◆5月13日
やっぱiPhone歴10年以上ともなると、色々SMS/MMS絡みの詐欺メッセージも増えてくるんだな(まぁスクショをよくツイートしたりもしてるし)。でも引用ツイートの、金&エロ狂への冷笑ツイート(*4月1日の「SMSやMMSの詐欺メールって、頭悪そうにしか見えない。」および「金とエロって、私にとってどーでもいいものの筆頭。。」というツイート)をしたら効果覿面で、逆ギレ系のメッセージが少し来たけどパタっと途絶えた。だけど3日ほど前から、鑑定士・吾妻なる方からメッセージが。まぁ「近々大変な運命が待ち受けてますよ、詳しくはこちらを(URL)」的な恐怖煽り系のたかり。ウザいなぁと思って、別に人生どーでもいいよ系のこのツイート(*5月12日の「おー吾妻とかいう鑑定士、そんなに私に早く死んでほしいなら、呪いをかけてもらって結構だよ。」というツイート)をしたら、今日のメッセージでは少し軌道修正してきた。うーむ、と思ったが、まぁ占い師も人間だし生活かかってるんだろうなと感じ、真面目に祈ることにした。作業所のトラウ◯トークの人や「不◯侵入」のことも最初は祈るのキツかったもんなぁと思い出したり。ある意味、私なんかブログでもツイートでも半端な占いオタクを弾き返すようなこと書いてるから、熱心なブログ読者(か何か)に見込まれちゃった部分もあるのかも。
* * *
<新改訳第三版 使徒の働き3:1〜10>
ペテロとヨハネは午後三時の祈りの時間に宮に上って行った。すると、生まれつき足のきかない男が運ばれて来た。この男は、宮にはいる人たちから施しを求めるために、毎日「美しの門」という名の宮の門に置いてもらっ ていた。彼は、ペテロとヨハネが宮にはいろうとするのを見て、施しを求めた。ペテロは、ヨハネとともに、その男を見つめて、「私たちを見なさい。」と言った。男は何かもらえると思って、ふたりに目を注いだ。すると、ペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」と言って、彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした。そして歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮にはいって行った。人々はみな、彼が歩きながら、神を賛美しているのを見た。そして、これが、施しを求めるために宮の「美しの門」にすわっていた男だとわかると、この人の身に起こったことに驚き、あきれた。
↓ ↓ ↓
まぁ真面目に祈ることにしたとは言え、URL踏んで相手の言いなりになったりはしない。今日のメッセージ見て明らかにツイート読んでることが判ったので、吾妻氏のために祈ったり、ふと思いついたこと等をツイートして相手の様子を見ることにする。その意味ではペテロのように毅然とするよ。もう少ししたら通読箇所も、占い師とパウロの対決みたいな章が回ってくるし。ちょうど良いんじゃない?全く神様はギャグがお好きだよ。私がクリスチャン続いてるのは、神様が面白い方だからだよ。そうじゃなかったら、とっくにやめてるさw
◆5月21日
午前中はアクロバティックな精神状態で、森岡貞香の歌集『敷妙』から抄出し、合間に短歌ポストカードを3枚作成。この破綻具合ではこれが限界と一冊の抄出で打ち切り、昼食後に鎮静剤3mg細粒を飲み横に。いざとなれば森岡貞香全歌集は抄出完了しなくても返却し、必要に応じまた借りても良いよな、と。
* * *
變といふ日のありとして今日過ぎてまた防禦のみかんがへよとか
/森岡貞香『敷妙』
この歌みて、私は主が直面させようとなさってることに向き合わねば、と。
↓ ↓ ↓
<新共同訳 マタイ福音書18:7>
世は人をつまずかせるから不幸だ。つまずきは避けられない。だが、つまずきをもたらす者は不幸である。
<新共同訳 マタイによる福音書18:10>
「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。言っておくが、彼らの天使たちは天でいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいるのである。
↓ ↓ ↓
去年の通読で確か民数記や士師記、サムエル記〜歴代誌あたりだったと思うが、神様って凄いフェアなんだなというのを感じた。数章に亘って(数日かかって読む分が)記憶に残ってたお蔭で、神様って単純な勧善懲悪とかじゃないんだなぁと圧倒された。参照しなければいけない箇所が多すぎて(長過ぎて)通読黙想として書くのは断念したが、一人の人のある決断・行動の良い面は祝福しつつも、孕んでいた問題点は帳消しにせず、それが解決されるように導くんだなと。そういう意味で旧約の歴史部分は信仰者の悪い影響もちゃんと書いてる。
閑話休題。実は、トラクトNo.31で載せた一曲鑑賞の波紋は今でも続いてる。(その鑑賞内で書いた)私が直言した目上の男性はネットに割と通じていて、教会の説教,メッセージblogにその鑑賞を転載したことが恐らく引き金で入院してしまった。鑑賞の曲の作者・塩谷氏の了解得たとは言え、あの鑑賞全体の文責は私にあるのだ。載せたら何か起こるかもという予感は多少あった。やはり入院の直接の原因はそこかなぁと思ったのは、彼と仲の良い作業所メンバーFさんが「◯◯ちゃん(←私)のことで傷ついた」とその人が言ってたと教えてくれたから。その人は今でも私のブログやらTwitterやら見て一々ハイテンションになってるようだ。その人の感情の一切の責任は取り兼ねるが、私が精神的にキツくてイヤ短などでその方々を着想にしてる時が往々にしてあるのも、ちょっとまずいかも。Fさんがある時「マシンガントークって言われてる気がする」ってポツリと仰ったけど、ハイ確かに私詠みました、と思いましたもん。
