毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「アベの貢ぎ物外交はいつまで続く・・・・・・」No.2286

2018-06-10 23:56:14 | 反戦

 アベ晋三が外国に行くたびに、ま~た無駄遣いして

お金をばら撒いてくるかと思うとおちおち夜も眠れず。


特にトランプのところに行くと必ずむやみに武器を買い、

トランプをして

「どうだい、また日本に売りつけてやったぜ。

私は有能なビジネスマンだろう?」

と、ホクホクさせているアベ晋三。

今回は数十億ドルだから数千億円の税金を、湯水のように

戦争の道具を買うのに費やしてしまいましたよ。

社会保障費については「お金の出どころがない」と厳しく削減し、

こんなところには、とめどなくダダ漏れにお金を使うアベ。

これも、あれも、どれも、全部わたしらの税金です。 

 アベが勝手に使っていいものではありません。

ホンマ、なにやってくれてんねん、アベ晋三!

 

 

 

 

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「在日の強制退去が必要」「鳩山元総理を処刑」 内閣府サイトが差別的なヘイトを掲載 No.2255

2018-05-03 14:56:15 | 反戦

政府がヘイト言辞を「意見」として採用し、掲載している日本の今。

差別と排外主義、日本唯我独尊主義の行き着く果ては殺人・戦争しかありません。

 

「在日の強制退去が必要」「鳩山元総理を処刑」内閣府サイトが差別的なヘイトを掲載

「国政モニター」の“意見”として掲載している。ハフポスト日本版編集部

内閣府/HUFFPOST JAPAN

 国民の声を政治に反映させることを目指し、内閣府が設けている「国政モニター」制度。その公式サイトに「韓国との国交は無くし、在日、帰化人の強制退去が必要」「鳩山(由紀夫)元総理を処刑すべきでは」などの意見が掲載され、物議をかもしている。

現在、内閣府「国政モニター」のサイトで掲載されている最新の意見は、2016年3月〜2017年4月(平成28年度)のもの。計3698件の意見が公開されている。 

分野ごとに26項目で分けられ、「その他」を除いて最も多いのが「外交・防衛」(607件)となっている。この中で最も意見数が多かったのが日韓関係(139件)。次いで日中関係(77件)とだった。公開されている意見の中には、差別的なヘイトスピーチと取られかねない文章が複数あった。

嘘の歴史を教え、嘘をつき、真実に見せかける。しかも自国がベトナム人に孤児を何千人もつくった事は棚に上げる。韓国との国交は無くし、在日、帰化人の強制退去が必要ではないでしょうか。可哀想なのは、純粋な日本人です。
大分県 50代男性

「泣く子は餅を一つ余計もらえる」「嘘も100回言うと本当になる」というのはかの国のことわざですが、そういう国民性であるということもよく考えるべきでしょう。
神奈川県 40代男性

現時点で外国人に対して支給している生活保護はおそらく違法であるから、個別事情を吟味する必要もなく、即時一律に停止すべき。のうのうと1100万円も得ている在日韓国人は叩き出せ。
神奈川県 50代男性

■「鳩山元総理を処刑すべき」「在日企業の息の者は即刻排除」も掲載 内閣府公式サイト

 この他にも、個人や特定の人々への憎悪を煽るようなものも掲載されている。例えば、鳩山由紀夫元首相に関して、こんな意見が掲載されている。

シナが日本の領土を侵し、元総理でありながら国賊に落ちた鳩山氏もそれをそのまま主張している。(中略)鳩山元総理など、外患誘致罪で処刑にすべきではないだろうか?
大阪府 40代男性

また、在日コリアンに対しては...。

在日朝鮮人が「日本は日本人だけのものではない」と公言。日本を在日朝鮮人のものにしようとしているのは名実。与党カルト教団の政権分離違反も報じないマスコミ。日本は中国の前に在日朝鮮人に牛耳られている。大問題。竹中平蔵氏など在日企業の息の者は即刻排除するべき。
大阪府 50代女性

米軍ヘリパッド建設の反対運動を行う市民グループに対しても...。

沖縄ヘリパッド建設への反対活動を行なっている市民グループの傍若無人ぶりが目に余ります。機動隊に対する暴力行為は公務執行妨害で逮捕に値します。メンバーの中には朝鮮や中国から来ている者も多く、これは完全に内乱罪です。一刻も早く彼らの排除を断行すべきです。日本人でこれに参加している者達も外患誘致罪が適用されるべきです。
東京都 40代男性

■「誹謗中傷、不適切なご意見は公表いたしません」としていたが... 

内閣府公式サイト 

「国政モニター」の公式サイトでは「意見、要望等を原文のまま掲載しています」としている。

一方で、意見提出時の留意事項には「立法・司法・政治関係のご意見や、誹謗中傷、差別的な内容、その他国政モニターウェブサイトに掲載することが不適切であると判断されるご意見等については、ご提出いただいても公表いたしません」と記されている。

2016年6月には「ヘイトスピーチ対策法」が施行され、法務省は「○○人は殺せ」などの脅迫的言動や「○○人は強制送還すべきだ」など、特定の人々を地域社会からの排除を扇動する言動もヘイトスピーチの例として示している。

ジャーナリストの津田大介さんは4月30日、Twitterで内閣府のコメント掲載基準を紹介しつつ、「国がこれ『適切』と判断したってことだよね...」「法務省が提示したヘイトスピーチのガイドラインに抵触するような『ご意見』ばっかり」と、内閣府の掲載判断を疑問視した。

 

 

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「核兵器保有を非難するならまずアメリカを」No.2049

2017-09-11 19:38:16 | 反戦

朝鮮民主主義人民共和国の核実験をこれでもかと非難する安倍政権は、

アメリカの核実験をただの一度も非難したことはありません。

そんなに核保有が許しがたいのなら、

なぜ国連の核兵器禁止条約に賛成しなかったのでしょうか。

今の日本政府はアメリカのパシリであると、

世界から軽んじられています。

画像に含まれている可能性があるもの:夜、火

『ストックホルム国際平和研究所調べ』

・アメリカの核実験回数
 1032回
・北朝鮮の核実験回数
  6回

・アメリカの核兵器保有数
           7000発(2発は使用のため含まれない)
・北朝鮮の核兵器保有数
  10発

 

写真とデータはフェイスブック菊地英治さんからお借りしました。

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「高江の森の異変2ー安倍アキエなる人が来たとか」

2016-08-09 00:49:04 | 反戦

      

N1裏テントから少し歩くと眼下にやんばるの森が静かに広がっています。

山城博治さんが、5日夜テント内で

「高江の森には蚊がいません。森が澄み、水が腐っていないからです。」

と言った通り、寝ていて一度も蚊に悩まされることがありませんでした(昼間も!)

 

6日未明がまず一つ目の山場でしたが、

機動隊が襲い掛かってくることもなく、200名以上のテント組は無事に朝を迎えました。

早朝から続々と人々が駆けつけて、あっという間に500人ほどに膨れ上がりました。

下は6日朝6時頃のテント外の様子です。 

 

朝の集会での山城博治さん。

前夜(5日夜)、暗いテント内で「山城さん」と声をかけると

気軽に握手の手を差し出してくれました。

私が「博治さんの涙を見て、飛んできました」と言うと、

「リーダーが泣いてしまってダメです。」と恥ずかしそうにおっしゃるのです。

「そんなことないです。涙も、泣くことも、また、力です。」

と、とっさに口から言葉が出ましたが、

あながち、はずれてもいないと思います。

人は人の怒り・悲しみ・恐怖・苦しみを感じ、受け止め、

咀嚼し、深め、行動することが大いにあるのですから。

沖縄の人たちは喜びも悲しみも怒りも、心を全開して表現し、

そのことで全世界の人々の共感を勝ち得てきました。

山城博治さんは、そんな沖縄人の一人です。

辺野古でも高江でも、人々のヒロジさんへの信頼がとてつもなく大きく深いのを感じます。

 

朝の会では国会議員の福島瑞穂さん(社民党)、赤嶺政賢さん(日本共産党)、6人の県議会議員(共産党、社民党)、多くの市町村議員や高江に張り付いて権力の違法行為を見張っている弁護団、愛媛県から駆けつけた辺野古土砂搬出反対全国協議会の代表が次々とスピーチされました。

福島瑞穂さんは5日から8日まで高江に張り付いて

機動隊はじめ安倍政権の出方を厳しくチェックしています。

赤嶺政賢さんも毎日来ています。

↓赤嶺政賢さん。スピーチする毎に、

一回一回地元ならではの異なるエピソードを語ってくださって、とても興味深かったです。

どこにいても前向きオーラ発散の福島瑞穂さん。

テントではずっと私の前に座ってはりました。

続いて山本太郎さんが登場。

自分で車を運転してきたそうです。

挨拶の仕方がとても謙虚でした。

 

