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毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「中国人の日本語作文コンクール授賞式・北京の日本大使館で」2014年12月19日(金)No.1057

2014-12-19 19:43:02 | 中日(日中)関係

回を重ねるごとに二ユース等で取り上げられる機会が増えてきた

「中国人の日本語作文コンクール」(日本僑報社:段躍中代表)は、

今年、10回目を迎えた。

今春、4月から5月にかけて私は江西財経大学での最後のお勤めを果たすべく、

朝から晩まで、週末も祝日も関係なく、ひたすら作文チェックを続けたが、

今年度は中国人の先生方も分担してくださったので、

過去4年間のうち、最も楽ちんだったかもしれない。

今年のテーマは、

①「ACG(アニメ・コミック・ゲーム)と私                                         ―なぜ中国の若者が日本のアニメ・漫画・ゲームに魅かれるか―」 

②「公共マナーと中国人」

の2つで、学生たちが多く選んだのはやはり①の方だった。

このテーマの所為でこの作文コンクール始まって以来の4000人以上もの応募者がいて、

毎年複数の入賞者を誇る江財大は、

唯一3年生(現4年生)の余立君さんが3位に入選したに留まった。

 

↓日本大使館授賞式会場での余立君さんと段躍中さん

(私が「ブログに載せるから絶対ツーショットで撮ってもらいなさいね~♡」

と言ったらきちんと実行した余さん。私の教え子はやるときゃやる

 

しかし、毎年学生たちの作文を読んでいると、

入賞など無関係に面白い作文にたくさん出会う。

身内贔屓もあるのだろうが、

それらの作文が日の目を見ずにお蔵入りになるのは本当にもったいない。

なので明日から何回かに分けて、秘蔵の作文を当ブログでご紹介することにする。

あ、もちろん入選した余立君さんも含めて、全入選者の作文は一冊の本になって

既に出版されているので、

ぜひ、この機会にご購入ください、って段躍中さんでもないのに、

私はこういう時必ず、しゃしゃり出るのである。

大阪のおばちゃんたちに長年鍛えられた賜物です

 

〈関連報道〉

TBSニュース(これは今日で一週間目なので、ぎりぎりで見られるかも)「テーマにアニメも、中国大学生の日本語作文コンクールの表彰式」http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2371411.html

朝日デジタル「中国人の日本語作文コンクール、最優秀賞に姚さん」http://www.asahi.com/articles/ASGDD4470GDDUHBI010.html

毎日新聞「熱点話題:(25)日本語作文コンクール」http://mainichi.jp/feature/news/20141214mog00m030007000c.html

↓人民網日本語版「第10回中国人の日本語作文コンクール」 北京で授賞式http://j.people.com.cn/n/2014/1216/c94473-8823553.html

 
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「今、日本人が中国地方政府から賞をもらう意味」2014年11月6日(木)No.1023

2014-11-06 21:26:57 | 中日(日中)関係

先週、南昌の八一公園日本語コーナー仲間が歓迎会を開いてくれた席で、

何人かの中国の方から、

「政府は政府。我々民間人とはま~~~ったく関係ない!」

(↑これは吐き捨てるような勢いだった)

「政治に対して我々ができることは何一つない。

ただ、自分たちにできるのは民間交流を続けることだ」

といった言葉を聞いた。

一般中国人の政治に対する無力感はたいへん大きいと感じた。

 

しかし、関係ないはずの政治は、常に向こうからやって来る。

江西省政府が一日本人である私に「廬山友誼賞」を与えるということも

昨今の政治的事情とまったく無縁だとは言えない。

2年前、そして去年も江財大外国語学院は私をこの賞に推薦してくれていた。

私自身はそんな賞とは無縁な人生を歩むことに清々しさすら感じる人間なので、

イエイエ、どうぞお構いなく状態だったが、

推薦してくれた先生方自身からして、

「これだけ中日関係が悪化していたら、受賞は難しいでしょう」

と太鼓判?を押してくれていた。

 

それが、今回、2008年以来6年ぶりに日本人が受賞した。

そして今日のニュースは、

周近平国家主席と安倍首相がAPECで

何らかの会合を持つための調整をしていると伝えている。

やっぱり、そういうものだ。

地方政府は中央政府の動向を見て、ボチボチいいかな、と判断したのだろう。

私個人のつたない実践が認められたのは、過分のヨロコビだが、

それ以上に、日本と中国の関係が修復段階に入ることができるのでは、

という一筋の希望の光を垣間見た思いだ。

 

日本国内の奥深くで無責任に中国に対してあることないこと言っている輩には

全く分からないだろうが、

中国で日本語を学ぶ学生たち、教える先生方、

中国で経済活動を展開する日系企業の駐在員たち、

そしてそこで働く中国人社員たちは、

自分のできることを一生懸命、ときには薄氷を踏む思いでやっている。

 

人と人との付き合いで、自分の都合や思いだけをまくし立てる人は嫌われる。

しかし、懐の深い人はそうした人をもすっぽり包んで、

しまいにその人をも変えていくことができる。

国と国との関係もそうである場合、平和希求型外交が展開されていることになる。

棍棒の時代に逆戻りするのは、人類が叡智をかなぐり捨てたときだ。

とまあ、思いがとぐろを巻いてきたので、今日はここまでにしたい。

 

↓APEC会議の行われる北京雁栖湖東側の日出東方凱賓斯基ホテル。

北京は既に厳戒態勢に入っているそうだ。

 

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「江西財大日本語学科卒業生が日本に出張」2014年8月27日(水)No.975

2014-08-27 21:08:40 | 中日(日中)関係

今年6月に江西財経大学日本語学科を卒業したばかりの夏斐さんが、

就職した会社から早速日本に研修命令が出て、7月、日本の東京にやってきた。

生まれて初めて見た日本は、夏斐さんの目にどう映ったか、

メールで知らせてくれたのでご紹介しよう。

日本に住んでいる者にとっては当然と思えることが

外国人にとっては往々にしてそうではないことに気づかされる。

世界は広い。生活の条件(様態)も様々だ。

そして、そのこと自体に優劣はないと考えるべきだ。

自文化中心主義は戒めたい。

夏斐さんは、心を開いて日本を味わってくれたようだ。

――――――――――――――――――――――――――

↓日本で初めての夕食。

 

 

本物の日本体験が終わりました。

日程は、7月20日武漢から上海まで、上海で一泊しました。

7月21日に上海から全日本空輸株式会社の飛行機で成田空港に到着しました。

7月22日から7月30日まで(週末以外)神奈川県海老名市のホテルに泊まっていました。

7月31日に成田空港から上海まで帰国しました。

今回の研修は、先輩の出産期が近づいており、

会社も若者の新人育成を願っているので、

通訳者として貴重な機会を得たのです。

研修の目的はうちの会社の親会社のA精工(株)から、

技術と管理についての知識・経験を学ぶことです。

 

初めて日本に到着したとき、親会社の担当者が空港にお迎えに来てくださり、

その足で海老名のホテルに向かいました。

途中でいろいろなことを交流しましたが、

緊張もしていたし、先生より担当者の方が早口で、

本当に聞き慣れませんでした。

私は次の日の会議が非常に心配になりました。

 

