寝起きしてときどき涙することもただ一言にまとめて記す
今朝母を起こすと、開口一番「変な夢を見た」と言う。夢の仔細は覚えていなかったようだが、かつてスリランカのある子供の教育費を【フォスタープラン】で援助していた母が、当時も援助終了後も繰り返し誇っていた「髪の毛を染めるのをやめて(その代金で)支援した」という言を、今になっても持ち出すので軽く批判したことが原因だったらしい。信徒でもないのに、母は「私も天国が近くなってきたから」と呟いた。私が質すと、「天国だと考えないとやっていられないから」と声を震わせて泣いたが、すぐに気持ちを切り替え家事に取り掛かった。
私は二十歳で洗礼を受けてから、一時的な中断はあったにせよ基本的には毎朝日記をつけている。前日を振り返って言動を書き付け、今日すべきことをメモするその時間は、私にとっては日々の生活の中の息継ぎのようなものである。忙しかったり感情をかき乱されることがあったりした日の翌朝は、なるべく落ち着いて日記に時間を割くようにしている。その習慣があるからこそ気持ちが浄化され日々の務めを為し果せているのは間違いないが、バタバタしていた朝や、または複雑な事情を詳しく書き留めるのがまどろっこしかったり躊躇われたりする時は、本当にざっくりと記すに留める。そういう日記を後から捲ってみて、まざまざと情況を思い出せることも、ぼんやりとしか思い出せないこともある。いみじくも東直子自身が歌集のあとがきでこう述べている。「日々身のまわりに起こるエピソード、交わした会話、揺れ動く気持ち(中略)強く心を支配していたものも、いつのまにか記憶から消えていきます。(中略)「短歌日記」を読み返すと、あなたはこのことを忘れてしまっているでしょう? と過去の自分が語りかけてくる気がします。私はその声を聞きながら、思い出したり、一部思い出したり、思い出せなかったり、します。記憶というのは、そういうものだと思います。」母には日記を書く習慣はない。だから、このように泣いたことも暫くすれば忘れてしまうだろう。ただ私へのちょっとした鬱屈は残るかもしれない。
黙示録21章3〜4節に、〈そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、 彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである」〉という聖句がある。首都圏に住んでいた頃、近所には母と同世代の主婦で牧師のご息女の方がいらっしゃり、母も何度か誘われて聖書学び会に参加したことがあったと聞く。もしかしたらその時に、母は苦しみも涙も拭い去られるという天国のことを聞いていたのだろうか。私がクリスチャンとして不束なこともあって、母に受洗の意志は毛頭ないようだ。だが今朝の会話を通じて、母もこれまでの過失が帳消しにされる日が来るのを無理矢理にも信じたくなる心境があることに思いが至った。母の頑固さを知っているがゆえ、私は今まで母の救いのために殆ど祈ってこなかった。しかし、母が安心してこの世を発つことができるように祈るのを、他ならぬ神がお望みであると今日は痛切に感じ、いつもより少し長めの黙想の時間を持ったのであった。
東直子『十階:短歌日記 2007』
今朝母を起こすと、開口一番「変な夢を見た」と言う。夢の仔細は覚えていなかったようだが、かつてスリランカのある子供の教育費を【フォスタープラン】で援助していた母が、当時も援助終了後も繰り返し誇っていた「髪の毛を染めるのをやめて(その代金で)支援した」という言を、今になっても持ち出すので軽く批判したことが原因だったらしい。信徒でもないのに、母は「私も天国が近くなってきたから」と呟いた。私が質すと、「天国だと考えないとやっていられないから」と声を震わせて泣いたが、すぐに気持ちを切り替え家事に取り掛かった。
私は二十歳で洗礼を受けてから、一時的な中断はあったにせよ基本的には毎朝日記をつけている。前日を振り返って言動を書き付け、今日すべきことをメモするその時間は、私にとっては日々の生活の中の息継ぎのようなものである。忙しかったり感情をかき乱されることがあったりした日の翌朝は、なるべく落ち着いて日記に時間を割くようにしている。その習慣があるからこそ気持ちが浄化され日々の務めを為し果せているのは間違いないが、バタバタしていた朝や、または複雑な事情を詳しく書き留めるのがまどろっこしかったり躊躇われたりする時は、本当にざっくりと記すに留める。そういう日記を後から捲ってみて、まざまざと情況を思い出せることも、ぼんやりとしか思い出せないこともある。いみじくも東直子自身が歌集のあとがきでこう述べている。「日々身のまわりに起こるエピソード、交わした会話、揺れ動く気持ち(中略)強く心を支配していたものも、いつのまにか記憶から消えていきます。(中略)「短歌日記」を読み返すと、あなたはこのことを忘れてしまっているでしょう? と過去の自分が語りかけてくる気がします。私はその声を聞きながら、思い出したり、一部思い出したり、思い出せなかったり、します。記憶というのは、そういうものだと思います。」母には日記を書く習慣はない。だから、このように泣いたことも暫くすれば忘れてしまうだろう。ただ私へのちょっとした鬱屈は残るかもしれない。
黙示録21章3〜4節に、〈そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、 彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである」〉という聖句がある。首都圏に住んでいた頃、近所には母と同世代の主婦で牧師のご息女の方がいらっしゃり、母も何度か誘われて聖書学び会に参加したことがあったと聞く。もしかしたらその時に、母は苦しみも涙も拭い去られるという天国のことを聞いていたのだろうか。私がクリスチャンとして不束なこともあって、母に受洗の意志は毛頭ないようだ。だが今朝の会話を通じて、母もこれまでの過失が帳消しにされる日が来るのを無理矢理にも信じたくなる心境があることに思いが至った。母の頑固さを知っているがゆえ、私は今まで母の救いのために殆ど祈ってこなかった。しかし、母が安心してこの世を発つことができるように祈るのを、他ならぬ神がお望みであると今日は痛切に感じ、いつもより少し長めの黙想の時間を持ったのであった。