さて、話題の三宅洋平さんの登場です。

この時点(朝9時過ぎ)では

安倍アキエさんのことは博治さんも誰も知らなかったと思います。

三宅さんが語り始めると辺野古のYさんが

「もっと辺野古(や高江)に来てくれ」

といった内容のヤジを飛ばしたのに対して、三宅さんがムカッとした声で

「めったに来ない者、初めての者はここに参加できないのか」

と大きい声を出しました。

私にはそんなやり取りに聞こえたのですが、

実はちょっと後ろの方の席だったので誤解があるかも知れません。

もし聞こえた通りだとしたら、三宅さん、気色ばむのは良くないですよ。

政治家でも何でもない人なら、

仕事の休みとって、高い交通費をやりくりしてしょっちゅう駆けつけるのは、

簡単ではないでしょう。

しかし、三宅洋平さんは政治家として名乗りを上げている人なんだし、

那覇市には自分の店、三宅商店まであるんだから、

辺野古・高江にそんなに来ていない場合、

子供っぽく偉そうな態度をしてはいけないと私は思います。

山本太郎さんが7月25日、高江で、

「22日にここにいなかったこと、本当に申し訳なく思います。

そして、もう一つ、2011年に福島原発事故が起きるまで、

自分にとって沖縄は他人事でした。

そのことを謝罪します。本当に申し訳ありません。」

と謝罪したことで、私はどれほど山本太郎さんを信頼したかわかりません。

安倍首相の連れ合いのアキエさんも、三宅洋平さんも、

今回、まるで一貫性がないちゃらんぽらんな行動を取ったと思います。

昭恵さんは15分ほど滞在しただけで

高江ヘリパッド工事やそれに対峙するする人々に対して何のコメントも

いまだに発していません。

確かに高江に来た若者の中には

三宅洋平さんの選挙フェスにいたく感じていた人が何人もいました。

動画で観た三宅洋平の顔・ことばには強い力があると感じました。

それだけに、緊張感高まっている時にぶつけた今回の行動は、

何の効果を生み出すのか私は評価できません。

 

集会後、のんびりしていたらまたしても雨がドバーッと降ってきました。

テント屋根に溜まると大変なのでみんなで流しています。

瞬く間に川ができます。

「昨日、溝作っといて良かったね」と近くの女性たちが話していました。

5日の昼間に大急ぎで作ったテントなのでした。

(わ、カタツムリ!と思ったら殻だけでした)

 

 

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「選挙結果2:光も見えた」No.1712

2016-07-12 23:26:04 | 反戦
10日夜、参院選の結果を私はラジオで聞いていて、

ある程度予期できたこととは言え、

大勢がわかると全身の力が抜けて、とりあえず布団を敷いて寝ました。

さらに翌日の記事でアベ首相の狡猾な満面の笑いを見たときは、

鉄の壁を構築して心を防衛しなければなりませんでした。

大阪でわたなべ結さん(次席:共産)が当選していたら

「改憲」勢力が3分の2にはならなかったのに…、残念です。

複数区でも野党統一候補が実現していたら、

大阪も兵庫も一人ずつ確実に通っていたのに…。

衆院選ではさらに野党各党(て言うか民進党)が覚悟を決めて、

複数選挙区でも統一候補を実現させてほしいです。
 

でも、振り返ってみれば、

今回は日本選挙史上初めての野党統一候補擁立だったし、

統一が決まるのがもたついて遅かったにしては、

11区で統一候補が当選したのですから確実に効果はありました。

(2013年の一人区ではたった2人しか野党は当選しませんでした)。

これは、自民公明が口汚く揶揄するような低レベルの野合ではありません。

スペイン人民戦線同様の「反ファッショ統一戦線」で、すばらしい戦略です。


私は特に、沖縄・福島・青森・宮城・岩手・山形には感動しました。

基地、原発、TPPなどで苦しめられている人々が、

野党統一候補に一票を投じて現政府にNO!を突き付けたことに。

(沖縄・福島は現職大臣が落選)

東北は保守の地盤が固いところで、

中でも福島はその最たる県だという印象を私は持っていました(これ偏見だった?)。

「野党統一で戦うことは力になる」という実感を得たのが今回の希望の光その1です。


その2は、全国の多くの一般庶民が政治や選挙活動を政党任せにせず、

自分たちに何ができるかを考え、積極的に行動した画期的な選挙だったことです。

庶民の一例、わが娘も以前はあまり政治に熱心とは言えない子でしたが、

今回の選挙では夫婦で新聞にまで紹介されるほどめちゃくちゃ頑張っていました。

↓神戸新聞に載った娘夫婦の雄姿(笑)


連れ合いの賢ちゃんは自前で音響装置を買い、

「街角選挙カフェ」を開催してまわり、

これまた数年前は想像もできないことでした。

↓家の前には共産党・社民党のポスターがバンと。


↓これらも全部自分たちの手作り。車に常備して移動するところがすごい。

↓投票日は、一緒に自前で選挙活動した無党派市民グループの友達の家で
選挙結果を待ちながら、食べたり飲んだりするため家族でお出かけです。
自分たちの生活に政治・選挙がしっかり位置づいているのが親としても頼もしい限りです。


最後に、

福島瑞穂さんの当選も嬉しいことです。

社民党は唯一みずほさんだけが当選しました。
 
土井たかこさんの後を引き継ぎ、国会内外で奮闘努力を重ねてきたみずほさん、

社民党がどうなるか、ビミョーですが、

彼女にはこれからも頑張ってもらわなくてはね。
 
 

とりあえず、皆さんお疲れさまでした~!
また、今日から頑張りましょう。
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「大晦日、山東省で日本軍の過去に向かう」No.1552

2015-12-31 21:14:39 | 反戦

大晦日、日本ではNHK紅白歌合戦を観て過ごす家庭が、まだ多いと聞きます。

私はその日本的「習慣」から外れて幾星霜も経ちます。

(わざとらしい盛り上げ方のショーだ)と確か高校生くらいの時思った記憶がありますので、

その頃には、「みんなが観るからみる・みんながするからする」ことから逸脱していたのでしょう。

中国では大晦日は2月7日の春節前夜になります。

今日は一学期最後の授業日で、

3年の日本文学史の講義、2年の日本語会話の試験をしました。

 

その話はまた後日書くことにして、

今日は一年の締めくくりに相応しいと思う記事を載せます。

山東省は戦時中から1946年2月まで父と母が住んだところです。

私の推定では1939年から1941年(か1942年)まで兵役についていた父ですが、

その父が中国で残虐な行為をしたのではないかと、

私は高校生の頃からずっと心配でした。

以前、まだ元気だった母が、

「父さんは兵隊では宣撫工作隊だった。中国語が上手だったから」

と話したとき、どれほどホッとしたかわかりません。

少なくとも、直接手を下さなかった可能性が高いと思えたからです。

しかし、山東省に来て戦争当時を彷彿とさせる地名を見つけたり、

ここ菏澤でも日本軍による性犯罪があったのを知ったりすると(下)、

もはや、ホッとすることなど許されない気持ちです。

日本軍がなぜ普通ではありえないほど酷い鬼畜生に成り果てたのか、

沖縄で米軍が戦後70年間で繰り返してきたことと重なり、

戦争に駆り立てられた人間の変化には、本当にぞっとします。

菏澤 馮庄 43.10.18 衆目注視の中で25歳の婦女を輪姦、陰部にコーリャン 殻を挿入、最後は刺殺

中国戦線における日本軍の性犯罪-山東省・湖北省の事例- 笠原十九司

 http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/backnumber/06/kasahara_seihanzai.htm


笠原十九司さんの業績を否定し、

「彼のやっていることは伝説を事実だと強弁することであり、彼の発言はファンタジーだ」

という主張もあるようです。⇒yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-186.html 

つまり、日本軍はそんなにひどいことをしていないと言いたいのでしょう。

下に実際に兵士として山東省に出兵した人(田村豊さん)のなま証言があります。

多くの元兵士は、あまりに酷いことをしたのでとても語れず、それをいいことに

日本軍の残虐行為はなかったと主張する傾向が強まっている日本ですが、

田村豊さんのように、人間の良心を振り絞って証言してくださる人が続くことを

心から願います。 

歴史の事実は政治の都合で捻じ曲げたり、なかったことにしてはならないのです。

ウソの歴史は学ぶ価値などありません。


来年が少しでも良い年になりますように!

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「パリ、バスティーユ広場でデモ」No.1517

2015-11-23 23:20:07 | 反戦

 「田中龍作ジャーナル」の田中さんが借金してパリに飛び、取材しています。

国家非常事態宣言により来年2月まで集会デモが禁止されたパリで、

1000人規模のデモが日本時間の今日23日未明、

パリ時間では22日午後4時頃にありました。

さすが、パリジャン!