仕事の始めは順調でしたが、

支社の所長を紹介していて感じたのは、

日本語を中国語に訳すことは易しいですが、その逆は本当に大変だということです。

仕事は生産現場での見学が多いので、少しリラックスしました。

「知識はここぞという時にこそ、初めて足りないと悔やむのだ」という諺があります。

日本に居たときはずっと

(大学でもっと努力していれば、こんなに恥ずかしい思いをしないでも済んだかも知れない)

という気持ちでいっぱいでした。

 

親会社の営業部には中国人の社員がおり、研修のときはずっと手伝ってくれて、

非常に感激しました。

自分も毎日、何時になっても、必ずその日の専門用語などのことを復習してから寝ました。

これからも一生懸命勉強していきます。

今度の研修はいろいろ痛手を受けて、いい勉強になりました。

 

日本のいいこともいろいろ自ら体験しました。

一つは、日本人の男性は本当にやさしくて紳士だと思います。

(自動車産業なので、男性が多いです)

いつも礼儀正しくて、新人のことを理解して、

いろいろ助けてくださったことを心に銘記しています。

二つ目は、日本人はいつもほかの人に迷惑をかけないという気持ちを持っていることです。

例えば、デパートで後ろに人がいるのに気づかないで、狭い通路に長い間立っていても、

後ろの人はずっと黙って待っていることは本当に気に入っています。

三つ目は、日本の環境は本当にきれいだということです。

仕事に関係あるところは倉庫まできれいに片付けて、

日常生活の中で見るところは全部きれいだと思います。

道もきれいで、悪い道はほとんどないです。

どこのトイレもきれいで、それも最高です。

四つ目は、日本の日常生活を網羅するものは全部安全です。

女性の化粧品も薬と同じく検査した後に売られているし、

食品も添加剤無し、賞味期限が短くて、水道の水もきれいです。

いろいろ体験して、最後のときは本気で帰りたくなかったです。

 帰りたくなくても、帰らなければならないですね。

 

↓土曜日、初めて日本の電車に乗った。

 

↓秋葉原の道端でカッコいい男の子と。

―――――――――――――――――――――――――――

 

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「中国で聞いた日本の男達の話」 2014年7月18日(金)No941

2014-07-18 21:22:26 | 中日(日中)関係

写真は、

左が張家界で余立君さんが拾ってくれた松ぼっくり。

右は施芳芳さんがプレゼントしてくれた鶏(私が鶏が大好きだと言ったので)。

これらを部屋に並べると、まるで南昌の宿舎にいるような感じだ。

 

南昌でブログに書けずにいたことがある。

それは、一年前、ある年配の中国人男性から聞いた、

「日本の男は、み~んな、スケベです。み~~んなです」

という言葉(その人はいくつも実例を挙げて説明したが、ここでは言わない)、

そして、別の中国人男性から、日本に帰国する少し前に聞いた次のような話だ。

「私は、大学の日本語学科を卒業して、ある企業に就職しました。

日本の取引会社からどんどん派遣されて日本人男性社員が来ました。

毎晩接待で、飲めないお酒を飲み、たいへんでしたが、

大学出たての私にとって、一番辛かったことは、

日本人社員が、『きれいな御姐さんを連れてきてよ』と要求することでした。

私はそんなことまでしなければなりませんでした」

この話は今から15年ほど前のことだという。

しかし、今、事態はその時から変化しているのだろうか。

私は、自分の教え子たちにそうした役割を担わせるようなことは、絶対にしたくない。

また、つい最近、中国にいる日本人男性の口から

「タイは男の天国ですよ~」

という言葉を聞いたこともある。

あぶない。

 

ついこの間、東京都議会で女性差別の低レベルで下品な野次が飛びかったが、

結局、誰と誰が言ったのかは中途半端なまま、うやむやになりつつある。

メディアの情報提供は、目先の「おもしろい」話題にどんどん移っていく。

今は天下のNHKも兵庫県のどこかの号泣議員のことをしつこく報道している。

本当に低レベルなのは、議員だけでない。

福島の小児がんのことは口を固く閉ざすくせに、

こんなことだけは報道するメディアも、それに飛びついて面白がっている国民も、

みんな低レベルの愚か者たちだ。

女性差別野次は、どこがどう差別的なのか、筋道立てた報道があったのか。

橋下大阪市長の「マンション買って愛人を住まわせてください」発言に、

みんな腹が立たないのか。

私は、腹を立てない人々に腹を立てている。

橋下市長は従軍慰安婦も愛人も沖縄のセックス産業も一貫して、

女性は男の慰みの手段であるという価値観を明示しつつ、

急に「職業選択の自由」などと法律言葉で煙に巻き、自分の差別性をごまかす。

 

私は、最近、危惧しているのだが、

日本人の男たちは平和で平等を希求する世界にとって危険な存在ではないか。

あちこちの国で邪悪なものを巻き散らかしているのではないか。

それは独り政治家だけにとどまらないのではないか。

江戸時代から今まで、日本の多くの男性の頭の中はそんなに変化していないのではないか。

そんな気がする今日この頃である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「人民新聞・山田記者の仕事」 2014年6月4日(水)No.915

2014-06-04 20:11:35 | 中日(日中)関係

大阪の人民新聞社から山田洋一編集長が

4月初旬、江西財経大学にやって来て、1週間あまり取材活動を展開したことは

以前のブログ文で述べた(No.881、882など)。

http://blog.goo.ne.jp/bluehearts_10_11/e/6b9eb6e4a32632ae117b13aa35c79bf5

http://blog.goo.ne.jp/bluehearts_10_11/e/ede3f880aac1373ee55e64db243cd4ee

市内に行くバスにもうちょっとで乗れなかったり、

学生たちに得意の料理を振舞ったり、

大学の授業に特別講師として参加し、

因幡晃の「わかってください」を1番から3番まで熱唱したり、と

いろいろの思い出を残して去っていった山田さんだが、

その後、人民新聞にシリーズで江西財経大学日本語学科や、

市内八一公園の日本語コーナーでの取材を記事にしてくれている

こんな地方都市の大学のことを取り上げてもらって、

学生たちや先生方は大喜びである。

しかし、こんな目立たない省の大学だからこそ、

生(なま)の、そして普通の中国の学生や教師の姿が見えるということもある。

山田さんもそんな風に思って取材してくれたのではなかろうか。

シリーズの記事をこのブログで紹介させていただく。

―――――――引用ここから

人民新聞People's News 1512号(2014年4月15日)

-中国現地取材 江西財経大学生が日中関係について討論-

対立を深める日中両政府。不測の衝突すら危惧される事態について中国の学生が「平和への提言」をテーマに討論会を行うというので、現地取材に飛んだ。

今回取材の最大の収穫は、険悪化する日中関係という学生にとっては課題とも言えるテーマに真正面から向き合い、自分にできることを探そうとする真摯な姿に接することができたことだ。

中国で日本語を学ぶことは、フランス語や英語とは違う特別な意味を帯びる。とりわけ両国関係が緊張すると、過去の侵略の歴史がクローズアップされて、「なぜ、何のために学ぶのか?」を自ら問うことになるからだ。

実際反日デモが起こった2012年には「売国奴」と非難された学生も多い。日本語学科の学生は親や友人から「よりによって、なぜ日本語を学ぶのか?」と問われ、各々答えを探すという経験を語っている。

教師たちにとっても二国関係悪化は悩みの種だ。ここ数年、日本語を学ぶ学生が減り続け、転部希望者は増え続けているという。

江西財経大学は、省内各地方から成績優秀な学生が集まるエリート校だ。全寮制で、貧しい農村部出身の学生も多い。日本語学科の規模は南昌市の日本語学科のある大学で最も少人数だが、省内スピーチコンテストや全国規模の作文コンクール(日本僑報社主催)でも上位入賞を果たしている。外国語学院日本語学科主任の厳新平さんに企画の意図などを聞いた。(文責・山田)

編集部:テーマを「平和への提言」とした理由は?