やっぱiPhone歴10年以上ともなると、色々SMS/MMS絡みの詐欺メッセージも増えてくるんだな(まぁスクショをよくツイートしたりもしてるし)。でも引用ツイートの、金&エロ狂への冷笑ツイート(*4月1日の「SMSやMMSの詐欺メールって、頭悪そうにしか見えない。」および「金とエロって、私にとってどーでもいいものの筆頭。。」というツイート)をしたら効果覿面で、逆ギレ系のメッセージが少し来たけどパタっと途絶えた。だけど3日ほど前から、鑑定士・吾妻なる方からメッセージが。まぁ「近々大変な運命が待ち受けてますよ、詳しくはこちらを(URL)」的な恐怖煽り系のたかり。ウザいなぁと思って、別に人生どーでもいいよ系のこのツイート(*5月12日の「おー吾妻とかいう鑑定士、そんなに私に早く死んでほしいなら、呪いをかけてもらって結構だよ。」というツイート)をしたら、今日のメッセージでは少し軌道修正してきた。うーむ、と思ったが、まぁ占い師も人間だし生活かかってるんだろうなと感じ、真面目に祈ることにした。作業所のトラウ◯トークの人や「不◯侵入」のことも最初は祈るのキツかったもんなぁと思い出したり。ある意味、私なんかブログでもツイートでも半端な占いオタクを弾き返すようなこと書いてるから、熱心なブログ読者(か何か)に見込まれちゃった部分もあるのかも。
* * *
<新改訳第三版 使徒の働き3:1〜10>
ペテロとヨハネは午後三時の祈りの時間に宮に上って行った。すると、生まれつき足のきかない男が運ばれて来た。この男は、宮にはいる人たちから施しを求めるために、毎日「美しの門」という名の宮の門に置いてもらっ ていた。彼は、ペテロとヨハネが宮にはいろうとするのを見て、施しを求めた。ペテロは、ヨハネとともに、その男を見つめて、「私たちを見なさい。」と言った。男は何かもらえると思って、ふたりに目を注いだ。すると、ペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」と言って、彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした。そして歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮にはいって行った。人々はみな、彼が歩きながら、神を賛美しているのを見た。そして、これが、施しを求めるために宮の「美しの門」にすわっていた男だとわかると、この人の身に起こったことに驚き、あきれた。
↓ ↓ ↓
まぁ真面目に祈ることにしたとは言え、URL踏んで相手の言いなりになったりはしない。今日のメッセージ見て明らかにツイート読んでることが判ったので、吾妻氏のために祈ったり、ふと思いついたこと等をツイートして相手の様子を見ることにする。その意味ではペテロのように毅然とするよ。もう少ししたら通読箇所も、占い師とパウロの対決みたいな章が回ってくるし。ちょうど良いんじゃない?全く神様はギャグがお好きだよ。私がクリスチャン続いてるのは、神様が面白い方だからだよ。そうじゃなかったら、とっくにやめてるさw
◆5月21日
午前中はアクロバティックな精神状態で、森岡貞香の歌集『敷妙』から抄出し、合間に短歌ポストカードを3枚作成。この破綻具合ではこれが限界と一冊の抄出で打ち切り、昼食後に鎮静剤3mg細粒を飲み横に。いざとなれば森岡貞香全歌集は抄出完了しなくても返却し、必要に応じまた借りても良いよな、と。
* * *
變といふ日のありとして今日過ぎてまた防禦のみかんがへよとか
/森岡貞香『敷妙』
この歌みて、私は主が直面させようとなさってることに向き合わねば、と。
↓ ↓ ↓
<新共同訳 マタイ福音書18:7>
世は人をつまずかせるから不幸だ。つまずきは避けられない。だが、つまずきをもたらす者は不幸である。
<新共同訳 マタイによる福音書18:10>
「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。言っておくが、彼らの天使たちは天でいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいるのである。
↓ ↓ ↓
去年の通読で確か民数記や士師記、サムエル記〜歴代誌あたりだったと思うが、神様って凄いフェアなんだなというのを感じた。数章に亘って(数日かかって読む分が)記憶に残ってたお蔭で、神様って単純な勧善懲悪とかじゃないんだなぁと圧倒された。参照しなければいけない箇所が多すぎて(長過ぎて)通読黙想として書くのは断念したが、一人の人のある決断・行動の良い面は祝福しつつも、孕んでいた問題点は帳消しにせず、それが解決されるように導くんだなと。そういう意味で旧約の歴史部分は信仰者の悪い影響もちゃんと書いてる。
閑話休題。実は、トラクトNo.31で載せた一曲鑑賞の波紋は今でも続いてる。(その鑑賞内で書いた)私が直言した目上の男性はネットに割と通じていて、教会の説教,メッセージblogにその鑑賞を転載したことが恐らく引き金で入院してしまった。鑑賞の曲の作者・塩谷氏の了解得たとは言え、あの鑑賞全体の文責は私にあるのだ。載せたら何か起こるかもという予感は多少あった。やはり入院の直接の原因はそこかなぁと思ったのは、彼と仲の良い作業所メンバーFさんが「◯◯ちゃん(←私)のことで傷ついた」とその人が言ってたと教えてくれたから。その人は今でも私のブログやらTwitterやら見て一々ハイテンションになってるようだ。その人の感情の一切の責任は取り兼ねるが、私が精神的にキツくてイヤ短などでその方々を着想にしてる時が往々にしてあるのも、ちょっとまずいかも。Fさんがある時「マシンガントークって言われてる気がする」ってポツリと仰ったけど、ハイ確かに私詠みました、と思いましたもん。