明けて次の日は朝から、外海(そとめ)へ。
外海ってどこか?(笑)
西彼杵半島(大村湾の西側)の西側の東シナ海に面しているエリアです。
桜の里ターミナルでバスが「接続」となっていながら運賃が通算されないってどーよ(笑)。
まぁそんなことはどうでもよく、アップダウンとカーブの激しい道を揺られていきました。
んで、この外海エリア。
全て、ド・ロ神父の援助というか指導のもとに行われているのです。
このお方を抜きにしては語れないエリア。今回の旅行の予習で初めて知った人(恥&笑)。
※写真はクリックで拡大します。
☆大野教会☆
国重文(Wikipediaの記述は間違い。というか旧いのかな?)。1893年。
ド・ロ神父の石積み技術(通称:ド・ロ壁)で作られたこの教会。
今村や黒島を訪ねていたせいか、バス停から700m(上り坂のみw)がそんなに苦もなくを感じてしまいました。
アプローチ
逆光気味で申し訳ない。


普段は使われていないので、聖堂内部見学はできませんでした。
でも静かなで落ち着いたたたずまいの佳いところでした。
☆出津(しつ)教会☆
コレはまだ県重文(笑)。1882年。1892年増改築。

レンガ+白漆喰だそうです。中に入るとレンガが露出しているところあって、よくわかります。


長崎県庁職員と思しき人たちが休日返上して写真撮影に来てました。
少し離れた高台から撮影しようとしていて、僕もそこからワンショット撮影した(→没にした(笑))のだけど、職員同士で、「車が邪魔ですね」とボヤイテいたけれど、つい「いや、電線のほうが邪魔じゃないですか?」と、口を挟んでしまった。
イヤミなことは百も承知だけれど、県の担当職員なら、すぐに動かせるものと動かせないものを、わかっておいて欲しいのです。
☆旧出津救助院☆
国重文と県指定史跡。
ド・ロ神父が作った、いくつものマニファクチュア群。
女性のための授産施設。
マカロニとかそうめんとかを作っていたそうです。

旧鰯網工場が現在ド・ロ神父記念館になっています
神父が使っていたオルガンが置かれていて、動作するのだとか。
ド・ロ神父像
しかしその他の救助院各施設は、現在本格修復中でした。
覆いもあって全く見られませんでした(涙)。
☆黒崎教会☆
鉄川与助の建築ではないけれど、れっきとした赤煉瓦建築。1920年。



鉄川与助の建築と較べると、どこかしら滑らかというか軽やかさがありました。
外海ってどこか?(笑)
西彼杵半島(大村湾の西側)の西側の東シナ海に面しているエリアです。
桜の里ターミナルでバスが「接続」となっていながら運賃が通算されないってどーよ(笑)。
まぁそんなことはどうでもよく、アップダウンとカーブの激しい道を揺られていきました。
んで、この外海エリア。
全て、ド・ロ神父の援助というか指導のもとに行われているのです。
このお方を抜きにしては語れないエリア。今回の旅行の予習で初めて知った人(恥&笑)。
※写真はクリックで拡大します。
☆大野教会☆
国重文(Wikipediaの記述は間違い。というか旧いのかな?)。1893年。
ド・ロ神父の石積み技術(通称:ド・ロ壁)で作られたこの教会。
今村や黒島を訪ねていたせいか、バス停から700m(上り坂のみw)がそんなに苦もなくを感じてしまいました。




普段は使われていないので、聖堂内部見学はできませんでした。
でも静かなで落ち着いたたたずまいの佳いところでした。
☆出津(しつ)教会☆
コレはまだ県重文(笑)。1882年。1892年増改築。

レンガ+白漆喰だそうです。中に入るとレンガが露出しているところあって、よくわかります。


長崎県庁職員と思しき人たちが休日返上して写真撮影に来てました。
少し離れた高台から撮影しようとしていて、僕もそこからワンショット撮影した(→没にした(笑))のだけど、職員同士で、「車が邪魔ですね」とボヤイテいたけれど、つい「いや、電線のほうが邪魔じゃないですか?」と、口を挟んでしまった。
イヤミなことは百も承知だけれど、県の担当職員なら、すぐに動かせるものと動かせないものを、わかっておいて欲しいのです。
☆旧出津救助院☆
国重文と県指定史跡。
ド・ロ神父が作った、いくつものマニファクチュア群。
女性のための授産施設。
マカロニとかそうめんとかを作っていたそうです。

旧鰯網工場が現在ド・ロ神父記念館になっています
神父が使っていたオルガンが置かれていて、動作するのだとか。

しかしその他の救助院各施設は、現在本格修復中でした。
覆いもあって全く見られませんでした(涙)。
☆黒崎教会☆
鉄川与助の建築ではないけれど、れっきとした赤煉瓦建築。1920年。



鉄川与助の建築と較べると、どこかしら滑らかというか軽やかさがありました。