厳:今、中日関係は平和からどんどん遠ざかっています。政府間の対立に加えて、民間交流も減っています。江西財経大学でも、日本語を学ぶ学生が減少し続け、他大学も同じ傾向にあります。今後、中日関係がどうなっていくのか。日本語を学ぶ学生だけでなく、日本語にかかわる教職員にとっても、未来を大きく左右する課題だけに真剣に考えなければならないと思いました。

テーマ設定に際し、日本語学科担当教官たちが相談会をもちました。その場に日本人の先生が日本の新聞を持参し、回覧しました。そこには「日中対立は戦争に向かっているのか?」と心配する日本人の声が掲載されていたのです。私たちも絶対戦争はしたくないので、考えるきっかけを作るためにテーマを「平和への提言」と決めました。      

現在のようなギクシャクした関係を続けて良いことは一つもありません。中日両国が歩まなければならない道は、唯一つ。それは、交流の道であり、平和の道です。

もう一つの目的は、中国で生活する私たちの「平和を望む声」を日本の人々に発信することです。今回、人民新聞社に取材に来ていただきましたが、学生たちの真摯な声を日本の皆さんに伝えてほしいと思います。

スピーチコンテストで学生たちは自らの経験を基礎に、自分なりの見方や提言を示しました。今後、スピーチで主張したことを行動に移してほしいと思います。今回の大会は、中日平和有効に撮って大きな成果がありました。

編集:厳先生が日本語を学ぶきっかけは?

厳:私が南昌大学日本語学科に入学した1995年は、日系企業が中国にどんどん進出し始めた時期です。国内の大学も先を争うように日本語学科を新設し、日本語を学ぶ学生が増えており、日本語がブームとなった時期です。                     

夏休みに高校の先輩が自宅に遊びに来て、「日本語を習得すれば就職に有利になる。日系企業に就職できれば、2~3倍の給料も夢ではない」と、教えてくれました。私は貧しい農家出身なので、両親に経済的負担はかけられませんでしたし、(安定した職を得て、親に楽をさせたい)という思いもあって、日本語を専攻しました。

日本語習得は私の人生を大きく変えました。日本に行くチャンスに恵まれたからです。2004年4月から1年間、岡山県庁国際課で「国際交流員」として働くことになりました。江西省政府の訪日団が来日した際、通訳として働きました。当時は農業・教育分野の交流が活発で、雑伎団日本公演の開催にも関わりました。

中日両国民は、まだまだ理解不足で、もめ事が良く起こります。ふれあいがないために相手の考えがわからず、無用な対立が起きています。人は知り合えば友達になれます。民間交流が進めば、対立やもめ事も減るはずです。

編集:日本語を習得して日本のイメージは変わりましたか?

厳:日本語を学ぶ前、日本のイメージと言えば、教科書に書かれている侵略戦争の歴史くらいで、現実の日本についてはほとんど知りませんでした。でも、日本に行ってみると、町は清潔で人は礼儀正しいことに驚きました。印象的だったのは、横断歩道を人が渡ろうとしている時、運転手が車を止めて、歩行者に横断するよう促していたことです。譲り合いの精神を感じました。                               

また私は自転車通勤をしていたのですが、人とぶつかったことがあります。私はすぐ謝ったのですが、相手も謝るので驚きました。日本人はトラブルを回避する謙譲の精神があります。皆がルールを守る、安心できる社会だと思いました。

編集:尖閣諸島国有化と首相の靖国参拝について。

厳:私は政治に関心がありませんが、中日間に領土問題はあると思います。日本政府は「領土問題は存在しない」と主張していますが、実際に両国間が争っているのですから、日本政府の主張には納得できません。旧日本軍人を奉る靖国神社を参拝するのは、罪を犯した人を尊敬することになるので、おかしいと思います。

編集:中国社会の課題とは?

厳:まず、大気汚染です。早く解決しないと、深刻になる一方です。特に北部はひどいので、政府は段階的でもいいから積極的に取り組んでほしいですね。

もう一つは格差問題です。農村と都市の所得格差を解決しなければなりません。豊かになった中国人も増えているので、彼らに社会貢献を求めるべきです。税金の累進性を高めて、お金持ちから税金をもっと徴収すべきです。

編集:未来の中国について。

厳:きれいな空気と安心・安全な食料が必要です。環境問題は、焦眉の課題です。グローバル化の時代は、1国だけが繁栄を求める時代ではありません。共存共栄こそが重要です。トウ小平氏は「安定こそが一番大事」と言いました。国際交流に関わる者としても、争いのない平和的国際環境を願っています。

――――――引用ここまで

↑4/9スピーチコンテストで挨拶する厳先生


 ↑5/16日本文化の集いで日本人形とカレンダーを桶蝶レディースから

プレゼントされ、「はい、はい、シャッターチャンスですよ」のレディースの声に

応えて、ずっとポーズを取り続ける真面目な厳先生。

 

 

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「日本人の友達ができた―留学生のメール②」2014年4月20日(日)No.891

2014-04-20 19:33:05 | 中日(日中)関係

滕碧霞(とう へきか)さんからメール第2便到着。

岡山商科大学は留学生の人数が日本人学生数を数倍も凌駕しているので、

今回のメールで、早速日本人の友達ができたという知らせは驚きの速さだ。

どんなきっかけで友達ってできるんだろう、と興味深く読んだ。

凄い日本語で聞いている。

でもちゃんと通じている。石尾さん、ありがとうね~

ああ、ワカイってスバラシイ~~♪

 

滕碧霞より 「日本人の友達ができたこと」

2014年4月19日 土曜日 午後12:14


今週の木曜日、私は同じゼミの石尾さんと友達になりました。

ゼミの最後の時、ゼミの島田先生はみんなに

「今年の目標」と言うレポートを書かせました。私は、

「今年の終極の目標はすべての成績が優になることです。

優になったら、学校から奨学金がもらえる成功率が高くなると思います。

いい成績をとれば、大学院に入るにも有利です。

しかし、今、一番実現したいのは日本人と友達になることです。

日本人の友だちができたら、日本のことももっと詳しく理解できるし、

日本語の会話力も高まるし。

ですから、当面の急務は日本人と知り合いになることです。」と書きました。

ゼミが早く終わって、次の授業の教 室に行ったとき、

この教室はまだ空いていませんでした。

たくさんの学生はもう教室の前のドアで待っていました。

全部男なので、私は後ろのドアに行きました。

そのとき、同じゼミの石尾さんが見えましたが、彼女も一人で後ろに行きました。

彼女は階段に座って、おにぎりを食べていました。

私は窓に向かって立ちました。

彼女と話すことが前、一度もありませんから、

もし、急に彼女のそばに座ったら、恥ずかしいでしょう。

しかし、その時、私の心は話しかけたい気持ちが強く、

にもかかわらず、勇気が出せませんでした。

5分ぐらい躊躇していました。

(さっき、書いた目標を絶対に実現しよう)と思いました。

やっと、勇気が出て、一歩、足を出しました。

「中国人の友だち、ほしいですか」と聞きました。

「うん、いいですよ 」と返事しました。

ワー、うれしすぎてしまいました。

そのあと、彼女と一緒に授業を受けました。

授業中、彼女がまじめに勉強する様子を見て、いい子だと思いました。

日本にいる生活はこれから本当に始められるかもしれませんね。

滕碧霞より

 

