① 朝食後に、セラミックファンヒーターのタンクの水抜き→乾かし、ができた。感謝。
② あまり体調は良くなかったが、今日のFEBCの長倉さんのコーナーを聴いたら元気が出てきて、9時半頃から一曲鑑賞を書けた。感謝。
③ 昼食後にはサラダチキンやキムチを摂ったりしつつゆったりできた。感謝。
④ こひつじの会4月ミーティング議事録、および、こども園との打ち合わせの議事録を読めた。感謝。
⑤ 15時過ぎに古紙類を縛れた。感謝。
⑥ 明日は通所できますように。
風のように あなたは来て
勝ち続けなくても いいんだと
告げられる
砦(とりで)のような
怒りの山を あなたは砕き
今、泉と変えられる
(塩谷達也「Deep Sea〜海よりも深く〜」より)
1960年公開のイタリア映画に「若者のすべて」(ルキノ・ヴィスコンティ監督)という作品がある。窮乏の中、未来へ望みを繋ごうとイタリア南部よりミラノへ移り住んだバロンディ一家の物語である。主人公である三男のロッコは善良で涙もろいが、ボクシングの監督に素質を見出される。ロッコは家族を経済的に支えるためにプロボクサーを続け、ついにチャンピオンになる。しかし、兄弟からの妬みも買い、家族は破綻してしまう。ロッコが求めていたものは、こういう結末ではなかった筈だ。苦しいストーリーであるが、一人が勝ち続けていくことに付き纏う「孤独」に耐えるよりも大切なものがあるのでは、と深く考えさせられる内容である。
今年度より所属教会では「教会学校」が休止になった。教会学校の今後を考えていくために昨年11月に教会全体ミーティングが開かれ、12月よりその実務的な打ち合わせが始まった。私自身は未婚の子なしであるし、子どもに対して身構えてしまうところもあったので、今の教会に転入会してから何年もの間、教会学校とは距離を置いていた。けれど、一人の黙想と祈りの時間のうちに心が変えられ、そのタイミングで(のちに「こひつじの会」と命名される)会の取り纏め役の長老の方からお声がけいただいたのもあり、年明けの第二回ミーティングから参加している。子どもがどういうことで喜ぶのかとか、そういうことにはとんと疎い私だが、神様に呼ばれた。(こひつじの会のために何ができるんだろう?)と祈りつつ、スマホのメモアプリを眺めていて浮かんだことを入力していくうちに、特別な演技の賜物をお持ちの方にしていただく腹話術を中心に、他のメンバーも参加する寸劇(スキット)の台本を思いついた。原案をこひつじの会のメンバーにお目にかけ、最終的に、腹話術の演じ手や牧師夫人による加筆修正がされた「リレー台本」になり、私の原案は見違えるほど生き生きとしたものに生まれ変わった。
以前、FEBCの【Session——イエスのTuneに合わせて】(早矢仕宗伯先生、塩谷達也さん、長倉崇宣さん)という番組で、「早く行きたかったら一人で行け。遠くに行きたかったらみんなで行け。」という諺がアフリカにあるという話が紹介されていたが、本当にそうだな、と今私は感じる。チームとして何かを達成する楽しさというのは、今までずっと味わったことが無かったように思う。
イエスの御言葉を二箇所見てみたい。
あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」(ヨハネによる福音書13章34〜35節)
* * *
また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイによる福音書18章19〜20節)
弟子が二人以上いるところには主も共にいらっしゃる。ある一人の立派なクリスチャンを見たとしても(あぁその人は凄いね……)という感想にしかならないと思う。だが、クリスチャンの交わりを見ると他の方にも(これは何か違う)と感じられるのではないだろうか。教会はキリスト教の制度というよりも、主が共にいてくださる恵みの現れた形なのではないだろうか。
罪深ければ 恵みも深い
あなたの愛は 海よりも深く
そのあわれみのなかで
わたしは自由になる
塩谷達也「Deep Sea〜海よりも深く〜」