水の門

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歌集『カインの祈り』

澤本佳歩歌集『カインの祈り』
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一首鑑賞(93):吉田晃啓「講壇の花に季節を教えられ」

2023年02月11日 09時26分36秒 | 一首鑑賞
講壇の花に季節を教えられ撮って送りぬ施設の友に
吉田晃啓(『信徒の友』2022年12月号「読者文芸」欄より)


 私は2009年からTwitterをしている。初めは音楽のこととかパソコンのトラブル等を呟いていた。後に気に入った短歌を引いたり、さらにもう少し後にはキリスト教放送局FEBCのアカウント宛てに限定して聖書通読の感想を呟き始めたりしたが、私のフォロワーさんに宗教が大嫌いな方もいらしたので、教会のことや聖書のことを大っぴらにツイートするのに長らく尻込みしていた。
 今でこそスマホでかなり写真を撮るようになった私だが、明らかに撮影の機会が増えたのは散歩を始めてからである。主な被写体は空と道端の草花で、花と空が好きなTwitterの相互フォローのある方の影響が大きいと思う。また別の相互フォローの方はクリスチャンの方で、礼拝に出席された時に「今日の礼拝堂の窓辺」として花瓶のお花の写真をツイートされていてとっても自然体でいいなぁと感じたので、私もそのうちN教会の旧講壇の上に置かれた花瓶や鉢植えの花の写真を、#TLを花でいっぱいにしよう とハッシュタグを付けてTwitterに流すようになった。そうこうするうちに、その花のハッシュタグを通じて私をご存知になった方が数人、私をフォローしてくださるようになった。
 私自身はあまり甲斐甲斐しさや手先の器用さが無いほうなので花の手入れなどは全くできず、ただ見て楽しむだけである。けれど、それでも良いのかな?と最近は思っている。掲出歌の吉田自身も、歌から推察するにそう花に詳しいわけではなさそうだが、礼拝堂の講壇の花にいたく感じ入って写真を撮り、施設にいる方にメールかLINEで送ったのだろう。もしかしたらその文面はごく短いものであったかもしれない。だが、俯きがちな気持ちを上げてくれる花の写真に、送られた方はきっと慰められたに違いない。言葉を贈る時はどうしても慎重になりやすいが、写真なら気負わずに分かち合える——。そんなことを気づかせてくれる素敵な一首である。
 ゼカリヤ書4章10節にこういう御言葉がある。「誰が初めのささやかな日をさげすむのか。ゼルバベルの手にある選び抜かれた石を見て 喜び祝うべきである。」 私の花の写真のツイートは、何てことのないささやかなものだった。でも、#TLを花でいっぱいにしよう で教会での様子を併せて書くことで、非信徒の方にも信仰の一端を分かち合えているし、後に聖句を添えたポストカードの作成を思いつきもした。
 私たち一人一人が手に持っている物は僅かである。ヨハネによる福音書6章9節でアンデレが「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう」と主に答えたように、こんな程度のもの……と、まさに自嘲してしまいたくなるようなものであるかもしれない。しかしイエス様は、それを恥ずかしがらずに差し出すように仰っているのだな、そのごくささやかなものを何倍にも増して多くの方を満たすのに用いることのできるお方なんだな、と改めて思う。そして、主に用いられる恵みは他の何物にも代え難いということを噛み締めつつ日々を過ごしている。
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