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「曇りなき心で学生の声を聞いてほしい」 2014年3月7日(金)No.863

2014-03-07 09:40:14 | 中日(日中)関係

昨日の石塚記者が感動した雷国華さんの作文を再度紹介する。

(昨年9月16日 No.749で一度紹介した)

雷国華さんは、3人姉妹の末っ子で、

お父さんは「女の子に高等教育を受けさせる必要はない」という考えの持ち主だったが、

お母さんはろくに学校に行けず、字も読めない不自由さを噛みしめて生きてきた人で、

何とか子どもたちを高校まであげたかった。

長女、次女が中学を卒業する時は、両親の大ゲンカでたいへんだった。

結局、二人の姉は進学をあきらめ、中学を出て就職した。

その後、お母さんは自転車を一台買った。

それもお父さんの不興を買ったが、

お母さんはかまわずその赤い自転車に手作りの漬物を載せて、

市が開かれる近隣の村に売りに行き、お金を貯めた。

そのお金と二人の姉の協力で、雷国華さんは高校、大学へと進学できたのだった。

 

江西財経大学は江西省や近隣の省では名の通った大学だが、

彼女が1年に入った時、

「私はこの大学にしか入れませんでした。残念です。

北京の大学に入学して、母や姉たちに恩返ししたかったです。」

と言った背景はそういうことだと後で知った。

下の作文は「中国人の日本語作文コンクール」(日本僑報社主催)の募集テーマ、

「中国人が語る日本についての感動」に応えて彼女が書いた渾身の作品である。

(彼女は今、就活で深センに行っているはずだ)

 

「まだ見ぬベビーへの手紙」雷国華

親愛なるベビー、元気かい。
私は君の母だ。実は今22歳で、君はまだ生まれていない。
母はボールフレンドさえも見つからないのだ。
しかし、先日林克之さんのことを知った後、
ベビーに林さんのことや中日関係について少し話しておきたくなった。
私は大学の専門が日本語だ。
そして、日本語が好きで、尊敬している日本人が数多くいる。
君がこの手紙を読む頃はもう大きくなっているだろう。
中日関係についても自分の考えを持つべきだ。

君の成育環境をちょっと想像すると、多分こうだろう。
テレビでは抗日ドラマが絶えず放送され、
教科書や新聞には中日戦争についての描写がいっぱいあり、
インターネットで日本人を獣とみる文章や映像が少なくない。
しかし、私は君に教えたい。
戦時中、日本が中国で細菌人体実験をしたのは全て事実だが、
この残忍な行為は以前の日本人が、以前の軍政下でしたことだ。
現在の日本人と何の関係があるか。
現在の日本人は、ただ日本に生まれたから、日本人になったのだ。
ベビーは中国の歴史を忘れてはいけないが、
日本人について何も見ずに、むやみに恨みを持ってはいけない。
日本人の中には、心が優しい人がいっぱいいるよ。

今日、ベビーに紹介する林先生がその一人だ。
林克之先生は1946年日本の静岡県で生まれたが、
1997年から、中国桂林市陽朔県シンピン町やシンピンのラオジャイ山を
ずっと守ってくださっている日本人だ。
このラオジャイ山はカルスト石筍山で、高く険しいので、
当時、登れる人は柴刈り人だけだった。
頂上からの絶景を皆に見せたいので、
先生は自腹でラオジャイ山に通じる石段を作ろうと決めた。
一般の寄付者と違い、先生は毎日自分が雇用した農民工と一緒に働き、
セメントや砂を自分の肩で山中に運んだ。
ついに、先生は一人の工人さえ雇用するお金もなくなったので、
自分一人で工事材料を運び、一人でその石段を作るしかなかった。
当時、先生はもう五十歳を超えていた。
その後、先生は日本に帰り、金策に駆け回って、
さらに、二つの休憩亭や立派なトイレを作ってくださった。
先生のおかげで、シンピンへの観光客は毎年数千人だったのが、五万人に激増した。

しかし、話はここで終わらない。
それから、林先生はシンピンに定住し、ボランティアとしてごみ拾いを続けている。
この手紙を書いている今で、もう16年になる。
しかし、こんな優しい日本人でも、
シンピン町でさえ全ての人が尊敬や好意を持っているとは言えない。
シンピン町政府が林先生を讃えた石碑の先生の名前は、
ある人に壊され、先生に悪口を言う人もいる。
その原因はもちろん中日戦争だ。

しかし、ベビー、じっくり考えたら、これは正しいのか。
林先生はただ普通の一人の日本人だ。
何も悪いことをしていないどころか、
中日友好や世界平和に貢献している人ではないか。

ベビー、人を判断する基準は先祖が何をしたかではなく、
今生きている人の行動で判断すべきだよ。
そして、間違わない人間はいないよ。
もし、誤った人が正しく改める意欲があったら、
私たちは協力するべきじゃないのか。
これは処世訓だが、国家間にも当てはまる。
中日の間には、怖い記憶がいっぱいあるが、温かい思い出も少なくない。
今、両国には反日派や反中派が確かにいるが、
中日友好のため奔走している人も数え切れないほどいるよ。

ベビー、未来の世界は君たちの考えで決めるものだ。
歴史は忘れられないが、歴史だけに拘るのも良くないよ。
そして、普通の国民と政府を区別すべきだ。
政治とか、戦争とか、庶民に決められるものではないのだ。
もし、相手が胸襟を開いてきたら、君も相手を大切にするべきだ。

ベビー、未来の世界はいろいろ意外なことがあるに違いないが、
誰に対しても、優しい心を持つことをいつまでも忘れてはいけないよ。
そして、国籍を問わず、全力でいい人を保護するんだよ。
母もそうして生きるよ。
母:雷 国華

 

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「鹿児島に中国人養父母への感謝の石碑設置―中国版ツイッター」2014年2月14日(金)No.846

2014-02-14 17:05:14 | 中日(日中)関係

  Record Chinaは、中国残留日本人孤児たちが

鹿児島県に中国の養父母への感謝の碑を建てたことについての、

中国版ツイッターの声を拾って伝えている。

こうした声も、日本には伝わりにくい現状だろう。

拡散目的でここに紹介する。

 

 

