荒れ野で夜を過ごすことができるのに。烈しい風と嵐を避け 急いで身を隠すことができるのに」 と(7-9節)。荒れ野はNIVでdesert。砂漠に逃れたいと神に訴える程の恐怖は如何許りか
◆2月21日
マルコ10:35。ヤコブとヨハネがイエスに申し出た願い「先生、お願いすることをかなえていただきたいのですが」は、NIVでは“Teacher, we want you to do for us whatever we ask.” お願いすることは何でもしてほしい、とは何と傲慢な…!と思ったが、こういう祈り結構してる。反省…
◆2月25日
新改訳詩篇61:4「…あなたの幕屋に、いつまでも住み、御翼の陰に、身を避けたい…」NIVでは〈I long to dwell in your tent forever and take refuge in the shelter of your wings.〉《tent》《refuge》《shelter》は仮の居所。だが、テント・避難所でも主の許にずっと居たい心は解る
◆2月26日
NIV詩編63:3〈Because your love is better than life, my lips will glorify you.〉日本語訳ではつるっと読み流してしまっていたが、英訳だと心に切り込んできた。主の愛は、確かに命・人生に勝ると、素直に頷ける。そのような慈しみを示して下さった主に感謝!