以下、全ての記事と写真、並びにカンパ要請を転載いたします。

真実を知るためには、NHKに任してはおけません。

私たちのジャーナリストを応援しなければ、

なんもわからないままに、騙されるだけなのです。


―――田中龍作ジャーナルhttp://tanakaryusaku.jp/2015/11/00012465

【パリ発】「デモは国家的暴力で封じ込め」 アベ政権が段取り2015年11月23日 05:56

「緊急事態は警察国家化だ」。国家警察の機動隊に「通せ」と叫ぶデモ隊。= 22日午後4時頃(日本時間23日未明)、バスティーユ広場出口 写真:筆者=

「緊急事態は警察国家化だ」。国家警察の機動隊に「通せ」と叫ぶデモ隊。= 22日午後4時頃(日本時間23日未明)、バスティーユ広場出口 写真:筆者=

 「難民、移民を制限するな」。いわゆる左派系の市民1千人が22日、パリの大通りでデモをかけた。

 テロ事件を受けた国家非常事態宣言により、デモ集会は来年2月まで禁止されているが、市民たちはご法度を破って政府に抗議したのである ―
  
 バスティーユ広場に集った人々はシュプレヒコールを上げていた。

「すべての国境を開放せよ」
「移民にもフランス人と同じ権利を与えろ」
「空爆して人を殺して我々はそんなことちっとも望んでいないぞ」・・・

フランス革命(1789年)の狼煙(のろし)が上がったバスティーユ牢獄跡で、人々は政府批判を合唱した。

棍棒でデモ隊を容赦なく殴る機動隊。棍棒は次の瞬間降り下ろされた。= 22日午後4時過ぎ(日本時間23日未明、パリ市内 写真:筆者 =

棍棒でデモ隊を容赦なく殴る機動隊。棍棒は次の瞬間降り下ろされた。= 22日午後4時過ぎ(日本時間23日未明、パリ市内 写真:筆者 =

 集会が始まって30分ほどすると参加者は、大きな塊(かたまり)となって、デモに出発しようとした。

 たちまち国家警察(パリ警視庁ではない)の機動隊が、広場の出口を塞いだ。

 だが若者は機動隊の脇をすり抜けて大通りに出た。機動隊は重装備のため若者の足には追いつけない。

 機動隊は横断幕を持って歩くデモ参加者に襲いかかった。棍棒で打ちすえ、催涙スプレーを浴びせた。ここでも足の速い若者が機動隊の脇をすり抜けた。

 こうして機動隊の隊列は崩された。年配の参加者は露払いの終わった大通りを粛々と歩いた。

デモ隊に催涙スプレーを浴びせる機動隊。まともに浴びると目に激しい痛みを覚え、呼吸困難となる。= 22日午後4時過ぎ(日本時間23日未明、パリ市内 写真:筆者 =

デモ隊に催涙スプレーを浴びせる機動隊。まともに浴びると目に激しい痛みを覚え、呼吸困難となる。= 22日午後4時過ぎ(日本時間23日未明、パリ市内 写真:筆者 =

 デモ隊は2~3キロ先の共和国広場までたどり着いた。だがここから先には行けなかった。

 国家警察がオペラ座やビジネス街にまでデモ隊を進ませなかったのだ。機動隊は輸送車を置き、道をほぼ完ぺきに塞いだ。デモ隊は封じ込められた。

 地中海に展開する原子力空母シャルルドゴールは、23日から、IS支配地域への攻撃態勢に入る。

 高まる緊張は、戦争に反対する市民を弾圧する口実を与える。

 南シナ海の緊張に乗じて「こじつけの非常事態」を宣言し、デモ集会を禁止する。それでも異議を唱える市民は、国家の暴力をフルに使って封じ込める ―

 安倍官邸はフランス政府の対応を参考にしながら段取りをしているだろう。
 
  ~終わり~


  

 ◇
読者の皆様。フランスでいま起きていることは、近く日本で起きることです。アベ首相がやたらと「テロ対策」を口走るのは、その伏線です。日本を暗国の独裁国家にしないためにも、フランスの現状を押さえておく必要がある ― 借金してパリまで来た理由です。ご支援よろしくお願い致します。↓

田中龍作の取材活動支援基金

権力者が何でもできる国になりました。独裁に抗するには真実を明らかにしていく他ありません。真実を見届けるため現場に行くには想像以上に費用がかかります。田中龍作の取材活動に何卒お力を貸して下さい。1円からでも10円からでも有難く頂戴致します。

田中龍作

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連絡先
tanakaryusaku@gmail.com
twitter.com/tanakaryusaku

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「あまりにもったいない死」2015年5月2日(土)No.1349

2015-05-02 13:14:48 | 反戦

江西財経大学の施芳芳さんの卒論「日本人の〈もったいない〉考」がかなりまとまってきた。

何回となく草稿のやり取りをしていたが、その中で彼女は、

社会にとって貴重な存在が道半ばに死を迎えることをもったいないことと言い、

その例として後藤健二さんの死を挙げていた。

私も全く同じ気持ちだ。

まだ遺体も戻っていないのに

安倍・菅の日本政府は大切な国民の遺体のことなんか全く歯牙にもかけていない。

第一、生きている時から助ける気もさらさらなかったのだ。

こんな政府を支持する国民の愚かさがたまらない。

このブログにも、「後藤はよけいなことをしたから殺されても仕方がない。

ジャーナリストは自分の仕事だけをしていればいいんだ。」

という、とんちんかん、且つ、悪意に満ちた冷酷なコメントがあったが、

大切な命が危険に曝される状況を伝えるとき、伝える者もまた危険に曝される。

しかしそれを押して取材しなければ世界は真実を知ることができないのだ。

それがジャーナリストの仕事だ。

それ以前に日本政府が湯川さん救出に全く動かなかったために

後藤さんはやむなく行動したのである。

そのことを不問に付す愚か者は自分が政府に見捨てられるときにも

同様のことが言えるだろうか。

いったい政府は何のためにあるのか、基本に立ち返って考えてもらいたい。

今日のNHK解説委員の柳沢秀雄さんへのインタビュー記事も、

後藤さんの死をもったいないと思えない日本人にはサッパリ響かないのだろう。

 

―――東洋経済オンライン 5月2日(土)

NHK柳澤さん、「後藤さんとの思い出」を語る (一部割愛)

 後藤健二さん殺害が報道されたのは2月1日(日)早朝だった。翌2日(月)の朝、後藤さんと親交があったNHKの柳澤秀夫解説委員はコメンテーターを務める情報番組「あさイチ」の冒頭でコメント。柳澤さんの言葉はネット記事が引用して大反響を呼び、2日間で500万人以上が読む異例の事態となり、新聞記事でニュースにもなった。 


2月2日「あさイチ」冒頭の柳澤秀夫解説委員のコメント
冒頭なんですけど、すみません。昨日から今日にかけて大きいニュースになってきた後藤健二さんなんですけど、ちょっと、あえて、冒頭で、一言だけ……。
僕も後藤さんとはおつきあいがあったものですから、一番、いま、強く思っていることは、ニュースではテロ対策とか過激派対策とか、あるいは日本人をどうやって守ればいいか、が声高に議論され始めているんだけど、ここで一番、僕らが考えなきゃいけないことというのは、後藤健二さんが一体、何を伝えようとしていたのか、ということ。
戦争になったり、紛争が起きると弱い立場の人がそれに巻き込まれて、つらい思いをするということを、彼は一生懸命に伝えようとしていたんじゃないか。それを考えることが、ある意味で言うと、こういった事件を今後、繰り返さないための糸口が見えるかもしれない……。
われわれ一人ひとりにできることというのはものすごい限界があるんですけど、この機会にそういうことを真剣に考えてみてもいいのでは……。
それが後藤さんが一番、望んでいることじゃないか。そう思ったものですから、冒頭なんですけど、ちょっとお話をさせてもらいました。

 「あさイチ」の冒頭。わずか1分あまりの短いコメントだったが、多くの人たちの共感を呼んだ。 

 柳澤さんは1990年から1991年にかけての湾岸戦争当時、数少ない西側諸国の特派員としてイラクに残ってレポートした。アメリカを中心とした多国籍軍が空爆した後の様子をイラク当局による検閲を受けながら英語で伝えた記者レポートは、各局のテレビ記者たちの間で今も語りぐさになっている。 

 このコメントの件でメディア取材は受けてこなかった柳澤さんだが、『GALAC』の取材はとインタビューに応じてくれた。

■ 撮ってきたものが出ることが大切

 ──後藤さんのエピソードで一番心に残っているのは? 

 一番、僕が思うのは、後藤君というのはこういう事件の後でメディアのフォーカスが当たって、ある意味で言うと、英雄視されたり、神格化されるような雰囲気があるけど、そういうふうに言われるのを一番快く思っていないんじゃないかなってことです。

 非常に控え目だったし、自分がこういうことになって、まわりから、自分のやってきたことを評価されるのはうれしいにしても、それ以上に持ち上げられることを、僕が知っている後藤君だったら、嫌がったんじゃないかな。きっと今会ったら、なんか頭掻きながら、「あー、やっちゃった~」とか「どじ踏んじゃった~」と言うぐらいの人だったというイメージを持っていました。なので「あさイチ」のなかでも、ああいうコメントをしました。

 彼は「撮ってきたものが出ることが大切なんだ」と自分自身がテレビに出ることやリポートすることにはこだわらなかった。「撮ってきたものが今のイラクの実状を伝えるものであればそれでいいんです」と言っていました。自分で向き合っている紛争地、戦争の現実を取材する上での心意気を、そうした言葉から強く感じたことがあります。

 後藤君は被写体を通して見えてくる現実と、常に「会話」しているような感じでした。僕らがドキュメンタリーを撮ったり、取材する時には被写体と少し距離を置いて、わりと客観的に、ある意味「冷たく」撮っている。でも彼の場合には撮っている被写体との間でいつの間にか「会話」が始まっている感じがある。つまり、単にそれを記録することを超えて、訴えかけてくるものを自分の中にも取り込んで、もう一回キャッチボールをしながら、それを第三者に伝えるという姿勢がありました。

 イラク戦争で、彼はサダム・フセインの生まれ故郷のティクリートが主戦場になった時にかなり前線まで入った。車で移動中にアメリカ軍が襲撃された現場に遭遇し、車を降りてカメラを回し始めたんです。映像を見るとその直後、アメリカ兵が彼に銃口を向けて、地面にひれ伏すよう命じたんですが、彼はアメリカ兵に向かって「I am Japanese Press. I am Kenji Goto.」と言ったんです。

 それに対してアメリカ兵が手を振って、「No Press!」と叫んで、最後は後藤君が「わかった、わかった」とその場を離れるんですけど、そのシーンは、撃たれるかもしれない緊迫した状況を捉えたすごい映像だった。後藤君の映像で一番、記憶にあるのがそのシーンですが、そういうことも含めてイラクで何が起きているかについて、彼は深く知り得たし、それを映像を通じて伝えたかったと思います。

 ──取材対象と「会話」しながら撮る、というのは具体的にはどのようなことでしょうか? 

