水の門

体内をながれるもの。ことば。音楽。飲みもの。スピリット。

一首鑑賞(41):山口明子「精神科の女医の目澄みて」

2017年02月15日 15時33分52秒 | 一首鑑賞
LDの息子の話受け入れて聞く精神科の女医の目澄みて
山口明子『さくらあやふく』


 歌集『さくらあやふく』には山口の18歳から39歳、すなわち大学生から公立中学の教員になり、やがて三人の子を授かっていった期間に詠まれた短歌が収められている。
 長男のLD(学習障害)が見つかったのは、第二子が生まれて間もなくとのこと。幼いながらもお兄さんらしさを覗かせる一方で、突発的な癇癪をたびたび起こすようになり、受診に至ったようだ。

  泣きながら自分の頭を叩く子よ拳に小さき嵐にぎりて
  おもふこと言葉にできぬ子の映る硝子をつたふ春夜のしづく


 そんな中で巡り会った精神科の女医は、訥々と話す子の話を深く受け入れてくれたという。これがきっかけで、行き詰まり状態にあった子の道が少しずつ開かれていく。

  障害をもつ子を深くうべなへる医師のまなざしをながく思へり

 このような出会いは私自身にもあった。精神の病を発症して山梨に連れて来られ、最寄りの医院からの紹介で現在の病院にやって来た。K先生は当時から親しみやすく、症状が急激に悪化した再燃期にも適切な処方をしてくださり、現在は私の主治医をなさっている。先生はご自身のブログで、患者さんに接する際に「気持ちを汲む」「気持ちに添う」という治療態度で臨んでいると書いていらした。それは、十代に入る前の子供を育てているお母さんの母心そのものだという。
 ホセア書11章4節に「わたしは人間の綱、愛のきずなで彼らを導き 彼らの顎から軛を取り去り 身をかがめて食べさせた」と、神の愛についての記述がある。私自身は幼い頃はいわゆる「聞き分けの良い子」で、成人してからむずかったような口なのだが、幼時に充分ほぐされていなかった心をK先生を通じてかなりの部分耕していただいたと振り返って思う。イエス様は病人を診る時、一人一人に手を置いてお癒しになった(ルカによる福音書4章40節)。その姿は、K先生にも、そして山口氏のご子息の主治医にも、オーヴァーラップして見える。

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