ここから――――――――

鹿児島に中国人養父母への感謝の石碑設置=

「涙が出る」「中国はなぜ“恨み”伝える?」―中国版ツイッター

配信日時:2014年1月24日 21時10分

23日、日本メディアによると、                                       第2次世界大戦後の混乱で中国に残された日本人孤児を育てた                 中国人養父母たちへ感謝を示す石碑が、鹿児島市に建てられ、除幕された。

石碑には「救いの手を差し伸べた中国人養父母の慈愛の精神に感謝し、                    日中友好の末永い存続を願う」などの碑文が刻まれている。

石碑の設置は、日本人遺華孤児鹿児島会代表の鬼塚建一郎さんが発案した。                鬼塚さんは                                                          「もし敵国の子どもに手を差し伸べてくれる養父母の慈愛がなければ、                      私はここにいない。多くの人の助けがあって石碑設置に至ったことに感謝したい」                と述べた。

このニュースは中国でも報じられ、「中国版ツイッター」には多数のコメントが寄せられている。           以下はその一部。

「安倍首相はこれを見て反省しろ」                                            

「実際の行動によって感謝を示した。これは信じられる」                                

「恩を感じる心を持った日本人は、安倍首相を支持しないと信じている」

「これこそ日中関係の帰着点」                                               

「日中の平和こそ、両国民の利益だ」                                           

「この種の報道があるたびに涙が出ます」

「日本には親中の人もいる。中国のように党の天下ではないのだ」                         

「中国の改革開放後の日本の大きな援助に感謝しています。                           残念なことに、国内では関係の報道があまり見られないけど。日中の長期にわたる友好を望みます」           

「日本で伝えられるのは“愛”、われわれが伝えるのは“恨み”。なぜだろう」(翻訳・編集/北田)http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=82302&type

――――――――ここまで

 

 

 

 

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「中日友好の声がお互いの国に届くために」 2014年2月13日(木)No.845

2014-02-13 23:26:33 | 中日(日中)関係

今日、ある中国の方と話していて、一瞬(まさか?!)と耳を疑った。

その方(Aさんとしよう)が厳しい表情で言うには、最近テレビを見ていたら、

また漁船の船長が尖閣諸島近くで逮捕されたとのこと。

映像に両手を括られた船長が映ったという。

少し後で別の中国の方(Bさん)が来られ、

それは2010年秋の事件を再放映したものだと分かった。

しかし、AさんはBさんの解説を受けるまで、

最近、また同様な事件が起きたのだと完全に誤解していた。

このように、人は簡単に誤解する。

 

お返しに(?)私は、この間NHKラジオのニュースで言っていた

「鹿児島の残留孤児たちが中国の養父母に感謝の碑を建てた」ことは知っているかと聞いた。

AさんもBさんも知らなかった。

「中国のテレビはいいことは1つも知らせず、悪いことばかり教える」

とAさんは憤慨していた。

私も日本のマスコミについて同様に思う。

 

ところで、日本では、

「こうなったら、自分たちで新しい情報伝達機関を作るしかない」

と動き始めた人たちもいると聞いた。

皆がお金を出し合って、独立系報道教養番組を2013年1月に立ち上げた

「ラジオフォーラム」www.rafjp.orgなどがその筆頭だろう。

もはやメディアに頼りつつ文句を言うことに見切りをつけて、

自分たちの力をつけていく時期に来ていると思う。

もちろん、大マスコミの中で自分の伝えたいことを

一生懸命工夫して記事にしている報道・新聞・雑誌記者の存在は感じるし、

その人たちと連携することも大切だろう。

取りあえず、下はその鹿児島の残留孤児たちのニュースだ。

鹿児島朝日新聞の小池寛木さん、記事を書いてくれてありがとう。

これで、ほんのちょっとでも中国の人たちに

(こんな日本人もいるよ)と拡散することができる。

 

―――出所は 2014/01/24 朝日新聞/鹿児島県―――

 終戦の混乱で中国東北部(旧満州)に残された日本人孤児を育てた

中国人養父母たちへの感謝の石碑が鹿児島市で23日、除幕された。

日中間で国同士の関係はこじれたまま。

建立に携わった孤児や日中交流関係者は、

この碑が友好を再び取り持つことを願っている。                                  

 感謝の碑は鹿児島市の天保山公園にできた。

高さ約2・5メートルで、「中国人養父母感謝之碑」と記された。

除幕式は市内に住む残留孤児、自治体など関係者約70人を迎えて開かれた。               

 発起人で鹿児島市に住む残留孤児、鬼塚建一郎さん(73)は

「(感謝の碑は)日中両国の永久の絆になる」とあいさつし、

感謝の気持ちを漢詩にして読み上げた。

中国駐福岡総領事館の李天然総領事は

「心より感謝を申し上げる。この厳かな雰囲気を目の当たりにして感無量の気持ちです」

と述べた。                                                           

鬼塚さんは中国・黒竜江省出身。

旧ソ連軍侵攻による混乱のなか、実父と生き別れ、実母とも死別した。

凍傷や皮膚病で生死の境にあった5歳のころ、

吉林省の農家、トウ兆学さん(当時45)夫妻が引き取り、育ててくれた。

約40年間、北朝鮮国境の長白山(白頭山)のふもとでともに農業を営んで暮らした。1

986年に帰国し、市内の量販店で定年まで働いた。                                 

中国では現地の子どもから「日本鬼子」といじめに遭うこともあったが、

実子と分け隔てなく育ててくれた養父母に救われた。                                

「残された私たちは、もし養父母たちが引き取ってくれなければみんな死んでいた」

と鬼塚さん。

「異国の孤児に救いの手をさし伸べてくれた恩を忘れてはいけない」と、

感謝を示す碑の建立を思い立った。                                           

旧知の県日中友好協会長で高島屋開発相談役の海江田順三郎さん(85)に相談し、

互いの私財を投じての建立が決まった。

東京に建てることも考えたが、快く市有地提供に応じた鹿児島市での建立を選んだ。             

厚生労働省によると2013年12月までに永住帰国した残留孤児は2553人。

県内には13年10月現在、25人おり、平均年齢は75歳と高齢化が進む。

この日、式典には約10人が家族と訪れた。

遼寧省で育った残留孤児、高山文夫さん(71)=鹿児島市=は

「またここに来て、命を救ってくれた養父母のことを思い出したい」と話した。

 尖閣諸島問題や首相の靖国神社参拝を巡り、きしみ続ける日中関係。

海江田さんは建立を

「国とか政府ではなく中国人と日本人、人間同士の付き合いを大切に考えるきっかけにしたい」

と話し、こう期待する。

「これを皮切りに、残留孤児がいる全国各地に『感謝の碑』が広がれば、

日中関係も前進するんです」(小池寛木)

 

 

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「中国の人々は環球時報報道をどう思っているか」 2013年12月16日(月)No.823

2013-12-16 19:50:00 | 中日(日中)関係
12月12日の環球時報は日本が中国と開戦の準備を進めていると主張し、
「日本の世論は具体的な開戦の時期まで示している」と報じた。
サーチナ(searchina.ne.jp)12月13日の報道文を借りれば、
 〈環球時報は、日本政府が11日にまとめた「国家安全保障戦略」と「中期防衛力整備計画」の概要に、水陸両用部隊の新設が盛り込まれたことや、那覇基地の戦闘機を20機増やすこと、新型の早期警戒機を導入することについて問題視したうえで、「日本では2014年1月に開戦するという具体的な日付を挙げる声まで存在する」と主張した。〉
新華経済(www.xinhua.jp)12月12日号によると、
〈環球時報は12日、日本の世論が戦太鼓をドンドンと鳴らしながら、具体的な中日開戦の時期まで示していると報じた。〉とある。

