LUNACY

cygnus' blog

《「彼女たち」の連合赤軍 サブカルチャーと戦後民主主義》

2011-03-03 21:31:42 | 本・コミック
by大塚英志

永田洋子死刑囚が先日鬼籍に入ったわけですが、偶然そのタイミングで読みはじめていたのがこの本。
宮台真司、上野千鶴子、大澤真幸、東浩紀、北田暁大、斎藤環、などの各先生の著作を読んで影響を受けている人間としては、ハズセナイ一冊だったのでした。

連赤の事件の後代の読み解きとして、非常に面白かったというのが素直なところです。
北田暁大先生『嗤う日本の「ナショナリズム」』と違った面白さがありました。

永田洋子氏の獄中で描いた絵に見いだされた乙女ちっくさを議論の出発点にしていますが、本書の大半は、戦後史にとってサブカルチャーとは何か?の論考に費やされています。
そしてそこから、連赤事件(のうちの山岳ベース事件)のうち、永田氏と他の女性たちとの差は何だったのか(と森恒夫がわかっていなかったこと)の構造を明らかにしています。

僕は1974年生まれで、生まれながらにしてサブカルなな世代ですが、年長世代にはこのサブカル化する過程を受容していくには、個人やコミュニティーそれぞれの差はあれど、葛藤や受容の上手い下手のようなものがあったんだろうなというのがよくわかりました。
それに親子でわかりあえない原因とか、年長世代に対して感じるイライラとか、それもこのサブカル化した時代や社会への対応能力にあったりするようにも今まで以上に感じるようになりました。

赤軍派の塩見孝也氏と植垣康博氏。
この本でも、永田氏とのやりとりのところで何度も出てきますが、個人的にはこの二人の差が興味深かったです。性格と言われればその通りなのだろうけれども(笑)。
若松孝二監督が映画で植垣氏に中泉英雄くんを起用していたように記憶しているけれど、(記憶正しければ)考えてたなぁと今さら思いました。
ここで話ちょっとそれるんですが、塩見氏と植垣氏の違いについて。
二人の学歴知らない人は、とにかく頑なで理屈っぽく理想主義者の塩見氏を理系で、人情味が優先してどこか現実対応派の植垣氏を文系だ、と思うのでしょうが逆なんですよね。
しかし、理系な人生を生きてきた(笑)僕としては、植垣氏のようなタイプを理系に多く見かける感じです。とくに理学系。
僕は植垣氏のほうにに親しみを感じるのは、その人情味の要素もあるのですが、その理学部によくいそうってのもあるのです。

旧版あとがきで、浅田彰氏の批判への応答がありました。
大塚氏を援護射撃するわけじゃないのだけれど、この引用された浅田氏の文章については僕も一部違和感を感じてしまいました。
それは連赤にしろオウムにしろ「落ちこぼれ」が起こしたという点。
もちろんこれは、エリートのなかの落ちこぼれ、つまりエリート資質のなかったやつらの意味なのだろうけれども。
正確さを欠くと思うのです。
エリートなのに落ちこぼれである感・ている感を拭いきれなかった、かつ、今の自分を乗り越えたかった上昇志向の人たち、だと思うのです。
ここはちゃんと書いて欲しかったなぁ。

あれ?この本には、巻末に解説がないっ!(笑)
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