 後藤君は、バグダッドの市内で戦闘に巻き込まれて亡くなった息子の遺体を埋葬することができなくて、自分の家の中に埋めなきゃいけないという家のお父さんをカメラで撮影しながら会話をするんですよね。

 そういう時に僕らは普通、顔を真正面から撮って、なぜこうなったのかという説明を求める聞き方になるんですけど、そうじゃないんですよね。被写体として映っているお父さんの気持ちに入っていくように、回り込みながら、同じ目線に立って、何が起きているのか撮るという。その時の彼は、普通のジャーナリストやカメラマンが記録する以上のことを実践していたような気がするんです。それは僕らができるようでできないことで、一種、彼のやさしさだったと思います。

■ 「戦場ジャーナリスト」と呼ばれること

 彼はよく「戦場ジャーナリスト」と言われることは嫌っていたと聞きました。たしかに修羅場をくぐっていますから、後藤君のこれまでの経験、経歴を考えると、本当に前線を走るフリーランスのジャーナリストだと思うけど、彼自身はそれでいながら、いさましいフロントのドンパチや、爆弾が落ちてるところを逃げ惑うような状況を伝えるよりも、それがいったい何を引き起こしているのかというところに軸足を置いていた。

 つまり、戦争で一番つらい思いをするのは誰なんだ、それを伝えるのが自分たちの仕事だ、と思っていたのではないかと思います。僕自身もまったく同感で、前線の銃撃戦や爆弾、ミサイルが炸裂するところを取材したり、そこで自分がリポートするみたいなことは、それは必要な部分なのかもしれないけれど、一番重要なのは「それで何が起きているか」ということ。それを彼は一番伝えたかったと思う。それを考えると胸がつまっちゃいますけどね。

 ──後藤さんとはどのような関係でしたか。ウマが合いました? 

 なんか波長が合いました。冗談話を含めてね。非常にいい青年というか若者というか。最初に会った時代を考えると今から20年近くも前だったから彼も30歳になるかならないかで、本当に良い若者だなっていう感じでした。

 自分たち組織に属す人間と、フリーの人たち、同じような気持ちを本当に持てるかというなかで、後藤君とはやけに波長が合うと感じました。つき合いの長いフリーの方って何人もいますけど、いつもみんな言うのは、きれいごとで自分たちの仕事を語ってほしくないと、俺たちやっぱりあそこのヤバいところへ行って仕事をしてきてそれで稼いでいるんだと。それが俺たちの仕事なんだと。

 だからそこを「報道」「ジャーナリズム」っていうことで、潔い、格好良いところで括られると、ちょっと違うかもしれない。みんな異口同音にそういうことを言う。結果的にどうなるか別だけど、何かあった時には「自己責任」という問題も「百も承知だ」と。それが我々がやる「仕事」なんだと、そういうことなのだと思います。

■ 我々の仕事もリスクや危険とは隣り合わせ

 僕らの仕事って危険がつきまとうのは当たり前の話であって、消防士が火消しに行けば火事場で火に巻き込まれるかもしれないし、警察官だって、強盗を追いかけていれば、逆に命を落とすかもしれないというのをわかったうえでやっている。

 そういう点で、我々の仕事もリスクや危険とは隣り合わせだと考えていくとすれば「ただ単に危険だから行かない」という選択肢は違うというのが僕の持論です。そういう選択をするんだったら看板下ろしちまえ、と昔から言っているんです。自分がジャーナリスト、報道にたずさわっているなんて、おこがましくて言えなくなる。

 ただ本当に傷ついたり死んだりしたらもう耐えられないことですから、ある判断というのは当然伴うものだと思います。でもそこがいきなり、「危ないから行かせない」「危ないところはフリーに行ってもらう」「撮ってきてもらった素材で番組を作る」というような短絡的な発想で番組やニュースをつくっていくことはやるべきじゃない。

 もしその中でやる手法があるとしたら、それは自社も、フリーも問わず、その現場で一番、語るにふさわしい、伝えるにふさわしい人がその言葉で語ってほしい。それでないと後藤君が言っていた「本当に伝わるべきことが伝わればいいんです」というところが生きてこないような気がするんですよね。

 ──人質としての後藤さんの映像が流れた時にはどのような印象を持たれました? 

 正直、あのオレンジ色の服を来て出てきた映像を見た時には……何て言っていいかわからないくらいのショックだったですね。

 これまでの外国人ジャーナリストの例もあるので、そう楽観できる状況ではないというのは最初に思いました。でもその後の拘束の映像が出てきて最終的に悲惨な結末を迎えるまでには、ひょっとしたら大丈夫かな?  という期待も正直、一瞬、ありました。

 ──映像での後藤さんの表情から、どんな心境なのかと思いましたか? 

 よく言われる思い詰めた、というか、彼のあの表情というのは自分の感情を完全に押し殺した顔に見えましたね。自分の感情がこもってしまうと、それはヤツらの思う壺ですから。

 むしろ、自分はメッセンジャーとして要求を語るだけ、と淡々としていた。僕はずっと後藤君の声だと思っていたし、彼は、自分の感情を押し殺して、淡々と、とにかく、与えられたメッセージを読み上げている、という……(長い沈黙)。

 だってひょっとしたら、あと1時間後、半日後、自分はどうなるかっていう、ものすごい緊張状態に置かれている、というイメージでしょ。それぐらいに張りつめた状況だけれども淡々と機械的に、与えられたことを口にしているというその緊張の度合いというのは、昔、イラクでアメリカ兵に銃口を向けられた時に、自分は日本のプレスだと名乗った時の声とどこか共通するような、緊張感が極まったようなものに聞こえましたね。


■ 後藤君が突っ走って伝えようとしていたこと

 まあ、ご存知のとおり、あのニュースの後は邦人保護の話だとか。救出の話とか、僕から見るとピンとこない話がニュースの中でヘッドラインになっていた。後藤君が一番あそこで伝えたかったことって、最後の瞬間って何考えていたのかわからない部分があるにしても、シリアで何が起きているかということと、とんでもないことが起きた時につらい思いをするのは誰だってこと。それを伝えたいのに、どこからも目を向けられずに、何かあさっての方向に話が向かっているような気がしていたという感じがものすごく強かったですね。僕は……。

そう考えればなおのこと、後藤君が何考えていたのか。彼が一番何伝えたかったのか、そこに収斂していたような気がします。

 ──後藤さんは大学の卒論で「湾岸戦争の取材」をテーマにしたとか。

 彼がよく言っていたんですよ。柳澤さんが湾岸戦争に行った時はどうだったのかと。ちょっとすれ違いざまに会う時に、湾岸戦争で取材した時って、あれはどういう形でやったんですか、すごかったですね、とか。彼一流の語り口でね。よく聞かれた記憶があるんですよ。

 ──湾岸の頃って、フリーの人はまだ……? 

 入る余地はなかったですよね。

 戦争自体の形が湾岸戦争の当時と、イラク戦争の頃から変わってきて、今のシリア、イラクはまったく違うものだと思います。昔はまさに国と国との対称性のある戦争で、どちらが敵でどちらが味方かという、戦場の一種のルールみたいなものがあった。

 湾岸戦争の時にはイラクの情報省がビザを出す時に、何を考えていたのかというと、自分たちの宣伝効果を一番アピールできるメディアを選ぶということ。で、開戦の時はCNNを残した。僕が入った時には17人の外国人ジャーナリストがいましたけど、それもある程度、メディアの発信力のあるところを選んでいた。

 だからフリーランスというのは当時は発信力ということでは力を発揮する場がなかった。

 一方のアメリカにしても、あの時は従軍を認めていませんでしたけど、サウジアラビアのリヤドの司令部に記者を集めて、そこで情報発信する。そうなるとフリーが入る余地は、大手メディアが目を向けないところに入っていくしかない。

 それで後藤君が西アフリカに入っていったのは無理ないなあと思った。リベリアですよね。大手のメディアが目を向けない。国際的にも、大変なことが起きているんだけどメジャーに取り上げられないような。そういうところを、石を剥がさないと外からは見えない問題を、懸命にひっぱり出すような……。


■ 定点観測という強み

 ただ、そうはいっても長年お世話になっているフリージャーナリストの土井敏邦さんと初めて会ったのは、アラファトがガザに凱旋したときで、あのぐらいの時代から、フリーの人たちは継続してとにかく入って来るようになった。彼らはいったん照準を合わせたら、そこからけっして目を離さない。何度も何度も繰り返し入って、定点観測的にやっていく。

 僕らのような大手メディアだと、何か起きるとそっちのほうに目を向けて、渡り歩くような感じだったですけど、そうじゃなくて、一度自分でテーマを見つけると、そこにずっと入っていく。

 僕はけっして戦争を好きなわけでもないし、戦争ほど嫌なものはないと思っているけど、でもこういう仕事をしていると、そこの中に究極なものがやっぱりある。戦争とか前線とか紛争のなかには、いつも繰り返される、どうにもいたたまれない不条理なものが凝縮されていると、それを伝えるのが僕らの仕事だと思う。これはどんな時代でも、それが僕らに課せられた仕事だろうと思う。

 ──「あさイチ」での「この機会にそういうことを考えていかねばならない」という言葉が印象的。「私たち自身が答えを探していかねばならない」ということですね? 