問題の記事(中国語原文)は一番下に掲載。読める人、読んでね。

もし、この記事を読んだ人が真に受けて、
(日本人は中国と戦争する気なんだな)なんて思われたら、さあ、大変。
そこで、私の周囲の中国人の反応はどうか、
早速何人かに尋ねてみたところ、わかったことがある。

環球時報は中国共産党機関紙「人民日報」の国際版であると
wikipediaにも書いてあるが、
一般の中国人はほとんど読んでいないのである。
「共産党員だけしか読まないんじゃないですか。」
と言う人もいたが(言った人は非共産党員)、
実は共産党員である学生に聞いても、
「あまり、というか全然読んだことないです~。」
という。
中国の総人口13億人中、共産党員は6千万人と言われる。
全人口中大人の人数をザックリ9億3千万人として、共産党員は全大人の約31分の2、
つまり6.5%に過ぎない。その6.5%の共産党員ですら、
環球時報なんかあまり(または全然)読まないのだそうだ。
「人気ないですから~。」とある老師。
環球時報は財大の外国語学部にも毎日配達されるが、
部数はたったの1部だそうだ。
職員は正確には分からないが、最低、百人以上はいるはずだ。
では、人気のあるのは何かというと、
新聞では「南方日報」がダントツで、webニュースは「新浪」だそうだ。

ちなみに、今日、私が聞いた数人(大学の先生や学生)は、
誰一人、この環球時報の記事を知らず、
僭越ながらコピー文を見せてあげたら、
「こんな記事読んでも、誰も信じませんよ。」
と、いたってクールな反応だった。
ある学生は、
「環球時報は政府の機関紙なのに、
どうしてこんなことを書くんでしょう?」
と私に聞く。
私も分からないデス……。

蛇足だが、この環球時報は9日の紙面で、
「スモッグは軍事防衛に有用」論を展開し、
その詭弁にネットユーザーが激怒したという話もある。
あまり中国国民の信頼を得ている新聞ではなさそうだ。

――――――――――――――――――――
【环球时报综合报道】
日本11日再次向国际社会摆出一副“坚决抵抗中国”的架势。根据日本政府当天透露的“国家安全保障战略”及《中期防卫力量整备计划》草案内容,日本将组建一支水陆两栖部队,加强应对与中国的岛屿争端。
  而为了防备中国防空识别区的“威胁”,日本决定在冲绳加20架战机,并购置新型预警机提高空中监视能力。安倍还希望借助这些“历史性文件”提升日本地位,让日本在全球安全方面“施展拳脚”。这使得外界眼中一个“黩武”国家的模样越来越清晰。
  《纽约时报》11日称,从战略草案中可以看出,日本距离20年前那个甚至不愿承认有军队的和平主义国家有多远。在日本政府的鼓噪下,日本舆论也是“战鼓隆隆”,有关日中将陷入冲突的猜测纷至沓来,有的甚至给出诸如“2014年1月”之类的确切时间。
  “为避免东亚陷入战争,日本必须迈出第一步”,瑞士学者拉赫曼提出这样的忠告,他还建议日本天皇应该去韩国慰安妇纪念碑和中国南京大屠杀纪念馆致歉,“那样才能宣布二战真正的结束”。
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「劉思婷日本滞在記ー付録」 2013年10月24日(木) No.781

2013-10-24 18:56:42 | 中日(日中)関係
「劉思婷日本滞在記」はもう最終回だと言って後、
もう一度よく見たら、最後のまとめがあったじゃないですか。てへへ(/ω\*)

これが正式な最後の文です。

――――――――――
[中国に戻ってきて]

先日、バイトとして、通訳の仕事をやった。
関西広域連合さんが広州で関西の観光サイトを紹介し、
関西の旅行事業を発展させるというプロモーションであった。
日本人の方にいろいろ中日旅行の現状について聞かれ、
中国旅行会社の方の説明を通訳したのである。
しかし、会議後、ある方に切ない口調で、
「どうすれば、交流を順調に進めることができるか」
と聞かれた時、一瞬悲しくなった。
日本人でも中国人でも真面目に両国の友好関係を発展させ、
保とうとする人たちが多くいるのに、少数の反対の声で今の状態になっている。
よく自分に
「私は誰だ?この世に生まれたのは何のためだ?
今のままでいいのか?今できることはないのか」
と聞く。
特に日本語を勉強し、日本を研究している私が、
「日本」をただの研究対象にしたら、研究の意義がなくなると思う。
だから、できるだけ身の回りのことからやっていきたい。
近い将来、教師として日本語を教え、
日本の文化、日本人、また中日友好の可能性に繋がることも学生たちに教えたい。
また、現在、私はアルバイトとして、
広州に住んでいる日本人の女性たちに中国語を教えているが、
さらに深く接して、彼女たちの中国での経験を聞きたい。
何年も中国に住んでいて、よい事にも、悪いことにもめぐり合っただろう。
それを一つ一つ聴いて、中日文化や生活習慣の違いから出た誤解を解きたい。
小さいことだが、やればやるほど自信が出てきた。
孔子様曰く、
「师者,传道授业解惑也!」
(「師という者は、道を伝え、業を授け、惑いを解くものである。」)
私も惑いを解く先生になってやってみたいものだ。

[最後に:お世話になった皆さんへ]
13日間の日本滞在は本当に楽しかったです。
皆さんのおかげさまで、毎日充実して過ごしました。
優しくしてくださって、ありがとうございました。
私もチャンスを作り、もう一度日本に行きたいです。
また皆さんにお会いしたいです。
大学院に入ってから、古書ばかり読んでいるので、
日本語力がどんどん落ちました。
話すのも、書くのも、ミスだらけです。
皆さんは私の下手な日本語がおわかりになるでしょうか。
ダラダラ何ページも書きましたが、書けなかったこともまだまだ多くあります。
でもそれらは全部記憶の中に残っていて、私の宝物になっています。
最後に、もし皆さんの将来の青写真の中に、中国に来る予定があるなら、
ぜひ私のところに遊びに来てください。
今度は私が主人役を務め、案内いたします。
私の故郷はお勧めですよ。
観光地ではありませんが静かなところで、
本当の中国南方農村の風情が味わえます。
私の家と叔父さんの家は全部空いているので、
何時でも、何人でも泊まれますよ。
母の手料理も最高です(コマーシャルみたい )。
とにかく、きっと遊びに来てくださいね。
  (劉思婷)
――――――――――――――
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「世の中に戦争をしたがる『バカ』がいる」 2013年9月26日(木)No.758

2013-09-26 19:47:48 | 中日(日中)関係
 中国の大学生が観た『はだしのゲン」(その3)

