水の門

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歌集『カインの祈り』

澤本佳歩歌集『カインの祈り』
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#通読 2020年12月分まとめ

2020年12月31日 09時39分57秒 | 黙想・聖書通読・礼拝聖句
◆12月6日
新改訳ミカ書5:12「わたしはあなたの手から呪術師を断ち、占い師をあなたのところからなくする」。これは主の決めつけじゃないんだな。呪術師の束縛から解放してくださるということなんだな。主の憐みを感じる。蛇に取り憑かれた左手、呪術師とかのポーズを振り払った後、身震いが来る系の動きしてたけど、十字を切るようなポーズを自然にしてたんだな。無意識でやってたけど。羽生さん、大丈夫だろうか……

◆12月7日
新改訳ミカ書7:9「私は主の激しい怒りを身に受けている。私が主に罪を犯したからだ。しかし、それは、主が私の訴えを取り上げ、私を正しくさばいてくださるまでだ。主は私を光に連れ出し、私はその義を見ることができる」。内心呪ったり妬んだり蔑んだりの私に、神は怒ってる。〈私の訴え〉は、ええカッコしい、の祈りだけでなく、どんな些細な(あるいは恨みがましい)訴えも含まれる。〈私を正しくさばいてくださるまで〉は、恐ろしくない。⑵サムエル24:14、苦渋の選択を前のダビデの「…主の手に陥ることにしましょう。主のあわれみは深いからです」と通ずる

◆12月11日
新改訳ヨハネ⑵1:9「だれでも行き過ぎをして、キリストの教えのうちにとどまらない者は、神を持っていません。その教えのうちにとどまっている者は、御父をも御子をも持っています」。〈だれでも行き過ぎ〉を強調したい。キリスト者でも求道者でも私も、キリストの教えを超えては神の働き人ではない

◆12月12日
新改訳ハバクク2:4「見よ。彼の心はうぬぼれていて、まっすぐでない。しかし、正しい人はその信仰によって生きる」。〈彼〉は誰もが(勿論、私も含めて)当て嵌まる。節の後半は、全くその通り。

◆12月12日
新改訳ハバクク3:2「主よ。私はあなたのうわさを聞き、主よ、あなたのみわざを恐れました。この年のうちに、それをくり返してください。この年のうちに、それを示してください。激しい怒りのうちにも、あわれみを忘れないでください」。「うわさ」「みわざ」は、恐ろしい噂や業とは限らない。恵み深いうわさや神様の人知を超える偉大な業でもあり得る。前者なら繰り返してほしくなどないが、後者なら、「この年のうちに」「くり返し」「示してください」と祈ろう。節の最後の一文は、その通り。

◆12月21日
新改訳ゼカリヤ7:9-10〈万軍の主はこう仰せられる。「正しいさばきを行い、互いに誠実を尽くし、あわれみ合え。やもめ、みなしご、在留異国人、貧しい者をしいたげるな。互いに心の中で悪をたくらむな。」〉心の中で悪をたくらむな、が刺さる。

◆12月31日
新改訳マラキ3:16「そのとき、主を恐れる者たちが、互いに語り合った。主は耳を傾けて、これを聞かれた。主を恐れ、主の御名を尊ぶ者たちのために、主の前で、記憶の書がしるされた」。アモス書以降の旧約に戦慄しかつ慰めを感じたのは今年が初めてか。ゼカリヤやマラキのエグさに憐みを感じた
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