 そうですね。考えていく、というのが大切だと思うんですよね。簡単に答えが見つかるわけじゃないし、そういう方法がどこかにあるわけじゃないけれど、考えることを止めたらおしまいだし、考えつづけることがとにかく大切なことだと思う。考えることをあきらめちゃ、絶対にいけない。

 四六時中考えているのはつらいし、夕方になれば夕飯、何食おう、とか、日常生活に埋没していくことも無理のないこと。でも、それは、時々でもいいから、どこかに、自分の記憶の中に呼び戻して、考えていかないといけない。今度の事件は、そういうことをわれわれに投げかけているのかなと、そんな気がしてならないんです。

水島 宏明

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150502-00068598-toyo-bus_all&p=5

―――――――――――――


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「元自衛官(防空ミサイル部隊)の安倍首相批判」2015年2月5日(木)No.1089

2015-02-05 09:55:16 | 反戦

元自衛官(ホーク地対空ミサイル部隊所属)泥憲和(どろ・のりかず)さんの

「集団駅自衛権行使」批判は、

のんびり平和な部屋の中で「積極的平和主義=かっこいい戦争」を

夢想する無責任さを、自衛隊員の命をかけて批判している大切な証言だ。

普段、自衛隊員と接することもなく、

軍隊化する自衛隊に対して憲法上矛盾を感じていた私だが、

泥さんという具体的、圧倒的存在によって、

少なくとも、一人ひとりの自衛隊員の方がたと手をつなげる希望を得たし、

憲法の原則的立脚点を明示した上で、

(即ち、日本は絶対に他国を侵略しないし、侵略に手も貸さない、

ということを再再度確認した上で)、

自衛隊が海外からの侵略に対する抑止力としてのみ存在するということ

厳密に、原則的に保守すればいいか、と思うようになったが、どうだろう。

 

 ―――ブログ「思索の日記」さんより

 街頭(6月30日 神戸・三宮の街宣活動に飛び入りで)

元自衛官(防空ミサイル部隊所属) 泥 憲和さん

突然飛び入りでマイクを貸してもらいました。集団的自衛権に反対なので、その話をします。 私は元自衛官で、防空ミサイル部隊に所属していました。日本に攻めて来る戦闘機を叩き落とすのが任務でした。

いま、尖閣の問題とか、北朝鮮のミサイル問題とか、不安じゃないですか。でも、そういったものには、自衛隊がしっかりと対処します。自衛官は命をかけて国民をしっかり守ります。そこは、安心してください。

いま私が反対している集団的自衛権とは、そういうものではありません。日本を守る話ではないんです。売られた喧嘩に正当防衛で対抗するというものではないんです。売られてもいない他人の喧嘩に、こっちから飛び込んでいこうというんです。それが集団的自衛権なんです。

なんでそんなことに自衛隊が使われなければならないんですか。縁もゆかりもない国に行って、恨みもない人たちを殺してこい、 安倍さんはこのように自衛官に言うわけです。君たち自衛官も殺されて来いというのです。冗談ではありません。自分は戦争に行かないくせに、安倍さんになんでそんなこと言われなあかんのですか。なんでそんな汚れ仕事を自衛隊が引き受けなければならないんですか。自衛隊の仕事は日本を守ることですよ。見も知らぬ国に行って殺し殺されるのが仕事なわけないじゃないですか。

みなさん、集団的自衛権は他人の喧嘩を買いに行くことです。他人の喧嘩を買いに行ったら、逆恨みされますよね。当然ですよ。だから、アメリカと一緒に戦争した国は、かたっぱしからテロに遭ってるじゃないですか。イギリスも、スペインも、ドイツも、フランスも、みんなテロ事件が起きて市民が何人も殺害されてるじゃないですか。

みなさん、軍隊はテロを防げないんです。世界最強の米軍が、テロを防げないんですよ。 自衛隊が海外の戦争に参加して、日本がテロに狙われたらどうしますか。みゆき通りで爆弾テロがおきたらどうします。自衛隊はテロから市民を守れないんです。テロの被害を受けて、その時になって、自衛隊が戦争に行ってるからだと逆恨みされたんではたまりませんよ。だから私は集団的自衛権には絶対に反対なんです。

安部総理はね、外国で戦争が起きて、避難してくる日本人を乗せたアメリカ軍の船を自衛隊が守らなければならないのに、いまはそれができないからおかしいといいました。みなさん、これ、まったくのデタラメですからね。日本人を米軍が守って避難させるなんてことは、絶対にありません。そのことは、アメリカ国防省のホームページにちゃんと書いてあります。アメリカ市民でさえ、軍隊に余力があるときだけ救助すると書いてますよ。

ベトナム戦争の時、米軍は自分だけさっさと逃げ出しました。米軍も、どこの国の軍隊も、いざとなったら友軍でさえ見捨てますよ。自分の命の方が大事、当たり前じゃないですか。そのとき、逃げられなかった外国の軍隊がありました。どうしたと思いますか。軍隊が、赤十字に守られて脱出したんです。そういうものなんですよ、戦争というのは。

安倍さんは実際の戦争のことなんかまったくわかってません。 絵空事を唱えて、自衛官に戦争に行って来いというんです。自衛隊はたまりませんよ、こんなの。

みなさん、自衛隊はね、強力な武器を持ってて、それを使う訓練を毎日やっています。一発撃ったら人がこなごなになって吹き飛んでしまう、そういうものすごい武器を持った組織なんです。だから、自衛隊は慎重に慎重を期して使って欲しいんです。私は自衛隊で、「兵は凶器である」と習いました。使い方を間違ったら、取り返しがつきません。ろくすっぽ議論もしないで、しても嘘とごまかしで、国会を乗り切ることはできるでしょう。でもね、戦場は国会とは違うんです。命のやり取りをする場所なんです。そのことを、どうか真剣に、真剣に考えてください。

みなさん、閣議決定で集団的自衛権を認めてもですよ、 この国の主人公は内閣と違いますよ。 国民ですよ。 みなさんですよ。 憲法をねじ曲げる権限が、たかが内閣にあるはずないじゃないですか。 安倍さんは第一回目の時、病気で辞めましたよね。 体調不良や病気という個人のアクシデントでつぶれるのが内閣ですよ。 そんなところで勝手に決めたら日本の国がガラリと変わる、そんなことできません。

これからが正念場です。 だから一緒に考えてください。 一緒に反対してください。 選挙の時は、集団的自衛権に反対している政党に投票してください。 まだまだ勝負はこれからです。 戦後69年も続いた平和を、崩されてたまるもんですか。 しっかりと考えてくださいね。 ありがとうございました。

―――ここまでブログ「思索の日記」さんより転載 http://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen/e/40768d2be233f251b6ff75903613f0db?fm=entry_awp

泥憲和さんについては、拙ブログ「元自衛官の話を聞いた」(下)にも。http://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=31165750835edb38f10b55158588391b&p=2&disp=30

 

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「安倍靖国裁判・原告の訴え」2014年12月30日(火)No.1067

2014-12-30 22:12:36 | 反戦

年の暮れに自分も原告の一人としてかかわっている

安倍靖国裁判のことを書いておきたい。

 

ちょっと前のこともすぐ忘れる(て言うか創りかえる)日本人が増えてきた今日この頃、

心配なので念のためにおさらいすると、

これまでも小泉首相(当時)が靖国神社に参拝したとき、

下記の二つの裁判所が、首相の参拝は公式であると認め、

それは政教分離を原則とする憲法に違反すると判断した。

福岡地裁 04年4月7日(亀川清長裁判長) 公的 違憲  
大阪高裁(二次) 05年9月30日(大谷正治裁判長) 公的 違憲  

     http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/2691/yasukuni/ikensosyou.html

 

今回、安倍首相と靖国神社を裁判所に訴えた理由は、

政教分離の原則もさることながら、

首相の靖国参拝は私たち国民が平和に生存する権利を脅かすものだからである。

いったい靖国神社とはどんな神社なのか。

1978年からA級戦犯が「英霊」として合祀されていることが象徴するように、

戦争を美化するとんでもない神社であることは確かだが、

以下の山本さん(原告の一人)の意見陳述(訴え)の中にも、

靖国神社が戦死者にどんなことをしたかが述べられている。

「英霊」などと口先だけのカッコいいほめ言葉で、

戦死者一人ひとりの死んでいかなければならなかった無念を美化するのは、

死者を冒涜し続けることである。

(死者の声が聞けたらいいのに)と心から思う。

 

――――――原告意見陳述原告意見陳述  山本博樹

ここに一枚の写真があります。私の叔父です。名前は十一。                                              

敗戦の日の20日前、1945年7月、フィリピンはミンダナオ島ダバオ付近で亡くなりました。戦死です。   

22歳の若さ、今生きていれば92歳です。この叔父のことからお話しします。                                  

 

叔父は、滋賀県の長浜農学校を卒業すると、

パラオ諸島の国立熱帯産業研究所に入った後、

ミンダナオ島はダバオ市にあるマニラ麻を独占的に扱う「太田興業KK」に就職しました。

最後の手紙は昭和18(1943)年3月20日の日付で、

兄である親父のもとに届き、中に一枚の写真が入っていました。

ダバオ富士と親しまれていたアポ山を背景に、背の高いヤシの木にもたれ、

白の開襟シャツで長浜農学校の破帽をかぶり、

下駄ばきでリラックスしているセピア色の叔父は、「青年ここにあり。」の感でした。                                 

その写真をみて、私は、会ったことのない叔父にずっとあこがれてきました。

この写真は、私の子どものころから、家の仏間の壁にかけてありました。

 

高校生の終わりころのある日、いつものように

「仏さん拝んだか?」と母が聞きますので、「拝んだよ!」と鉦をたたいたあと、

何の気なしに壁を見ると、あれ!叔父さんの写真がない。

代わりに、こんな写真が掛けてあったのです・・・。

見てください。なんと、軍服を着ている。

帽子も、愛用していた農学校の破帽ではなくて、軍帽子。

しかも、驚いたことに、手には軍刀を持っている。

「うわっ、座敷の奥まで戦争が入り込んできた!」

見るなり、私はそう思いました。

ビックリして、親父に聞きますと、返ってきたのが

「靖国神社がしてくれた。

階級を書いて写真を送ると軍服姿にしてくれると聞いたので、靖国神社に送った」

という返事。

私は「靖国神社ってなんやろう」と思いつつ、もう一度見に行きました。

よく眺めると、軍刀を持った手は、叔父さんの手ではない。

誰の手だかわからない手がにゅっと隅から出てきて、軍刀を持っている。

おぞましいというか、気持ち悪いというか、言いようのない気持ちに襲われました。

「靖国神社って、平和に暮らしている家の座敷の奥までやってきて、

再び戦争を持ち込もうとするのか」と。

しかし、その時は、親父によう言いませんでした。

実の弟のことだし、私のうかがい知れない思いがあるかもしれない、と思ったからです。

親父が亡くなるまで、この写真は祖父母の隣に掛けたままでした。

それでも私は、座敷に行く度に「早よう軍服を脱がせてやりたい」と、ずっと思ってきました。                    

 