中国の大学生といっても、日本語学科の学生たちは
中国国内でも知日派代表のような子たちだ。
従って、中国の学生のみんながこうした温かい視点での感想を持つとは限らない。
しかし、優しい彼女たちだとて、きちんと見据えている。
民衆と為政者は立場が違うということ。
民衆には戦争に反対できなかった責任があること。
為政者は、戦争を始めた責任があること。
さらに、現在も戦争の可能性が皆無というわけではなく、
為政者には真面目に過去を反省して、平和を堅持する義務があることを。


(閻 鳳茹) 
「戦争は悪魔である。」
『はだしのゲン』を見ているとき、その思いが頭に浮かんだ。
私も中国の子供として、、小さい時からいろいろ戦争について聞いた。
しかし、戦争の恐ろしさは十分に実感できていなかったと思う。
私たちは今、穏やかな世界に住んでいるので、戦争の恐ろしさは想像しがたい。
だが、この映画で、戦争の本当の姿をもう一度はっきり見た。
戦争は悪魔である。
一瞬で何万という人間の命が奪われる。
それに伴って何万もの家庭が粉々に破壊される。
これは比べるものがないほど恐ろしいことだと思わないか。

しかし、おかしいことがある。
世の中で、本当に戦争をしたがる「バカ」もいるのだ。
今の世界は絶対的な和平状態とは言えない。
なぜならば、バカみたいな人々がいるからだ。
戦争のことを反省せず、さらに
「戦争も辞さない」
などと言う。人民大衆は戦争が大嫌いだ。
この点を権力者たちが絶対に忘れないように、と希望する。
中国と日本という狭い範囲ではなく、
各国はもう一度、深く考えることが必要だと思う。



「『はだしのゲン』を観て」 (奉延玲)
「ドーン」と大地を揺るがす重い音の後、
一つの巨大なキノコ雲が立ち、空に広がっていく。
これが1945年8月6日の広島の原爆である。
映画『はだしのゲン』の中のこのシーンを見て、私は手にも足にも鳥肌が立ち、
心臓が一瞬止まったようだった。
原爆の強くて恐ろしい威力に完全に打ちのめされたのだ。

日本の広島と長崎での原爆事件については、
中学校から学ぶ「中国現代史」で触れているところがあるが、
中国南京大虐殺の残酷さ、中国人が背負わされた苦痛の重さに比べると、
それは軽いものだろう、と多くの中国人は思っている。
原爆の害の大きさが分からないからだ。
原爆は私たちが思っている以上に、
日本の当時の人々だけでなく次世代の人々の体と心にも害を与えている。
原爆によって親族に死なれ、原爆後の大火の中で叫んだのは、
決してゲンとその母親だけでなかったに違いない。
原爆のキノコ雲を、今思い出しても鳥肌が立つ。

日本人にこの災難を加えたのはアメリカ軍だ。
しかし、私はまだ他に犯人がいると思う。
まずは当時の日本政府だ。
当時の日本政府は軍国主義を堅持し、領土拡張のために戦争を挑発した。
政府の誤りによって国民が巻き添えにされたのだ。
また、天皇と軍国主義への盲目的崇拝ももう一つの犯人だ。
これを見ると、中国文革時期の毛沢東主席への完全崇拝を思い出す。

時間が経つにつれて、歴史の記憶がだんだん薄くなってしまう人がいる。
歴史の教訓を意に介さず、国民の希望に反する行動を行い、
自分の利益しか考えない政治家は許せない。
中国人にしろ、日本人にしろ、
歴史を直視し、それを世世代代に伝えるべきだと思う。
歴史を鑑として、覆轍を踏まずに他国と友好関係を築くこと。
それを期待してやまない。






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「中国の大学生が観た『はだしのゲン』(その2)」 2013年9月25日(水)No.757

2013-09-25 20:19:32 | 中日(日中)関係
江西財経大学日本語学科4年生が今月前半に観た、
実写版「はだしのゲン」に対する感想(その2)である。
彼女たちが見たものは、原爆投下の戦略的意味ではなく、
戦争そのものの姿だった。


 「『はだしのゲン』を観た感想」 劉慧
この作品はどの国の人に見せても、涙が出ない人はまずいないだろう。
なぜなら、人はもともと善良なのだ。
この映画を見て、ゲンとシンジの無邪気な顔つきや、
映画の最後の大火事は、ずっと忘れることができない。
何もわからないシンジがその時代に育てられたのは残酷なことだ。
ゲンがお母さんと生まれたばかりの妹のため、
食べ物を求めて芸を演じているとき、頭にシンジの姿を思い浮かべる。
それを見て、どうしても涙を禁じ得なかった。
その時、ゲンも子供なのに、そんなに苦しい経験をするとは・・・・・・。
もし、平和な時代に育てられたら、二人とも私の子供時代と同じように、
何の心配もなく、他の子供達と遊んでいるだろう。

家族が、目の前にいるのに火事で命が消えていく悲しさは想像もできない。
何もできない。ただの叫び。どんなに苦しいことか。

一体、戦争の目的は何だろう。家も家族も失えばやめるのか。
戦争が終わってから亡くなった人を悼むことに、意味があるのか。
どうして初めから戦争をやめないのか。
戦争を本当にしたい人はどのくらいいるのだろう。
ただ、ほかの人から排除されないために、目をつむって戦争に参加するのか。
皆、どの国の人も、人間なのに、家族もいるのに、
平和な世界で共存してはだめなのか。

今の膠着した中日関係のため、
戦争を始めようと呼びかける人が両国ともにいると思う。
まずは戦争の結果を考えようよ。
戦争を思うと怖い気持ちになる。
戦争なんか大嫌い。



 「『はだしのゲン』をみて」 李思銘
この映画は字幕がないことだし、その中の言葉は広島弁で聞き取りにくいです。
それでも、画面などによって、映画が映したいことはだいたい分かります。
この映画を見ると、笑いたくて泣きたいです。
笑わせられたことは気が利くゲンと、かわいい弟です。
二人の演技はすばらしいです。
とは言え、この映画には悲しいところもいろいろあって、
見ていてみんなも涙を流しました。

ゲンのお父さんは戦争に反対したので、
家族全員がいじめられ、迫害されていました。
お姉さんを半裸にして陵辱したシーンは極めてひどいです。
戦争のせいで、国民はお腹が満たない生活をして苦痛を舐め尽くしました。
戦争はそんなに残酷なのに、どうしてみんなは支持しましたか。

この映画は今平和な時代に生まれた人に見せる価値はもちろんあります。
戦争の残酷さを知らせます。
もし、この映画を子供に見せれば子供に悪影響を与えますか。
与えないと思います、
いずれにしても、戦争は最悪の手段だと思います。
戦争、大嫌いです。



 「戦争と苦難」 劉夢萍
字幕がなく、方言もあまり通じないにもかかわらず、
「はだしのゲン」を観て、大きな衝撃を受けた。
今でも映画の中の二つのシーンは頭の中に焼き付いている。

