国選定の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)の御手洗(みたらい)へ行ってきました。
デジカメの写真のPC移動&保存作業時のミスで、消えてしまいました><。
残っているのが、スマホに残っていて唯一お見せできそうなこの1枚のみ。
なお、広島県の観光キャンペーンで、「広島秘境ツアーズ!」で、斎藤工が起用されているポスターのロケ地は、大崎上島の方の木江(きのえ)です。ココではありません(笑)。
大崎下島は、みかんのブランド「大長みかん」が有名。「柑魂」という碑まであってビビります(笑)。
さて、御手洗の街ですが、港町。瀬戸内海の海運をいかした交易拠点として栄えた街。
写真は、メインの常盤町とおり。江戸時代の街並みが残っているところです。
ココは電線地中化が済んでいますが、ほか、現在工事中のところがまだあります。
ほか、この地区には洒落た洋館(元映画館の乙女座など)もいくつかあります。
ゑびす様も恵美須神社と綴って、ちょっと面白い。鳥居が海を向いていて、そういえば、えびす様は豊漁の神様だったっけか?と。
海の神様の住吉神社。石の太鼓橋が作業中で渡れなかったのが残念。
千砂子波止も、ちゃんと石灯籠?灯台?まで歩いてみてきました。
残念だったのは、若胡子屋跡の修復方法。
技術上仕方なかったのだろうけれど、木の柱をブッた切って鐵の柱と梁に置き換えられていた。何とかなんなかったのかなぁ。
ちなみに、この若胡子屋は、遊女屋敷・茶屋。
旧柴屋の伊能忠敬の資料は地図萌えはチェックしておきましょう(笑)。
蛇足。アクセスについて。
広島BCからのバス(呉マデ高速経由)で、2時間。
呉市の広からの路線バスで広から1時間半。どちらも、安芸灘諸島連絡架橋(とびしま海道)経由で、下蒲刈島→上蒲刈島→豊島→大崎下島。
どの島でも、高台にかかる橋から港のある街に降りて、また丘に登って橋を渡るの繰り返し。広島発のバスの方は、ある程度スキップしながらみたいだけれど。
小長港から大崎上島へフェリーもあったけれど、大長港からの高速船を選択しました(帰路)。大崎上島で何ヶ所か港を経由して竹原まで40分ちょっと。
大長港まで、御手洗地区から徒歩15分くらいだったかな?
大長港の待合室に、超年季の入った今治市内の店の広告が多くて、あぁ、そういう経済圏・文化圏だったのかと。向かいの岡村島は今治市なのかと、そのとき気づいた次第。
デジカメの写真のPC移動&保存作業時のミスで、消えてしまいました><。
残っているのが、スマホに残っていて唯一お見せできそうなこの1枚のみ。
なお、広島県の観光キャンペーンで、「広島秘境ツアーズ!」で、斎藤工が起用されているポスターのロケ地は、大崎上島の方の木江(きのえ)です。ココではありません(笑)。
大崎下島は、みかんのブランド「大長みかん」が有名。「柑魂」という碑まであってビビります(笑)。
さて、御手洗の街ですが、港町。瀬戸内海の海運をいかした交易拠点として栄えた街。
写真は、メインの常盤町とおり。江戸時代の街並みが残っているところです。
ココは電線地中化が済んでいますが、ほか、現在工事中のところがまだあります。
ほか、この地区には洒落た洋館(元映画館の乙女座など)もいくつかあります。
ゑびす様も恵美須神社と綴って、ちょっと面白い。鳥居が海を向いていて、そういえば、えびす様は豊漁の神様だったっけか?と。
海の神様の住吉神社。石の太鼓橋が作業中で渡れなかったのが残念。
千砂子波止も、ちゃんと石灯籠?灯台?まで歩いてみてきました。
残念だったのは、若胡子屋跡の修復方法。
技術上仕方なかったのだろうけれど、木の柱をブッた切って鐵の柱と梁に置き換えられていた。何とかなんなかったのかなぁ。
ちなみに、この若胡子屋は、遊女屋敷・茶屋。
旧柴屋の伊能忠敬の資料は地図萌えはチェックしておきましょう(笑)。
蛇足。アクセスについて。
広島BCからのバス(呉マデ高速経由)で、2時間。
呉市の広からの路線バスで広から1時間半。どちらも、安芸灘諸島連絡架橋(とびしま海道)経由で、下蒲刈島→上蒲刈島→豊島→大崎下島。
どの島でも、高台にかかる橋から港のある街に降りて、また丘に登って橋を渡るの繰り返し。広島発のバスの方は、ある程度スキップしながらみたいだけれど。
小長港から大崎上島へフェリーもあったけれど、大長港からの高速船を選択しました(帰路)。大崎上島で何ヶ所か港を経由して竹原まで40分ちょっと。
大長港まで、御手洗地区から徒歩15分くらいだったかな?
大長港の待合室に、超年季の入った今治市内の店の広告が多くて、あぁ、そういう経済圏・文化圏だったのかと。向かいの岡村島は今治市なのかと、そのとき気づいた次第。