昨年末、その靖国神社に、首相アベシンゾウが参拝を強行しました。                                           

福岡地裁、大阪高裁と二度も違憲判決だったのに、

近隣の諸国から「参拝はやめろ!」と言われているのに、です。

この参拝は、戦死して何十年もたった叔父にもう一度軍服を着せ、

「戦争を座敷の奥深く持ち込んだ」ヤスクニのやり口を国家権力が正当化するものです。

その軍服こそ、昨年秋の秘密保護法の制定であり、

今年の集団的自衛権行使の閣議決定ではなかったでしょうか。                                           

 

私は親父が亡くなったのを機に、軍服姿の叔父の写真を元の開襟シャツに戻しました。

叔父の最期がどうであったのか、詳しいことはわかりません。

ただ、勤務先の太田興業からは、敗戦の翌年である昭和21年、

叔父の消息不明を詫びる手紙が届きました。

叔父が砲兵として現地召集されたのは、昭和19年の10月だったようです。

手紙によりますと、太田興業の社員らはダバオがアメリカ軍に占領されたので、

前もって近くの山に自主疎開していました。

そこから遥か下界の戦場を眺めると、空襲は熾烈を極め、

皇軍はなすすべもなく山中に逃げ込んでいく。

あまりの貧弱さと戦意の無さに、軍に頼らず避難していてよかった、

と皆で胸をなで下ろしていたところ、憲兵がきて、

一人残らず「タモガン」というところに集団で疎開しろ!と命令したそうです。                                   

 

そこはジャングルの奥地で、しかも軍が在留邦人より先に退却している場所でした。

食料も宿舎もない。                                                                       

牛馬が通るくらいの道なき道を、機銃掃射を受けながらの逃避行になりました。

密林地帯だから湿気が多く、日光に当たることもできず、病気で倒れる人が続出しました。

やがて乏しい物資の奪い合いが起きます。

昨日まで「忠勇義烈の皇軍」と謳われた兵隊が強盗となって邦人の食料を狙い、

果ては殺人事件まで起こす。                                                              

「タモガンの集団疎開は、この世ながら生き地獄で、飢えと弱肉強食の密林だった」

と書かれています。

あのインパール作戦で、飢えと病気のため次々命を落とした皇軍兵士の退却路は

「白骨街道」「靖国街道」と呼ばれました。

これと同じような「ヤスクニの密林」の阿鼻叫喚の様子を、この手紙は伝えています。

叔父や同僚の兵士たちは、この「ヤスクニの密林」で、どのような思いで命を捨てていったのでしょう。

 

後に私の親父が、遺骨収集団の一員として付近を訪れたとき、

持ち帰った小さな石ころを、ジャングルの写真といっしょに

祖父母に見せていたのを思い出します。

フィリピンでの戦争は、日本にとって勝つ見込みのない戦争、

無謀で悲惨な戦争だったと言われています。

が、それに巻き込まれた現地の人たちの思いはどうだったでしょうか。

実際、日本軍に家族を殺された人たちの報復はすさまじく、

日本人であることがバレたら命がなかったと言われるほどでした。

フィリピンの六代目大統領となったエルピディオ・キリノ大統領は、

妻と子ども全員が日本軍に虐殺され、

一人を除いて遺体を葬うことすらできなかったと証言されています。

それでもカトリック信仰などから、1953年にはB ・C級戦犯約100名に恩赦を与えています。

アジアの人たちにこれだけの苦しみをもたらした皇軍兵士のどこが英霊なのでしょう。

皇軍のどこを顕彰するというのでしょう。                                                          

 

今また、集団的自衛権を巡り、

日米同盟のため地球の裏側までも派兵するとの議論が出ています。

靖国神社は、そして安倍首相は、戦闘によって命を失う自衛官の奥さん・子どもに、

「お国のために死んで、お役にたてた。英霊として祀られて本望だ」

と言わせたいのでしょうか。

「日本のルネ・クレール」と呼ばれ、敗戦の翌年に亡くなった映画監督の伊丹万作さん、

「お葬式」の映画監督伊丹十三さんの父である彼は言います。

「だまされていた」と平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。

いや、現在でもすでに、別のウソによってだまされ始めているにちがいない、と。

私は、叔父十一に軍服を着せたヤスクニと、

そこに参拝することでかつての皇軍の過ちを繰り返そうとするアベに

「だまされる」ことを拒否します。

国家の一方的な意思により、無断で合祀された叔父たちを、

ヤスクニから取り戻し、親の元に返したい。                                                    

肝心なことは、父や叔父たちが自覚することなく一生を終えた

「侵略に加担した罪」は今も消えていないということです。

甥であり息子である私がなしうる贖罪とは、

過ちを反省するどころかますます居丈高になってきた

「靖国を美化する気風」と戦うことだと考えています。

2014年10月21日

―――――――――――――――

(通信アジアネットワーク)                                                     http://www.geocities.jp/yasukuni_no/

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「世の中に戦争をしたがる『バカ』がいる*再び*」2014年10月28日(火)No.1018

2014-10-27 22:40:45 | 反戦

私のブログとしては珍しくいつまでもコメントが届く文がある。

2013年9月26日No.758の「世の中に戦争をしたがる『バカ』がいる」だ。

http://blog.goo.ne.jp/bluehearts_10_11/e/b06ea5fdab2ecd64a4a7b3f3184e3f64#comment-list

今年6月に卒業した閻鳳じょさんが4年生になりたての頃に書いた作文のタイトルだが、

コメントを書く人の中に、戦時中日本軍が中国で残虐な殺戮などしていないと

考える人たちがいるようなので、私はそのことがたいへん不思議である。

日本軍はわざわざ中国まで出かけて行って、一体何をしたというのだろう。

日本政府は「侵略」という言葉を使わせないように教科書検定をしてきたが、

では、日本の軍隊は中国各地でボランティア活動をしていたとでもいうのだろうか。

さっき「へそ曲がり」さんのコメントを読むと、こんなことが書かれてあった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「歴史事実」はどこに? (へそ曲がり) 一番難しいのはその「歴史事実」の確定です。いつもイデオロギーやプロパガンダでゆがめられるからです。例えば、GHQのWGI、コミンテルン指令をもとにした左翼史観、朝日、岩波、日教組などによる戦後の自虐・贖罪史観、中韓の虚偽宣伝etc。その一例として、あなたは本多勝一の「中国の旅」に書かれていたことを「事実」だと認識しているのですか?

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

この人の言うイデオロギーやプロパガンダからは戦争前、戦時中に日本を席巻し、

戦後も決して絶えることのなかった右翼の史観、軍国主義イデオロギーが

すっぽり抜け落ちているのが特徴だ。

そして、批判・非難・否定の対象として

「左翼史観、朝日、岩波、日教組などによる戦後の自虐・贖罪史観、中韓の虚偽宣伝」

を挙げている。その一例が本多勝一の「中国の旅」であるようだ。

私がいつ本多勝一の「中国の旅」についてあれこれ講釈を垂れたであろうか。

何を持ってこの人はこの本と私を結び付けようとするのか。

これは「へそ曲がり」というより「ねじ込み」という手法である。

 

日本軍が中国を侵略したのは歴史の事実である。

根拠として私は、本ではなく、数々の学生が語る言葉を根拠の一つ目に挙げる。

ある江西省出身の学生の作文に、こういうものがあった。

「私が大学の日本語学科に入学すると知った祖父は激怒した。祖父のお母さんは、祖父がまだ子どもだった頃、目の前で日本軍によって大怪我を負わされた。それ以来、祖父は決して日本を許さない。自分の孫が、よりもよって日本語を学ぶと聞いて、何という不幸者だ、と言って落胆し口もきいてくれなかった。祖母は泣いて私を非難した。」

また、江西省出身の別の学生はお祖母さんから、戦時中、

江西省まで日本軍が攻めてきて、村の農民たちは村を離れ、

山の中に隠れた。子どもの私は生きた心地がしなかった当時の話を聞いていた。

 

こんな話は枚挙にいとまがない。

もう一つだけ事実を挙げよう。

1986年、日本の戦友会「椿会」(バンバ会長、井上豊治副会長)メンバーが

団体で江西省、安徽省のかつて戦闘作戦地だった

武漢、宜春、萍郷、南昌新建県・安義県・永修県など各地を訪れ、

地元の人々に、戦争当時自分たちがした行為を謝罪した、という事実である。

(詳しくは我がブログ「ある日本軍兵士たちの責任の取り方と、日本の政治家たちのあまりの違い」 2013年7月6日(土)No.700

http://blog.goo.ne.jp/bluehearts_10_11/e/911c953ba0e0fa15fa6b06c1b1343276 )

こんな話は中国の至る所にゴロゴロしている。

「イデオロギーに満ちた左翼史観に基づく本多勝一」などをわざわざ持ち出す必要はない。

 