一つは、ゲンが寄り道した池端で何回も
「ちくしょう、ちくしょう!」と叫びながら、遠くの水面に石を投げるシーンだ。
このシーンを見た時、私も心の中で一緒に「ちくしょう!」と叫んだ。
なんで『戦争反対』という意識を持つ者が、そんな悪い待遇を受けるか。
戦争は国と国との間で利益を争奪する手段である。
勝利しても、敗北しても、国民にとって苦難は避けられない。
今までの歴史において、
この道理が分かる人をも、政府が愛国心を駆り立て、
「戦争に反対しない」「戦争を支持する」のような態度に転換させてしまった。
この前も、中日関係は釣魚島のせいで、すごく深刻になった。
周りの国民は何人も
「中国を支持し、日本と戦争で勝負しよう」
と言った。
そんなに安易に言うのは、戦争がもたらす苦難が分からないからだ。
両国の利害の衝突はどんなに深刻になっても、平和的に解決すべきだ。
戦争をしないことが、人々に苦難をもたらさないことだ。

印象的なもう一つは、広島に原爆が投下された直後に、
生きながら焼かれていく家族を救うことができない悶絶、
焼けただれ、変わり果てた姿で廃墟をさまよう姿。
戦争を経験したことがない私達は、当時の惨状、原爆の悲惨さに衝撃を受けた。
戦争は理不尽だ。

映画が原爆のシーンを再現したのは、
戦争の記憶を忘れないように、
苦難にもう一度遭遇しないように、
今の平和を大切にし、未来の平和を呼びかけているからである。


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「中国の大学生が観た『はだしのゲン』(その1)」 2013年9月24日(火)No.756

2013-09-24 18:42:52 | 中日(日中)関係

日本語学科の4年生の映画「はだしのゲン」を観た感想を読んだ。

どうしてこんなに優しいんだろう。
心は他人の立場を思い遣るとき、このように神々しく輝くものなのか。
大げさじゃなく、そう感じた。

日中戦争を終わらせたと言われる原爆投下は(異説も最近聞いたが)、
抑圧されていた中国の人々にとっては、ある意味で「解放」だったのではないのか。
映画を見せる前、そんな風に思った。
以前日本に来たマレーシア人留学生が
「原爆が投下されて本当に良かった。
マレーシアの犠牲がようやくそれで終わりを迎えたのだ」
と言っていたのを覚えている。
日本は中国、韓国・朝鮮だけではなく、アジア中を荒し回っていたので、
そんな感想が聞こえても仕方がないと思っていた。
取り合えず、紹介させていただく。
日本の皆さんは、この感想を読んでどう思われるだろう。


「『はだしのゲン』の感想」江青英

「はだしのゲン」を見ている途中、笑ったり、泣いたりした。
(中略)
この映画を見たあと、最も深く感じたのは、
国と国との間で政治や文化などの差はあるけれども、
人々が(戦争が嫌いだ)と思う気持ちは同じだということだ。
以前、よく見た戦争映画はほとんど中日戦争に関して、
中国人側から制作されたものだ。
その時は、(日本が戦争を挑発したことで中国の人々に多大の損害をもたらした)と
強く感じていた。
一方で、日本の国民も戦争で大きなダメージを受けたことについてなど、
これまでほとんど考えなかった。
「はだしのゲン」を見たら、日本人も中国人も、そして、朝鮮の人々なども、
戦争でいろんな苦しみを味わったことが分かった。
ただひたすら(もう、戦争が起こることなど、ちっとも見たくない)
という気持ちを覚えた。
この映画の最後のシーンで、ゲンのお母さんが、
天皇が戦争を始めた行為を告発した話も、頭の中でこだましていた。
また、自分もこれから片側からだけ見て、
物事に対応するべきではないと思う。
現在の世界は戦争がほとんどないが、領土紛争や資源の争いなどが原因で、
戦争を始める可能性がある。
世界各国は歴史を再び繰り返さず、人々の苦しみを理解し、
なるべく戦争をしないように世界の和平を維持していくよう心から願っている。




「『はだしのゲン』についての感想」羅ちゅう

ゲンの父は反戦思想を持っている人です。
その思想を堅持したために「非国民」と言われます。
そう言われても、殴られても、後悔しなかった。
その勇気に、とても敬服します。
戦争は私にとっては遥かなことのようですが、
戦争によって、家族と親友を失う苦しみはひしひしと感じます。
原爆が落ちたとき、家族と離れ、一人で病気になったりして、
誰にも助けてもらえず、苦しんでいた人も多いと思います。
「自国を守るために戦争をする」
その言い方は、とんでもない嘘です。
戦争があったら、犠牲ということがあるに違いありません。
政治家の皆さんは、
戦争以外にも他の方法がたくさんあるのだから、
ほかの人の命を大切にしてほしい。



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「日本僑報社と段躍中さん(その2)」 9月21日(土)No.754

2013-09-21 17:43:54 | 中日(日中)関係
(段躍中さんは、自分の人生を賭けて中日友好の懸け橋になると決めたんだな)。
段さんの行いを少しずつ知るにつれ、私はそう思った。
私のような根無し草・流浪の民・コスモポリタン的人間には、
一生を何か一つに捧げるのは難しい。
そういう人間でも、核になる人物を支えるという仕事ができる。
〈自分の出来る範囲で〉というせこい限定付きで、
私はその仕事をさせていただこうと思う。

段躍中さんは今年、2013年5月27日、日本記者クラブで初めて講演した。
6月3日(月)の毎日新聞は段さんについて紹介記事を載せた。

――――――――「余録」(毎日新聞一面コラム)転載
「中国青年報」の記者だった段躍中さん(55)が、留学した妻を追っかけて
来日したのが1991年8月だった。
天安門事件から2年後。
「ジャーナリストとして日本を見たらどうか」
という妻の一言に誘われてのことだった。

▼当初は驚きの連続だった。
電話ボックスに旅券や財布を入れたバッグを置き忘れ、慌てて戻ったら
盗まれもせずにそのままあったこと、
日本のメディアが堂々と政治家を批判、風刺すること。
一方で、外国人の犯罪についてことさら悪い面を強調する姿勢も気になった。

▼それから22年。ひたすら日中交流強化に励んできた。
在日中国人の活動を紹介する情報誌を発刊、
日中関係の書籍も約240冊出版した。
2005年からは年1回中国人学生らに日本語で作文を書いてもらうコンクールを実施(註1)、
街角の公園を使った日中交流会(註2)も300回を数えた。

▼その段さんの目にも、今の日中関係は厳しく映る。
政治交流の中断、停滞だけではない。
中国では中国版ツイッターでの日本批判が増え、
日本留学希望者は親から反対されるし、
日本では中国語を学ぶ学生が減り、反中国意識が強くなった。

▼「それでも」と段さんは先日、
日本記者クラブの会見で関係改善のためのアイディアを披露した。
いわく。約60万人の在日中国人への支援を強化して彼らを民間大使として活用する。
日本の良さをもっと発信するため、影響力のある中国人ブロガーを日本に招待する。

▼やるべきことはまだまだある、ということか。
段さんに負けずに私たちも
「それでも」との声を上げたい。
いっそのこと、日中の懸け橋コンクールというのはどうだろうか。

――――――――――転載ここまで


日本僑報社(代表:段躍中)
 〒171-0021 東京都豊島区西池袋3-17-15
      FAX:03-5956-2809
      TEL:03-5956-2808
      http://jp.duan.jp
       info@duan.jp


(註1)「中国人の日本語作文コンクール」日中交流研究所主催(今年で第9回)
(註2)漢語角(中国語コーナー)東京・大阪などで開催。詳しくは日本僑報社に聞いてね。


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