「へそ曲がり」さんは歴史の事実を誰の本から学んだのだろう。

誰かの本は押しなべて「イデオロギーとプロパガンダ」に満ち満ちているのである。

実際に、自分で日本軍の足跡をたどれば、その土地で日本軍がどんなことをしたのかが、

分かる。中国、韓国以外でもいい。フィリピン、マレーシア、インドネシア、タイ、カンボジア…。

日本軍が侵略していないアジアの国を探すのは難しい。

「へそ曲がり」さんには是非、自分自身の目で耳で「歴史の事実」を確認してもらいたい。

誰かさんの本からではなく。

 

 

 

 

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「停戦後のガザからの手紙・写真ーtwitterから」2014年8月30日(土)No.978

2014-08-30 23:26:03 | 反戦

7月のガザ侵攻以降、twitterやfacebookを使って

ガザから世界に向けて何万もの発信がなされた。

イスラエルによって閉じ込められた壁の内側のガザの人たちの

JUSTICE(正義)を求める声は、瞬時に世界中に届けられた。

しかし、残念ながら中国では金盾という情報検閲制限システムがあり、

twitterもfacebookも(もちろんYou Tubeもニコニコ動画も)

普通にしていたら見ることができない。

国民の知る権利が制限されていることは本当に残念だ。

ガザの人々の声はどれくらい中国でキャッチできているのだろう。

せめて、このブログで中国の日本語が読める人々に

少しでもガザの生の声を伝えられたら……と思う。

 

 「オンラインによる化け物退治隊‐ガザスタイル‐

Online troll-beat-up squad , style」

投稿者Belal Dabour :ガザに住むパレスチナ人医師。夜更かし家で本の虫。    2014年8月28日  

 彼ら・彼女らはイスラエルの爆弾が1分おきに落とされているときも、

殺戮の恐怖と闘いながら世界に状況を発信していた。

アメリカ的に言ったらガザのヒーローたちだ。

 

投稿者Ali Abunimah:電子インティファーダの共同設立者であり The Battle for Justice in Palestineの作家。 08/26/2014 - 21:22

http://electronicintifada.net/blogs/ali-abunimah/israel-lost-war-gaza-struggle-justice-goes

「イスラエルはガザでの戦闘に敗北した。しかし私たちの正義のための闘争は続く」

 

パレスチナの人々は8月26日に永続的停戦の知らせを祝って、ガザ市の通りに繰り出した。

 51日間に渡って昼夜続いた、イスラエルによる情け容赦ない大量殺戮と破壊は終わった。

実にイスラエルは、1993年のオスロ合意以来、

パレスチナとサインした約束合意をほとんど毎回破るという歴史を持つ。

イスラエルはパレスチナレジスタンスとの2012年11月の停戦交渉で、

ガザと外界との交流を隔て妨げていた壁を開くことに同意したが、

その約束も取り消した。

今回また約束を反故にした場合、

どんな高い代償をはらうかイスラエルは知っているはずだ。

 

Ⅲ 転載者Dana Erekat 8月28日

昨日のガザ、シュジャイヤ地区の子どもたち。

「先生、世界の生活を教えてください!Teach the world life,Sir!」と明るく叫んだ。

 

 

転載者:Maureen Murphy ジャーナリスト 8月27日

「『目を開けてくれ!息子よ!』

ガザの殺された子どもたちは、一人だとてただ数字だけの存在ではない。

“Wake up, my son!” None of Gaza’s murdered children are just numbers

Sahir Salman Abu Namous はもうすぐ5歳になるたった4つの子どもだった。

「彼を見たらだれでも好きになるんだ。なぜなら彼はいつもニコニコしているからさ」

 親戚のディア・マフムッドは思い出を語った。

 

左がSahir Salman Abu Namous。ただ遊ぶのが大好きな幸せな子だった。

 

一か月前、Sahirは死んだ。

彼はお母さんの傍で遊びながらニコニコ笑っていた。

その時、ミサイルの破片が彼の頭を裂いてしまった。

お父さんは彼を抱いて病院に走った。

「目を覚ましてくれ!息子よ!お父さんはお前におもちゃを買ったから!」と叫びながら。

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「憎しみは伝染する。これはイカン」 2014年8月29日(金)No.977

2014-08-29 19:45:11 | 反戦

怒りは簡単に憎しみに転化する。

イスラエル人を憎まずに、きっちり徹底的に怒ることに徹したい。

イスラエル人という特殊な民族だからガザ大虐殺をしたのではない。

何がその人の思考を支配するかによって、

どこの国の誰でも「殺せ!皆殺せ!」と叫ぶ可能性はある。

それは日本の歴史が、そして今の日本社会が示している。

憎むべきは人ではない。憎しみを煽る思想やムードだ。

 

さて、大阪生まれの22歳の若者が憎しみの連鎖をストップさせるために

一生懸命智慧を出してがんばった。

「日中韓HAPPY」(You Tube動画:中国では工夫しないと見られないのが残念!)

がそれだ。

 (冨田すみれ子さん=斎川瞳撮影;毎日新聞)

 

そもそも、日常生活で誰かを憎みながら暮らすなんてことが異常だし、ハッピイじゃない。

歯が浮くような言葉でちょっと言いづらいが、

「自分はなかなかいいぞ。愛すべきいい人だぞ」

と思おう。口に出してもみよう。

自分もいい人だ。そして、あの人も、この人も…。

取りあえず、自分を閉ざすのはやめよう。

動画「日中韓HAPPY」へのアクセスは世界中から13万8000回を上回ったという。

 

――――――――毎日新聞 20140828日 0630

 HAPPY動画:日本と韓国、中国の若者が笑い踊る姿人気

 特定の民族や人種などに対する差別をあおるヘイトスピーチ(憎悪表現)にストップをかけようと、国同士の関係がきしむ日本と韓国、中国の若者が笑顔で踊り継ぐ動画「日中韓HAPPY」を立命館大文学部4年、冨田(とみた)すみれ子さん(22)が製作した。

動画投稿サイト「ユーチューブ」に7月にアップすると、アクセス数は既に13万8000回を突破。世界から注目が集まっている。

 動画は、米国の音楽プロデューサー、ファレル・ウィリアムス(Pharrell Williams)のヒット曲で、人々が笑顔で踊るミュージックビデオで知られる「HAPPY」をカバーしたもの。

世界各地で数多くのご当地HAPPYが製作されている。

 大阪で生まれ育った冨田さんは、小さい頃から在日コリアンの友達が多かった。

昨年以降、コリアンタウンの鶴橋や梅田駅前で在日コリアンらへのヘイトスピーチを見かけるようになり、「朝鮮人を殺せ」などと叫ぶ姿に怒りと悲しみがこみ上げてきたという。

 そんな時、インターネットで「HAPPY」に出会った。福島バージョンでは、東京電力福島第1原発事故に苦しみながらも、笑顔で懸命に踊る被災者の姿に、たくましさや生きる希望を感じた。

国同士が良好な関係にあるとはいえない日中韓の若者が仲良く踊る姿を広めれば、差別や憎しみにあふれたヘイトスピーチもなくなるかもしれない。そう思った。

 「一緒にHAPPYを作ろう」。

今年5月末ごろ、大学に通う日中韓の学生に声をかけた。

断られるかと不安だったが、ほとんどの学生が快諾してくれた。

照れくさそうに即興で踊ったり、浴衣やチャイナドレス、チマチョゴリで登場したりする学生も。

海外で暮らす中韓の友達にも動画を送ってもらい、1カ月半で約100人分の動画を集めた。

 楽しく踊ることに国籍や人種は関係ないと伝えるため、3分55秒の動画の中に国旗やテロップは一切登場しない。

当初は、動画のコメント欄に「ふざけるな」「日本から出て行け」といった批判も届いたが、一方で「勇気づけられた」「wonderful(素晴らしい)」というメッセージも世界中から届いた。

 動画の製作後、友人の間でもヘイトスピーチや日中韓問題を語り合う機会が増えた。

「問題意識を持ってくれたことがうれしい。簡単ではないけれど、一人一人が人間として認め合い、語り合うことができれば、きっといい未来につながっていく」。

そう信じている。【斎川瞳】

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

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「極悪国家イスラエルにダメージを与える方法」 2014年8月28日(木)No.976

2014-08-28 22:49:17 | 反戦

とりあえず停戦だ。

イスラエルのガザ攻撃で、2105人(大半が市民;うち子どもが560人)が死んだ(8/23現在)。

かたやイスラエルのエリアで死んだ民間人は4人だという。

イスラエルの民間人1人に対してパレスチナ人500人以上が殺された勘定になる。

この数字はパレスチナがイスラエルにとって軍事的脅威では決してないことを示している。

にもかかわらず、イスラエル軍の少将GIORA EILANDはこの期に及んでまだ、

イスラエルは約百八十万人のガザ住民への食料と水の供給を遮断するべきだ

と強く主張している。

この“飢えか、さもなくば降伏か”作戦

シリアで実行された時アメリカが非難したものであり、重大な戦争犯罪の一つである。

多くのイスラエル国民は、ネタニヤフ首相の停戦合意を弱腰と批判しているそうだ。

そうしたイスラエル人たちを突き動かす根拠に、シオニズム(Zionism)がある。

ユダヤ民族は選民であるとするその宗教思想は、

自ずと人種差別主義(Racism)と同族偏愛主義を伴う。

それが国家を名乗り、国際政治の重要なキャラクターとなると、

このように醜悪なことばかりしでかすのである。

 

欧米諸国はユダヤ民族を迫害した負の歴史があるだの、

経済的にユダヤ人に頭が上がらないだの言われる。

しかし、私はそれだけではないと思う。

アメリカもイギリスも白人の国だから

パレスチナのアラブ人が神も仏もない、こんな殺され方をしていても胸が痛まないのだ。

広島・長崎に原爆を投下した時も日本人がどれほどたくさん死ぬかについて、

アメリカは非常に冷徹であった。

もし、相手が白人国家だったらどうだったろう。

イラク戦争だってそうだ。

醜悪な国々。

しかし、日本はどうだろう。

日本政府は武器輸出規制を緩和し、

三菱電機と三菱重工はイギリスを媒介にイスラエルに間接的に武器輸出をしている。

醜悪国家の子分的存在だ。

情けなさすぎる。

南米の国々の強力なパレスチナ支援宣言、

「イスラエルはナチス以上のホロコーストをパレスチナの人々に行っている」

と演説したトルコ大統領などに成り行きをまかせるのではなく、

世界の庶民たちは、パレスチナ人とどうしたら連帯し、支援できるのだろう。

twitterやfacebookでよく見かける下のキャンペーンは有効ではないか。

 

 ソーダ水と言えば、私はたまにWILKINSONのを買って山査酒を割るくらいだが、

自分が買わないだけでなく、仕入れて売っているところに、

「売らないでください」と訴えるのは効果的だろう。

ちなみに日本でこのイスラエル資本の「ソーダストリーム」を仕入れているのは

次の通り(たくさんあるんだなあ。知らなかった…)。

 

典拠 STOP!ソーダストリーム・キャンペーン

http://d.hatena.ne.jp/stop-sodastream/20131217/1387297891

 

第1位●イトーヨーカ堂

 全国140店舗(ほぼ全店)で違法入植地製品を販売!
 ※イトーヨーカ堂と2位のそごう・西武は、ともにセブン&アイ・ホールディングスの子会社。
 〒102-8450 東京都千代田区二番町8-8
 TEL:03-6238-2111(代表)
 お問い合わせフォーム


f:id:stop-sodastream:20120822040658j:image:medium:left第2位●そごう・西武ロビンソン百貨店ロフト

 全国66店舗で違法入植地製品を販売!
 ※ロフトそごう・西武の子会社。
 〒102-0084 東京都千代田区二番町5-25 二番町センタービル
 TEL:03-6272-7111
 お問い合わせフォーム(そごう西武


f:id:stop-sodastream:20131218000405j:image:medium:left第3位●エディオン100満ボルト

 全国56店舗で違法入植地製品を販売!
 ※100満ボルトを経営するサンキューはエディオンの子会社。
 〒530-0003大阪市北区堂島1-5-17 堂島グランドビル
 TEL:06-6440-8711(代表)
 お問い合わせフォーム(エディオン100満ボルト


f:id:stop-sodastream:20131218001753j:image:medium:left第4位●ビックカメラコジマ

 全国55店舗で違法入植地製品を販売!
 ※コジマビックカメラの子会社。
 〒171-0033 東京都豊島区高田3-23-23
 TEL:03-5396-1111(池袋本店)
 お問い合わせフォーム(ビックカメラコジマ


f:id:stop-sodastream:20120822042303p:image:medium:left第5位●アスプルンド(212キッチンストア、タイムレスコンフォート

 全国41店舗で違法入植地製品を販売!
 〒108-0073 東京都港区三田3-13-16 三田43MTビル5F
 TEL:03-3769-0638(直営店事業部)
 メール:shop@timelesscomfort.com
 フェイスブックアカウント212kitchenStoreasplund.style


第6位●アクタス
 全国30店舗で違法入植地製品を販売!
 TEL:03-5269-3201(本社)
 お問い合わせフォーム
 フェイスブックアカウントactus.interior

第7位●東急ハンズ
 全国25店舗で違法入植地製品を販売!

 〒150-0043 東京都渋谷区道玄坂1-10-7 五島育英会ビル
 TEL: 03-5155-5311(代表)
 お問い合わせフォーム
 フェイスブックアカウントTokyuHandsInc
 ツイッターアカウントHintMarket

第7位●さが美オレンジハウス、リヴァンス)
 全国25店舗で違法入植地製品を販売!
 TEL:045–820-6000
 お問い合わせ先:customer@sgm.co.jp
 お問い合わせフォーム

第9位●高島屋
 全国20店舗(国内全店)で違法入植地製品を販売!
 TEL:06-6631-1101(大阪店)
 お問い合わせフォーム

第9位●ヨドバシカメラ
 全国20店舗で違法入植地製品を販売!
 〒169-8585東京都新宿区北新宿3-20-1
 TEL:03-3362-1010(総合センター)
 メール:info@yodobashi.com
 お問い合わせフォーム

第11位●三越伊勢丹ホールディングス(丸井今井
 全国18店舗で違法入植地製品を販売!
 TEL:03-5843-5115
 お問い合わせフォーム(伊勢丹

第12位●家具の大丸(フォーアニュ)
 全国15店舗で違法入植地製品を販売!
 TEL:022-222-7679
 お問い合わせフォーム

第13位●フレッシュロースター珈琲問屋
 全国12店舗で違法入植地製品を販売!
 TEL:044-270-1440
 メール:master@tonya.co.jp

第13位●大丸松坂屋百貨店
 全国12店舗で違法入植地製品を販売!
 TEL:03-6895-0816
 お問い合わせフォーム(大丸松坂屋

第15位●ブロス(casa)
 静岡・神奈川県内10店舗で違法入植地製品を販売!
 TEL:0545-57-0034
 お問い合わせフォーム
 フェイスブックアカウントcasaswen.com1998
 ツイッターアカウントcasa_swen

第16位●近鉄百貨店
 TEL:06-6624-1111(阿倍野本店)
 全国8店舗で違法入植地製品を販売!

第17位●丸広百貨店
 埼玉県内7店舗で違法入植地製品を販売!
 TEL:049(224)1111(代表)

第17位●イオンモール
 全国7店舗で違法入植地製品を販売!
 TEL:043-212-6450

第19位●阪急阪神百貨店
 全国6店舗で違法入植地製品を販売!
 TEL:06-6361-1381

第20位●東急百貨店
 全国5店舗で違法入植地製品を販売!
 TEL:03-3477-3111

第21位●さくら野百貨店
 青森・岩手県内4店舗で違法入植地製品を販売!
 TEL:017-723-5280

第21位●ワイ・ヨット(ラクッチーナフェリーチェ)
 関東地方の4店舗で違法入植地製品を販売!
 TEL:052-331-2838

第21位●LmD(ザ・コンランショップ)
 東京大阪の4店舗で違法入植地製品を販売!
 TEL:03-5322-6523

第21位●雑貨屋ブルドッグ(ザナード)
 静岡県内4店舗で違法入植地製品を販売!
 TEL:06-6260-5505

第21位●迫田(SAKODAホームファニシングス)
 九州地方の4店舗で違法入植地製品を販売!
 TEL:0120-207-113

第21位●井筒屋
 山口県・福岡県内4店舗で違法入植地製品を販売!
 TEL:093-522-3111

第21位●佐久本工機(ホームセンターさくもと)
 沖縄県内4店舗で違法入植地製品を販売!
 TEL:098-877-7479
 メール:info@sakumoto.net

第21位●山下家具店
 新潟県内4店舗で違法入植地製品を販売!
 TEL:025-223-6111

※以上のランキングは、違法イスラエル入植地製品ソーダストリーム店舗検索ページを参照して作成しましたが、すべての販売店舗がこの検索ページで網羅されているわけではないようですので、その点、ご留意ください。

百貨店でのテナント販売の場合、百貨店ではなくテナント企業の方でカウントしています。

※違法イスラエル入植地製品ソーダストリームの販売店舗数が間違っている、あるいは、すでに販売中止しているという小売企業の方は、当キャンペーンまでその旨、お伝えください。

 

 

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「『第一回アジア平和賞』平和憲法を守る全ての日本人に\(^o^)/」2014年8月24日(日)No.973

2014-08-24 19:59:25 | 反戦

去る8月15日、マレーシアの第2次世界大戦歴史研究会というところが、

平和憲法を守るために活動している全ての日本人

「第一回アジア平和賞」を授与してくれたという。

(うわーい!それって私も入るよね。うれぴー

第2次世界大戦で、日本はマレーシアにも侵略の歩を進めていった。

私の若い知人でマレーシア人の留学生と結婚した女性がいるが、

彼女は夫と知り合った時、

「1945年8月、日本に原爆が落とされて本当に良かったと思う。でないと、

マレーシアはいつまでも日本に蹂躙されたままだったんだ」

と言われてショックを受けたと聞いたことがある。

 

そんな歴史的関係を持つマレーシアだから、日本の平和憲法を評価しているんだと思う。

イラクでも「日本には平和憲法があっていいね。絶対戦争しないんだものね」

と、日本を良い国だと思う理由の一つに「日本国憲法」をあげる人が多いと、

高遠菜穂子さんがNHKの「ラジオ深夜便」で話していた。

NHKをはじめ、日本の大手マスコミ、メディアはこの「平和賞授与」ニュースを

なにゆえ大々的に報道しないのか。

 

(写真・記事はrecordchina)

 

 

第1回アジア平和賞、受賞は「平和憲法を守る活動を続けるすべての日本人」 http://www.recordchina.co.jp/a92872.html 

 2014年8月15日、新華社によると、第1回「アジア平和賞」に、

平和憲法を守る活動を続ける全ての日本人が選ばれた。

主催するマレーシア第2次世界大戦歴史研究会は、選考理由として

戦争防止や世界の平和維持に貢献したことを挙げた。

反戦活動家の石垣義昭氏と星野恒雄氏がクアラルンプールで同日、

代表して賞を受け取った。

 
石垣氏は「平和を愛する世界中の人たちとともに日本の平和憲法を守っていきたい」と述べた。

また、「安倍内閣は民意を無視し、独断専行で集団的自衛権の行使容認を決めた。

これは歴史の流れに逆行する行為だ」とも語った。(翻訳・編集/NY)

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